遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『チョウセンアサガオの咲く夏』     柚月裕子    角川書店

2025-03-09 12:00:34 | 柚月裕子
 オムニバス短編集。掌編集ともいえる。巻末に所載の初出一覧を見ると、『5分で読める!~~』並びに『10分間ミステリー』というフレーズを冠して発表された短編が本書に収録された短編の6割を占めている。様々なテーマを扱っている作品集なので、収録された11編のどれからでも手軽に読める。

 本書は、2022年4月に単行本が刊行され、2024年4月に文庫化されている。
 
 収録11編の作品の長さ(実質ページ数)を調べてみた。括弧の数字は作品数である。
    9ページ(3)、10ページ(4)、20ページ(1)
   21ページ(1)、39ページ(1)、54ページ(1)

 収録された小編・短編には、人間の心理や行動のある事象・局面が鮮やかな手際で切り出されている。各編について、少しご紹介してみたい。作品タイトルの後の括弧の数字はその作品について単行本でのページ数を示した。

< チョウセンアサガオの咲く夏 > (9)
 病気の母を自宅で介護しつづけてきた独身の娘。往診に来る平山医師にえらいなと褒められ、労いの言葉をかけられる。さらに褒められたいという心が動き出す。その為には・・・・。孤独な娘の心理が転換する局面を鮮やかに掬い取っている。
   
< 泣き虫の鈴 > (39)
 越後街道沿いの白鷹村にある養蚕業の本多家に奉公する12歳の八彦。最年長の正造のいじめにあう泣き虫。母に持たされた鈴が彼にとって唯一の慰めとなる。白鷹村に来た瞽女の一行を初めて見る。瞽女ハツエの養女キクとの会話が八彦の心を動かす。祭の後で事件が起こる。キクとの出会いが、八彦の心をワン・ステップ強くした。
 人間の心の成長。人と人との交流が触媒となり、心に転機が生まれる。その局面が切り取られている。
 
< サクラ・サクラ > (10)
 現パラオ共和国は、太平洋戦争の時、日本の委任統治領だった。戦争下でペリリュー島の日本軍は陥落した。夏休みを利用してこの島に旅行した日本の若者がその時の話を聞くことに・・・・。
太平洋戦争の戦域の広がりと事実について、わずかしか知らないということに、この小編で気づかされた!! 昭和史を学び直さねば・・・・・。

< お薬増やしますね > (10)
 妄想性パーソナリティ障害の患者が、大学附属病院の精神科医の診察を受けている状況を描く。この患者は自分が精神科医と思い込んでいるというおもしろい状況設定。
 精神病とはどのような広がりと深さを持つ世界なのだろうか。正常と異常とはどこで区分されるのだろうか。それが知りたくなってきた。

< 初孫 > (10)
 大手新聞の政治部キャップが、親友で遺伝子研究をしている生物工学者に、ある親子のDNA鑑定を依頼するという小編。
 事実を知ることは、恐ろしい・・・・・そんな思いを抱かせる。

< 原稿取り > (10)
 締め切りに追われる編集者と筆が遅いことで有名な作家との間での原稿に関わる小編。
 昭和56年夏という時代設定。手書き原稿を編集者が作家宅に受け取りにいく。
 この令和時代は、様変わりしているのだろうな・・・・まず、そんな感想が浮かぶ。

< 愛しのルナ > (9)
 ルナとは猫に付けた名前。小さな公園で「私」が捨て猫を見つけ、飼い猫にした。私はルナの動画を投稿サイトにアップする。好評を得る。私は愛しのルナに近づいていく。
 「病膏盲に入る」という表現を思い浮かべてしまった。

< 泣く猫 > (20)
 母に棄てられた娘・真紀。17年の断絶を経て、真紀は警察からの知らせで母の死を知る。葬儀を済ませ、母のアパートの部屋の後始末に出向く。2階から見える狭い空き地で鳴く子猫。親猫が現れる。源氏名をサオリと名乗る女がママから頼まれた香典を持参した。その後、サオリが大事な弔問客がいたと、猫を部屋に入れる。サオリは、その猫が泣いていると言った。
 真紀の心の襞に分け入っていく短編と思う。断ち切れない母娘の絆の存在・・・・。

< 影にそう > (9)
 ほとんど目の見えないチヨは瞽女ハツの養女となる。チヨにとり、親方のハツと手引きのコトエに同行する盲目の旅芸人としての初旅である。チヨの視点から、思い乱れるチヨの心中が描かれる。
 小編の末尾は、葛の葉子別れという謡曲の一節で締めくくられる。その中に、タイトルの語句が含まれている。
 テーマは自分で生きていくということなのだ。
 ふと思う。瞽女という存在は、過去のものとなったのだろうかと。少し調べてみよう。

< 黙れおそ松 > (21)
 野良猫のノラが、自分の縄張りのチェックを済ませて、松野家の6つ子の部屋に入り込み、彼らを観察するという設定。まず6つ子の名前の設定からおもしろい。上から順に、おそ松、カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松である。
 著者は楽しみながら書いていたのではないかと思った。
 最後のオチがいい。「にゃおんーーー人間失格」

< ヒーロー > (54)
 米崎県米崎市の高校の柔道部監督だった阿部幸弘が亡くなった。享年81。その告別式で同期の3人が出会う。増田陽二と伊達将司は柔道部に所属、木戸彩香は柔道部のマネージャーをしていた。増田は高校時代の思い出を回想する。二人の柔道の能力は天地の差があった。伊達が天の部類である。だが、増田と伊達には共通するヒーローが居た。柔道漫画の脇役で登場する早乙女だった。
 3人はその夜、居酒屋で食事会をした。それぞれの近況が話題となる。だが、近況話の折に、増田は伊達の語った内容に違和感を感じる。食事を終えた後、先に店を出て行った伊達を増田が追いかけて、疑問をぶつけることに・・・・・。
 ストーリーの構成、読者への背景情報の提示のプロセスが実に巧みだと思う。
 このストーリーがやはり一番読みごたえがあった。

 < ヒーロー > の中に印象深い箇所がいくつかある。文意は人生に関わるもの。覚書を兼ねて引用し、ご紹介したい。

*社会人になり、あのころよりは大人になったいまならわかる。誰がどう思うかではなく、自分がどう感じるかだ。   p192
*嘘を吐くとき、人はなにかを守ろうとしているってことだ。    p217
*人生は、ほんの些細な偶然で成り立っている。          p222
*自分に自信があるやつなんていないよ。あったって、そんなの一時だ。自信がなくて、できるやつを羨んで、そんな自分が嫌で落ち込む。でも時々、自分も捨てたもんじゃないって思うときがある。そして、またがんばる。その繰り返しだよ。  p225
*嘘の先には、嘘しかありません。                p229
すべての人間を騙せても、本人だけは自分が嘘を吐いているとわかっているからです。
 人間にとっての絆としがらみ。生きるということ、生きる意味。
 それを見つめた掌編集だと思う。

 ご一読ありがとうございます。



補遺
チョウセンアサガオ類     :「食品衛生の窓」(東京都保健医薬局)
ヨウシュチョウセンアサガオ  :「公益社団法人日本薬学会」
古くて新しいチョウセンアサガオ曼陀羅華は諸刃の剣  :「化学と生物」
精神病とは心の病なのでしょうか。 :「千葉県」
精神障害(精神疾患)の特性(代表例)  :「厚生労働省」
正常と異常の概念   佐藤隆の特別講座  :「総合心理教育研究所」
1.検査基準値の考え方―医学における正常と異常― 日本老年医学会雑誌:「J-STAGE」
瞽女    :ウィキペディア
盲目の旅芸人 瞽女(ごぜ)さんを知っていますか? (平成28年11月1日) :「南相馬市」
file-84 越後の瞽女(前編)  :「新潟文化物語」
瞽女(ごぜ)唄が響く   ハートネットTV  :「NHK」
「過酷な中を生きた瞽女のパワーを伝えたい」瞽女唄を唄い継ぐ 全盲の広沢里枝子さん(長野県東御市)  中部新聞デジタル編集部     YouTube
越後ごぜ唄と津軽三味線 萱森直子 ホームページ

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『合理的にあり得ない 2 上水流涼子の究明』   講談社
「遊心逍遙記」に掲載した<柚月裕子>作品の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在 16冊

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『合理的にあり得ない 2 上水流涼子の究明』  柚月裕子  講談社

2023-11-05 21:53:56 | 柚月裕子
 『合理的にあり得ない』の第2弾。短編が40ページ前後の作品とするなら、この第2弾は、短編「物理的にあり得ない」と、中編「倫理的にあり得ない」「立場的にあり得ない」の2本を合わせて収録された連作集である。最初の短編は「メフィスト」(2017VOL3)に、後の中編2本は「日刊ゲンダイ」(2022.10.4~2022.11.09、2022.11.30~2023.2.3)に、それぞれ発表された。それらをまとめて2023年3月に単行本が刊行されている。

 上水流凉子(カミヅルリョウコ)は、ある事件で弁護士資格を剥奪された。その後、新宿の大通りから裏道に入った目立たない雑居ビルで上水流エージェンシーという事務所を経営する。殺人と傷害以外はどんな依頼でも請け負い解決する何でも屋である。連絡先は一切公表せず、依頼は口コミの人づてだけによる。従って、依頼人は警察や弁護士を介するという正当な方法では解決できない悩みを抱える人々である。法的にはグレーゾーンに足を入れることも辞さない何でも屋といえる。だが、新宿署組織犯罪対策課の古参刑事である丹波とは、腐れ縁で協力関係を維持している。
 事務所の従業員は貴山(タカヤマ)伸彦だけである。彼は、IQ140という頭脳を持つイケメン。鋭い観察力を持ち、人一倍気遣いができるが、完璧主義者でニヒリスト、綿密な計画のもとに無駄を省いた行動を好む。数カ国語を母国語並に話し、かつて演劇俳優をめざしていたことから変装も得意。さらに、紅茶を淹れる腕前は一流なのだ。凉子の「有能な」秘書・助手・事務所の経理担当の役割をこなしている。無くてはならない存在。貴山の果たす役割は実に大きい。

 上水流エージェンシーのことを人づてに知った依頼人が難儀な案件を二人のところに持ち込んで来る。凉子と貴山が、依頼人の持ち込んだ案件をどのように究明し解決するに至るか、あるいは解決できないか、そのプロセスがこれら中短編の読ませどころとなっていく。

 各作品ごとに、読後印象とその内容の一端をご紹介する。

<物理的にあり得ない>
 古矢信之と名乗る男が事務所に来る。手付金として100万円、依頼が解決したら即金で400万円支払うという。依頼案件は、一昨日の夜、関西空港に着いた国際便で届いた荷を積んだ車が、東京に向かった。その車が行方不明になったという。古矢は荷物の中身は語らず、車が1500ccのミニバンで色は白、そしてその車種だけを凉子に情報として伝えた。
 凉子は依頼を引き受ける。この情報を唯一の手がかりにして、依頼案件に取り組んで行く。このわずかの情報から、貴山は荷の内容をレッドリストに該当するものと推測する。凉子もまた、同じ推論にいたっていた。
 この短編で、おもしろいことがわかる。貴山が無類の動物好きだったのだ。行きがかりから、貴山はカラカルというネコ科の動物を事務所で世話し始める。凉子は猫を苦手としていることもわかる。貴山は、その猫を「マロ」と呼び始めるのだった。
 この案件、思わぬ方向に発展していく。

<倫理的にあり得ない>
 凉子が事務所を始めてから7年になる。特異な依頼案件が持ち込まれてくる。その案件は、親子の関係とは何かがテーマとなっている。
 事務所に来た依頼主は澤本香奈江、自称45歳。看護師をしているという。依頼内容は、10年前、安生健吾が55歳、香奈江が35歳の時に結婚し、翌年に直人を授かった。結婚3年目に安生から離婚を迫られたという。息子は安生が親権を持つことになった。10年後の今になって、香奈江は、息子の親権を取り戻して欲しいというのだ。「離婚した当時とは違い、看護師としてのキャリアを積んだいまは、直人を育てられる収入があります。私の手で直人を育てたいんです」(p74)と。
 香奈江はテーブルの上に500万円を積み、成功報酬払いでと言う。凉子が手付金の話をすると、不服そうな顔をしながらも、10万円を凉子に渡した。
 元夫の安生は、現在65歳。3年前に独立して株式会社ファイアットを立ち上げ、代表取締役社長をしている。
 凉子と貴山は、安生の周辺事情を調べる一方で、依頼人香奈江の周辺事情も確認するという両面作戦で、案件に臨んでいく。
 親子とは何か? 愛情とは何か? 考えさせられる一編である。
 この案件、凉子にとっては報酬ゼロ、ただ働きになる。なぜか? 興味深い経緯を辿ることになる、そこが読ませどころ。
 この中編の末尾がおもしろい。凉子は貴山に言う。「あっちから仕事が来ないなら、こっちから調達しに行く。社員が一匹増えるんから、もたもたしていられないわ」(p149)と。社員一匹というのは、勿論、マロのことである。

<立場的にあり得ない>
 この一編のおもしろい所は、依頼人が新宿署の丹波刑事であること。丹波は凉子が法曹資格を失うことになった事件の担当刑事であった。今では、互いに持ちつ持たれつの関係を腐れ縁として続けている。
 刑事がなぜ凉子に依頼するのか。警視庁組織犯罪対策部の五十嵐部長の娘・由奈、20歳、大学生。都内の自宅から通っている。その由奈が最近何度も自殺未遂を起こしている。現在入院中で摂食障害を起こしているという。丹波は凉子に自殺未遂・摂食障害の理由を調べて欲しいというのだ。頭から凉子への金銭的報酬を丹波は考えてもいない。
 丹波は、妻を亡くした後の息子のことを思い出したことから、由奈を助けたいのだという。自殺未遂・摂食障害なら、丹波刑事は捜査をしたくても職権対象外ということになる。そこで凉子に依頼するという設定がおもしろい。
 依頼段階でわかっているのは、由奈の家族構成、通学する大学名、丹波から入手した由奈の画像だけ。ここからどのように凉子と貴山が調査を開始できるのか。そこがこのストーリーのおもしろいところ。今風の展開になるのは、貴山がITリテラシーを駆使し、SNS情報を核にネット情報を収集し、巧みに核心に近づくための情報を洗い出していくという進展にある。これは逆にとらえれば、インターネットへの情報発信の怖さの一面を読者に語っていることにもなる。
 この中編のタイトル「立場的にありえない」という論点が重大な意味を持つに至る。
 
 中短編の推理ものはその展開が相対的にストレートであり、スピーディさがあるので、つい集中して一気読みとなる。本書もその一冊となった。
 
 ご一読ありがとうございます。

補遺
本書に出てくる語彙で無知で気になるものの一部をネット検索してみた。リストにしておきたい。
パリ・マレ  :「コスメドフランス」
「ダージリンオータムナル」とは何ですか? :「LUPICIA」
ジャスミン・イン・ラブ  :「マリアージュ フレール」
オウム類   :「The Ark of Gaia」(Gaiapress)
アンデスネコ :ウィキペディア
コールデンモンキー ⇒ キンシコウ :ウィキペディア
カラカル   :ウィキペディア
フィナンシェ :「洋菓子アンリ・シャルパンティ」
フェラーリ・ローマ  :ウィキペデキア
ハミングバード オリジナル  :「Gibson」
ギブソン ハミングバード :「J-Guitar」

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「遊心逍遙記」に掲載した<柚月裕子>作品の読後印象記一覧 最終版
                  2022年12月現在 16冊


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「遊心逍遙記」に掲載した<柚月裕子>作品の読後印象記一覧 最終版 2022年12月現在

2022-12-29 18:25:01 | 柚月裕子
「遊心逍遙記」に掲載した<柚月裕子>作品の読後印象記一覧 最終版 2022年12月現在

ブログ「遊心逍遙記」を開設して以降、読み継いできた作品を一覧にまとめました。
お読みいただけるとうれしいです。  16冊掲載

『ミカエルの鼓動』  文藝春秋
『月下のサクラ』   徳間書店
『暴虎の牙』  角川書店
『検事の信義』  角川書店
『盤上の向日葵』  中央公論新社
『凶犬の眼』  角川書店
『合理的にあり得ない 上水流涼子の解明』  講談社
『蟻の菜園 -アント・ガーデン-』 宝島社
『朽ちないサクラ』  徳間書店
『孤狼の血』  角川書店
『あしたの君へ』 文藝春秋
『パレートの誤算』 祥伝社
『慈雨』 集英社
『ウツボカズラの甘い息』 幻冬舎
『検事の死命』 宝島社
『検事の本懐』 宝島社

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