木版画を型破りな芸術創造の世界に広げていった棟方志功。その棟方志功とチヤの出逢いから結婚、そしてこの夫婦の人生遍歴、棟方志功が「板画」の世界を築くまでの遍歴を描く。アート&夫婦愛小説ととらえた。
本書は、2024年3月に単行本が刊行された。
本署の末尾に、「本書はオーディブルオリジナル作品です。本作は史実に基づいたフィクションです」と記されている。
本書のタイトルにまず着目しよう。「板上に咲く」は、棟方志功の目指した芸術世界を表象する。「絵バカ」と揶揄されてきた棟方志功が雑誌『白樺』に掲載されたゴッホの絵を見て、「----- ワぁゴッホになる --------ッ!!」(p81)と雄叫びをあげる。ゴッホを目指し、油絵に邁進するが、己の道は木版画にあると見定める。絵画より一段格下と見られていた木版画の世界。そこから革新的な創作で「板画」の世界を構築し、芸術活動領域を創造して行ったのだ。
一方、英語表記のフレーズは、ゴッホになることを目指した志功が、「ゴッホを超えて、とうとう、世界の『ムナカタ』になったんです」(p253)という側面をとらえている。2つの側面を併せた全体が本書のタイトルなのか。和文が本書のタイトルで、本書を翻訳書にするとしたら、タイトルはこの英文表記だということなのか。この点がまずおもしろい。私には、主タイトル・副題という関係ではないなという読後印象が残る。
本作は、その構成が入れ子構造、かつ編年記風の形でおもしろい。序章は1987年(昭和62年)10月、東京の杉並で、棟方チヤが新聞記者のインタビューを受けるという場面。この時点で、夫の棟方志功は、12年前に亡くなっている。インタビューに触発されて、チヤの回想が始まる。チヤの視点からの語り。夫・棟方志功が「板画」の世界を築いていく様、志功とチヤの出逢いから夫婦のあり様、家族の姿、志功と子供との関わりを回顧していく。
本作は、序章の後、時間軸を期間区分する形でストーリーが進展していく。その年代区分の人生ステージで語られる内容をキーフレーズにして添えてみる。
1928年(昭和3年)10月 青森 ~ 1929年(昭和4年)9月 弘前
看護婦を目指すチヤ。古藤正雄との出会い、弘前での偶然の再会。公開ラブレター。
1930年(昭和5年) 5月 青森 ~ 1932年(昭和7年)6月 東京 中野
志功の生い立ちとゴッホになるという目標。志功・チヤの結婚。結婚即別居生活。
1932年(昭和7年) 9月 東京 中野 ~ 1933年(昭和8年)12月 青森
チヤは子連れで上京。志功の友人・画家松木満史宅での親子居候生活。チヤの帰郷。
1934年(昭和9年) 3月 東京 中野
再上京。松木宅近隣で借家生活。志功は「版画絵巻」の創作を目指す。
1936年(昭和11年)4月 東京 中野
<大和し美し>(版画絵巻)を出展応募。柳宗悦・濱田庄司との関わりの始まり。
1937年(昭和12年)4月 東京 中野 ~ 1939年(昭和14年)5月 東京 中野
志功の版画制作:<華厳譜>、<開闢譜東北経版画屏風>、<勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅>
<二菩薩釈迦十大弟子>
「いまわかった。
版画こそが、あの人なのだと」(p210)
1944年(昭和19年)5月 東京 代々木 ~ 1945年(昭和20年)5月 富山 福光
民藝運動同人・水谷良一氏旧家を借家しての生活。富山県の福光へ疎開。
東京の空襲と版木
終章 1987年(昭和62年)10月 東京 杉並
「あのとき、もしも・・・」の回想。サンパウロ・ビエンナーレ。
ヴェネチア・ヴィエンナーレ。ゴッホの墓へ。
本作により、棟方志功の芸術家としての希求と邁進奮闘、その遍歴の凡そを知ることができる。棟方志功の一途の想いと努力、彼に秘められた才能が、柳宗悦はじめ、民藝運動に関わる人々の知遇を得、彼らのサポートを得ることに連鎖する。棟方志功が板画と称した新しい版画の世界を築いていったプロセすである。つまりアート小説。
著者は棟方志功が制作に臨む姿を、妻チヤの目を介して、次のように語っている。長くなるが引用したい。
「いったい何がどうなって棟方の中の創作意欲に火がつくのか。すぐそばにいながら、そして制作の様子を目の当たりにしながら、チヤにはどうしてもそこがわからなかった。知りたい気持ちがなくはなかったが、とにかく一度火がついてしまえばあとは一気に仕上げる。大作に取りかかるときはいつもそうだった。ただし、その場の思いつきでウワーッと描き上げるのではない。事前に題材についてつぶさに調査し、数えきれないほどの下絵を描き、構図を練り、試し描きをして、綿密な下ごしらえをする。そうこうしているうちに震動が始まり、次第に地鳴りが高鳴って、ついに噴火するのだ」(p205)
この小説で、私は次の箇所で心響く思いがした。本作に自然に没入していき、感極まるという形に引き込まれてしまう。本作は、棟方志功とチヤの夫婦愛を描いているんだと感じる。次の会話である。本作を読み進めないと、この会話の感触は伝えにくいと思う。その感触を味わうための誘いにしてほしい。
「私は子供たちと一緒に、どうにか生き延びます。だから、おメさもどうかご無事で。この先も、何があっても、どうか・・・・・・どうか創り続けてください。版画とともに生き抜いてください。それが。私の・・・・・・棟方志功の妻だった私の、たったひとつの願いです。」 (p244)
「チヤ子。おメ。何年ワぁと夫婦やってるんだ?」
くすっと笑って、棟方がささやいた。
「ったく、わがんねのか? ワぁの命にも等しいもんは版木では、ね。・・・・・おメだ」
(p133)
もう一つ、チヤが己の仕事として、日々深夜に墨を磨る。それを「棟方墨製造工場」(p175)と位置付けている箇所がある。チヤ無くして、「世界のムナカタ」は生まれなかったのだ!!
一気に読み通してしまった。
ご一読ありがとうございます。
補遺
原田マハ『板上に咲く』特設ページ :「幻冬舎」
最新刊『板上に咲く』インタビュー vol. 1 :「マハの展示室」
ほかに、vol. 2 vol. 3 も掲載あり。
棟方志功作品 (10点掲載) :「日本民藝館」
棟方志功記念館 ホームページ
棟方志功年譜
2024年3月31日閉館 → 青森県立美術館内で新たな取り組みを開始
2025年1月2日のお知らせ :二菩薩釈迦十大弟子 掲載
青森県立美術館 ホームページ
棟方志功 勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅、花矢の柵 と 八甲田山麓図(油彩)掲載
棟方志功 賜願の柵 付記:このページに、棟方の絵仲間小野忠明の記述あり
棟方志功記念館「愛染苑」「鯉雨画斎」 :「とやま観光ナビ」
福光美術館 ホームページ 富山県南砺市
棟方志功
美尼羅牟頌板画柵 4図 [テキスト: F.W. ニーチェ 訳:生田長江]:「大原美術館」
流離抄板画柵 :「大原美術館」
華厳譜 :「アサヒグループ大山崎山荘美術館」
「再生」への祈りは時空を超えて…棟方志功が大作に込めた思い 2021/10/29
東北経鬼門譜 :「讀賣新聞オンライン」
棟方志功の作品「東北経鬼門譜」の版画120枚保存へ 南砺市 2024.7.17:「NHK」
美術館だより 2014.2.21~3.23 棟方志功生誕110年記念 :「福井県立美術館」
ふるさと歴史館47「棟方志功 作品のモデル」 YouTube
生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ 2023年11月 :「美術展ナビ」
《二菩薩釈迦十大弟子》《大和し美し》の画像掲載
日本を代表する板画家「棟方志功」の代表作5選とその価値について :「日晃堂」
松木満史 「ラ・リューヌ」(油彩画、麻布) :「青森県立郷土館」
松木満史が描き続けたテーマ「馬」に関する考察 中村理香 青森県立郷土館研究紀要
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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『芸術新潮 2024 4 特集 原田マハのポスト印象派物語』 新潮社
『おいしい水』 原田マハ 伊庭靖子画 岩波書店
『奇跡の人』 双葉文庫
『20 CONTACTS 消えない星々との短い接触』 幻冬舎
『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著 原田マハ 翻訳 幻冬舎
「遊心逍遙記」に掲載した<原田マハ>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 16冊
本書は、2024年3月に単行本が刊行された。
本署の末尾に、「本書はオーディブルオリジナル作品です。本作は史実に基づいたフィクションです」と記されている。
本書のタイトルにまず着目しよう。「板上に咲く」は、棟方志功の目指した芸術世界を表象する。「絵バカ」と揶揄されてきた棟方志功が雑誌『白樺』に掲載されたゴッホの絵を見て、「----- ワぁゴッホになる --------ッ!!」(p81)と雄叫びをあげる。ゴッホを目指し、油絵に邁進するが、己の道は木版画にあると見定める。絵画より一段格下と見られていた木版画の世界。そこから革新的な創作で「板画」の世界を構築し、芸術活動領域を創造して行ったのだ。
一方、英語表記のフレーズは、ゴッホになることを目指した志功が、「ゴッホを超えて、とうとう、世界の『ムナカタ』になったんです」(p253)という側面をとらえている。2つの側面を併せた全体が本書のタイトルなのか。和文が本書のタイトルで、本書を翻訳書にするとしたら、タイトルはこの英文表記だということなのか。この点がまずおもしろい。私には、主タイトル・副題という関係ではないなという読後印象が残る。
本作は、その構成が入れ子構造、かつ編年記風の形でおもしろい。序章は1987年(昭和62年)10月、東京の杉並で、棟方チヤが新聞記者のインタビューを受けるという場面。この時点で、夫の棟方志功は、12年前に亡くなっている。インタビューに触発されて、チヤの回想が始まる。チヤの視点からの語り。夫・棟方志功が「板画」の世界を築いていく様、志功とチヤの出逢いから夫婦のあり様、家族の姿、志功と子供との関わりを回顧していく。
本作は、序章の後、時間軸を期間区分する形でストーリーが進展していく。その年代区分の人生ステージで語られる内容をキーフレーズにして添えてみる。
1928年(昭和3年)10月 青森 ~ 1929年(昭和4年)9月 弘前
看護婦を目指すチヤ。古藤正雄との出会い、弘前での偶然の再会。公開ラブレター。
1930年(昭和5年) 5月 青森 ~ 1932年(昭和7年)6月 東京 中野
志功の生い立ちとゴッホになるという目標。志功・チヤの結婚。結婚即別居生活。
1932年(昭和7年) 9月 東京 中野 ~ 1933年(昭和8年)12月 青森
チヤは子連れで上京。志功の友人・画家松木満史宅での親子居候生活。チヤの帰郷。
1934年(昭和9年) 3月 東京 中野
再上京。松木宅近隣で借家生活。志功は「版画絵巻」の創作を目指す。
1936年(昭和11年)4月 東京 中野
<大和し美し>(版画絵巻)を出展応募。柳宗悦・濱田庄司との関わりの始まり。
1937年(昭和12年)4月 東京 中野 ~ 1939年(昭和14年)5月 東京 中野
志功の版画制作:<華厳譜>、<開闢譜東北経版画屏風>、<勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅>
<二菩薩釈迦十大弟子>
「いまわかった。
版画こそが、あの人なのだと」(p210)
1944年(昭和19年)5月 東京 代々木 ~ 1945年(昭和20年)5月 富山 福光
民藝運動同人・水谷良一氏旧家を借家しての生活。富山県の福光へ疎開。
東京の空襲と版木
終章 1987年(昭和62年)10月 東京 杉並
「あのとき、もしも・・・」の回想。サンパウロ・ビエンナーレ。
ヴェネチア・ヴィエンナーレ。ゴッホの墓へ。
本作により、棟方志功の芸術家としての希求と邁進奮闘、その遍歴の凡そを知ることができる。棟方志功の一途の想いと努力、彼に秘められた才能が、柳宗悦はじめ、民藝運動に関わる人々の知遇を得、彼らのサポートを得ることに連鎖する。棟方志功が板画と称した新しい版画の世界を築いていったプロセすである。つまりアート小説。
著者は棟方志功が制作に臨む姿を、妻チヤの目を介して、次のように語っている。長くなるが引用したい。
「いったい何がどうなって棟方の中の創作意欲に火がつくのか。すぐそばにいながら、そして制作の様子を目の当たりにしながら、チヤにはどうしてもそこがわからなかった。知りたい気持ちがなくはなかったが、とにかく一度火がついてしまえばあとは一気に仕上げる。大作に取りかかるときはいつもそうだった。ただし、その場の思いつきでウワーッと描き上げるのではない。事前に題材についてつぶさに調査し、数えきれないほどの下絵を描き、構図を練り、試し描きをして、綿密な下ごしらえをする。そうこうしているうちに震動が始まり、次第に地鳴りが高鳴って、ついに噴火するのだ」(p205)
この小説で、私は次の箇所で心響く思いがした。本作に自然に没入していき、感極まるという形に引き込まれてしまう。本作は、棟方志功とチヤの夫婦愛を描いているんだと感じる。次の会話である。本作を読み進めないと、この会話の感触は伝えにくいと思う。その感触を味わうための誘いにしてほしい。
「私は子供たちと一緒に、どうにか生き延びます。だから、おメさもどうかご無事で。この先も、何があっても、どうか・・・・・・どうか創り続けてください。版画とともに生き抜いてください。それが。私の・・・・・・棟方志功の妻だった私の、たったひとつの願いです。」 (p244)
「チヤ子。おメ。何年ワぁと夫婦やってるんだ?」
くすっと笑って、棟方がささやいた。
「ったく、わがんねのか? ワぁの命にも等しいもんは版木では、ね。・・・・・おメだ」
(p133)
もう一つ、チヤが己の仕事として、日々深夜に墨を磨る。それを「棟方墨製造工場」(p175)と位置付けている箇所がある。チヤ無くして、「世界のムナカタ」は生まれなかったのだ!!
一気に読み通してしまった。
ご一読ありがとうございます。
補遺
原田マハ『板上に咲く』特設ページ :「幻冬舎」
最新刊『板上に咲く』インタビュー vol. 1 :「マハの展示室」
ほかに、vol. 2 vol. 3 も掲載あり。
棟方志功作品 (10点掲載) :「日本民藝館」
棟方志功記念館 ホームページ
棟方志功年譜
2024年3月31日閉館 → 青森県立美術館内で新たな取り組みを開始
2025年1月2日のお知らせ :二菩薩釈迦十大弟子 掲載
青森県立美術館 ホームページ
棟方志功 勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅、花矢の柵 と 八甲田山麓図(油彩)掲載
棟方志功 賜願の柵 付記:このページに、棟方の絵仲間小野忠明の記述あり
棟方志功記念館「愛染苑」「鯉雨画斎」 :「とやま観光ナビ」
福光美術館 ホームページ 富山県南砺市
棟方志功
美尼羅牟頌板画柵 4図 [テキスト: F.W. ニーチェ 訳:生田長江]:「大原美術館」
流離抄板画柵 :「大原美術館」
華厳譜 :「アサヒグループ大山崎山荘美術館」
「再生」への祈りは時空を超えて…棟方志功が大作に込めた思い 2021/10/29
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棟方志功の作品「東北経鬼門譜」の版画120枚保存へ 南砺市 2024.7.17:「NHK」
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『芸術新潮 2024 4 特集 原田マハのポスト印象派物語』 新潮社
『おいしい水』 原田マハ 伊庭靖子画 岩波書店
『奇跡の人』 双葉文庫
『20 CONTACTS 消えない星々との短い接触』 幻冬舎
『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著 原田マハ 翻訳 幻冬舎
「遊心逍遙記」に掲載した<原田マハ>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 16冊