本書のタイトルが示すとおり、葛飾北斎を扱った小説である。だが、うしろに「まんだら」とある。まんだらに直接触れる箇所は本文になかったように思う。読後に気づいたことが「まんだら」は「曼荼羅」で仏教語から借りているということだ。曼荼羅は大日如来を中心に多くの仏や菩薩を体系的に配置して描き上げた図である。この小説は葛飾北斎を中心にして、肉親、弟子、版元、仕事で交流を深めた人々、ライバルとみなす絵師、浮世絵師群など、様々な人々との人間関係を描き出す。その中でその時代と北斎を浮彫にしていく。そういう趣向なのかと。
本書は2017年2月に単行本が刊行され、2019年8月に文庫化されている。
北斎を扱うが北斎がこのストーリーの主役であるとも言いがたい。なぜか。
高井三九郎が浅草明王院地内五郎兵衛店に住む北斎を訪ねるというところからストーリーが始まる。高井三九郎は北斎に弟子入りしたい目的で、北斎の住まいを訪ねた。
三九郎は信州小布施では誰もが知る豪商、高井家の惣領息子。豪商の高井家は、周辺の松代藩、須坂藩、上田藩とも昵懇の間柄で、京の九条家の御用を賜っている。三九郎自身、15歳の時に京に遊学し、書画、詩歌を学んで11年に及ぶ。京では岸駒(がんく)を師匠として絵を学んでいた。
三九郎が家業をほうりだして江戸に出て来たのは28歳の時。彼は北斎を小布施に招きたいという目的を抱いていた。師匠と弟子という関係で、小布施に北斎を迎えて、小布施で画を描いてほしいという目論見である。
北斎は「おめえ、面白ぇ物を持っていそうだ」と三九郎に言い、あっさりと弟子入りを認める。北斎は娘のお栄に「おめえが見てやれ」と語り、お栄は「やなこった」と即座に返答した。少し宙ぶらりんな弟子入り状態から始まる。そして、このストーリーは、三九郎の希望を受けて、北斎が信州小布施行きに合意するあたりまでを描く。
この小説のおもしろい所を列挙してみよう。
1.絵師北斎の行状や思考を、三九郎の視点をフィルターとして、描き出していく。
どういう状態で北斎が画を描くのが日常的な姿だったか。北斎と娘のお栄が暮らす住まいの状態がどのようであったか。北斎が他の絵師、内心ライバルとみなす絵師をどのように考え、意識しているか、などである。
2.北斎と同時代の絵師たちの状況を時代背景として織りこんで行く。特に北斎がライバル意識を持った絵師について具体的に描いている。当時の絵師群像を知るのに役立つ。
「一昨年版行された歌川広重の『東都名所』もそこそこ売れたと聞いている。だが、広重のそれは、そこに止まる名所そのものの美しさにある」(p40)という記述がある。広重が「東都名所」を手がけたのは天保2年(1831)広重34歳の時なので、このストーリーは、天保4年(1833)に三九郎が北斎を訪れた時点から始まっていることになる。北斎70歳代前半を描いていることになる。
3.北斎の住まいを訪れたとき、娘のお栄が三九郎にまず応対した。お栄の画号は応為である。この時、お栄は枕絵を描いていた。これが発端となり、枕絵を描くお栄と枕絵に絡んだ話材が一貫して、あたかも一つのサイドストーリーとなっていく。そこに、池田善次郎が関わってくる。美人画を得意とする町絵師の渓斎英泉である。北斎も勿論枕絵を描いている。北斎には「あの名は、善次郎にくれてやった」(p20)と言わせている。あの名とは「紫色鳫高(ししきがんこう)」という枕絵に記す陰号である。
善次郎は北斎の住まいにしばしば訪れるし、お栄との関わりを持っている。勿論枕絵の仕事では共同する側面もある。
三九郎は善治郎に誘われて吉原通いをする羽目にもなっていく。それだけに留まらず、枕絵のモデルまでやらされる羽目に・・・・ということで、これが面白い展開となる。
4.勿論北斎が己を語る場面がある。だがそれはわずか。娘のお栄が父北斎について三九郎に語るという形で、北斎の人間関係、人物像の一側面がストーリーに織り込まれていく。例えば、北斎と式亭馬琴との関係がそれである。
5.北斎には孫がいた。北斎関連で読んだ本には、北斎は孫に手を焼いていた事実が記されていた。ここでも孫の重太郎に絡むサイド・ストーリーが後半に加わり、大きな流れに転じていく。北斎画の贋作問題が発生する・・・・。その解明にお栄・三九郎・善治郎が取り組むことになる。
6.善次郎が三九郎に次のように語る場面がある。
「北斎先生の中じゃ、もう錦絵や絵本は終わっている。肉筆に移るって、おれは考えているんだ。肉筆は遺るよ。だから北斎の名も、画も遺る、とおれは信じているんだ。・・・・・」(p279)と。つまり、この小説は北斎の画境の変わり目あたりに焦点が当てられていることになる。
7.父娘である。北斎とお栄。一方で、絵師北斎と絵師応為との関係が点描されている。
最後に、印象的な箇所をいくつか引用しておこう。
*北斎の画は、丸と四角の組み合わせで形を取り、対角線や点、相似形を使い画面を構築する。緻密な構成があるのだと、お栄はいう。 p210
*髪の生え際、鬢の彫りなどがそうだ。絵師の描く版下絵は、髪型や輪郭だけで髪の毛を一本一本描くことはない。髪の毛や生え際はすべて彫師に任されている。一分(3ミリ)ほどの間に十五本ぐらい彫る。緻密さを極めた彫りだ。(付記:毛割についての説明)p234
*安心しなよ、三九郎。眼に見えていることは、皆、まやかしだよ。人の眼ってのはね、真実が見えないようにできているんだとさ。親父どのがいってたよ。真が見えたら、皆、絶望するか、卒倒しちまうとさ。 p250
*いま見えてる物の姿は、本物だって誰がいえるんだい。富士を眺めていたって、時はそこに流れている。止まっている瞬間なんかないんだよ。 p252
三九郎は北斎から、「高井鴻山」という画号を授けられる。そして北斎は江戸を飛び出し浦賀に旅立つ。そこでこのストーリーは終わる。
このストーリー、枕絵を描く絵師たちの舞台裏の知識が読者にとって、一つの副産物となる。至って真面目な絵画知識である。そこがおもしろい。
ご一読ありがとうございます。
補遺
葛飾北斎 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」(国立国会図書館)
歌川広重 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」(国立国会図書館)
没後160年記念"広重 月の名作撰"コラムVol.1 :「浮世絵のアダチ版画」
渓斎英泉 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」(国立国会図書館)
浮世絵春画(枕絵)の歴史と絵師による特徴 :「いわの美術株式会社」
高井鴻山 :ウィキペディア
高井鴻山記念館 :「小布施町」
高井鴻山の「妖怪図」初公開 晩年に没頭した妖怪画集め、小布施の記念館で展示
2023.7.28 :「信濃毎日新聞デジタル」
晩年の高井鴻山、北斎ら旧友重ね描く妖怪 小布施で作品展 :「北陸・信越観光ナビ」
酒宴妖怪図 高井鴻山筆 :「文化遺産オンライン」
高井鴻山書 :「文化遺産オンライン」
信州小布施 北斎館 ホームページ
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『父子ゆえ 摺師安次郎人情暦』 角川春樹事務所
『いろあわせ 摺師安次郎人情暦』 時代小説文庫(角川春樹事務所)
『お茶壺道中』 角川書店
『空を駆ける』 集英社
拙ブログ「遊心逍遙記」に記した読後印象記
『広重ぶるう』 新潮社
『我、鉄路を拓かん』 PHP
本書は2017年2月に単行本が刊行され、2019年8月に文庫化されている。
北斎を扱うが北斎がこのストーリーの主役であるとも言いがたい。なぜか。
高井三九郎が浅草明王院地内五郎兵衛店に住む北斎を訪ねるというところからストーリーが始まる。高井三九郎は北斎に弟子入りしたい目的で、北斎の住まいを訪ねた。
三九郎は信州小布施では誰もが知る豪商、高井家の惣領息子。豪商の高井家は、周辺の松代藩、須坂藩、上田藩とも昵懇の間柄で、京の九条家の御用を賜っている。三九郎自身、15歳の時に京に遊学し、書画、詩歌を学んで11年に及ぶ。京では岸駒(がんく)を師匠として絵を学んでいた。
三九郎が家業をほうりだして江戸に出て来たのは28歳の時。彼は北斎を小布施に招きたいという目的を抱いていた。師匠と弟子という関係で、小布施に北斎を迎えて、小布施で画を描いてほしいという目論見である。
北斎は「おめえ、面白ぇ物を持っていそうだ」と三九郎に言い、あっさりと弟子入りを認める。北斎は娘のお栄に「おめえが見てやれ」と語り、お栄は「やなこった」と即座に返答した。少し宙ぶらりんな弟子入り状態から始まる。そして、このストーリーは、三九郎の希望を受けて、北斎が信州小布施行きに合意するあたりまでを描く。
この小説のおもしろい所を列挙してみよう。
1.絵師北斎の行状や思考を、三九郎の視点をフィルターとして、描き出していく。
どういう状態で北斎が画を描くのが日常的な姿だったか。北斎と娘のお栄が暮らす住まいの状態がどのようであったか。北斎が他の絵師、内心ライバルとみなす絵師をどのように考え、意識しているか、などである。
2.北斎と同時代の絵師たちの状況を時代背景として織りこんで行く。特に北斎がライバル意識を持った絵師について具体的に描いている。当時の絵師群像を知るのに役立つ。
「一昨年版行された歌川広重の『東都名所』もそこそこ売れたと聞いている。だが、広重のそれは、そこに止まる名所そのものの美しさにある」(p40)という記述がある。広重が「東都名所」を手がけたのは天保2年(1831)広重34歳の時なので、このストーリーは、天保4年(1833)に三九郎が北斎を訪れた時点から始まっていることになる。北斎70歳代前半を描いていることになる。
3.北斎の住まいを訪れたとき、娘のお栄が三九郎にまず応対した。お栄の画号は応為である。この時、お栄は枕絵を描いていた。これが発端となり、枕絵を描くお栄と枕絵に絡んだ話材が一貫して、あたかも一つのサイドストーリーとなっていく。そこに、池田善次郎が関わってくる。美人画を得意とする町絵師の渓斎英泉である。北斎も勿論枕絵を描いている。北斎には「あの名は、善次郎にくれてやった」(p20)と言わせている。あの名とは「紫色鳫高(ししきがんこう)」という枕絵に記す陰号である。
善次郎は北斎の住まいにしばしば訪れるし、お栄との関わりを持っている。勿論枕絵の仕事では共同する側面もある。
三九郎は善治郎に誘われて吉原通いをする羽目にもなっていく。それだけに留まらず、枕絵のモデルまでやらされる羽目に・・・・ということで、これが面白い展開となる。
4.勿論北斎が己を語る場面がある。だがそれはわずか。娘のお栄が父北斎について三九郎に語るという形で、北斎の人間関係、人物像の一側面がストーリーに織り込まれていく。例えば、北斎と式亭馬琴との関係がそれである。
5.北斎には孫がいた。北斎関連で読んだ本には、北斎は孫に手を焼いていた事実が記されていた。ここでも孫の重太郎に絡むサイド・ストーリーが後半に加わり、大きな流れに転じていく。北斎画の贋作問題が発生する・・・・。その解明にお栄・三九郎・善治郎が取り組むことになる。
6.善次郎が三九郎に次のように語る場面がある。
「北斎先生の中じゃ、もう錦絵や絵本は終わっている。肉筆に移るって、おれは考えているんだ。肉筆は遺るよ。だから北斎の名も、画も遺る、とおれは信じているんだ。・・・・・」(p279)と。つまり、この小説は北斎の画境の変わり目あたりに焦点が当てられていることになる。
7.父娘である。北斎とお栄。一方で、絵師北斎と絵師応為との関係が点描されている。
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*北斎の画は、丸と四角の組み合わせで形を取り、対角線や点、相似形を使い画面を構築する。緻密な構成があるのだと、お栄はいう。 p210
*髪の生え際、鬢の彫りなどがそうだ。絵師の描く版下絵は、髪型や輪郭だけで髪の毛を一本一本描くことはない。髪の毛や生え際はすべて彫師に任されている。一分(3ミリ)ほどの間に十五本ぐらい彫る。緻密さを極めた彫りだ。(付記:毛割についての説明)p234
*安心しなよ、三九郎。眼に見えていることは、皆、まやかしだよ。人の眼ってのはね、真実が見えないようにできているんだとさ。親父どのがいってたよ。真が見えたら、皆、絶望するか、卒倒しちまうとさ。 p250
*いま見えてる物の姿は、本物だって誰がいえるんだい。富士を眺めていたって、時はそこに流れている。止まっている瞬間なんかないんだよ。 p252
三九郎は北斎から、「高井鴻山」という画号を授けられる。そして北斎は江戸を飛び出し浦賀に旅立つ。そこでこのストーリーは終わる。
このストーリー、枕絵を描く絵師たちの舞台裏の知識が読者にとって、一つの副産物となる。至って真面目な絵画知識である。そこがおもしろい。
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補遺
葛飾北斎 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」(国立国会図書館)
歌川広重 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」(国立国会図書館)
没後160年記念"広重 月の名作撰"コラムVol.1 :「浮世絵のアダチ版画」
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高井鴻山 :ウィキペディア
高井鴻山記念館 :「小布施町」
高井鴻山の「妖怪図」初公開 晩年に没頭した妖怪画集め、小布施の記念館で展示
2023.7.28 :「信濃毎日新聞デジタル」
晩年の高井鴻山、北斎ら旧友重ね描く妖怪 小布施で作品展 :「北陸・信越観光ナビ」
酒宴妖怪図 高井鴻山筆 :「文化遺産オンライン」
高井鴻山書 :「文化遺産オンライン」
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『父子ゆえ 摺師安次郎人情暦』 角川春樹事務所
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『広重ぶるう』 新潮社
『我、鉄路を拓かん』 PHP
現在、長野県立美術館で「葛飾北斎展」が開催されています。
先日観てきました。
大胆な構図に改めて魅せられました。それから色、特に緑色がすばらしかったです。
この小説のことは知りませんでした。良い機会ですので私も読んでみようと思います。
紹介していただき、ありがとうございます。
高井三九郎、北斎の娘(応為)、善次郎(英泉)の関わり方が特におもしろいです。
北斎という絵師にますます関心が向きます。
長野県立美術館の「葛飾北斎展」
宇治からはちょっと遠いですね。残念ながら・・・。
機会を作って、小布施の北斎館には行ってみたいと思っています。