遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『まだ見ぬ敵はそこにいる』 ジェフリー・アーチャー  ハーパーBOOKS

2024-05-04 17:23:54 | 海外の作家
 副題は「ロンドン警視庁麻薬取締独立捜査班」。勅撰法廷弁護士である父の反対を押し切って、ロンドン警視庁に入庁したウィリアム・ウォーウィックの警察官人生シリーズ第2弾。第1作に記述の記憶では、ウィリアムがロンドン警視庁のトップに昇り詰めるまでのシリーズになるようだ。
 第1作は「美術骨董捜査班」所属だったが、この第2作では、「麻薬取締独立捜査班」がロンドン警視庁内に新設され、ウィリアムはこの班に異動する。

 勝っているチームは解散すべきではないという警視総監の判断により、元美術骨董捜査班が、麻薬取締独立捜査班として新編成される。ブルース・ラモントが警視に昇進してこの班の班長となる。ウィリアムは巡査から巡査部長への昇任試験に合格し、捜査巡査部長に昇進。それと同時にこの新設班で新たな任務に就く。ジャッキー・ロイクロフト捜査巡査もまたこの班に異動となる。そこに、ポール・アダジャ捜査巡査が新たに加わる。アダジャは少数人種系の警察官。少数人種系というのは、minority という単語の翻訳だろう。「アダジャと握手をするラモント警視がにこりともしないことを、ウィリアムは見逃さなかった」(p15)という一行がさりげなく記されている。イギリスにおける人種問題の一端が垣間見える。ウィリアムは逆である。「アダジャのような人物がどうして警察官になろうなどと考えたのか知りたいということもあって、ウィリアムはできるだけ早く彼をチームに馴染ませてやろうと決めた」(p15)逆に彼に関心を寄せる。
 アダジャはケンブリッジ大学で法律を学び、オックスフォード大学との対抗ボートレースの代表の一人だった。警察官となり、クローリー署の地域犯罪捜査班で3年の経験を積んでいるという経歴の持ち主である。読者としても新人登場で期待が持てるではないか。

 この麻薬取締独立捜査班は、ロンドン警視庁警視長であるジャック・ホークスビーの直属下に位置づけられる。ホークスビーは、この新設の捜査班は、既存のどの薬物対策部局や麻薬取締部局とも無関係に、完全に独立した位置づけであると皆に説明する。
 麻薬取締独立捜査班の目的は、「いまだ住所も不明で、グレーター・ロンドンの川の南側に住んで仕事をしているとしかわかっていない男を特定すること」(p18)そして排除することであると言う。その男とは、ロンドンを支配する悪名高き麻薬王で、”ヴァイパー”と称されている。その正体をつかみ、逮捕することがウィリアムたちの使命になる。
 
 ウィリアムが仲間から昇進祝いをしてもらった時、パブからウィリアムを自宅まで車で送り届けるのはジャッキーの役割となる。ジャッキーがウィリアムを送り届ける途中、ジャッキーは、チューリップと称する若い黒人が麻薬を取引する現場を目撃する。ジャキーは取引相手をまず逮捕した。チューリップは逃げた。現行犯逮捕した容疑者をジャキーはロチェスター・ロウ署の留置区画へ引き連れて行く。”白い粉の包み二つ”が証拠となる。
 この容疑者、偶然にもウィリアムのプレップ・スクール時代の同級生、エイドリアン・ヒースだった。それも、学校の売店でエイドリアンがチョコレートを万引きしたことを、ウィリアムが立証したことで、退学処分となった同級生だったのだ。
 ウィリアムは、麻薬の売人エイドリアンと交渉して”ヴァイパー”に関する情報を引き出す作戦をとる。それを微かな糸口として捜査を始める。
 一方、ウィリアムはロンドン警視庁に戻るため地下鉄の駅で列車を待っているとき、向かいのプラットフォームに立っているチューリップを見かけた。気づいて逃げるチューリップをウィリアムは追跡し、身柄を拘束する。チューリップが利用したタクシーの運転手から、彼が告げた行き先がバタシーの<スリー・フェザーズ>というパブだと聞き出す。これがもう一つの手がかりとなる。このパブの監視をホークスビーは囮捜査官に委託する。麻薬取締独立捜査班に囮捜査官が加わることになる。

 このストーリーの興味深いところは、僅かな情報を糸口にして、緻密な監視活動と追跡捜査を累積し、"ヴァイパー”を特定する捜査を行っていくというプロセスの描写にある。
 そして、ロンドン市内に存在するドラッグ工場の探索、現場への立入捜査の大作戦と逮捕へと進展していく。このプロセスが読者を惹きつけ、その描写の迫力が読ませどころになる。
 
 この第2作は、ストーリーの全体構成におもしろい点がある。
 メイン・ストーリーは、上記の麻薬王”ヴァイパー”の特定捜査と逮捕である。これと並行して、パラレルに進むストーリーが組み合わされている。それは第1作で逮捕された美術品の窃盗詐欺師、マイルズ・フォークナーに関する裁判である。裁判が進展して行く経緯が描き出されて行く。ひとつは、マイルズの妻、クリスティーナがマイルズに対して離婚訴訟を起こしている。クリスティーナの弁護士を引き受けているのが、ウィリアムの父、サー・ジュリアン・ウォーイックである。
 さらに、サー・ジュリアンは、マイルズの逮捕事案に対して、検察側の勅撰弁護士となり代理人を引き受けた。こちらの裁判には、ウィリアムの姉、グレイスが補佐として加わる。グレイスが活躍することに・・・・。まずは、マイルズの保釈申請事案、そして逮捕事実に対する裁判が進展していく。マイルズの弁護士、ブース・ワトソンとの裁判での対決、裁判の経緯描写が読ませどころとなる。
 裁判のシステムが日本と異なる点に気づき、知ることも興味深い。

 もう一つ、スポットとしてストーリーに織り込まれていくのが、ウィリアムとベスの結婚式と新婚旅行の様子である。結婚式で思わぬハプニングが発生するところがまずおもしろい。ウィリアムの結婚という人生の転換点が描き込まれ、ベスが出産するハッピーなエンディングとなる。双子の誕生!! これが第2作のストーリーを彩る一つの要素になる。
 他方、このストーリーの本流に関連して、仕組まれたアンハッピーな事態が新たに発生する。その一つの事件報道がこのストーリーを締めくくる文となる。
 第2作で麻薬取締独立捜査班の使命は達成される。だが一方で、形を変えて事件が生まれ、捜査が継続することになる。
 やはり、著者はストーリーテラーである。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
グレーター・ロンドン   :ウィキペディア
イギリスの刑事裁判(独立性がある裁判官と検察官) :「西天満綜合法律事務所」
法廷弁護士  :ウィキペディア
英国法廷衣装こぼれ話  :「駒澤綜合法律事務所」

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『レンブラントをとり返せ ロンドン警視庁美術骨董捜査班』ジェフリー・アーチャー 新潮文庫
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『レンブラントをとり返せ ロンドン警視庁美術骨董捜査班』ジェフリー・アーチャー 新潮文庫

2024-03-05 16:14:40 | 海外の作家
 『レンブラントをとり返せ』という翻訳書の題名に目が留まった。手に取ると、「ロンドン警視庁美術骨董捜査班」と続く。この題名に惹かれて買って、しばらくそのままになっていた。
 本書の原題は至ってシンプル。NOTHING VENTURED である。辞書を引いてみてわかった。Nothing ventured, nothing gained. と例文が載っていた。<ことわざ>の前半がタイトルになっているようだ。「危険を冒さないと何も得られない」。その続きに「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と説明されている。「虎穴に入らずんば」と提示されると、どんなリスクを負いながらどんな貴重なものを手に入れようと狙っているのか・・・・とつい想像を広げたくなる。そんなネーミングなのかもしれない。
 
 文庫の奥書を見ると、原書の著作権表示は2019年。文庫の刊行は、令和2年(2020)12月。手許の文庫本は令和4年2月、4刷である。

 この小説を読了して、改めて本書とそれに関連した全体の構図、本書のポジショニングを改めて明瞭に理解することになった。そこから始めよう。

 まず最初にこの小説に限定した全体の構成について。
 翻訳のタイトルにある通り、本書は、ロンドンにあるフィッツモリーン美術館からレンブラントの傑作、「アムステルダムの織物商組合の見本調査官たち」が7年前に盗難に遭っていて、その捜査と奪還をテーマにしている。ロンドン警視庁の美術骨董品捜査班に配属された新米捜査員ウィリアム・ウォーウィック(以下、ウィリアムと呼ぶ)が盗難作品の追跡捜査で活躍する美術ミステリーである。それがメイン・ストーリーになることに間違いはない。しかし、その美術ミステリーは、いわば本書の構成の中では、コインの一側面に位置付けられている。
 この追跡捜査の過程で、ウィリアムはフィッツモリーン美術館の調査助手、ベス・レインズフォードと知り合い、彼女に惹きつけられて恋に陥る。ベスとの結婚を考えるに至るのだが、ベスは家族のことを殆ど語らなかった。だが、その家族の秘密について、ある時点でウィリアムが気づく。それはいわば大きな障壁にもなりかねない問題だった。その課題に対するチャレンジが、コインのもう一つの側面として浮上していく。
 この小説の中盤から、2つのパラレル・ストーリーが展開していくという構成になっていく。それ故に、このストーリーはウィリアムの仕事としての「レンブラントをとり返せ」とウィリアムの恋の成就物語への重要な障壁突破の二側面が進展していく。翻訳書のタイトルはその一側面を少し強調しているとも言える。
 原題の NOTHING VENTURED は、確実に二側面をカバーしたタイトルだと思う。
 
 ここで、本書の最初に戻らねばならない。内表紙の後に、「親愛なる読者諸氏に」という著者からのメッセージが収録されている。
 文庫本を買い揃えながら、未読で書架に眠っている「クリフトン年代記」シリーズのことが冒頭に出てくる。この小説シリーズの主人公ハリー・クリフトンはベストセラー作家となることで、「クリフトン年代記」が最終巻を迎えるようである。ハリー・クリフトンをベストセラー作家に押し上げた連作小説の主人公がウィリアム・ウォーイックだという。読者から、「ウィリアム・ウォーイックについてもっと知りたいとの手紙を頂戴しました」と記す。そして、熟慮の末、この執筆に取りかかったのだという設定になっている。
 さらに、著者は最初からこの執筆がシリーズになる構図を設定しているのだ。
 「彼が平巡査から警視総監へ昇り詰める過程を共に歩んでもらうことになるはずです」と。つまり、本書はその第1巻。連作小説がここに始まった!!
 また、この文の前に、本書について著者自身が触れている。「この作品はウィリアムが大学を卒業し、自分の法律事務所の見習い弁護士になればいいではないかとうろたえる父親を説得して、ロンドン警視庁に奉職するところから始まります」と。

 つまり、ジェエフリー・アーチャーが、ベストセラー作家となったハリー・クリフトンの立場になって、ウィリアム・ウォーイックの連作小説を発表し始めるという構図が基盤に設定されている。
 そして、本書がその第1巻であり、「第1巻である本書では、彼(=ウィリアム:付記)の人生をたどりながら、併せて登場人物を紹介していことになります」と記す。この第1巻は、ウィリアムがロンドン警視庁に奉職して、レンブラントの作品奪還に成功するまでの第1ステージの時代が描き出される。
 このメッセージ文の次のページに、「これは警察の物語ではない、これは警察官の物語である」と付記されている。つまり、ウィリアムの物語ということになる。

 第1巻の時代をイメージしやすいように、少し周辺情報をご紹介しておこう。
 このストーリーは、1979年7月14日から始まる。この日に、ウィリアムは父親に己の人生の進路選択を告げる。
 ウィリアムは、8歳の時に探偵になりたいと思った。ロンドン大学キングズ・カレッジに進学し、美術史を学んだ。1982年9月5日、ヘンドン警察学校に入学。警察学校を卒業後、大卒者として首都警察の一員になる。だが、ウィリアムは、大卒は昇進が早くなるという有利な条件を行使しないという選択をする。警察官人生を普通の新人と同じ条件でスタートさせる。ランベス署に見習いとして配属され、平巡査からのスタートだなのだ。フレッド・イェーツ巡査がウィリアムの教育係として、彼の面倒を見てくれた。ウィリアムはフレッドから、警察官としての貴重な助言を数多く学んでいく。そのイェーツ巡査が悲劇に遭遇することに・・・・・。

 ウィリアムは1年後に刑事昇進試験を受け、合格する。ジャック・ホークスビー警視長からの呼び出しを受けて首都警察本部ビルに行く。本部ビル6階にあるホークスビー警視長のオフィスに行く途中、あるドアが薄く開いていたのでその奥の壁に立てかけてある絵に目が留まり、それをウィリアムは眺めていた。それで室内の人物から声を掛けらることになる。思わず、ウィリアムはその絵が贋作だと指摘した。それがウィリアムのその後の警察官人生を変える。美術骨董捜査班に捜査巡査として異動を命じられることになる。ここから具体的な追跡捜査の仕事が始まり、担当者として第一線で行動していくことになる。それが、フィッツモリーン美術館の調査助手、ベス・レインズフォードと出会うきっかけにもなっていく。本作の実質的な始まりである。

 美術骨董捜査班はレンブラントの盗難作品の件以外にも様々な案件を抱えている。それらの案件についての捜査活動に、勿論ウィリアムも関わっていく。そこでそれらの捜査がサブ・ストーリーとして織り込まれ、絡み合いながら状況が進展していく。さらにウィリアムとベスの恋の進展と障壁のストーリーがパラレルに進展していく形になる。この恋と障壁の側面は、言わぬが花ということで、このストーリーをお読み願いたい。

 ウィリアムの父、サー・ジュリアン・ウォーイックは、一流で辣腕の勅選法廷弁護士である。父としては、ウィリアムに弁護士への道を歩んで欲しかったのだが、息子の選択を認め、見守る立場になる。
 姉のグレイス・ウォーイックは進歩的な女性弁護士となっている。
 父と姉は、あることが契機で、ウィリアムが抱える重要な問題に関与していく立場になる。
 ブルース・ラモント警部を筆頭とする美術骨董捜査班は、レンブラントの作品が、マイルズ・フォークナーという美術品の大物窃盗詐欺師の一味の仕業と目星をつけてはいるのだが、その尻尾をつかめず、盗まれた作品の所在を全くつかめないのだ。本物を回収できたと喜びかけていたのを、ウィリアムに贋作と一蹴されてしまったわけである。その代わり、思わぬきっかけでウィリアムを美術骨董捜査班にスカウトした。彼は強力な戦力になる。

 ウィリアムの警察官人生の第一ステージを、本書で多いに楽しめる。著者はメイン・ストーリーに幾つものサブ・ストーリーを巧みに織り込み、ウィリアムの警察官人生の第一ステージを描いていく。やはり、著者はストーリー・テラーとして卓越していると思う。
 読み終えて、ネット検索してみたら、現時点で第4作まで出版されていることを知った。読み継ぎたい目標がまた一つ増えた。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
布地商組合の見本調査官たち   :ウィキペディア 
アムステルダムの織物商組合の見本調査官たち 1661年  :「Salvastyle.com」
ロンドン警視庁の組織と機構   :ウィキペディア
イギリスの警察階級  :「Soifia and Freya @goo」
[美術解説]100万ドル以上の高額窃盗美術作品:「Artpedia(世界の近現代美術百科事典)」
「モナリザ」や「叫び」も被害に 過去の美術品盗難事件 :「AFP BB News」
20年間で数十億円相当を盗んだアート窃盗団が罪を認める。1人は逃走中:「ARTnews JAPAN」
盗まれた世界の名画 フェルメール「合奏」  :「IMS」

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『その裁きは死』 アンソニー・ホロヴィッツ  創元推理文庫

2023-01-11 18:14:16 | 海外の作家
 久しぶりに海外の作家の翻訳推理小説を読んだ。この本のことは bookook さんのブログ記事で知った。ブログを書き始める前は、J・グリシャムの小説をはじめかなり翻訳推理小説を読んでいた。特に法廷物に関心を抱いていた。その分野の翻訳小説がその後書棚に数多く眠ったままになっている。
 この本、そのタイトルから法廷物の推理小説かと勝手に思いこんでいた。読み始めて気づいた。元刑事の探偵がいわば警察の下請け的に殺人事件の捜査を行い、事件を解決に導くという探偵推理小説である。元刑事でも探偵なので捜査という用語が適切でないのかもしれないが、ここでは捜査という語で語ろう。

 主人公はダニエル・ホーソーン。「もともとはロンドン警視庁に勤務していたのだが、児童ポルノ売買の容疑者がコンクリート製の階段から転落するという事故の後、職を辞することになった。事故のとき、容疑者のすぐ後ろに立っていたから」(p26)ということで、失職した元刑事の探偵。だが、泥沼事件のたぐいには警察がホーソーンに協力を要請するという関係が維持されている。
 この小説の特徴は、ここに「わたし」が加わることにある。「わたし」とは本書の著者アンソニー・ホロヴィッツ自身。この点がおもしろい。ストーリーの中では、テレビドラマの脚本家としての仕事も手がけている。ホーソーンの捜査に「わたし」が同行し、その「わたし」の視点からホーソーン自身についてと事件捜査の経緯を叙述していくというスタイルになっている。

 なぜ同行するのか。この小説、実は第2作で、『メインテーマは殺人』というのが第1作。その中に二人の関わった経緯が具体的に記されているという。いずれ第1作も読んでみようと思っている。
 ホーソーンが捜査して解決する事件を本にまとめるということに合意し、出版元と三冊まとめての契約をしてしまったことに、同行する理由がある。
 この小説のおもしろいところは、殺人事件の捜査とその解決についての本を出版するためにホーソーンに同行するプロセス自体を叙述している点にある。いわば、事件を本にまとめるための最終原稿を書く前段階、事件の捜査状況そのものを記録していくことがストーリーになっている。私にはそのように読めた。つまり、その叙述自体がこの『その裁きは死』という作品に仕上がっているという構造なのだ。なんとも奇妙でかつおもしろい構成である。こういうスタイルの推理小説は初めて読む気がする。

 さて、このストーリーについて語ろう。
 北ロンドンのハムステッドで殺人事件が発生した。被害者はリチャード・プライス。離婚裁判の分野では著名な離婚弁護士。殺人現場は<サギの泳跡>と称されるリチャードの自宅の書斎。犯人は、1982年ものワインの未開栓ボトルでリチャードの前頭部から額にかけて殴打し、砕けたボトルの首で被害者の喉を刺突して殺害した。本棚にはさまれた壁には、182という三つの数字が緑煙色のペンキで乱暴に描かれていた。だが、リチャードは禁酒主義者だった。
 現場を検分したホーソーンの捜査はここから始まっていく。わたしはホーソーンに同行し、自らも犯人について推理をしつつ、ホーソーンの捜査プロセスの記録者となっていく。
 事件現場には、この事件を担当するカーラ・グランショー警部が居た。グランショー警部はこの事件を解決するのは自分自身だと宣言し、ホーソーンの動きを逐一報告するようにわたしに圧力をかける行動に出る。このストーリーの中では、ちょっと三枚目的な役割で花を咲かせる役回りである。

 リチャード・プライスは同性婚しており、連れ合いのスティーヴン・スペンサーは殺人事件の起こった夜は、別荘に居たという。
 リチャードはエイドリアン・ロックウッドの依頼で離婚訴訟の代理人として離婚訴訟に臨み、エイドリアンの妻アキラ・アンノには厳しい裁定を勝ち取っていた。凶器に使われたワイン・ボトルはロックウッドからの贈り物だった。
 アキラ・アンノがある場所で、リチャードをワインのボトルで殴ると脅しているという話が事件発生前に伝わっていた。

 もう一つこのストーりーの特徴がある。ホーソーンがわたしを同行させるが、その捜査過程で、ホーソーンは自分自身の捜査の推理を一切わたしには明かさないという展開になる点だ。わたしは同行時のホーソーンの捜査行動について、捜査場所、聞き込み相手への質問と会話、ホーソーンとわたしとの間の会話などを語っていく。それらの情報集積から、わたしはわたしとしての推理を展開していく。

 たとえば、ホーソーンはリチャード・プライスの人間関係や過去暦を捜査する。リチャードは洞窟探検を趣味としていて、<長路洞>と称される洞窟探検を3人のパーティで行い、一人が死亡するという経験をしていた。その未亡人、ダヴィーナ・リチャードソンに聞き込みに行く。夫の死後、リチャードソンがダヴィーナと息子コリンの面倒を見てくれてきた事実を知る。また、もう一人が、長路洞のあるヨークシャーに住むグレゴリー・テイラーだとわかる。後に、そのグレゴリー・テイラーは、リチャードの殺害される前日、キングス・クロス駅で轢死していたことが報道されていた事実もわかる。
 わたしとホーソーンがダヴィーナの自宅を再訪した時、ダヴィーナがアキラ・アンノの労作の俳句本を読んでいた。わたしは、伏せられた本のページをついめくり、その先頭に「君が息 耳にぞ告ぐる 裁きは死」という句に目を留める。その句は第182句だった。(p233)

 ホーソーンの捜査活動から、様々な断片的情報が次々に累積されていく。そこからリチャードソンの過去が明らかになっていくにつれ、人間関係の複雑な交錯が一層事件の謎解きを混迷させていく。
 わたしの視点と推理から眺めると、一見、事実が解明されたように見える。だが、そうではなかった。二転三転する推理の組み直し・・・・・そこにこの作品の巧みさが現れている。一つの事実にどのような意味づけができ、解釈ができるか。それが推論を誤らせることにもなる。
 ホーソーンは最後の最後まで、己の推理内容を明らかにしない。一方、わたしはどんでん返しの矢面に直面することになる。この二人の組み合わせが実に楽しめる。

 本書のタイトルは、第182句「君が息 耳にぞ告ぐる 裁きは死」の下五に由来するのだろう。「182」という三つの数字が何を意味するか。読んでお楽しみ、というところに突き進んで行く。

 ホーソーンとわたし、という二人三脚は、シャーロック・ホームズとワトソン博士の組み合わせを連想させる。「読書会」という章で、コナン・ドイルの『緋色の研究』を題材に扱った場面を組み込んでいるところもおもしろい。

 ホーソーンという人物像をわたしがつかみきれていないということをあちらこちらで触れていること自体がストーリーの一部になっているというなんとも奇妙なところがなんともおもしろい。第3作が書かれるとしたら、ホーソーンの人物像がクリアになるのだろうか。著者はどのように描き出していくのか。別の意味での楽しみができた。

 ご一読ありがとうございます。
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