遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『北斎まんだら』  梶よう子  講談社文庫

2023-08-13 11:40:54 | 梶よう子
 本書のタイトルが示すとおり、葛飾北斎を扱った小説である。だが、うしろに「まんだら」とある。まんだらに直接触れる箇所は本文になかったように思う。読後に気づいたことが「まんだら」は「曼荼羅」で仏教語から借りているということだ。曼荼羅は大日如来を中心に多くの仏や菩薩を体系的に配置して描き上げた図である。この小説は葛飾北斎を中心にして、肉親、弟子、版元、仕事で交流を深めた人々、ライバルとみなす絵師、浮世絵師群など、様々な人々との人間関係を描き出す。その中でその時代と北斎を浮彫にしていく。そういう趣向なのかと。
 本書は2017年2月に単行本が刊行され、2019年8月に文庫化されている。

 北斎を扱うが北斎がこのストーリーの主役であるとも言いがたい。なぜか。
 高井三九郎が浅草明王院地内五郎兵衛店に住む北斎を訪ねるというところからストーリーが始まる。高井三九郎は北斎に弟子入りしたい目的で、北斎の住まいを訪ねた。
 三九郎は信州小布施では誰もが知る豪商、高井家の惣領息子。豪商の高井家は、周辺の松代藩、須坂藩、上田藩とも昵懇の間柄で、京の九条家の御用を賜っている。三九郎自身、15歳の時に京に遊学し、書画、詩歌を学んで11年に及ぶ。京では岸駒(がんく)を師匠として絵を学んでいた。
 三九郎が家業をほうりだして江戸に出て来たのは28歳の時。彼は北斎を小布施に招きたいという目的を抱いていた。師匠と弟子という関係で、小布施に北斎を迎えて、小布施で画を描いてほしいという目論見である。
 北斎は「おめえ、面白ぇ物を持っていそうだ」と三九郎に言い、あっさりと弟子入りを認める。北斎は娘のお栄に「おめえが見てやれ」と語り、お栄は「やなこった」と即座に返答した。少し宙ぶらりんな弟子入り状態から始まる。そして、このストーリーは、三九郎の希望を受けて、北斎が信州小布施行きに合意するあたりまでを描く。

 この小説のおもしろい所を列挙してみよう。
1.絵師北斎の行状や思考を、三九郎の視点をフィルターとして、描き出していく。
 どういう状態で北斎が画を描くのが日常的な姿だったか。北斎と娘のお栄が暮らす住まいの状態がどのようであったか。北斎が他の絵師、内心ライバルとみなす絵師をどのように考え、意識しているか、などである。
2.北斎と同時代の絵師たちの状況を時代背景として織りこんで行く。特に北斎がライバル意識を持った絵師について具体的に描いている。当時の絵師群像を知るのに役立つ。
 「一昨年版行された歌川広重の『東都名所』もそこそこ売れたと聞いている。だが、広重のそれは、そこに止まる名所そのものの美しさにある」(p40)という記述がある。広重が「東都名所」を手がけたのは天保2年(1831)広重34歳の時なので、このストーリーは、天保4年(1833)に三九郎が北斎を訪れた時点から始まっていることになる。北斎70歳代前半を描いていることになる。
3.北斎の住まいを訪れたとき、娘のお栄が三九郎にまず応対した。お栄の画号は応為である。この時、お栄は枕絵を描いていた。これが発端となり、枕絵を描くお栄と枕絵に絡んだ話材が一貫して、あたかも一つのサイドストーリーとなっていく。そこに、池田善次郎が関わってくる。美人画を得意とする町絵師の渓斎英泉である。北斎も勿論枕絵を描いている。北斎には「あの名は、善次郎にくれてやった」(p20)と言わせている。あの名とは「紫色鳫高(ししきがんこう)」という枕絵に記す陰号である。
 善次郎は北斎の住まいにしばしば訪れるし、お栄との関わりを持っている。勿論枕絵の仕事では共同する側面もある。
 三九郎は善治郎に誘われて吉原通いをする羽目にもなっていく。それだけに留まらず、枕絵のモデルまでやらされる羽目に・・・・ということで、これが面白い展開となる。
4.勿論北斎が己を語る場面がある。だがそれはわずか。娘のお栄が父北斎について三九郎に語るという形で、北斎の人間関係、人物像の一側面がストーリーに織り込まれていく。例えば、北斎と式亭馬琴との関係がそれである。
5.北斎には孫がいた。北斎関連で読んだ本には、北斎は孫に手を焼いていた事実が記されていた。ここでも孫の重太郎に絡むサイド・ストーリーが後半に加わり、大きな流れに転じていく。北斎画の贋作問題が発生する・・・・。その解明にお栄・三九郎・善治郎が取り組むことになる。
6.善次郎が三九郎に次のように語る場面がある。
 「北斎先生の中じゃ、もう錦絵や絵本は終わっている。肉筆に移るって、おれは考えているんだ。肉筆は遺るよ。だから北斎の名も、画も遺る、とおれは信じているんだ。・・・・・」(p279)と。つまり、この小説は北斎の画境の変わり目あたりに焦点が当てられていることになる。
7.父娘である。北斎とお栄。一方で、絵師北斎と絵師応為との関係が点描されている。

 最後に、印象的な箇所をいくつか引用しておこう。
*北斎の画は、丸と四角の組み合わせで形を取り、対角線や点、相似形を使い画面を構築する。緻密な構成があるのだと、お栄はいう。  p210
*髪の生え際、鬢の彫りなどがそうだ。絵師の描く版下絵は、髪型や輪郭だけで髪の毛を一本一本描くことはない。髪の毛や生え際はすべて彫師に任されている。一分(3ミリ)ほどの間に十五本ぐらい彫る。緻密さを極めた彫りだ。(付記:毛割についての説明)p234
*安心しなよ、三九郎。眼に見えていることは、皆、まやかしだよ。人の眼ってのはね、真実が見えないようにできているんだとさ。親父どのがいってたよ。真が見えたら、皆、絶望するか、卒倒しちまうとさ。  p250
*いま見えてる物の姿は、本物だって誰がいえるんだい。富士を眺めていたって、時はそこに流れている。止まっている瞬間なんかないんだよ。  p252

 三九郎は北斎から、「高井鴻山」という画号を授けられる。そして北斎は江戸を飛び出し浦賀に旅立つ。そこでこのストーリーは終わる。
  このストーリー、枕絵を描く絵師たちの舞台裏の知識が読者にとって、一つの副産物となる。至って真面目な絵画知識である。そこがおもしろい。
 
 ご一読ありがとうございます。

補遺
葛飾北斎 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」(国立国会図書館)
歌川広重 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」(国立国会図書館)
没後160年記念"広重 月の名作撰"コラムVol.1 :「浮世絵のアダチ版画」
渓斎英泉 :「錦絵でたのしむ江戸の名所」(国立国会図書館)
浮世絵春画(枕絵)の歴史と絵師による特徴 :「いわの美術株式会社」
高井鴻山 :ウィキペディア
高井鴻山記念館  :「小布施町」
高井鴻山の「妖怪図」初公開 晩年に没頭した妖怪画集め、小布施の記念館で展示 
       2023.7.28   :「信濃毎日新聞デジタル」
晩年の高井鴻山、北斎ら旧友重ね描く妖怪 小布施で作品展 :「北陸・信越観光ナビ」
酒宴妖怪図 高井鴻山筆 :「文化遺産オンライン」
高井鴻山書       :「文化遺産オンライン」
信州小布施 北斎館  ホームページ

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『父子ゆえ 摺師安次郎人情暦』  角川春樹事務所
『いろあわせ 摺師安次郎人情暦』  時代小説文庫(角川春樹事務所)
『お茶壺道中』   角川書店
『空を駆ける』   集英社
拙ブログ「遊心逍遙記」に記した読後印象記
『広重ぶるう』 新潮社
『我、鉄路を拓かん』 PHP

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『父子ゆえ 摺師安次郎人情暦』  梶よう子  角川春樹事務所

2023-02-15 23:08:19 | 梶よう子
 摺師安次郎の第2弾が出ていることを知り、早速読んでみた。こちらも短編連作集で、5編の作品が収録されている。「ランティエ」(2013年3月号~2017年8月号)に断続的に発表され、2018年1月に冒頭表紙の単行本として刊行された。

 2021年7月に、時代小説文庫の一冊として文庫化されている。表紙が変化して、安次郎の顔が見えるようになっている。また、安次郎の子、信太の顔は見えなくなったが、斜め上に掲げた左手に独楽を持っている。この表現には大きな意味が隠されている。この第2作での一つの押さえ所といえる。

 神田明神下の五郎蔵店に住む摺師安次郎は、妻のお初に先立たれ、生まれた息子信太を押上村にあるお初の実家に預けて、一人暮らしを通してきた。信太ははやくも5歳になる。安次郎はお初の実家に預けてきた信太をどうしようと思っているのか。また、第1作には安次郎の幼馴染みで、一橋家に仕える大橋新吾郎の妹・友恵が登場してきた。父子の関係、安次郎と友恵の関係が気になるところだった。それが、早めに読みたくなった動機・・・・。まさに、人情の側面にリンクしていく。

 さて、この第2作には冒頭に記したが、第1作と同様、5編の短編が収録されている。それぞれ独立した短編として読めるが、やはり連作としてストーリーの根底には大きな流れができているので、最初から順番に読んでいくのが穏当だと思う。
 第1作と同様に、この第2作でも、要所要所で摺師の技法・作業の工程などが描写されていく。彫師の技法・作業工程も少し出てくる。浮世絵愛好者は、浮世絵版画についての知識を副産物として楽しめる。私には無知の部分だったので、興味深く読めた。
 キーワードだけ、ここに列挙しておこう。あとずり、摺り抜き、べた摺りとぼかしの版木、色落ち、見当(鍵見当・引き付け見当)、あてなぼかし、馬連、板ぼかし、一文字ぼかし、両面摺り、である。一部は短編作品のタイトルにも使われている。
 以下、各編の感想・印象を含めて、少しご紹介していこう。

<第一話 あとずり>
 16文の錦絵の後摺(あとずり)を手にして、直吉が摺り場に飛び込んで来る。隅田堤を描いた絵の後摺である。その初摺はおまんまの安と呼ばれる安次郎が手がけていた。安次郎は、「摺師は絵師の色差し通りに色を置き、版木に記された指示通りに様々な摺りを施すだけだ」(p21)と考えている。だが、後摺は絵師の手を離れ、版元が自由裁量を働かせることができるそうだ。版元の指示を受けて、この後摺を誰が手がけたのか。それが安次郎と摺長の長五郎にとっては、大問題になるのだった。長五郎は「後摺のほうが、艶っぽいのさ」と安次郎に言う。「これは、伊蔵さんの摺りです」(p23)と、安次郎は断言した。
 伊蔵とは? それがこの短編のテーマになっていく。工房の摺長、長五郎、安次郎に大きな関わりがある摺師だった。摺師伊蔵には、極秘とする秘密があった。
 この短編には、サブストーリーがある。五郎蔵店に住むおたきの孫・太一は、今は植木屋に奉公している。その太一が同じ植木屋に奉公している11歳の喜八が摺師に興味を持っていると安次郎に紹介したことから、安次郎には関わりが生まれていく。
 渡りの摺師となった伊蔵が事件に巻き込まれていく。摺師伊蔵の秘密と意地が切ない。
<第二話 色落ち>
 摺長に雇われた渡りの摺師新吉が関わってくる話。摺師の腕はいいのだが女たらしという評判を持つ。それ故に新吉が事件を引き寄せる羽目に。新吉は彫源からの版木待ちをしていたが、届いた版木に色落ちを見つける。その頃、彫源では、彫師源次の娘お德が行方不明で大騒ぎ。お德は長五郎の娘、おちかの友達だった。失踪したお德は親の決めた許嫁ではない男の子を身ごもっていた。新吉にはお德との間の噂もあった・・・・。
 雨が降り続く中で、押上村に出向き、しばし息子の信太との時間を過ごす。父子の関わりが織り込まれていく。離ればなれの父と子の心情と哀感が点描される。
 新吉の日常行動が誤解を生み出す滑稽さが一方でおもしろさとなっている。人は見かけで判断してはだめ、という一例なのかも。
 
<第三話 見当ちがい>
 『新明解国語辞典 第5版』(三省堂)を引くと、「見当」とは「いろいろな材料に多分こうだろうと判断すること(した結果)。[狭義では、大体の方角・方向を指す]」と説明されている。そういう意味合いだけで理解してきた。錦絵は幾枚もの版木を使う多色摺りなので、鍵見当と引き付け見当という二種の見当と称される印が彫師により付けられているという。見当という言葉がこんなところで使われていることを具体的に知る機会となった。
 この見当をはずすとどうなるか、それを彫師伊之助と摺師安次郎が、なんと歌川国貞の版下絵で示し合わせてやってみるという話。その発端は、歌川一門の若い絵師の描いた役者絵を版元、彫師、絵師の立ち合いのもとで安次郎が試し摺りをした。その浮世絵の像主である役者が自分の顔には似ていないと憤慨したことが問題の発端となっていた。
 国貞がオチをつける。「多色摺りってのはよ、画を描く者、彫る者、摺る者、その三つが揃わなきゃ、錦の絵にならねえんだ」(p174)と。
 絵師と役者の見当ちがいの見当はずれを題材にしていくところがおもしろい。
 この短編には、パラレルに独立のサブ・ストーリーが織り込まれる。実は冒頭がこのサブ・ストーリーで始まる次第。お初の兄、安次郎には義兄になる市助が五郎蔵店の安次郎の家を訪れてくる。信太が怪我をした・・・・と。信太の気丈さとともに、その心中が哀れでもある。この事態を契機とし、ついに安次郎は決意をする。安次郎の心配りと心情に、読者は共振していくことだろう。

<第四話 独楽回し>
 五郎蔵店の長屋住まいで、安次郎・信太父子の生活が始まる。その生活ぶりが具体的に描かれて行く。長屋の人々の関わり、人情があたたかい。信太は長屋の子供たちに馴染んでいくが、その一方で、子供の世界が生む酷い側面が表出する。信太が子供たちと遊ばなくなったと。そこには信太の右手親指が不具合になったことが絡んでいた。
 安次郎は子供の世界のことに口出しせず、信太を見守る立場を貫く。
 この第四話では、いくつか状況変化が加わってくる。大橋友恵が兄新吾郎の家を飛び出し、独自に長屋暮らしを始めたこと。その住まいは直吉と同じ長屋であること。信太が友恵の住居に出入りするようになること。友恵には兄夫妻から再婚話が出ていることなど。
 安次郎は信太を摺り場にも連れて行く。信太は、己が彫師になり父がそれを摺るという夢を持っていた。安次郎は信太を彫師伊之助に引き合わせる機会を作る。信太にとり、それが一つの転機になる。なぜか、は読んでのお楽しみ・・・・。
 この第四話には、第五話に引き継がれる重要なエピソードが織り込まれている。彫師の伊之助が摺長にその話を持ち込んで来る。国貞の弟子の絵師と像主の役者とのいざこざ騒動の一件が伝わり、ある摺り場の主が安次郎に会いたいと申し出てきたという。安次郎は、直吉を連れて会いに行くことで、伊之助の依頼に応じる。それが次の一波乱を生み出す因となる。
 安次郎を取り巻く環境が大きく変化し始める転機の時点を切り取った一話といえる。

<第五話 腕競べ>
 話は安次郎の幼馴染みで、友恵の兄になる大橋新吾郎が安次郎の住まいを早朝に訪ねてくる場面から始まる。
 そして、摺惣・惣右衛門の息子で摺師の清八と安次郎が摺り勝負へと展開していく。
 この話は実に興味深い状況設定になっている。その状況設定だけご紹介しよう。
 注文主 さる旗本   摺物の目的 孫への祝いのための私家版(お上の統制外)
 版元 (記されず)
 絵師 歌川広重師匠
 彫師 彫源の伊之助
 摺師 摺惣: 惣右衛門の息子清八、職人頭の佐治、寛太郎(惣右衛門の娘婿)
    惣長: 安次郎、新吉、直吉
 摺り勝負の条件
  *摺師は事前に画を見ていない。絵組、色版の枚数も知らされない。
  *色は13と数を指定。どの色を持ち込むかは自由。その費用は版元もち。
  *勝負の場で初めて校合摺りを見ることになる。
  *紙は奉書
  *摺り技は摺師の裁量に任せる。⇒ この条件が特に異例!
 判定 広重師匠が行う。互角判定の場合は注文主と版元でいずれかに決する。
 場所 浅草駒形町の料理屋「立田屋」。見物料を取り観覧客を入れる。
さて、この摺り勝負どのような展開となるかは、お読みに・・・・・。
 この第五話、友恵の長屋住まいに対し兄の新吾郎がある通告をする。そのことを安次郎が友恵から知らされることで終わる。

 安次郎の様々な面での心配りと彼の信念が描き出される。読後に余韻が残る短編連作である。さて、またまた、この後が読みたくなってくる。期待して待とう。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
読書情報誌「ランティエ」 ホームページ
初摺と後摺 摺りの違いを楽しむ 歌川広重「名所江戸百景 両国花火」:「静岡市美術館」
浮世絵の「初摺り」と「後摺り」 :「旅と美術館」
ご注意!! 川瀬巴水の後摺を初摺として販売している件  :「渡辺木版美術画舗」
バレン ばれん  :「武蔵野美術大学 造形ファイル」

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『いろあわせ 摺師安次郎人情暦』 梶よう子 時代小説文庫(角川春樹事務所)

2023-02-06 16:26:36 | 梶よう子
 浮世絵の摺師安次郎を主人公にした江戸人情噺の短編連作集である。2010年8月に単行本が刊行された後、2013年6月に文庫化されている。

 主人公は、浮世絵版画の通いの摺師安次郎。神田明神下にある五郎蔵店棟割長屋の一つに住み、御台所町にある長五郎の摺り場に通う。女房のお初に先立たれ、子の信太を押上村にあるお初の実家に預けて、一人暮らしをしている。通称「おまんまの安」。摺師の腕は一流。版元からは安次郎ご指名での摺りの注文が摺長(長五郎)に寄せられる位である。脇役に安次郎を尊敬する直助が登場する。安次郎の兄弟弟子で、自ら「こまんまの直」と名乗っている。正義感が強いが、少しがさつでお調子者。また直吉は、明神下を取り仕切る岡っ引き仙吉の手下の真似事もしている。直吉は様々な問題を安次郎のところに持ってくる。時に、安次郎は直吉を介して、仙吉親分の力を借りるという関係を持つ。これがストーリーの展開にも関わってくる。

 冒頭に記したが、この小説は、安次郎を主人公にした連作短編集であり、5つの短編の連作として構成されている。タイトル「いろあわせ」は、摺師の仕事、いろあわせを意味しているのだろう。そして5つ話のタイトルには、摺師が摺りに使う技法の名称が使われている。各タイトルの裏ページには、その技法がどのようなものであるかが簡潔に説明されている。
 摺師安次郎が主人公なので、勿論、摺長の工房である摺り場の情景や摺り場に勤める職人のシステム・分業体制、浮世絵版画の摺りの工程など、更には浮世絵出版業界の舞台裏などが、話のなかに描き込まれることになる。そこから、読者は摺師、摺師の技法、浮世絵の業界などについて、知識を広げていけるという副産物を得られる。これが一つの特徴といえる。5つの江戸人情話を楽しみながら、浮世絵の世界に一歩踏み込めるという次第。浮世絵愛好者はこの小説を一層楽しめるかもしれない。

 以下、収録された5話について、簡単に読後印象を含めご紹介しよう。各話の中で、*をつけた箇所は、印象に残る文の引用である。

<第一話 かけあわせ>
 時代は、水野忠邦の奢侈禁止、質素・倹約の改革が行われている渦中。まず、読者への導入として、長五郎と彼の摺り場並びに、安次郎、直吉のプロフィールが描き出される。、直吉が仙吉親分から頼まれて、同心の息子の塾通いの同行をせざるをえないという話を摺り場で安次郎に遅れた言い訳として語る。そんな話を聞いた安次郎が、その夕に昌平橋を渡ろうとしたとき、偶然にも川中の杭にしがみつく武家の少年を助けることに・・・・。この林太郎の塾通いの件に安次郎が多少の関わりを持っていくという顛末譚。
 安次郎は林太郎を摺り場に連れて行く。林太郎に安次郎は摺ってみせる。

*かけ合わせ、というんですよ。
 林太郎さまも一色じゃねえんです。これからいろんな色を好きに重ねられるんですよ。 p82

<第二話 ぼかしずり>
 安次郎は『艶姿紅都娘八剣士』の錦絵版画を摺る。曲亭馬琴の戯作『南総里見八犬伝』をもじったアイデアの浮世絵。像主となった若い娘達を男装させた姿絵である。版元の有英堂が「金八両の番付当て」と貼り紙して、八剣士のいわば人気投票を企画した。安次郎がよく食事で立ち寄るお利久の店で、時折出会う桜庭という武士から、そのことに絡んで、八剣士のうち人気トップとなった絵の像主を教えてほしいと頼まれる羽目になる。桜庭の抱えていた切ない事情に安次郎が関わって行くことになるという顛末譚。
 こんな人気投票企画、水野忠邦が認めるか・・・・やはり横槍が入る。その入り方もおもしろい。

<第三話 まききら>
 日本橋の室町一丁目に店を構える紙問屋小原屋は摺長とは先々代からの付き合いがある。小原屋の長男・専太郎は10年ほど前に、手代を供にしての掛け取りの後、行方がしれなくなった。本所の仙台堀に小原屋の集金袋と印半纏が浮いているのが発見されたことで、専太郎は死んだとみなされた。その後は父・信左衛門に従い次男の芳吉が懸命に勤めてきた。信左衛門は芳吉に家督を継がせる腹づもりだった。そんな矢先に、専太郎が妻と娘を伴って小原屋に現れたのだ。小原屋ではまさに青天の霹靂。専太郎と芳吉、それぞれに事情をかかえていた。
 そんな状況下、有英堂からの依頼として安次郎に小原屋の摺物依頼が入る。信左衛門のお内儀の七回忌のための特別誂えの錦絵版画である。どの紙を使うかの話合のために安次郎は直吉とともに小原屋に赴く。その結果、専太郎とは顔なじみである安次郎は、兄弟の確執話に捲き込まれていく羽目に・・・・。
 一方、この第三話では、安次郎の生家のことが明らかになる。21年前に幼友達だった大橋新吾郎が安次郎の住まいを訪れるのだ。安次郎は元武士の子だった。

*余計な思いが邪魔して、伝えることをあきらめてしまう。自分の気持ちに真っ正直になれなくなる。  p201
*まききらは、砕いた雲母を散らす、雲母摺りのひとつです。・・・・膠の載ったところに雲母を散らす・・・・ですが、余計な雲母は払ってしまいます。膠に付く分だけで十分ですから。膠がぼてぼてでもいけねぇし、雲母が散りすぎても美しくねえんです。互いの加減ってのが大切なんですよ。いらねえものは落とす。だからきれいに仕上がるんでさ。   p217-218

<第四話 からずり>
 大晦日、早仕舞いした後で、安次郎は直吉と神田明神社の茅の輪くぐりに行く。境内で安次郎らは、お利久と偶然に出会う。お利久の手には茅の輪がふたつ握られていた。さらに、お利久の様子が普段とは違っていることに、安次郎と直吉はともに気づいた。これがきっかけとなる。普段お利久は店で自分のことは話さないし、客のことも深くは穿鑿しない。独り者と思っていたお利久に何かがあったのか。
 元旦を押上村のお初の実家で信太と過ごした安次郎は、二日に、摺り場で直吉からそっと知らされる。師走の半ば頃、ご赦免船が着き、その中にお利久さんと関わりのある男がいたということを仙吉親分から聞いたという。
 仕事を終えて、直吉とお利久の店に立ち寄ろうとする。お利久の店から短躯で眼つきの暗い男が出てきたのを見る。縦縞の羽織の下に十手が覗いてみえた。これがきっかけで、安次郎は一歩踏み込んで、お利久の現状に関わりを深めることに・・・・。そこから思わぬ事実が浮かび上がってくる。お利久の哀しみが余韻に残る。

*色目がないから、白というわけではないのですよ。白という色があるんです。ただそれは、見えていても、見えないように思えるのかもしれませんね。  p280

<第五話 あてなぼかし>
 五郎蔵店の住人中の古株、早起きのおたきさんが起きてこないことで、一騒動が起こる。安次郎は障子戸を叩く音で起こされて、おたきさんの住まいに駆け込むことになる。卒中かと心配したが高熱が出ていたことが原因だった。店子たちは一安心。一人暮らしのおたきさんの家族関係の背景をこの時安次郎は知る。一日仕事を休み、いつも世話になっているおたきさんの看護をすることに。おたきさんからは娘のお福の墓への代参を頼まれる。安次郎はお福には父無し児の太一という子がいるとおたきさんから聞いた。
 本堂裏の墓地に入ろうとしたとき、着流し姿の若い男とすれ違った。お福の墓には線香があがり、白く細い煙が風に揺れていた。直吉に手伝わせ、安次郎は太一探しを始める。 一方、大橋新吾郎の妹、友恵が安次郎を訪ねてきた。兄の承諾を得て来たという。友恵は、おたきさんの世話をすると自主的に動き出す。
 太一探しが思わぬ形で動き出す。その結果、安次郎は事態の解決のために一橋家に仕える大橋新吾郎にも協力してもらうまでに事態が転がっていく・・・・。
 安次郎は太一の捻れた心の根っ子にあるものを引き出すことに。

*いまの太一に会えば、おたきがさらに自分を責めるであろうことは眼に見えている。それでもずっと澱んだ思いを抱えていることはない。太一に会って、がっかりすれば、また違う思いも湧いてくる。それはおたきにも太一にも必要なことだ。抱えたままでは、腐っていくだけだ。p340

 さて、この五話を読み、この後、安次郎と大橋友恵との関係はなんらかの形で進展していくことになるのだろうか。安次郎と信太との父子関係はどうなるのか。直吉は、心中で意識している長五郎の娘おちかとの関係を深めることができるのか。ちょっと気になることがいろいろ・・・。
 調べて見ると、第二弾『父と子』が単行本として刊行され、既に文庫化されて、シリーズになっている。続きを読む楽しみができた。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
浮世絵版画の作り方  :「名古屋刀剣ワールド」
浮世絵版画の作り方を解説!あの北斎の名作の原画が一枚も残ってない理由って?
                :「warakuweb」(日本文化の入口マガジン)
伝統技術を極めた職人によるすべて手作業の制作工程  :「アダチ版画」
「浮世絵ができるまで ~摺りの工程~」  YouTube
  Ukiyo-e from A to Z: The Printing Process of Japanese Woodblock Prints
江戸の鮮やかさ今に 東京職人「浮世絵」  YouTube

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『お茶壺道中』   梶よう子   角川書店

2023-02-03 18:00:07 | 梶よう子
 宇治に住み始めて長くなり、今では地元となった。「お茶壺道中」が宇治茶に関係し、その道中イメージを多少は持っていた。タイトル「お茶壺道中」が目に止まり、どのように扱われているのだろうかという興味から本書を手に取った。
 この小説は、「小説 野生時代」(158号~171号)に『茶壺に追われて』と題して連載されたそうだ。大幅に加筆修正し、2019年3月に単行本として刊行され、2021年11月に文庫化されている。文庫の表紙は次のように変わっている。
       

 この小説は、安政2年(1855)から明治20年(1887)まで、江戸時代幕末期を背景とする。実質的には慶応3年(1867)まで。その中に安政6年(1859)のお茶壺道中から、最後となる慶応3年のお茶壺道中が点描として織り込まれていく。お茶壺道中がどのようなものであったかを読者は理解できる。
 主人公は仁吉。安政3年に宇治郷から江戸・日本橋に店を構える森山園という葉茶屋に奉公する。その仁吉は元服し仁太郞の名を与えられる(以下、仁太郞で記す)。仁太郞は番頭となった後、元治2年(1865)に、初登りとして宇治に里帰りする。両親に再会し宇治茶の現況を知悉した後、慶応3年(1867)の最後の茶壺道中に同行して江戸に戻る。戻った後、仁太郞は森山園を引き継ぐことに。
 このストーリーの中心は、宇治茶を扱う商人・仁太郎の出世物語である。

 仁太郞が商人として成長して行くプロセスを、彼の視点から描き出していく。お茶壺道中、幕末期の世相、徳川幕府の動き、葉茶屋森山園での人間関係と店の経営状況、開港後の横浜の状況、仁太郞が関わりを持つ様々な人々との関係等が描き込まれていく。仁太郞の恋心から仮祝言までが織り込まれていく点、微笑ましく楽しめる。
 
 両親が茶園で働く宇治で生まれ育った仁吉は、お茶壺道中を眺めることが大好きだった。江戸に奉公に出てからも、主人の許しを得て、お茶壺道中を見物に行く。仁太郞にとり、この道中は、宇治茶が日本一で有り、将軍家に買い上げられて、公方さまに飲まれることを象徴している。それが仁太郞の誇りとなっている。その誇りを原動力として、店の役に立ちたいと真面目に働く仁太郞が商人としてどのような人生を歩んでいくことになるか。仁太郞が何を考え、どのような行動をとるか、それが読ませどころとなる。

 主な登場人物をご紹介しておこう。
太兵衛: 森山園の大旦那。隠居の身だが経営の実権を握る。仁太郞を高く評価する。
お 德: 太兵衛の孫。森山園を継ぐ。婿養子の夫がいる。太兵衛に対立的態度をとる。
幸右衛門:森山園の番頭。太兵衛に信頼される人。仁太郞を阿部正外に引き合わす。
     太兵衛の没後森山園を去ることに。仁太郞は意外な所で再会することになる。
源之助: 森山園の古参の番頭。仁太郞は源之助付となる。事件に遭遇し悲劇をとげる。
作兵衛: 森山園の支配役。森山園の横浜店運営を担う立場に。
安部正外:旗本。白河藩主の分家筋。仁太郞を贔屓にする。幕閣の一人として活躍
     茶を媒介にして仁太郞との関わりが深まっていく。後に白河藩藩主となる。
三右衛門:森山園の本店である森川屋の主人。積極的に横浜店を開設。したたかな商人
     太兵衛の遺言により森山園の横浜店開設に協力する。
良之助 :森川屋の横浜店に勤める。同時期に江戸に出た仁太郞の幼友達。
     森山園の横浜店開設に関わる仁太郞に協力する。
元 吉 :横浜に店を構える伊勢屋に勤める。茶葉のブレンドに秀でた技術を持つ。
     仁太郞は積極的に元吉から色々学ぶことになる。

 宇治茶の発展史と幕末期の史実などを巧みに織り込んだフィクションである。
 私には、地元の宇治茶のことを再認識することにも役だった。幕末の関東での史実として、安政2年の江戸の大地震や安政5年の江戸でのコレラの流行、安政の大獄と桜田門外の変、皇女和宮の降嫁問題などが、仁太郞の視点から触れられていく。さらに、阿部正外が神奈川奉行を拝命して横浜に赴任している時期に、仁太郞は作兵衛、子どもの利吉、弥一とともに、森山園横浜店の開設で赴くことになる。このとき体調不良の阿部の許に、奥方の指示を受けて赴くおきぬが同行するのだが、仁太郞はこのおきぬにほのかな思いを抱いていた。この横浜行きの道中で、生麦事件に出くわすという形になる。生麦事件の史実がストーリーに巧みに織り込まれ、当時の開港された横浜の状況も描き出されていく。この辺りのストーリーの展開は、読ませどころの一つとなっている。
 仁太郞がおきぬと仮祝言を挙げる経緯は、その当時の商家の慣習とはイレギュラーな側面を含みつつ行われることに。慣習を曲げての実行の理屈がこれまたおもしろい。
 幕末の江戸が騒然とした雰囲気になっていく状況も、日本橋の森山園で天誅を騙る強奪事件が発生するということと絡めてリアルに描かれていく。

 史実とフィクションがうまく融合されてストーリーが進行していく。幕末期の社会状況について、読者はイメージしやすくなることだろう。それまでの歴史年表の項目が繋がり、イメージの中で動き出すのではないかと思う。
 宇治茶についてきっと一歩踏み込んで、楽しみながら知っていただけることにもなる。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
宇治採茶使  :ウィキペディア
御茶壷道中の栄誉、そして挑戦の時代へ  :「綾鷹物語」
お茶壺道中  :「ちきりや」
お茶壷道中  :「都留市観光協会」
【知られざるニッポン】vol.42 お茶壺道中とは!? :「ニッポン旅マガジン」
上林春松家の歴史  :「綾鷹」
ずいずいずっころばし  :ウィキペディア
江戸時代のお茶壺道中再現  :「富士山Net」
奈良井宿「お茶壺道中」 」2014  YouTube
阿部正外  :ウィキペディア
阿部正外  :「コトバンク」
生麦事件  :「コトバンク」
生麦事件はなぜ外国との戦争にまで発展したのか?生麦事件のポイント5つ
      :「ベネッセ情報教育サイト」
大谷嘉兵衛 :ウィキペディア
大谷嘉兵衛 :「大谷嘉兵衛の会」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『空を駆ける』   集英社
拙ブログ「遊心逍遙記」に記した読後印象記
『広重ぶるう』 新潮社
『我、鉄路を拓かん』 PHP

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『空を駆ける』  梶よう子  集英社

2023-01-27 12:51:35 | 梶よう子
 昨年8月に、著者の『広重ぶるう』を読んだことがきっかけで、作品を読み継いでいきたい作家の一人となった。本書のタイトルを目にしたことで興味を抱き先に読むことにした。この作品は「小説すばる」に2018年5月号~2021年8月号にほぼ隔月で連載された後、大幅に加筆・修正されて2022年7月に単行本として刊行されている。

 「本作品は史実をもとにしたフィクションです」と末尾に明記してある。一言でいえば、伝記風小説。誰についての? 第一章の冒頭部分に出てくる大川カシについて。後に、若松賤子というペンネームで翻訳小説を出版する女性である。巌本善治と結婚した人。
 これだけでわかる人がどれだけいるだろうか。私は知らなかった。
  手許に国語と日本史について高校生向けの学習参考書がある。それを調べてみたが、明治前期の明治文学の解説、明治文化の解説の中に、若松賤子と巌本善治の名前は出ていない。だが、時代の風潮には屈せず、明治時代前期に女性の地位向上、女子教育の必要性について、出版と教育という分野を通じて活動していた二人だった。私にとっては二人の人物を知る機会になった。

 大川カシは成人したのち、島田姓を名乗り母校で教師の道を歩み始める。
 カシは、海軍将校と一旦婚約し、周りの人々から祝福される。だが、その婚約を破棄するという選択をする。当時の社会風潮は「良妻賢母」志向であり、夫につくし家庭を守ることを当然視していた。カシは「良妻賢母」の型にはめられることから独立した自らの道を歩み出していく。そして後に、『女学雑誌』の編集長であり、東京府の麹町にある明治女学校の教頭をしている巌本善治と出会い、巌本善治と考え方の上で意気投合できる部分を感じ始める。巌本と結婚し家庭を築きながら、女性の自立した活動と社会への参画をめざすカシは、作家としての道を歩む選択をとる。まず『女学雑誌』に作品を発表しつづけることが作家への契機となる。
 カシは若松賤子の名でバアネットの作品を翻訳し『小公子』と題して世に問う。二葉亭四迷が『浮雲』を言文一致の作品として世に問うた。若松賤子は『小公子』で原文一致の翻訳にチャレンジした。『小公子』は現在、岩波文庫の一冊になっている。
 つまり、ここで描き出されるのは、大川カシ=島田カシ=巌本カシ=若松賤子の生き様であり、併せて巌本善治の生き様である。

 この作品、基本的には、カシの視点からストーリーが綴られていく。
 読み始めて、<第二章 会津の記憶>で、カシの元の姓は実は松川であることがわかる。カシは幼少期からある意味で特異な経験をした人だった。
 カシは元治元年(1864)3月1日に京の都にある会津藩屋敷で生まれた。京の都でカシの父は島田姓を名乗っていた。1868年に鳥羽伏見の戦いが起こる。カシは身籠もっている母に連れられ会津若松に帰郷する。会津で妹のミヤが生まれる。だが、官軍の東征により、会津で戦争が始まる。その渦中での体験と戦後の父母と一緒の生活がカシの幼少期の原体験となる。だが、数え8つで、カシは大川の養女に出される。大川は横浜の生糸問屋の番頭をしていた人である。カシにとり、会津は家族一緒に過ごせた思い出の時期であるとともに悲惨な記憶が残る時期でもあった。カシの人生の第1ステージは、前半が実父母との生活、後半が養父母との生活である。

 このストーリーは、横浜山手178番地に新たに開校された寄宿舎のある学び舎、フェリス・セミナリーから始まる。開校の推進者はキダー先生とその夫・宣教師のローセイ先生である。カシは、この学校の給費生という立場で先生の手伝いをしつつ、寄宿生の一員として、またこの学び舎をわがホームとして成長していく。つまり、カシの人生の第2ステージの始まりとなる。このプロセスで、上記したカシの会津での記憶、大川の養女となっての横浜での生活など-第1ステージ-が回想されて行く。
 この第2ステージではフェリス・セミナリーをホームとする境遇のカシとその成長が描き出される。これは、時代背景として、現在のフェリス女学院の建学時期の状況を描くことにもなっていく。その建学の精神と学び舎の状況などが描き込まれていく。明治時代前期に始まったキリスト教伝道者の設立したミッション・スクールの始まりの一事例と言えるだろう。
 キダー先生を親のように慕いながら、この学び舎でカシが何を考え、どのように行動するかに読者は興味津々となっていくことと思う。寄宿舎で同室の季子と一緒に、カシは己の意志で受洗し、キリスト者となる。山内季子はカシより6歳上で入学した時に教師も兼ねている女性だった。
 1882(明治15)年6月、カシは正式な卒業生、それもフェリス・セミナリーの初めての卒業生となる。

 この後、カシの人生の第3ステージがこの学び舎で始まる。寄宿学校に残り、和文教師として採用され、教師としての生活が始まる。「フェリス・セミナリーは、女性が世に出て、男性と同等に、互いに尊敬をもって接することができる教養と知識を身につけさせることを旨としている。無学無知が、女性を貶める要因のひとつであるならば、まず女性自身が意識をし、自らを高める必要がある」(p146)カシは己に課せられた責任を強く感じ始める。
 この第3ステージにおいて、上記したカシの婚約と破棄に到るプロセスがカシの人生にとって選択の岐路になる。一方で、カシは1885(明治18)年7月に創刊された『女学雑誌』に翌年から若松しづの名で投稿を始める。
 その後に、巌本との出会いが生まれる。おもしろい出会いと二人の関係の発展は、読者にとってもおもしろい。その一方で、カシが労咳と診断される事態が発生する。入院生活もする。

 カシの人生の第4ステージは、巌本善治との結婚である。巌本はカシに労咳の持病があることを承知の上で、カシに巌本流のプロポーズをした。
 巌本自身もキリスト者である。『女学雑誌』の編集長であり、明治女学校の教頭を兼ねていた。明治女学校は日本人でキリスト教の牧師となった木村熊二と妻の鐙子が設立した。日本のキリスト者により、日本人の資金・寄付金で創設された学校である。
 この第4ステージは、カシの人生において、彼女が主体的に選び取った己の生き方を推し進めて行く時期となる。巌本との家庭、ホームを築く一方、作家として生きる道に入って行く。
 カシがどのような生き方をするか。また巌本善治がどのような生き方をするか。
 本書でお楽しみいただきたい。例えば、新婚旅行で行く大宮の宿で、カシは善治に対し、アメリカの女性文学者アリス・ケアリーの書いた「花嫁のベール」という詩を英文のままで贈るのだ。その内容がふるっている。カシらしい選択である。お楽しみに。

 カシの人生の結末にだけふれておこう。1896(明治29)年2月10日、カシは4人目の子を身籠もったままで、死を迎える。
 本文は日付の続きに、「カシは澄み渡る青空に翼を広げていた。ああ、わたしはいま、空を駆けている」(p390)が出てくる。本書のタイトルはこの一文に由来するようだ。
 その後に、善治とカシの交わす言葉が記されていく。ラスト・シーンは涙を禁じ得ない。
 
 一つ補足しておきたい。妹のみやがカシをサポートしたということ。桜井章一郎が『小公子』の後編の刊行に尽力したことである。当時、桜井は明治女学校の教師をしていた。

 明治初期に、女性の教育と女性の活躍について、その活動の一端を担い行動する一方で、自らの生き方として実践した人が居たことを本書で知る機会となった。

 単行本の表紙につづく裏表紙には、横浜山手178番地に開校されたフェリス・セミナリーの校舎のイラストが描かれている。当時の雰囲気が感じられる図である。

 ご一読ありがとうございます。

補遺  本書を読み、ネット検索してみた。調べるといろいろと学ぶことができる。
若松賤子 近代日本人の肖像  :「国立国会図書館」
若松賤子  :ウィキペディア
若松賤子の略歴 偉人伝  :「会津への夢街道」
若松賤子訳 『小公子』本文 『小公子』の部屋  :「ことばへの窓」(岐阜大学)
忘れ形見 若松賤子 :「青空文庫」
忘れかた美 若松賤子訳 桜井鴎村編  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
巌本善治 :ウィキペディア
女学雑誌 :ウィキペディア
桜井彦一郎 ⇒ 桜井鴎村 :ウィキペディア
フェリスの原点 建学の精神 :「フェリス女学院大学」
明治女学校  :ウィキペディア
明治女学校跡 :「東京豊島区の歴史」
明治女学校の世界 藤田美実 :「松岡正剛の千夜千冊」
染井霊園  :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
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拙ブログ「遊心逍遙記」に記した次の著者作品に対する読後印象記もお読みいただけるとうれしいです。
『広重ぶるう』 新潮社
『我、鉄路を拓かん』 PHP
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