遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『紫式部の実像』 伊井春樹  朝日新聞出版

2024-05-23 12:20:00 | 源氏物語関連
 本書のタイトルには、「稀代の文才を育てた王朝サロンを明かす」という長い副題が付いている。本書は、2024年2月に朝日選書1041として刊行された。

 「はじめに」の冒頭は次の文から始まる。
 「紫式部とは、どのような人物だったのだろうか。どのような環境に生まれ育ち、いかにして漢籍、和歌、物語文学のほか、さまざまな有職故実に堪能な女性として成長したのだろうか」この問いかけが本書のテーマである。だが、最初のパラグラフの末文は、「そのいきさつをはじめ、紫式部の生まれた年や名前などもまったく不明といわざるをえない」と明記する。そこから「紫式部の実像」探求が始まる。現存する史資料を駆使して、実像に迫ろうとした書である。史資料を基盤に、根拠を明示した上で、著者の論理と推論が重ねられて行く。そこからうかがえる実像が明らかにされた。ここには学究的なスタンスが貫かれている。
 
 紫式部の実像として、端的な事例を第11章から取り上げてご紹介する。『紫式部日記』の中で、紫式部は清少納言批判を記している。このことは以前に他書でも触れていて、読んだ記憶がある。本書ではその箇所を引用した上で、著者は次のように説明している。
 「紫式部の清少納言に対する評価は異常といってもよく、すでに五、六年前に清少納言は宮仕えをやめているため、現実に対面したことはなく、それでも執拗に厳しいことばを連ねる。紫式部はもっぱら『枕草子』と女房からの話が情報源であったはずで、直接交流したことのない彼女に対し、感情的とまで思われるような口吻で批評する」(p290-291)と。そして、この記述について、「道長から宮仕えを求められた折、中宮彰子を、かつてはなやかだった定子文化サロン以上にし、具体的に清少納言をもちだし、匹敵する働きをするように厳命されたのではないかと思う」(p291)と、紫式部の批評ぶりから著者は推論を推し進めている。
 これを「実像」の一側面と捉えると、現在NHKの大河ドラマ「光る君へ」で進行中のまひろ(紫式部)とききょう(清少納言)の交友関係は、脚本家の独自の想像力がフィクションとして大胆に織り込まれて進展してきているものと言える。この先どのように『紫式部日記』に記述された内容と整合させていくのだろうか・・・・そんなことが気になる。大河ドラマにおけるまひろとききょうの親交の進展状況から、紫式部と清少納言の関係をイメージする人は、「紫式部の実像」からはかなりかけ離れていくことになるのではなかろうか。紫式部と『源氏物語』、さらには藤原道長がどのように描き込まれるかに関心があるので、他にも部分的な違和感をいくつか抱きながらも、今まで見ることのなかった大河ドラマなのだが、「光る君へ」は見つづけている。

 余談として『紫式部日記』での清少納言批評には、別の解釈もある点をご紹介しておこう。池田亀鑑著『源氏物語入門[新版]』(教養文庫)は「作者とその像」において、次のように説明している。
 「日記の中で、和泉式部の奔放な行動や、清少納言の衒学的な態度を非難しているのも、決して対抗心や嫉妬心ではありますまい。実は、自分の内部に対する間接的な鞭であったと考えていいでしょう。それだけに紫式部には、みずから高く己を持すといった性格がある」(p37)と。日記記述の解釈にも学者によりかなり幅がありそうだ。

 さて、本書の構成をご紹介しておこう。
 1章 セレブ二人の間を取り持つ
 2章 具平親王文化サロンと父たち
 3章 父為時の官僚生活の悲運
 4章 紫式部の少女時代
 5章 為時の越前守赴任
 6章 為時の任務と宣孝との結婚
 7章 女房の生活
 8章 紫式部の宮仕え
 9章 紫式部之宮中生活
 10章 中宮彰子御産による敦成親王誕生
 11章 献上本『源氏物語』
 12章 その後の紫式部

 本書から学んだことの要点をいくつか取り上げ、覚書を兼ねてご紹介したい。
1. 紫式部が女房として仕えた当初は「藤原の式部」と呼ばれていたと推測される。
 『栄花物語』では「藤式部」と呼ばれている。父為時が式部丞だった。(2章)
2. 中務宮(具平親王)の邸・千種殿は文人サロンの場であり、紫式部の父為時の兄の
 為頼は具平親王と和歌における交流があった。為時と為頼は同じ敷地に住んでいたと
 思われるため、紫式部はおじから和歌の手引きをしてもらったと推定できる。
 紫式部にとり、具平親王は近しい人物であった。宮中の文化から諸芸能に至るまでの
 親密な師でもあったと推定できる。 (1章~3章)
3. 為頼・為時の母(定方女)と、具平親王母(荘子)はおば・姪の関係であり、紫式
 部と具平親王の祖母は姉妹である。紫式部と具平親王は遠縁の関係でもある。(3章)
4. 夫・宣孝の喪が明けたころから、紫式部が成長する娘賢子の理想的な将来の姿とし
 て筆を執ったのが「若紫物語」であり、短編として書かれたと著者は想像している。(8章)
5. 南北朝時代の書『河海抄』は、大斎院選子から中宮彰子に物語の求めがあり、中宮
 は紫式部に新しい物語を作り差し出すよう命じた。それで紫式部が石山寺に参籠して
 物語を書き始めたとの説を伝えている。『源氏物語』の生み出される端緒となる。
  大斎院選子は、12歳で賀茂斎院に卜定めされ、天皇五代57年間その任にあり、物語
 を収集し、文化サロンを形成した。選子内親王は具平親王の妹である。(7章~8章)
6. 紫式部が女房となったのは、寛弘2年(1005)12月29日とする説が有力。だが、その
 直後から宮中を退出し、出仕拒否の期間が続く。寛弘4年4月当時には、すでに女房で
 あったとしかいえない。 (8章~9章)
7. 『紫式部日記』は人に読まれることを前提に書かれた作品である。
 寛弘5年7月から始まり、中宮彰子が敦成親王を出産する見聞記は、道長の求めに応じ
 て記された高度なドキュメンタリー作品となっている。道長とかその周辺から資料が
 与えられないと書くことができないほどの複雑さを含む。(10章)

 さらに詳しくは本書をお読みいただくとよい。

 本書の中で、著者が興味深いことを述べている。最後にそのことに触れておこう。本文から引用する。
*「物語に登場する人物のようだ」とか、「まるで絵に描かれているのと変わらない」などとする表現が、しばしば清少納言や紫式部の口から出される。当時の人々のものを見る眼は、物語の内容とか絵の場面がまず先に想念に浮かび、その基準で現実の姿を判断していたのであろうか。それほど、日常生活の中に、物語や絵が普通に存在し、人々に共有されていたのであろう。  p247
*清少納言がいた定子サロンにも、大斎院の女房集団にも、わがほうはけっして引けをとらないとする。『紫式部日記』は人々に読まれることを前提にしているだけに、世の人が想像している以上に自分たちは高度な文化集団であると主張したく、それはまた道長の願いでもあった。  p298

 紫式部その人を知るための学究的なアプローチとして役立つ一冊である。
 それにしても、紫式部は幾重もの御簾の向こう居るかの如く、素顔を見せることのない人だなぁと感じる次第。
 
 ご一読ありがとうございます。

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『読み解き源氏物語』 近藤富枝  河出文庫

2024-05-01 13:17:14 | 源氏物語関連
 本書のタイトルは、2008年5月に文庫化されるにあたり改題された。手元の文庫は初版である。奥書によると、元本は、1996年7月刊『近藤富枝と読む源氏物語--千年めの男ぎみと女ぎみ』(発行オリジン社・発売主婦の友社)と記されている。
 そして、本書の「はじめに」の冒頭は、「まことに源氏ブームである。その講筵は日本中あらゆるところにあり、新しい現代語訳もつぎつぎと出版され、史上始まって以来の黄金時代であるというべきであろう」という文から始まる。「はじめに」には日付が記されていない。「あとがき」には2008年春と付記されている。「はじめに」は元本の刊行時に記されたものと推測した。
 ネット検索してみると、「1998年4月15日(水) 源氏物語ブームを読む」という見出しの番組紹介ページを見つけた。NHK・クローズアップ現代の全記録の一項である。(資料1)番組紹介文文から、この時期は、瀬戸内寂聴さんの源氏物語訳が6年かけて完成していた時で、大ブームを巻き起こしていたことがわかった。なるほど、その頃にあたるのかと思った次第。

 本書は著者が20年来「源氏」を読む教室を続けてきたという経験を踏まえて、様々な観点から『源氏物語』を読み解くというエッセイ集といえる。文庫本で7,8ページの目安で大半の項目がまとめられている。「ともあれこの本は、源氏ファンの一人から源氏ファンの方々へ寄せる、親密なないしょばなしだと思っていただきたい」と述べて、著者は「はじめに」の末尾を締めくくっている。
 である調の文体で書かれていて、一エッセイ完結型であり、内容は読みやすくまとまっている。きちりと突っ込みはあるが、学術っぽさは避けられているので、敷居の高さは感じない。読者は関心に応じて、どこからでも読む進めることができると思う。

 本作の全体構成を最初にご紹介する。括弧内の数字はその章に載るエッセイの数。
   第1章 現代の窓から見る    (6)
   第2章 恋の手習い       (6)
   第3章 平安の世情       (5)
   第4章 貴人(アテビト)の秘めごと (6)
   第5章 うつろいの美      (5)
 色々な視点から読み解かれていることがおわかりいただけるだろう。

 以下、印象深い記述個所をご紹介し、本書への誘いとしたい。
「」は引用、他は要約、⇒以下は私見や補足説明である。

 [ はじめに ] には著者のスタンスが明確に述べられている。
*「教室での私はどこまでも原文尊重主義である。どんなに巧いいいまわしをあてはめても『源氏』の文章そのままの香気はあらわせない。・・・・教室のお仲間に音読をすすめることにしている」 p4
*「『須磨がえり』という言葉があるように、須磨の巻ぐらいで中断してしまう人が多いのだ。・・・・須磨までは上質の大衆小説であり、メルヘンである。それ以後で作者は、光の人生以外に女人たちの女人であるが故の苦しみを真摯に描いて、人間とは何かに迫っている。『須磨』までもいいが、『須磨』以後も読まなければ『源氏』は読んだとはいえない」  p5-6

 [ 第1章 現代の窓からみる ]

 < 王朝事件簿 > では次の点に触れている。
*主要な人物には思い当たるモデルが存在する。ズバリもあれば複合された人物もある。 p24 
    ⇒ このエッセイでは史実から推定できるモデル事例にふれている。
*「『源氏』は藤原時代の女房(宮中や上流貴族の家に部屋を賜って仕える侍女)の話し言葉、語りで全編が表記されている」 p25

 < 夕顔の巻の謎を推理する >
*推理小説と考えてもおかしくないと述べ、戯曲風に著者は謎を推理していく。
*「それから夕顔という花。平安時代は全く認められていなかった。画やきものの文様などに使われるようになったのは『源氏』で、夕顔の巻が生まれて以後のことである」p41
    ⇒ エッセイの末尾のこの指摘は知らなかった。

 < 年上妻 >
*「平安時代は年上女房が断然多かった。貴族の男性が加冠(成人式)をすると、早速その晩副伏(ソイフシ)といって妻が与えられる。当時は身分が高ければ高いほど加冠の年齢は若く、皇子などの場合は十一、二歳が多かった。となると副伏の女性は年上が選ばれる」
  P42  ⇒ 光源氏は12歳で加冠。左大臣の娘の葵は4歳年上。

 < 光源氏の犯罪 >
*「彼(=光源氏)にはさまざまの犯罪疑惑があるので、私の推理を語ることにしよう。
  まず彼は生涯に多くのレイプを行なっている」 p60

 [ 第2章 恋の手習い ]

 < 初枕 >
*「初枕というものが心の用意のなかった少女にとってどんなにショックなものかを作者はいいたかった。とにかく『源氏』以前にこうした女性心理の描写は文学でなされていない」 p83
     ⇒ 紫君に関連して
*「初夜の晩は婿の沓を花嫁の父か兄が抱いて寝るということである。これはこの家に婿の足を止めさせる呪(マジナイ)であった」 p84  ⇒ 初めて知ったこと。

 < くぜつ八景 > 著者は光君の「女のくどき方」を八景にまとめ、説明している。
   第1景 平気で嘘をつくこと
   第2景 ぬけぬけとほめる
   第3景 殺し文句を忘れるな
   第4景 攻撃とは最良の防衛
   第5景 女心にタックル
   第6景 ロマンを演出せよ
   第7景 冒険で女心をゆさぶれ
   第8景 尼姿でもためらわない

 <幸人(サイワイビト) >
*「『源氏』若菜上の巻で世間の人たちが幸人として賞でた女人がいるが、それは明石尼君であるのが意外性があっておもしろい」 p110 ⇒この後著者は当時の論理をたどる。

 [ 第3章 平安の世情 ]

< 女君の出産 >
*「この頃のお産は座産です」 p127

< 香をつくる >
*「きものに香をたきしめるのは一晩かかる。夫が他の女のもとへ行くのに、その身じまいの世話をする妻の哀しさが『源氏』には散見できる」 p139
*「香は身につける人が秘術を尽くして自分流のかおりを処方するので、匂いだけで誰がくるのかわかるということもあろう」 p140

 [ 第4章 貴人(アテビト)の秘めごと ]

 < 女房たち >
*「中宮とか女御とか内親王になるとかなりの人数で、入内の折の供揃えに三、四十人と書かれていることが多い。ただし女房以外にもいろいろ下仕えの女とか樋洗(ヒスマシ)とか、女童(メノワラワ)とかいるわけで、侍女団の人数はざっと百名内外をそれぞれの御殿は抱えていると思う」 p156
*「彼女たち(=女房)は独身である必要はない。恋人でも夫でも主家のわが局(ツボネ)に通ってくることは当然のことで、子供ができれば産休をとって自宅で産み、やがて子供は乳母に托してまた主家に戻ってくる。場合によっては赤児同道ということもある。子が少し大きくなると、女なら女童、男の子でも何かの用にいっしょに主家に勤める。そうした人の夫はだいたい主人の宮廷における部下だったり、家司(ケイシ)だったりである」 p159

 [ 第5章 うつろいの美 ]

 < 春秋の争い >
*「平安人の自然観察はなかなか鋭く深いものがある。春から夏へ夏から秋へ季節が二重写しになっている美しさを発見したのは彼らで、”うつろい”という言葉でそれを表現している。しかし何ごとも遊戯化せずにはいられなかったのがこの時代の貴族たちである」    p204
*「装束のかさねにも四季の別をいい立てて、自然と一体化しようという思いが見られる」    p208

 この辺りでとどめておこう。
 『源氏物語』が創作された当時の時代背景、宮廷政治の知識、宮廷の日常生活の基礎知識がどれだけ備わっているかによって、ストーリーの読み方に深浅、濃淡が加わってくることを感じるエッセイ集である。私の覚書を兼ねて、なるほどと思った箇所の一部を抽出したにすぎない。『源氏』を味読するには、もっと基礎知識の充実が必要だと感じさせる一書となった。

 お読みいただきありがとうございます。

参照資料
1. 源氏ブームを読む 1998年4月15日(水)  クローズアップ現代 :「NHK」


補遺
近藤富枝   :ウィキペディア
源氏物語の各種現代語訳について  finalvent 氏 :「no+e」
今年こそ、『源氏物語』....あなたが選ぶ現代語訳は? ;「讀賣新聞オンライン」

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか-』 山本淳子 朝日選書
『芸術新潮 12』 特集 21世紀のための源氏物語   新潮社
『源氏物語』  秋山 虔   岩波新書
『古典モノ語り』   山本淳子   笠間書院
『紫式部考 雲隠の深い意味』   柴井博四郎  信濃毎日新聞社
『源氏物語入門 [新版]』  池田亀鑑  現代教養文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版
                2022年12月現在 11冊

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『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか-』 山本淳子 朝日選書

2024-01-26 21:34:55 | 源氏物語関連
 此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば

 藤原道長が全盛の時期に詠んだ歌。望月は満月のこと。私は道長がまさに満月の夜に己の境地を満月に喩えて高らかに詠んだ歌だと思っていた。
 ここしばらく、地元の源氏物語ミュージアムが企画する源氏物語の連続講座を、地の利を生かして毎年受講してきている。その講座のなかで、著者が講師として登壇される機会がある。その際のある講義の途中で、道長が「我が世の望月」を歌ったのは、満月の夜ではなく十六日であり、自然現象としての空の月は欠けていたのです。ではなぜ、歌に望月と詠んだのか。その点について今考えをまとめているところですと触れられたことがあった。それが気になっていた。新聞広告で本書の出版、副題に「我が世の望月」とは何だったのかとあるのを読み、気になっていた事項が語られているかも・・・と思い、早速読んだ。私の関心事項は、第12章「我が世の望月」と題して、論じられている。関心事項についの読み解き方を、なるほどと理解できて、過年度より持ち越していた疑問が解けた。

 本書の位置づけは著者が「あとがき」で明記されている。最初にその点をご紹介しておこう。本書のタイトルを「道長ものがたり」とされている。読み始めると、史実だけに基づいた藤原道長伝記とも評論とも少し違うな・・・ということを感じ始めた。歴史物語とされる『大鏡』や『栄花物語』に描かれた道長等についての一節が随時引用され、著者の読み解きが加えられて行く。著者は、幸運ともてはやされた道長の内心は、幸せに満ちていたのかどうか、どうだったのか。この疑問を抱いていたと言う。それゆえ「本書で道長の心を辿ろうと思った」(o290)と語る。そして、「本書のタイトルを『道長ものがたり』としたのも、ゴールに置いたのが史実よりも彼の心であることによる。読者の方々にも、物語を読むように、彼の心に寄り添ってほしいと考えたのだ。」(p291)と。 さらに、その続きに以下の文が続く。
「結果として、従来彼がまといがちであった『傲慢な権力者』の顔一辺倒ではなく、怨霊におびえ、病気に苦しみ、身内の不幸に泣くという弱い部分も分かってもらえたと思う」(p291)と。つまり、政治家道長が何をなし、どのように権謀術数を働かせたのかは、道長を知るための重要な側面である。一方、コインの両面として、源倫子を正妻とし、源明子も妻にして、数多くの娘・息子を持つ生活者としての道長の側面がある。この側面をパラレルに描き出すことで、道長という人物をトータルにとらえた上で、彼の心理心情に迫ろうとしている。様々なエピソードが史実・物語の両面から捕らえ直す形で織り込まれていくので、読みやすい。要所要所で系図が掲載されているので、その時点時点での人間関係がわかりやすい。系図による図解のメリットが発揮されている。

 政治家道長、生活者道長の両面は、本書の構成をご紹介すれば、少しイメージしやすくなると思う。
[第一章 超常的「幸ひ」の人・道長]
 道長30歳で公卿の時に、長兄・道隆と次兄・道家が病死し、上席公卿たちも同時期に流行の疫病で死亡が相次ぐ。道隆の息子で道長のライバルであった伊週(コレチカ)は自滅の道を歩む。結果的に権力の座が道長に転がり込んでくる。道長は強運の持ち主だった。この点がまず押さえられる。だが、その一方で、道長が源雅信の女倫子を妻にし、倫子という同志を得ていた側面を著者は重視する。まずは雅信のバックアップという点を押せている。
 平安時代の言葉では強運を「幸い」と呼んだという。
「あとがき」を読むと、著者はこの「幸い」について、次のように述べている。
「<幸い>は、幸せとは一致しないのである。<幸ひ>は結婚、出産、あるいは仕事など、世俗的で目に見える事柄に関わり、あくまでも世間が認めるような外見の幸運を言うに過ぎない」(p290)と。この第一章では、他人から眺めた道長の外見的な強運をまずとらえている。

[第二章 道長は「棚から牡丹餅」か?]
 長兄・道隆が娘の定子を一条天皇の中宮とした時期に、道長は中宮大夫という定子の事務方長官の職にあったという。本書で初めて当時の道長の位置を知った。この章では道長が虎視眈々と雌伏する時期の様子が簡潔に語られていく。政治家道長の一面がイメージできる。
 
[第三章 <疫>という僥倖]
 長兄・道隆一家、つまり中関白家と定子の栄華の状況を語り、一方、一条天皇の母后であり実姉である女院・詮子に頼る道長の状況を描写する。道長は中関白家と距離を取り続ける。道隆の持病・飲水病と疫の流行が、道長に強運をもたらす。
 裏付ける史料がない部分は、『大鏡』の引用と推測とにより、道長の内心を著者は語っていく。そこに「道長ものがたり」と題する所以があるといえよう。

[第四章 中関白家の自滅]
 中関白家の自滅が、結果的に道長が政治家として汚れ役や重責・秘密を背負う立場になっていかざるをえない場に置かれたと著者は語る。「道長はずっとクリーンでスマートな貴公子で、道兼のように修羅場をかいくぐった経験があるようには思えない」(p72)とそれまでの道長について要約する。道長にとり道兼は次兄であり、父・道家のために修羅場をかいくぐてきた人。その道兼もまた長徳元年に病死したのだ。
 道長は政治家へと変容していく。著者は「道長は中関白家の失脚を見越して、確信犯的に手を下した。自らの権力保持のために政治の泥に手を染めたのである」(p87)という。それが「長徳の政変」だったと。
 この頃から道長にとって「生涯悩ませることになる多種多様な病悩の始まり」(p87)を迎えるというのは皮肉なことでもある。生活者としての道長を知る上で、実に興味深い。

[第五章 栄華と恐怖]
 この章で、著者は重要な点を指摘している。一つは紫式部の歌を冒頭に掲げて、その説明の中で紫式部の考えとして指摘していることである。
「怨霊はむしろ自身の内にある。人が疑心暗鬼を抱く限り、怨霊はそこかに生まれる。自らの恐怖心が自分を蝕むというこのシステムからは、誰も逃れられないのである」(p89)
 また、道長は病気がたび重なり、長徳4年(998)には出家願望から辞表を一条天皇に提出したという。道長のこういう側面を初めて知った。著者はその道長を支えたのは家族であると記す。その上で、
「道長は自分と家族のためだと信じれば、ひどく冷酷になることができた。そのやり方は、時にいささか感情的に過ぎると思えるほどである。最初にその標的になったのは姪の中宮定子。道長にとって彼女は、入内を前にした彰子の前に立ち塞がる、目障りな敵だった」(p100)と。定子を排除するために、いじめる立場を貫いていくのだ。
 さらに、「つまるところ、人生に何を求めるか。その根源的な願いの点で、道長と一条天皇とはすれ違っていた」(p106)点を、明らかにしている。

[第六章 怨霊あらわる]
 「幼き人」彰子の入内と中宮定子の出産。第一皇子の誕生である。道長が「二后冊立」に動いた状況とその背景が語られる。
 そして、彰子が中宮になった2ヶ月後に、道長が邪気に憑かれたという。こういう類いの史実は初めて知った。この時も、道長は辞表を提出したとか。

[第七章 『源氏物語』登場]
 出家後一条天皇に呼び戻された中宮定子は、第三子を出産するが難産により非業の死を遂げた。中宮定子の死後、出家し青年貴族たちがいた。清少納言筆の『枕草子』は定子を美化した。『枕草子』は当時の貴族たちにとり癒やしになる側面があったようだ。それに対抗する形で、『源氏物語』が道長により公に登場する場が生み出される。こういう読み解きの視点を本書で知った。紫式部の登場となる。
 もう一つ、『源氏物語』には定子をモデルにした側面も含まれている。この側面への危惧に対して、「学問好きな一条天皇は儒教精神を理想とし、諷喩という文学の方法についていも知っていた。それどころか、臣下には自分を諷喩する詩文を作るように求めるほどだった」(p147)との読み解きがされていて興味深い。

[第八章 産声]
 道長邸である「土御門殿」での彰子の出産。その状況と道長がその折、どのような行動をとったのかが、詳細に描写されていく。「物の怪調伏班」がどのように編成され、どのようなことをおこなったのか。具体的な描写がおもしろい。
 道長がどれだけ怨霊を恐れていたかがよくわかる。そのために道長が相当な資金を使っていることも推測できる。

[第九章 紫式部「御堂関白道長の妾?」]
 この『道長ものがたり』の章立ての中でも、一番読者の興味を惹きつける箇所ではないかと思う。生前の瀬戸内寂聴尼から直接うかがった説も紹介しつつ、著者の見解が展開されている。
 紫式部が『紫式部日記』に記すことと、『紫式部集』に記すこととの間には、ニュアンスが異なると著者は指摘する。その上で、著者の見方が述べられている。お楽しみに。
 
[第十章 主張する女たち]
 平安時代の女性は男の言いなりになっていただけではない。自己を主張した女性たちがいたことを著者は重要な点として押さえている。道長との関係でいえば、正妻となった源倫子がまさに主張する女性だったという。それ故に、第一章で「源倫子という同志」という小見出しも出てくるのだろう。
 それと、入内以降耐え続けていた彰子が父とは一線を画する<主張する中宮>への変貌を採りあげている。この点も中宮彰子を理解するのに役立つ。
 一条天皇の辞世の和歌の解釈、及び、葬儀について、「土葬か、火葬か」という方法についての背景と経緯の説明は、彰子、道長を知る上で読ませどころになっていると思う。研究者たちの定説を踏まえているのか、著者独自の見解なのかは知らない。こういう箇所にも、人の心の動きを知る上で一考の余地があることに気づかされた。

[第十一章 最後の闘い]
 新帝・三条天皇の即位は既定の方向であった。それを受け入れた上で、政治家道長が彰子の生んだ第一の皇子を天皇にするために、三条天皇との間でどのように最後の闘いを進めて行ったのか。その背景事情がよく分かる。
 三条天皇は一条天皇の在位期間が長かったので、春宮(居貞親王)としての期間が長かった。春宮の時に、道長の父・兼家の娘、綏子が入内している。道長にとっては腹違いの妹にあたる。綏子にまつわるエピソードも紹介されている。道長の扱い方がよく分かる。

[第十二章 「我が世の望月」]
 この章で採りあげられる「望月」についての読み解き方が、冒頭で触れたように私の一番の関心事だった。
 道長の和歌を聞いた藤原実資の態度と行動は、以前にどこかで読んで知っていた。しかし、この和歌の背景にある意味合いまでは深く考えていなかった。本章を読んで一歩深く歌意を理解できた気がする。この章もまた、お楽しみいただきたい。

[第十三章 雲隠れ]
 著者は、小一条院(敦明親王)の女御・延子と彼女の父・藤原顕光の死、さらには道長の明子腹の長女で、敦明親王の女御になった寬子の死、加えて、道長の四女で敦良親王との間の子を出産した後に死ぬ嬉子について、次々と語っていく。その先で、道長自身が死を迎える状況を記す。「実際には、その死は凄絶だった」(p284)という。史料に基づき具体的な事実が記されている。
 著者は、「『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人は、藤原道長だろうと言われる」(p263)という見方を道長の死と重ねている。そして、最後に、『栄花物語』における道長の死についての記述を紹介しているところがおもしろい。

 本書は、己の死期を悟った道長が長女の上東門院・彰子に送った一首で締めくくられている。最後にこの歌をご紹介しよう。

 言の葉も 絶えぬべきかな 世の中に 頼む方なき もみぢ葉の身は

 道長という人物にさらに興味が湧いてきた。
 NHK大河ドラマ「光る君へ」の中で、道長がどのような人物として登場するのか、楽しみでもある。

 ご一読ありがとうございます。

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『芸術新潮 12』 特集 21世紀のための源氏物語   新潮社

2023-12-08 17:22:09 | 源氏物語関連
 新聞広告でこの特集のことを知り読んだ。2023年11月25日に発売された第74巻第12号。
 月刊誌の特集であり、実質74ページのボリューム。『源氏物語』に関心を抱き、本を折々に読み継いでいるので、「21世紀のための」というキャッチフレーズに興味を抱いたことによる。

 最初にこの特集の構成をご紹介しておこう。
 Ⅰ はじめての源氏物語  
   大塚ひかりさんの総論解説: 総説のあとに三章だてでの解説が続く
   編集部による『源氏物語』超あらすじ
   And More として、大塚ひかりさんの「ものがたり世界を身体測定する」という文
 Ⅱ 源氏絵ギャラリー  
   佐野みどりさんの解説。6つの観点から構成されている。
   [コラム]マンガになった源氏物語  漫画の実例を載せ、大塚ひかりさんの文
 Ⅲ 「紫式部」の誕生  
   国文学者・三田村雅子さんによる解説文
   「関連ドラマ・展覧会案内」を末尾に1ページ掲載
と、全体は3部構成になっている。

 雑誌の主旨に相応しく、第Ⅱ部では、誌上ギャラリーとして、源氏絵が数多くフルカラー写真の大きな図版で紹介されている。源氏絵に特化した本を別にすれば、多くの源氏物語関連書籍ではモノクロ写真、小さな図版での紹介掲載が多いので、この点大いに楽しめる。雑誌の表紙の源氏絵は、73ページに掲載されている。≪源氏物語画帖≫(重文、京都国立博物館蔵)に載る、土佐光吉筆「花宴」。この源氏絵へのキャプションが「光源氏と朧月夜のボーイ・ミーツ・ガール場面」。この付け方も21世紀風なのかもしれない。

 特集の冒頭は、見開きページを使い、≪源氏物語絵巻≫の「鈴虫 二」(国宝、五島美術館蔵)の部分図を背景に、デンと特集のタイトルが記されている。それに続く3行の文が、この特集の主旨を明示している。引用しよう。
「はるか千年の昔、爛熟した貴族社会を背景に、女性の視点で紡がれた物語が、時代を超え、文化の違い、性の違いを越えて感動を与え続けるのはなぜか。#Me Too と疫病(コロナ)の現在に、改めてそのラディカルな魅力に向き合う」(p22)
 そして、第Ⅰ部には、大塚ひかりさんの総論解説の前に、次のメッセージが記されている。紫式部が『源氏物語』で追求したのは、「リアルな人間世界の喜びと悲しみ、陶酔と不安、祈りと嫉妬だった・・・・」(p24)と。

 この特集では、この物語が千年余の命脈を保ち続けてきたのは、紫式部が物語という形を介して、リアルな人間世界を描き出した。その視点に、当時の時代背景を超えるラディカルな問題意識が内包されていた。そこに読者が感動する根源があるということなのだろう。その一つの読み解き方がここにあるということだ。
「21世紀人のための、21世紀の源氏物語へとご案内します」(p24)のメッセージが末尾の文である。「21世紀のための源氏物語」というタイトルは、現在の若者層を直接的に読者ターゲットにした意味合いだと解る。コラムとして「マンガになった源氏物語」が論じられている。紫式部についての4コママンガが第Ⅲ部で4編併載されているのも頷ける。

 第Ⅰ部の「はじめての源氏物語」の総論解説は実にわかりやすい。たとえば、以下の論点などを含めて、論じられていく。
*『源氏物語』は、それまでの物語がオンナ子どもの慰み物だったことに対しオトナの物語に転換させた。失敗もする等身大の人間をリアルに描き出し、物語の可能性を切り開いた。
*『源氏物語』は、ほとんどいわゆる「不倫」の性愛を描き出していると断じる。その上で、「・・・男にとっては悲恋で、女にとっては虐待かもしれない・・・」(p33)という視点を持ち込む。
*源氏の選ぶ女は弱い立場の格下ばかりで、それは「作者が源氏に天皇のような暮らしをさせたかったからだ」(p35)と論じている点も、興味深い。
*著者は「現代的な視点で見れば」という立脚点を明確にした上で、『源氏物語』を論じている。その結果『源氏物語』に登場する男は、サイテー男ばかりという解説になる。
この視点からとらえればナルホドと思うところが多かった。

 「『源氏物語』超あらすじ」は、本当にざっくりと各帖の大筋がまとめられている。
これから『源氏物語』を読もうとする人には、ごく大括りでストーリー全体のイメージを形成できる。イラストや系図を挿入しながら、7ページであらすじがまとめられている。
まさに超あらすじである。

 「ものがたり世界を身体測定する」という文は、私にはタイトルに使われた「測定」という言葉の使用が今ひとつしっくりとしない。ただこの文の意図するところは興味深い。『源氏物語』に登場する女たちを、「メインの女君たち/ブスヒロインたち/肉欲の対象/奪われる女/八の宮三姉妹」という区分のもとに、具体的な身体描写がどのようになされているかを抽出して、論じている。『源氏物語』を通読しているが、こういう視点で突っ込んで考えたことがなかった。著者は、『源氏物語』の当時の「見る」という言葉のニュアンスを説明した上で、『源氏物語』の身体描写はセックス描写に近いと言う。
 さらに、「男たちを比較する」「似ない親子」「宇治十帖 二大貴公子の対照性」という見出しで、身体描写を論じていく。しっかりと論じられていておもしろかった。

 「源氏絵ギャラリー」は、Q&Aの形式で、源氏絵が解説されていく。取り上げられた源氏絵の名称を挙げておこう。一部または全部の大きな図版が掲載されている。
土佐光元筆≪紫式部石山詣図≫(宮内庁書陵部蔵)、≪車争図屏風≫(京都・仁和寺蔵)、狩野山楽筆≪車争図屏風≫(東京国立博物館蔵)、≪源氏物語絵巻≫(德川美術館蔵/五島美術舘蔵)、土佐光吉筆≪源氏物語画帖≫(京都国立博物館蔵)、伝花屋玉栄筆≪白描源氏物語絵巻≫(スペンサー・コレクション)、岩佐又兵衛筆≪野々宮図≫(出光美術館蔵)、山本春正文・絵≪絵入源氏物語≫(国文学研究資料館蔵)、≪盛安本源氏物語絵巻≫(スペンサー・コレクション)。

 源氏絵には女性が登場せず、全員男性が描かれたものもあるということを、ここで知った。≪源氏物語図屏風≫(今治市河野美術館蔵)である。「そもそも源氏絵制作の主体はほぼ男性のエリートたちでした。・・・彼らが『源氏物語』に象徴される古典古代の文化的力をいかに利用しようとしたか、その価値をどのように再配置したかという問題への視点が欠かせません。・・・・女嫌いの源氏絵が出現する背景には、そうした歴史的な文脈があるのです」(p77)という解説が加えられている。私には新たな視点となった。

 第Ⅲ部では、≪紫式部日記絵巻≫(国宝、五島美術館蔵)の一部と伊野孝行画の4コママンガを併載しつつ、「紫式部」という物語作家がどのようにして生まれたかが明らかにされていく。なお冒頭に、ここ数十年は紫式部の伝記研究は停滞期にあると述べられている。
 待望の皇子を産んだ中宮彰子が内裏に戻る際に、源氏物語の豪華装丁、豪華筆者による新写本を土産物にした望み、紫式部が総監督的な役割を果たし、写本作成の紙を初めとする材料を藤原道長が提供したことは知っていた。道長は喜んで協力していたものと理解していたのだが、著者によると真逆だったそうだ。「道長はこの企画そのものに賛成できなかったらしく、『物陰に隠れてこんな大層なことをしでかして』と紫式部を非難し、嫌味を言いつつ、中宮のためにやむなく協力していたとある。この作業用に道長が提供した硯まで、みな彰子が紫式部に与えてしまったことに憤慨しているようすも明らかである」(p92-93)こんなエピソードは初めて知った。新たな学び。この状況の見方がまた変わる。一方で、この豪華写本作成が、『源氏物語』の存在を確たるものにしたのは頷ける。
 「物語作者としての栄華の頂点で激しい疎外感に苛まれている紫式部がここにいるのである」(p93)という説明は印象的だった。
 『源氏物語』と紫式部の研究にも時代の波と変遷があることの一端がわかり、おもしろい。

 『源氏物語』への入門ガイドとしては読みやすい特集になっていると思う。
 やはり、『源氏物語』は様々な読み方ができるようで奥深い。だからこそ、時代を超えて読み継がれる古典たり得ているのだろう。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『源氏物語』  秋山 虔   岩波新書
『古典モノ語り』   山本淳子   笠間書院
『紫式部考 雲隠の深い意味』   柴井博四郎  信濃毎日新聞社
『源氏物語入門 [新版]』  池田亀鑑  現代教養文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版
                        2022年12月現在 11冊

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『源氏物語』  秋山 虔   岩波新書

2023-09-16 19:01:07 | 源氏物語関連
 著者が編者の一人である『源氏物語図典』(小学館)と『源氏物語必携事典』(角川書店)は、身近な書棚にあり事有るごとに参照してきている。掲題の本は何時購入したのか記憶がないほど以前から、本箱に眠っていた。奥書を見ると、1968年1月に第1版が刊行され、手許の本は1994年6月第39刷である。源氏物語関連ではロングセラーの1冊だろう。調べてみると、著者は2015年11月に91歳で逝去されていた。合掌。

 本書は、源氏物語全帖の概説を主軸にしながら、1967年当時までの学会における源氏物語研究の成果や論点を踏まえて、研究者視点での論点提示と読み解きが加えられている。第1版が出版されてから、55年の歳月が経過しているので、研究者視点の論点を含め、本書はもはや准古典的な書になっているかもしれない。しかし、瀬戸内寂聽訳『源氏物語』を通読し、その後で本書をやっと読んだ一読者としては、論点も含め新鮮な思いで興味深く読めた。

 本書構成のご紹介に併せて、読後感想を記してみる。
<Ⅰ 光源氏像の誕生>
 「光源氏の不足ない資性は、いわばその生存の根本的な不安を前提として惜しげもなく与えられたものである」(p7)という箇所で、まずナルホドと感じた。それだからこそ、あの長編を書けたとも言えるなと。その続きの「かれは物語の世界に敷設された宮廷社会の現実と、深くあいわたる人間として真実性をはらんでいる」という指摘は頷ける。
 賜姓源氏についての歴史的意義の説明は役に立った。

<Ⅱ いわゆる成立論をめぐって>
 翻訳版源氏物語を通読している時にほとんど考えていなかったことの一つは、源氏物語の構成である。鈴木日出男編『源氏物語ハンドブック』(三省堂)で、全五十四帖が大きくは三部構成になっているというのを知っていたくらいだった。ストーリーの組立として、第一部(「桐壺」~「藤裏葉」)において、紫上系と玉鬘系という二系列が存在することや、執筆の順序がどうだったかなど、源氏物語成立論が仔細に論じられていることを本書で知った。論議の経緯がわかっておもしろい。半世紀が過ぎた現在、学会レベルでは定説ができているのだろうか?

<Ⅲ 宿命のうらおもて>
 著者は、「桐壺」巻から始め、光源氏の宿運が実現していく道程に着目して大筋をまず解説する。この道程に直接関わらない巻は後回しにしていく。「須磨」巻の光源氏26歳の春までの光源氏の道程が浮彫にされる。後読みなので通読時のおさらいをしている気分になる。

<Ⅳ 権勢家光源氏とその展開>
 「澪標」巻、光源氏28歳の冬から、34歳の秋の六条院造営まで。光源氏が権勢家へと顕著な変貌を遂げる様に焦点があてられる。光源氏の後宮政策のたくみさをここで再認識した次第。著者は清水好子氏の論文を踏まえ、「絵合」巻では紫式部が、天徳内裏歌合を念頭において、物語を書いている点に触れている。
 紫上が光源氏の意図にそって物語上に登場してくる。その描写が「現実感にみちた物語の世界の進行からは浮き上がらざるをえない」(p63)という側面を指摘している。一方で、「紫上は、あらゆる場合に、さまざまの段階において、あるべき理想性を発揮すべく枠づけられていたからである」(p63-64)と評しているところが興味深い。
 六条院の造営が、光源氏の超絶した能力の証となる。

<Ⅴ 別伝の巻々の世界>
 Ⅲで後回しにされた「帚木」から「夕顔」巻へのつながりが別伝として持つ意味を著者は考察する。「夕顔」巻が「その中心部に三輪山式説話の型にそうている面が顕著である。また宇多天皇と京極御息所とが河原院で左大臣源融の霊におそわれたという、江談抄が伝える怪異談も下敷になっているらしい」(p77)と指摘する。そして、「皇子であり左大臣家の婿であるという息ぐるしい身分から、軽やかに解き放たれ、一個の女そのものと純粋な愛をもって相対しうる男でありうるという意味をもっているのであろう」(p77) と解釈している点が興味深い。通読しているとき、そんな見方を考えてもいなかった。
 「蓬生」巻の末摘花、「関屋」巻の空蝉、「澪標」巻の明石君の意味を語る。
 「初音」「胡蝶」「蛍」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」と連なる巻々が、光源氏36歳の1年をこきざみに描き出している。著者は「自然と人為とが相互に媒介して織りなされる季節の秩序の、それ自体完結した美しさ」(p81)を指摘している。
 光源氏の年齢で全く触れない空隙もあれば、一方で多くの巻を費やして1年というスパンを濃密に描くという時間軸の取り上げ方があることを再認識した。ここらあたりも、源氏物語のおもしろさかもしれない。
 この後、著者は玉鬘に光を当てて論じて行く。玉鬘十帖と称されるストーリーの流れである。光源氏と玉鬘との関わり方。玉鬘十帖について研究者の諸説を紹介し論じているところに関心が向く。いろいろな論点があるものだ・・・・と。

<Ⅵ 紫式部と源氏物語>
 「源氏物語は、なぜ紫式部によってかかれたのだろうか」という一文から始まる。この問いかけから始まるところがまずおもしろい。
 左大臣冬嗣から始まる「紫式部略系図(尊卑分脈による)」が載っていて参考になる。
 なぜという問いに対する著者の考察は本章をお読みいただきたい。
 2点だけ覚書を兼ね、引用しておこう。
*実人生で受動的に生かされる立場から、能動的に生きよみがえる術法としてこの虚構世界が造り成されたのである。  p106
*紫式部が、物語の創作とは別にこのような物語論を語りうる場はなかった。物語の世界で光源氏の玉鬘へのたわむれ言をきっかけにして、・・・・そのようなものとしてのみこの物語論が語られえたことの意味は深長である。 p113

<Ⅶ 「若菜」巻の世界と方法>
 「若菜」巻だけが、上、下と二帖になっている。著者の説明によれば、源氏物語全体の10%という長大な分量を占めるという。上下はほぼ等分量。上巻のほぼ4分の1が、明石関係の内容に割かれていると説明する。著者は、「明石君および明石一族に托する作者の問題意識には、きわめてしつこいものがある」(p130)とその点に着目している。
 「若菜 上」巻は、第2部の始まりとなり、女三宮の降嫁問題が光源氏に突きつけられてくる。それが、紫上、明石君と光源氏の関係性に新たな展開をもたらす。
 女楽の条の描写と紫上の発病が、光源氏の世界の崩壊への道となる。その状況分析が読者にとってわかりやすい。

<Ⅷ 光源氏的世界の終焉>
 「柏木」巻から「幻」巻に至る物語の展開が論じられていく。柏木の死、女三宮の出産、そして紫上の死。光源氏の世界が終焉を迎えるまでの経緯を明らかにする。
 「夕霧」巻の位置づけと、第二部の各巻がどの順に書き継がれたかという研究者視点の論議が取り上げられている。この点もまた通読していて全く意識していなかったことなので、興味深い。

<Ⅸ 結婚拒否の倫理>
 いよいよ第三部に入る。「匂宮」巻から「宿木」巻にかけての物語が概説される。その主題は、父八宮の訓育を受けた長女大君の結婚拒否の倫理とそれを基盤とした心理描写を中心に、薫と匂宮の競い合いと心理のプロセスが分析されていく。そして、その渦中で翻弄される中君の存在。
 著者は「作者の筆が自在に躍動し、そこに作者の精神が全的にに移転しうる世界を掘り起こすことができた」(p171)と評価する。「いかにも新しい、時代の浄土教ムードに適合した恋物語が開始した](p175)とすら記す。
 「宇治十帖が書かれる頭初、浮舟の登場ということは作者の構想のなかに無かったことである」(p191)と論じているところが興味深い。

<Ⅹ 死と救済>
 「東屋」巻に着目し、「宮廷的貴族的な世界の伝統的価値基準をもっては測りきることのできぬ人間関係のひしめく世界}(p195)を登場させることを背景に、浮舟が描き出されていく。著者は浮舟の登場、彼女の自主性を奪い、その運命を翻弄し、死に追い込んで行くプロセスと後の救済を概略する。そこには、「水も洩らさぬ緻密さをもって仕組まれた客観的情勢の矛盾がそのまま彼女の運命をもつむいでいくのである」(p205)と著者は読み解いている。
 浮舟を自殺行為に走らせ、その後の顛末を描くという展開に対して、著者は記す。
「彼女を地獄に送ることに堪えなかった作者は、彼女をしてなお生きることを課した。死なねばならぬほどの不幸な人生から解かれて救われる道はないか。この課題を、作者は浮舟に、というより、浮舟を死に導いた自己に課したのであった」(p206-207)と。
 
 ⅨとⅩは、源氏物語の第三部を掘り下げて読む恰好のガイドとなるように思う。

 半世紀前に書かれた源氏物語の概説書。当時の研究者たちの問題意識と論点も垣間見えてくる。源氏物語解釈の広がりは奥が深いと感じさせる。未だ色褪せることなく源氏物語への誘いとなる一冊である。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
玉鬘十帖  :ウィキペディア
 
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『古典モノ語り』   山本淳子   笠間書院
『紫式部考 雲隠の深い意味』   柴井博四郎  信濃毎日新聞社
『源氏物語入門 [新版]』  池田亀鑑  現代教養文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 11冊


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