遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『チェーン・ディザスターズ』   高嶋哲夫   集英社

2025-03-06 18:54:36 | 高嶋哲夫
 ごく近未来に自然災害が連鎖的に発生する状況を科学的にシミュレーションし、その予測状況とその災害連鎖に対処する政府と民間人の活動を描きあげたフィクションである。想像力をわきたたせ、リアルに直近未来を感じさせるところにこの小説の醍醐味がある。

 本書は、2024年11月に書下ろし単行本が刊行された。
 目次の裏面ページに、「2024年10月現在の、最新の研究をもとにしておりますが、災害の設定はあくまで著者によってシミュレーションされたものです。また、実在の地名・施設等が登場しますが、実際とは異なる描き方がされている場合があります」と付記されている。

 202X年に、チェーン・ディザスターズが起こる。
、7月18日。午後2時18分。 東海地震・東南海地震が連動して発生。
   愛知県沖30キロの海溝で、マグニチュード9.2の巨大地震が起こる。
   神奈川から紀伊半島までの太平洋岸約200km。最大震度7。20mを超える津波。
 その4日後。南海地震が起こる。
   室戸岬沖10キロで地震発生。高知震度7、和歌山震度6強。25mの津波。
   この時点で、半割れ状態で起こった南海トラフ巨大地震がすべて出そろう。
   太平洋岸の都市はほぼ全滅;横浜・静岡・名古屋・大阪・徳島・高知
 日数経過後、午後2時12分、東京で首都直下型地震が起こる。
   東京震度7、横浜市震度6、さいたま市震度6強、千葉市震度6強
 日数経過後、台風8号が日本本土に接近し、日本列島を襲来する。
   台風の進路:高知南部をかすめ~紀伊半島~名古屋~東京~太平洋に抜ける
   中心気圧910ヘクトパスカル、平均風速62m、大雨を伴う
 日数経過後、午前9時26分、富士山頂上付近で噴火。
   富士山近辺の市町村に、まず噴火警戒レベル最高の5が発表される。
 日数経過後、午後1時25分。静岡で地震が起こる。マグニチュード4.5
静岡市震度5強、東京震度5弱。富士山の噴火に起因する地震。
 
 この小説に描かれる202X年の半年余りの期間に起こったチェーン・ディザスターズの発生経緯を抽出してみた。
 南海トラフ大地震、首都直下型地震、巨大台風、富士山噴火、これらが連鎖して起こったら、日本はどうなるのか?
 この小説は、この事態に取り組む状況をシミュレーションして、描き出す。

 第1の危機時点で、環境大臣の早乙女美来(サオトメミク)が名古屋市に赴き、被災状況を視察するところから始まる。早乙女美来は、高知を地盤とする二世議員。視察の過程で、ボランティアで避難所を運営する利根崎高志(トネザキタカシ)を知る。半導体設計のベンチャー企業、資本金50億円の「ネクスト・アース」のCEOで36歳。彼は避難所を運営するだけでなく、県にノートパソコン100台と非常用発電機20台、インターネット方式による災害のためのソフトウェアを無償で提供していた。
 南海トラフ大地震が起こる前から、民間人の観点で、利根崎は自社の非常事態対応体制を構築する一方で、災害発生を想定した準備を整えていた。早乙女は彼のスタンスを知るとともに、実際の活動状況と行動力を知る。それが利根崎との関わりの始まりとなる。

 首都直下型地震が起こり、長瀬総理他多数の閣僚や議員において、死亡・重傷・入院等の事態が発生。国会の機能は停止状態。早乙女は総理より防災大臣となることを託される。環境大臣としての経験すら浅い早乙女が、視察体験をベースに、政府の指令塔として連鎖していく災害に対する対策に立ち向かっていく。早乙女の意志と行動がこのストーリーの実質的な始まりとなる。
 そして、早乙女の立場はステップアップしていく。
 ここから先は、本書を開けていただきたい。
 
 南海トラフ大地震については新聞やテレビの報道で、研究結果から想定される災害規模、数値データなどを見聞してきてきている。しかし、抽象的な理解から一歩踏み込んだ状況、全体像のリアルな想像にはなかなか深まらない。それぞれの災害事象の想定を見聞しても、それが短期間にまさに連鎖して発生するという複合的事態をトータルでイメージするのは難しい。総合して想像するには及ばなかった。
 本作は、まさにそれをシミュレーションして、具体的な災害の事態を描き込んでいく。悲惨な災害状況が全体像としてリアルにイメージしやすくなってくる。災害規模の数値データを、被災者視点の状況として捉えられた描写が具体的に重ねられることにより、リアルさが増していく。本作はまさにイメージ具象化の一助となる。

 本作のテーマは、チエーン・ディザスターズが起こった状況下で、人々の命を護る。これ以上死傷者を増やさない。建物などは壊れても人さえ生き残れば修理と再建はできる(p124-125)。正しい決断は多くの命を救う(p168)ということにあると受け止めた。
 副次的テーマは、チエーン・ディザスターズのシミュレーション予測の現実妥当性を追求することになるのだろう。

 利根崎の視点からという形で、いくつか問題提起が書き込まれている。この点はまさに南海トラフ大地震の発生確率が高いと予想される現実世界で、どれだけ実際に考慮され、対策の準備がなされているかを問いかけてみたくなる箇所でもある。
*個人情報保護は大災害時には関係ない。優先すべきは人命だ。  p24
*災害は各地にある様々な被害をもたらしている。その被害は地域によって違うんだ。政府の最大の過ちは、すべてを東京目線で考え、日本全国に一律にそれを押し付けようとすることだ。  p30
*政府は常に(想定が:私的補足)甘すぎる。災害は常に複合的だ。  p106

 このシミュレーション小説を読んでいて、現実世界で気になる事項がいくつか出てきた。次の諸点について、対策・リスク管理ができているのだろうか・・・・・・。
・災害に対するソフトウェア関連
  非常事態下における個人情報の取り扱い・開示の基準
  被災者確認情報の通信ソフト;個人のスマホとリンクして通信できるレベルのもの
  避難所の運営ソフト
   これについては、次の会話文が出て来る。
   <政府にも避難所運営システムがあるでしょ。前防災大臣が1年かけて作った。
   費用はたしか16億円。現在、被災地の多くで使ってる。評判は最低だけど。
   災害を知らない者が作った最低のソフトだって>  p38
<現場では使い勝手が悪いって評判ね。現場を無視したソフトだって> p38
   この会話に相当するような事実があるのだろうか。フィクションだとするなら、
   この局面にはどのような対策システムが準備されているのか。
  医薬品を含む災害支援物資の配送・配給システム
・通信塔や通信設備が破壊された状況下での緊急対応システム・通信網の確立
・非常用電源車などの緊急電源設備の準備・配備
・首都直下型地震により、国会議員の相当数が死去・入院している場合の国会運営
 不勉強で知らないが、現行法には既に規定があるのだろうか。
・自然災害連鎖発生のもとでの自衛隊の活用範囲と想定準備

 ケーススタディを読んでいる気にもさせる直近未来SF小説である。
 本作にはこの国の現実を知るための材料がいっぱい詰まっている気がする。

 本書の末尾に、文庫本として『M8』『TSUNAMI 津波』『東京大洪水』『富士山噴火』が著者の災害関連書籍として出版されている告知ページがある。時折気になりながら、文庫入手後に積読本になっていることを再認識した。遅ればせながら順次読み継いでいき、逆に本作との関連を意識してみたいと思っている。

 ご一読ありがとうございます。


補遺  少し調べてみた。リストにまとめておきたい。
南海トラフ巨大地震編 シミュレーション編(3分03秒)    :「内閣府」
南海トラフ地震で想定される震度や津波の高さ  :「気象庁」 
南海トラフ地震特設ページ  :「大阪管区気象台」  
南海トラフ巨大地震に備えて 「ゆっくりすべり」を検知する「ひずみ計」が延岡市北方町に設置           :「mrt」
南海トラフ巨大地震   :ウィキペディア
首都直下地震の被害想定(概要)   :「防災情報のページ」(内閣府)   
いつ起きてもおかしくない首都直下型地震から命をどう守るのか【専門家解説】
                  :「東洋大学」
大地震はいつ来る?   :「東京都耐震ポータルサイト」
地震       トップニュースが1からわかる  :「NHK」
震度7 何が?  トップニュースが1からわかる  :「NHK」
富士山ハザアードマップについて  :「防災情報のページ」(内閣府)
富士山の噴火史について   :「富士市」
富士山噴火の可能性とリスク 災害手帳  :「YAHOO! JAPAN 天気・災害」
富士山噴火シミュレーション「前回宝永噴火から300年 いつ噴火してもおかしくない」   
                        YouTube
「富士山噴火」で何が起きる…!? 最新調査でわかってきた富士山の「本当の姿」
      サイエンスZERO  :「NHK」
富士山は噴火する? 被害の範囲や噴火の歴史を紹介 :「防災ニッポン」(讀賣新聞)

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『パルウィルス』   角川春樹事務所

「遊心逍遙記」に掲載した<高嶋哲夫>作品の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在
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『憧れ写楽』   谷津矢車   文藝春秋

2025-02-24 17:31:31 | 諸作家作品
 蔦屋重三郎をどのように描き出すのかという興味から、NHKの大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」を見ている。この蔦重が写楽の絵を世に送り出した。蔦重と写楽はいわばセットである。
 先日、このタイトルが目に止まった。勿論、手が出る。両者に関心があるので・・・・。

 本書は、2024年11月に単行本が刊行された。書下ろし作品。

 本書のタイトルにまず着目しよう。タイトルにはルビが振られている。標題では意識的にタイトルに付記されたルビを外した。このタイトルを遠目で見た時、最初に「憧れ」に目が止まり「あこがれ」と読んでいた。手に取ってみると、背表紙の「憧れ」には「あくが」とルビが振られている。表紙には、「憧れ」と「写楽」の間に、「あくがれしゃらく」と小さくルビが振られている。

 『新明解国語辞典 第5版』(三省堂)を引くと、「あこがれる/憧れる」は載っている。「(自下一)(「あくがる」の変化)①理想的な存在とする所の者に心が強く惹かれ、会って見たい、近づきになりたいと切に望む。②理想的な生活環境を実現しているものとして、自分も早くそれにあやかりたい(そこに行って見たいと思う。)」と説明。「あくがれる」は載っていない。
 「あくがる」は古語なのだ。『学研全訳古語辞典 改訂第二版』を引くと、「あくがる/憧る」が載っている。「自動詞・ラ下二。①心が体から離れてさまよう。うわの空になる。②どこともなく出歩く。さまよう。③心が離れる。疎遠になる」と説明している。
 大辞典レベルになると、さすがに両語が載っている。手元の『日本語大辞典』(講談社)を引くと、「あこがれる/憧れる」は、「(下一自)心をひかれる。思いをよせる。むねをこがす。あくがれる」と説明し、一方「あくがる/憧る」は、「古語(下二自)①物事に心をひかれて、ふらふら歩く。②心ひかれて、落ち着かなくなる。思いこがれる」と説明する。

 遠回りな書き出しになったが、「あくがれ」と読ませることで、写楽を対象とする二つの意味合いをはっきりと重ねている。その上で、写楽に迫って行くという構造なのだ。これは読みながら理解したこと。

 本作では、この「あくがる/憧る」は、鶴屋喜右衛門が蔦屋重三郎の口から零れた言葉として聞き取り、要領を得なかった言葉なので、山東京伝に尋ねてみたという文脈で出て来る。その時、京伝は西行法師の歌を引用して説明する。ここに由来する。(p89)
  あくがるる心はさても山桜 散りなんのちや身に帰るべき

 本作の本筋は、写楽自身を描くストーリーではなくて、「もう一人」の写楽、「ほんもの」の写楽を探すというプロセスにある。写楽探しのミステリー小説に仕立てられているおもしろさにある。
 時代設定は、寛政8年の「夏」「秋」「冬」にかけて。その冬に遂に「真相」が解明されるという4セクションで構成される。各セクションの後には、「ある記憶」という回想がパラレルに進行していく。壱、弐、参、四という具合に。このパラレル・ストーリーとして記憶を語るのが蔦重なのだ。
 「終 寛政10年3月」が最後の閉めとなる。喜右衛門と京伝の会話の場面で終わる。
 その会話で地本問屋の喜右衛門は「ようやく、手前は写楽から足を洗えます」(p266)と京伝に語る。喜右衛門の思いは深い。

 メイン・ストーリーに入ろう。こちらに本書のタイトルが直接的に繋がっている、
 「あくがる」には、2つの意味合いがある点を巧妙に構造化していく。現在の私たちが普通に使っている「心をひかれる。思いをよせる」という意味合い。上記の「どこともなく出歩く。さまよう」という意味合い。これが写楽に関わる。

 御三卿田安家の家臣を務める唐衣橘州が、写楽の絵を愛好し、寛政6年5月の興行を写した大首絵、特に「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」に心ひかれていた。この絵を肉筆画として描いて欲しいという思いを抱いていた。

 「写楽の役者絵は、寛政6年5月興行分、同7・8月興行分、同11・閏11月興行分、寛政7年正月興行分に大別でき、熱心な贔屓ほど寛政6年5月興行分の絵を好むきらいがある」(p10)つまり、唐衣橘州その人も、その類の贔屓だということに。

 唐衣橘州の要望を引き受けたのは、鶴屋喜右衛門。彼は日本橋近くの通油町の一角に店を構える仙鶴堂という江戸では老舗の地本問屋の主人。唐衣橘州は狂歌作者でもあり、著作者として、喜右衛門とは関わりがあった。
 松平定信の寛政の改革を経る過程で、仙鶴堂では学術書や実用書という物の本を商う比率が高くなり、浮世絵や戯作という華やかな色合いの地本を商う比率が下がり、低迷している状態だった。地本問屋として、喜右衛門は内心忸怩たる思いを抱いていた。
 喜右衛門が橘州の所望を引き受けたのは、勿論、写楽の素性は斎藤十郎兵衛との噂を聞き知っていたからである。八丁堀地蔵橋に住む阿波蜂須賀公抱えの猿楽師だと。
 喜右衛門は斎藤十郎兵衛を訪れ、橘州所望の肉筆画を描くことを依頼した。だが、かなりの時日が過ぎた後、その思惑は頓挫する。
 斎藤は写楽として絵を描いたのは事実だが、自分が描いていない役者絵で写楽名の作品が6名あると白状したのだ。その一人の絵が「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」だった。

 喜右衛門は、橘州の要望を叶えるために、本物の写楽探しをしなければならない状況に追い込まれる。勿論、本物の写楽を突き止められれば、耕書堂蔦屋重三郎とは別に、地本問屋として、新たに仕事を依頼するという思惑、算段が内心にあった。
 喜右衛門は、本物の写楽を求めて、「あくがる」ことに・・・・。つまり、写楽探しに江戸をさまよい、あちらこちらと出歩く仕儀となる。
 勿論、いくら地本問屋の主といえど、己一人で探せるわけがない。
 たまたま、いつものように、だしぬけに仙鶴堂を訪ねてきた喜多川歌麿に、事情を説明すると、歌麿は興味を持ち協力をすると言う。ここから本物の写楽探しがは決まっていく。ここから喜右衛門と歌麿による聞き込み調査と推理が積み重ねられていく。まさにミステリー小説となる。

 目次の次の内表紙には、写楽の役者絵が「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」を筆頭に6枚挿画とし描かれている。

 誰に聞き込みをするかが興味深い。される側の名前を列挙してみよう。
 曲亭馬琴、十偏舎一九、北斎宗里、大田南畝、市川蝦蔵、河原崎座の河原崎権之助、二代目中村仲蔵、山東京伝、市川男女蔵、谷村虎蔵、四代目岩井半四郎、二代目小佐川常世、内田米棠、歌川豊国、斎藤十郎兵衛、藤一宗らである。
 浮世絵好き、芝居好き、戯作好きには惹かれる有名人が登場し、応答する流れとなる。
 喜右衛門は地本問屋の寄り合いの折に、蔦屋重三郎には斎藤十郎兵衛に絵の仕事を依頼していると伝えてはいた。だが、本物の写楽探しをしているという噂を耳にした蔦重は、写楽探しを無意味なもととして、喜右衛門の前に立ちはだかる者として要所要所で現れてくる。勿論、読者にとっては、興味津々の度合いがエスカレートしていく要因になる。

 蛇足になるが、著者が本作において、「憧れ」という語句を使用している箇所で、通読していて気づいた箇所を明記しておこう。見過ごしがあるかもしれないが・・・・。
     p75、p89、p181、p215、p241、p251、p252 である。

 最後に、喜右衛門と蔦重の思いが記されていて、印象深い箇所を引用しておきたい。
 まずは鶴屋喜右衛門の思いから:
*世の中に向き合う仕事でもあるのは百も承知です。でもね、あたしたち版元が、面白いもの、学びになるもの、綺麗なもの、すごいものを作ることから目を背けちゃいけない。最近、そう考えるようになりました。   p169
 面白いものを企んで作るのが、版元の本義だって言いたいだけですよ。・・・手前ら版元は、面白いもんで世の中の横っ面を叩かなくちゃならないんですよ。今、この瞬間(とき)だって。   p170 → 寛政の改革、倹約令の余波・影響がある時点
*斎藤も、本物の写楽も、勝川春章が源流にあった。-----同じ絵師に私淑していたのだ。しかし、あり方はまったく違う。斎藤は無邪気に元絵を写し、本物の写楽は元絵の先にあるものを描こうとした。善し悪しはないが-----この違いは途轍もなく大きい。 p205
*才は花だ。盛りがあり、終わりの日がやってくる。
 版元とは、花の盛りを捉えて花卉を摘み、並べ売る仕事なのかもしれない。
 古い花は心底で咲かせ、新たな花の糧とするべきだったのだ。  p206

 次に蔦屋重三郎の思い: この箇所、大河ドラマの蔦重に通じているように感じる。
*一等前を走る人間は自分の手綱を緩めることが出来るんです。でも、誰かに追随する人間は、やることが極端になる。なぜなら、手綱を自分ではなく、他の人に委ねているからです。   p136
*沢山作り、大いに売る。そうすることで、江戸をーーーーー世の中を変える。    p260

 著者は、本作により、写楽二人説という仮説を提示した。
 さらに、なぜ写楽の作品が上記の期間に限定せざるを得なかったのかにも、大胆な仮説を提示したことになる。
 写楽の役者絵のいくつかについて、その読み解き方を仮設の一部として取り込んでいるところに斬新さを感じた。それは状況設定のフィクションと絡んでいることなのかもしれないが、おもしろい発想と思う。

 幾人もの作家が、写楽を題材とした作品を発表している。ここに、新たな仮説が提示されたと言える。東洲斎写楽、一層おもしろくなったと言える。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
東洲斎写楽  :ウィキペディア
東洲斎写楽の生涯  :「刀剣ワールド浮世絵」
浮世絵史上最大のミステリー!謎の絵師・東洲斎写楽ってどんな人? 
          :「北斎今昔」(アダチ版画研究所)
勝川春章   :ウィキペディア
鶴屋喜右衛門 :ウィキペディア
蔦屋重三郎  :ウィキペディア
山東京伝   :ウィキペディア
江戸三座役者似顔絵  :「e國寶」
【AROUND蔦重】⑰ナゾの絵師、東洲斎写楽――蔦重、大いに売り出す:「美術展ナビ」
役者絵(歌舞伎絵)の画像  :「刀剣ワールド浮世絵」
蔦屋重三郎の記事   :「美術展ナビ」

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こちらの本も読後印象を書いています。「遊心逍遥記」に掲載。
お読みいただけるとうれしいです。
『安土唐獅子画狂伝 狩野永徳』  徳間書店
『三人孫市』 中央公論新社
『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』 Gakken 
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『板上に咲く MUNAKATA: Beyond Van Gogh』  原田マハ   幻冬舎

2025-02-23 13:05:35 | 原田マハ
 木版画を型破りな芸術創造の世界に広げていった棟方志功。その棟方志功とチヤの出逢いから結婚、そしてこの夫婦の人生遍歴、棟方志功が「板画」の世界を築くまでの遍歴を描く。アート&夫婦愛小説ととらえた。

 本書は、2024年3月に単行本が刊行された。
 本署の末尾に、「本書はオーディブルオリジナル作品です。本作は史実に基づいたフィクションです」と記されている。

 本書のタイトルにまず着目しよう。「板上に咲く」は、棟方志功の目指した芸術世界を表象する。「絵バカ」と揶揄されてきた棟方志功が雑誌『白樺』に掲載されたゴッホの絵を見て、「----- ワぁゴッホになる --------ッ!!」(p81)と雄叫びをあげる。ゴッホを目指し、油絵に邁進するが、己の道は木版画にあると見定める。絵画より一段格下と見られていた木版画の世界。そこから革新的な創作で「板画」の世界を構築し、芸術活動領域を創造して行ったのだ。
 一方、英語表記のフレーズは、ゴッホになることを目指した志功が、「ゴッホを超えて、とうとう、世界の『ムナカタ』になったんです」(p253)という側面をとらえている。2つの側面を併せた全体が本書のタイトルなのか。和文が本書のタイトルで、本書を翻訳書にするとしたら、タイトルはこの英文表記だということなのか。この点がまずおもしろい。私には、主タイトル・副題という関係ではないなという読後印象が残る。

 本作は、その構成が入れ子構造、かつ編年記風の形でおもしろい。序章は1987年(昭和62年)10月、東京の杉並で、棟方チヤが新聞記者のインタビューを受けるという場面。この時点で、夫の棟方志功は、12年前に亡くなっている。インタビューに触発されて、チヤの回想が始まる。チヤの視点からの語り。夫・棟方志功が「板画」の世界を築いていく様、志功とチヤの出逢いから夫婦のあり様、家族の姿、志功と子供との関わりを回顧していく。

 本作は、序章の後、時間軸を期間区分する形でストーリーが進展していく。その年代区分の人生ステージで語られる内容をキーフレーズにして添えてみる。

 1928年(昭和3年)10月 青森 ~ 1929年(昭和4年)9月 弘前
  看護婦を目指すチヤ。古藤正雄との出会い、弘前での偶然の再会。公開ラブレター。
 1930年(昭和5年) 5月 青森 ~ 1932年(昭和7年)6月 東京 中野
  志功の生い立ちとゴッホになるという目標。志功・チヤの結婚。結婚即別居生活。
 
 1932年(昭和7年) 9月 東京 中野 ~ 1933年(昭和8年)12月 青森
  チヤは子連れで上京。志功の友人・画家松木満史宅での親子居候生活。チヤの帰郷。
 
 1934年(昭和9年) 3月 東京 中野
  再上京。松木宅近隣で借家生活。志功は「版画絵巻」の創作を目指す。

 1936年(昭和11年)4月 東京 中野
  <大和し美し>(版画絵巻)を出展応募。柳宗悦・濱田庄司との関わりの始まり。

 1937年(昭和12年)4月 東京 中野 ~ 1939年(昭和14年)5月 東京 中野
  志功の版画制作:<華厳譜>、<開闢譜東北経版画屏風>、<勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅>
          <二菩薩釈迦十大弟子>
  「いまわかった。
   版画こそが、あの人なのだと」(p210)

 1944年(昭和19年)5月 東京 代々木 ~ 1945年(昭和20年)5月 富山 福光
民藝運動同人・水谷良一氏旧家を借家しての生活。富山県の福光へ疎開。
  東京の空襲と版木

 終章 1987年(昭和62年)10月 東京 杉並
  「あのとき、もしも・・・」の回想。サンパウロ・ビエンナーレ。
  ヴェネチア・ヴィエンナーレ。ゴッホの墓へ。

 本作により、棟方志功の芸術家としての希求と邁進奮闘、その遍歴の凡そを知ることができる。棟方志功の一途の想いと努力、彼に秘められた才能が、柳宗悦はじめ、民藝運動に関わる人々の知遇を得、彼らのサポートを得ることに連鎖する。棟方志功が板画と称した新しい版画の世界を築いていったプロセすである。つまりアート小説。

 著者は棟方志功が制作に臨む姿を、妻チヤの目を介して、次のように語っている。長くなるが引用したい。
「いったい何がどうなって棟方の中の創作意欲に火がつくのか。すぐそばにいながら、そして制作の様子を目の当たりにしながら、チヤにはどうしてもそこがわからなかった。知りたい気持ちがなくはなかったが、とにかく一度火がついてしまえばあとは一気に仕上げる。大作に取りかかるときはいつもそうだった。ただし、その場の思いつきでウワーッと描き上げるのではない。事前に題材についてつぶさに調査し、数えきれないほどの下絵を描き、構図を練り、試し描きをして、綿密な下ごしらえをする。そうこうしているうちに震動が始まり、次第に地鳴りが高鳴って、ついに噴火するのだ」(p205)


 この小説で、私は次の箇所で心響く思いがした。本作に自然に没入していき、感極まるという形に引き込まれてしまう。本作は、棟方志功とチヤの夫婦愛を描いているんだと感じる。次の会話である。本作を読み進めないと、この会話の感触は伝えにくいと思う。その感触を味わうための誘いにしてほしい。

「私は子供たちと一緒に、どうにか生き延びます。だから、おメさもどうかご無事で。この先も、何があっても、どうか・・・・・・どうか創り続けてください。版画とともに生き抜いてください。それが。私の・・・・・・棟方志功の妻だった私の、たったひとつの願いです。」                            (p244)
「チヤ子。おメ。何年ワぁと夫婦やってるんだ?」
くすっと笑って、棟方がささやいた。
「ったく、わがんねのか? ワぁの命にも等しいもんは版木では、ね。・・・・・おメだ」
                            (p133)

 もう一つ、チヤが己の仕事として、日々深夜に墨を磨る。それを「棟方墨製造工場」(p175)と位置付けている箇所がある。チヤ無くして、「世界のムナカタ」は生まれなかったのだ!! 

 一気に読み通してしまった。
 ご一読ありがとうございます。


補遺
原田マハ『板上に咲く』特設ページ  :「幻冬舎」
最新刊『板上に咲く』インタビュー vol. 1  :「マハの展示室」
    ほかに、vol. 2 vol. 3 も掲載あり。
棟方志功作品 (10点掲載) :「日本民藝館」
棟方志功記念館  ホームページ  
   棟方志功年譜
   2024年3月31日閉館 → 青森県立美術館内で新たな取り組みを開始
         2025年1月2日のお知らせ :二菩薩釈迦十大弟子 掲載
青森県立美術館 ホームページ
  棟方志功  勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅、花矢の柵 と 八甲田山麓図(油彩)掲載
棟方志功 賜願の柵 付記:このページに、棟方の絵仲間小野忠明の記述あり
棟方志功記念館「愛染苑」「鯉雨画斎」 :「とやま観光ナビ」
福光美術館  ホームページ  富山県南砺市
  棟方志功
美尼羅牟頌板画柵 4図 [テキスト: F.W. ニーチェ 訳:生田長江]:「大原美術館」
流離抄板画柵 :「大原美術館」
華厳譜  :「アサヒグループ大山崎山荘美術館」
「再生」への祈りは時空を超えて…棟方志功が大作に込めた思い 2021/10/29
    東北経鬼門譜         :「讀賣新聞オンライン」
棟方志功の作品「東北経鬼門譜」の版画120枚保存へ 南砺市 2024.7.17:「NHK」
美術館だより 2014.2.21~3.23 棟方志功生誕110年記念  :「福井県立美術館」
ふるさと歴史館47「棟方志功 作品のモデル」   YouTube
生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ 2023年11月 :「美術展ナビ」
  《二菩薩釈迦十大弟子》《大和し美し》の画像掲載
日本を代表する板画家「棟方志功」の代表作5選とその価値について  :「日晃堂」
松木満史 「ラ・リューヌ」(油彩画、麻布)  :「青森県立郷土館」
松木満史が描き続けたテーマ「馬」に関する考察 中村理香 青森県立郷土館研究紀要

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『芸術新潮 2024 4 特集 原田マハのポスト印象派物語』 新潮社
『おいしい水』  原田マハ  伊庭靖子画  岩波書店
『奇跡の人』    双葉文庫
『20 CONTACTS 消えない星々との短い接触』  幻冬舎
『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著  原田マハ 翻訳  幻冬舎

「遊心逍遙記」に掲載した<原田マハ>作品の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 16冊

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『白い謀殺』   門田泰明   徳間文庫

2025-02-21 00:39:43 | 諸作家作品
 先日来、青森県下の某病院内で発生した患者間殺人の隠蔽事件が報じられている。報道を読み、隠蔽行為に愕然とする。隠蔽に到る経緯と事実の究明はこれから進展するのだろう。医療業界での隠蔽行為もここまで広がるか・・・・そんな思い。

 さて、先日久しぶりに著者の小説を読んだ。読後のブログ記事を書き始める遥か前に著者のシリーズものを愛読していた。本書はいわば、医療ホラー小説とも呼べそうな、医療業界におけるおぞましい、恐ろしい局面を想定したフィクション。短編連作集である。

 長らく積読本にしていたのを読み終えた後、しばらくして冒頭の事件報道を目にした。この短編連作集の内容、単なる絵空事ではないかも・・・・と改めて感じさせる。事実は小説より奇なり、とも言われるから、医療業界の闇は恐ろしく深いのかもしれない。

 本書は、1981年11月に『謀殺病棟』(広済堂出版)と題して刊行され、1984年3月、標記の改題で文庫化された。

 本書には5つの短編が収録されている。医療という人間の命を扱う領域において、医療法人のトップや医師が己の金銭欲につき動かされ、あるいは大病院という組織内での地位・名誉欲に魅入られる局面が、テーマとなったフィクションである。隠蔽という要素を強固に組み入れれば・・・・起こりうる事象と感じさせるところがホラーである。
 各編について、読後印象を含めて、簡略にご紹介する。

< 金のなる病棟 >
 京都・嵯峨野の大覚寺に近い青山邸で、善道会総合病院の運営会議が行われる。総合病院の基礎を築いた理事長・青山宗次郎は7年前に脳卒中を起こし、病床にある。青山夫人紫津が理事長を継承している。宗次郎の前で病院運営の御前会議が行われ、紫津が会議を主導する。善道会は京都府医師会を完全に制圧するほどの勢力を持つようになっていた。 紫津は、志賀正彦を最高責任者としてOC班という入院患者数確保活動部隊を運用した。病院内の老人センターの病床を埋める老人患者獲得を主体に、手段を問わず目標数の患者を確保させる方法をとった。一方で、紫津は全国に総合病院を展開する計画を抱き、その為に手段として密かに株の買い占めを推進していた。そのためにも、総合病院の効率的な病棟運営は必須条件だった。
 志賀の幼い一人娘奈美は、急性リンパ性白血病で、当病院の小児科病棟に入院している。志賀にとっては、愛娘が唯一の生きがいであり、一方で無意識の枷にもなっていた。
 だが、OC班の活動と紫津の計画は、ほころび始めることに・・・・・・・。
治療行為が心理操作の手段に使われるという恐怖。それが絡められていく。
 それぞれの局面での手段が悪因となり、連鎖していく顛末が読ませどころとなる一編。

< 白き悪魔の館 >
 朝吹コンツェルンの総帥で、その中核となる世界的な弱電メーカー、亜細亜電機の代表取締役会長、朝吹権兵衛は、わが国で最大級と言われる企業内病院、亜細亜総合病院で診断を受けた後、トップ人事についての最重要な会議に臨む。朝吹・貝堂体制を終焉させ、経営者の若返りを図るとして、己の息子・一郎に社長を継承させる構想を発表した。発表した直後に、決議以前の段階で朝吹権兵衛は倒れ、騒然となる。院長・富永信州の執刀で総勢7名の手術団が、胃癌手術に臨む。
 そこから、コンツェッルン内のトップ人事について、密かな対立・確執、裏工作が蠢き出す。人事問題は、役員人事に留まらず、亜細亜総合病院のトップ人事にも波及していく。
 手術を無事終了し、特別病室で療養に専念する朝吹権兵衛の許に息子の一郎が訪れた時、権兵衛は矢庭に両手で虚空をつかみ「ガアッ」と叫ぶという症状を起こした。院長は出張中で不在。関根副院長が対応処置をとる。
 事態は新たな局面に入って行く。後の精密検査で、脳腫瘍が発見された・・・・・。
 一方、長年の朝吹・貝堂体制は、思わぬ副産物を生み出し、密かに継続していた。
 この短編、医学領域でのSF的発想と、社会における起こりがちな泥臭い人間関係が巧妙に組み合わされていて、おもしろい。権力への欲求が人を変える。あり得るだろうなと思う。

< 遺体生産病院 >
 この短編には、次の一文がテーマの底流にある。
 「充分な解剖体を持っているのは、東大、阪大、京大、金沢大などの一流校に限られており、新設の私立医大になるほど、解剖体の不足は深刻の度を増していた」(p132)
 冒頭に記したように、この短編は1981(昭和56)年以前に執筆されている。令和時代の現在、解剖体の供給という裏事情はどうなのだろうか。ふと、その点が気になった。
 主人公は、鬼面坂老人総合病院を経営する院長の烏丸弁重郎。彼は、病院の敷地内に、県の福祉協力施設の指定を受け、「鬼面坂老人ホーム・清鈴荘」を別に経営し、主に身寄りのない老人を収容している。県とのタイアップであり、老人ホームの運営資金のほとんどは協力金という名目で、清鈴荘に支給される関係を維持している。
 烏丸は洛陽医大の第一期生だった。母校を訪れ、学長と面談した時に、解剖体不足の件で相談を受け、協力すると約束した。
 この短編は、金銭欲の旺盛な烏丸院長が何を企んだかの顛末譚である。
 このストーリーは途中から、用務員として病院に勤めることになった加藤善作の視点で進展していく。
 私の想像だが、この短編のは、読者がパート2を想像して、顛末のシナリオを描けるスタイルではないか。この短編の終わり方がおもしろい。

< 白衣の殺人鬼 >
 神奈川県厚木市郊外の高台に建つ、6階建てでベッド数県下最大の富士産婦人科病院が舞台。理事長・北見早太郎は医者ではないが病院経営に特異な能力を発揮する。院長は妻の北見千津子。彼女は国立大学の医学部を卒業後、ドイツに留学した優秀な女医。院長をがっちりと支えるのは彼女と同い年の副院長・黒井高男。患者はこの三人を御三家と呼ぶ。
 <金の力で医者たちを抑える>のが、北見理事長のやり方だった。医師たちは他の病院と比較して、高級で処遇されることにより、要求される医療行為に従う風土が出来ている。理事長は時価2億円の超音波断層装置の導入という投資を行った。病棟増築工事代の負債が残り、滞納している状況下で、病院への信用を強固にするために、超音波断層装置の導入という逆手戦法を取った。
 そして、その装置の操作を自分が担当すると言い出した。
 この短編、勿論創作当時の医療機器の科学技術水準を前提としている。理事長は、この装置の操作をするという役割から、意図的に一歩を踏み出して、写し出された映像判定に関わって行く。このストーリーの怖さは、ここから始まる。
 この短編のタイトルに「殺人鬼」が使われている。実に象徴的なネーミングだと感じた。

< 白い復讐 >
 ブラジル政府専用機に便乗し、羽田空港に着陸した対日通商使節団一行と共に、東都医大消化器外科の浅川英雄助教授が帰国した。学長はじめ幾人かの教授が彼を出迎えた。一方、空港内の気づかれないような位置から、青山礼子が浅川の帰国を確認していた。礼子は、東都医大寄生虫研究所という、人目に触れない職場で、主任研究員として、寄生虫学を研究する女医である。
 このストーリー、高校1年生だった礼子が、東都医大の学生主催によるダンスパーティに参加した時、4回生だった浅川と知りあい、その夜、浅川に凌辱されたことが発端となっている。タイトルにある通り、女医青山礼子が復讐に踏み切るというストーリーである。
 青山は己の研究領域で修得した知識と技術を手段として巧妙に利用する周到な計画を実行する。この行動自体がいわばホラーである。だが、さらに礼子のシナリオにはなかった想定外の事態が連鎖的に発生した・・・・・・。
 エンディングの余韻は複雑!!

 昭和の時代の末期にフィクションとして創作された短編連作。だが、今、令和の時代においても、絵空事とは断言できない側面が医療の領域にありはしないか。それこそ、ホラーになりかねない尻尾が、形を変えて今も闇に潜んでいないか。そんな余韻が残る。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
解剖体委員会  :「日本解剖学会」
人体解剖学実習を終えて  :「東京科学大学」
献体にご協力ください   :「山梨大学」
献体について  :「三重大学大学院医学系研究科 発生再生医学研究分野」 
公益財団法人 日本篤志献体協会 ホームページ
Anatomage Table 革命的な解剖学教材   :「Anatomage」
Q:CTとはどんな装置? :「キャノンメディカルシステムズ株式会社」
CT装置を扱うのに必要な資格とは?   :「医療機器情報ナビ」
公益財団法人 目黒寄生虫館 ホームページ

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『新版図解 江戸の間取り 百万都市を俯瞰する』  安藤優一郎  彩画社

2025-02-17 16:25:18 | 歴史関連
 坂岡真の鬼役シリーズを読み継いでいる。その中に江戸城本丸の間取り図の一部が掲載されている。江戸城全体の間取り図・縄張り図に関心を持ち始めていた。一方、NHKの大河ドラマ「べらぼう」が蔦重を題材にしているので見始めて、遊郭吉原の間取り図にも関心を持つようになってきた。
 タイミングよく、本書のタイトルが目に止まった次第。パラパラと眺めると、「第一章 江戸城の間取り」。「第三章 町人地の間取り」の末尾には、吉原の項もある。ということで、本書を読んでみた。

 各章には基本的な最小限度の知識の説明があり、代表例となる間取り図を載せて、その間取りについて説明がなされている。図解を中心に据えた解説本。江戸時代を扱う時代小説を読むのに便利な参照資料となる。

 本書は、2024年5月に単行本が刊行されている。
 奥書によれば、本書は『百万都市を俯瞰する 江戸の間取り』『図解 江戸の間取り』を元に、作成されたという。故に「新版」を冠している。(先行書については知らない。)

 江戸について、本書で最も基本的なことを学んだ。
 今、拙文を読んでいただいている方は次の諸点をご存じだっただろうか。
*江戸は武家地が約70%、町人地と寺社地がそれぞれ約15%ずつだった。
*江戸が百万都市に成長する転機は明暦の大火(1657年)。この時から防火対策として都市の拡張事業が始まった。
*1713(正徳3)年に町数が江戸八百八町を超える。
*1745(延享2)年に人口50万人を超えた。
 私には、江戸時代について、一歩踏み込む参照本になった。

 本書は間取り図を主軸に、背景となる基礎知識は最小限に抑えつつ、解説されているので、まず読みやすい。感想を含めつつ、どのような間取り図が掲載されているか、全体構成とともに、列挙してご紹介しよう。

< 第一章 江戸城の間取り >
江戸城が皇居となった明治の時点では、江戸城内部の面積は堀を含めて、306,760坪。東京ドーム21個分以上にあたるとか。それは、家康が幕府を開いた後、江戸城を「天下普請」と称して、拡張工事を進めて行った結果である。
 江戸城内郭図。江戸城天守の間取り図(1607~1609頃)。本丸御殿表【将軍の応接間】の間取り図(1844)。本丸御殿・中奥の間取り図(1844)。江戸城本丸の全体図。本丸御殿大奥の間取り。御年寄の部屋の間取り図(1845)。
 面白いと思ったのは、将軍が政務を行うのは本丸中奥の「御座之間」が主体。中奥に入れたのは側用人、御側衆、御小姓衆、御小納戸衆、奥医師位に限定されていた。老中等幕府の政務を執る官僚群は本丸表が仕事場。老中でさえ、中奥には入れない。お側衆をして案件を取り次がせたのだという。側用人が実質的な権力を握れたことにナルホド!である。本丸中奥と大奥の間には、「銅塀(あかがねべい)」という仕切り塀があったとか。
 大奥に出入りするのは、原則として将軍だけ。
 とは言えど、大奥には、「広敷向」という区域があり、そこは実務上、事務・警護の男性役人が職務時間中に詰める空間だった。そこは逆に女人禁制となっていた。
 大奥の三分の二の面積を占める「長局向」が側室も含めた奥女中たちの住居で、多い時は奥女中が1000人近く居住し、住み込み勤務の奥女中たちは部屋ごとに自炊していたという。煮炊き・給仕・水汲みなどの下働きの女性も住み込みで働くことになるので、大奥に居住する女性の数が多くなるのもうなずける。
 
< 第二章 武家地の間取り >
 武家地の過半は「大名屋敷」で、その土地は幕府が大名の在府中の居住場所として下賜した。大名に土地所有権はなく、幕府の命令で予告なく取り上げられることもあったそうである。だから、明治政府は諸大名屋敷の土地の接収がしやすかったのだろうなと思った。
 この下賜も当初は大盤振る舞い、後には土地不足で拝領地に一定の基準-「高坪」(石高による基準)、「格坪/並坪」(役職による基準)-を設定するようになったとか。
 「幕臣屋敷」には「旗本」と「御家人」の区分があり、その格差はかなり大きい。それと、「幕府の用地」(官有地)がある。
 福井藩上屋敷の間取り図。尾張藩麹町中屋敷の間取り図(1716~1736)。尾張藩戸山屋敷の間取り図(1751~1764)。浜御庭【将軍の庭】の間取り図。六義園【大和郡山藩の庭園】の間取り図。後楽園【水戸藩の庭園】の間取り図。吉良上野介(上級旗本)の屋敷の間取り図。武井善八郎(中級旗本)の屋敷の間取り図。山本政恒(御家人)の屋敷の間取り図。与力谷村猪十郎の屋敷の間取り図(1837)。南町奉行所の間取り図(1810)。小伝馬町牢屋敷の間取り図(江戸時代後期)。人足寄場の間取り図(1790)。小石川養生所の間取り図(1835)。医学館の間取り図。
 おもしろいと思ったのは、旗本・御家人は、下賜された屋敷内に貸家を設け、町人などに貸すという土地活用が普通の経済活動として公認されていたという点である。
 禄高400石の旗本で「鬼平」こと、火付盗賊改の長谷川平蔵の本所の屋敷でも、屋敷内に町人などを住まわせ地代収入を得ていたという。

< 第三章 町人地の間取り >
 江戸の町内の俯瞰図。三井越後屋江戸本店の間取り図。裏長屋の間取り図。表店と裏長屋の俯瞰図。割長屋と棟割長屋の違い。木戸番・自身番の間取り図。自身番拡大図。湯屋の間取り図。堺町の芝居町の間取り図。元吉原の間取り図。新吉原の間取り図。
 これだけの間取り図と引用されている浮世絵を参考にすると、江戸庶民どのような住まい事情の下で日常生活をしていたがかなりイメージしやすくなる。時代劇映画に登場する裏長屋のシーンがなるほどとなる。かなり時代考証はちゃんとされているのだ。

< 第四章 寺社地の間取り >
 増上寺・寛永寺が徳川将軍家の二大霊廟になった背景話がさらりと述べられている箇所もあり興味深い。天台宗と浄土宗にまたがっている。その例外は徳川慶喜。本人の意志で神式葬儀を望んだので、両寺とは無縁。江戸時代に「葬儀のみならず法事の際に香典料や回向料などの名目で莫大な金が落ち続けたから」(p113)という説明が納得でき、かつ面白い。
 増上寺の鳥瞰図。増上寺の将軍家霊廟。寛永寺の境内図。浅草寺の間取り図。日枝神社(山王権現)周辺の俯瞰図。成田山新勝寺の開帳小屋の間取り図(1806)。
 江戸時代に出開帳ということがかなり行われていたということは知っていたが、開帳小屋が設けられていたことやその間取り図などを初めて知った。江戸の庶民は本格的なイベント会場の出現に、手軽に行ける場所として、信仰がらみもあり詰めかけたのだろうなと感じる。
 浅草寺の雷門や仲見世通りは、テレビの報道などで比較的目にしているが、「境内全体で何と169体もの神仏が祀られていた」(p114)という説明を読み、びっくり。これは知らなかった。「境内に祀られている多数の神仏は、浅草寺の図抜けた集客力の源泉となっていた」(p115-116)という説明にうなずける。これなら、毎日が縁日になっても不思議ではなさそう・・・・・。

< 第五章 江戸郊外地の間取り >
 江戸郊外地の代表例は、江戸四宿と呼ばれた宿場町。東海道品川宿、甲州道中内藤新宿、中山道板橋宿、日光・欧州道中千住宿である。
 品川宿本陣の間取り図。品川宿の街並み。千人同心組頭の屋敷の間取り図。豪農・吉野家の屋敷の間取り図。
 歌川広重筆「東海道五十三次 品川宿」の錦絵は幾度も見ているが、その街並みが具体的にどうだったのか、その街並み図が部分図として載っていて興味深い。ある時点で、品川宿には、「品川宿などは飯盛女と呼ばれた女性が働く飯盛旅籠が93軒、飯盛女が置かれていなかった旅籠屋も19軒あった」(p132)、「水茶屋64軒、煮売り屋44軒、餅菓子屋16軒、蕎麦屋9軒」(p133)を含んでいたそうだ。
 江戸から約40km離れた甲州道中八王子宿周辺に「八王子千人同心」という江戸の警護役が居たということを本書で初めて知った。普段は上層農民として働く武士が存在したという。北海道の屯田兵を連想した。

 江戸時代について、間取りという観点から、人々の生活実態に想像を広げられる一冊である。間取り図を知ることで、江戸時時代小説を読むとき、描写場面に連なる空間環境の奥行きを具体的に広げる一助となるように思う。本書は気軽に楽しめ、江戸を知れる一冊である。

 ご一読ありがとうございます。
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