遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『散華 紫式部の生涯』 上・下巻  杉本苑子  中公文庫

2024-06-19 22:06:58 | 諸作家作品
 千年余を越え現在も読み継がれ、諸外国語で翻訳版も出版され続ける『源氏物語』という畢生の大作を生み出し、『紫式部日記』『紫式部集』を残した通称紫式部。その紫式部はどのような人生を過ごしたのか。生年も没年も不詳。わずかの著書と断片的な史資料を踏まえて、なぜ、『源氏物語』が執筆されたのか、その経緯を中核に紫式部の生涯を描ききった小説である。
 本作は、『婦人公論』(昭和61年3月号~平成2年1月号)に連載として発表された。その後、1991(平成3)年2月に単行本が刊行され、1994年1月に文庫化された。冒頭のカバー表紙はこの文庫版のもの。そのカバー画は加山又造作で、上巻「夜桜」(部分)、下巻「朧」(部分)が使われている。かなり以前に入手していた文庫版を読み終えた。
 調べてみると、2023年9月に、カバーをイラストに変更した新装版文庫が刊行されている。

 本作で紫式部は小市という名で描かれていく。姉は大市。播磨国飾磨の市の日に生まれたので大市と名付けられた。紫式部は二女として生まれたことから小市の名が付いたとする。父の藤原為時の赴任先、播磨の国府で、三人目の子、薬師麿を生んだ後、産をこじらせて母が播磨で亡くなる。父為時は任務を終え、子供らと共に帰京。為時には周防と称する妹が居て、この周防が兄の子供らの世話を引き受ける。
 周防が小市と薬師麿を伴い、粟田口から日岡の街道経由で来栖野にある宮道列子の墳墓や勧修寺を訪ねる場面からストーリーが始まる。往路、日岡の街道で、裸で虚死(ソラジニ)していた男が強盗を働く様子を偶然に目撃した。周防等はこの強盗と勧修寺の回廊で出くわすことになる。同行していた薬師麿の乳母が、この男を今評判の袴垂かと推察した。男は藤原保輔と名乗り、その場を去る。この出会いが後々への一筋の伏線となっていくところがおもしろい。
 余談だが、最近平安時代を背景としたいくつかの著者を異にする小説を読み継いできて、袴垂れの保輔がいずれにも出てくる状況に出くわした。当時名を馳せた実在のいわゆる義賊だったようである。
 
 ここから始まる上巻は、当時の社会的状況と貴族社会の勢力関係などの背景を巧みに織り込んでいく。『蜻蛉日記』を介して藤原一門の状況が語られ、強盗の横行と魔火(放火)が頻繁に発生していた状況が明らかになる。円融帝が退位、花山天皇が新帝となるが、麗ノ女御と呼ばれた忯子の死が契機となり、藤原道兼の唆しに乗り花山天皇が出家する。花山天皇が東宮だった時に小市の父・為時は学問の相手として関わりを得、花山帝の政庁発足で式部丞に補されたのだが、この事態はたちまち為時に失職という影響を及ぼす。一方、姉の大市は、花山帝側近の一人となった権中納言義懐の想われ人として見出されていた。それが姉の人生を変える結果となる。
 花山帝出家、一条帝が7歳で践祚し、一条天皇の時代となる。それは息子たちを使い、政略謀略により一条帝の外祖父となった藤原兼家一族の時代、藤原摂関家の時代の始まりである。まずは兼家謳歌の時代。だが、そこから一族内部の兄弟間の熾烈な権力闘争に進展していく。まず長男道隆が摂関家を継承。道隆の娘・定子が一条帝に入内する。しかし、道隆は疫病で没し、二男道兼は「七日関白」で終わる。道隆同様に赤班瘡(アカモガサ)で没した。道長の時代へと移る。道隆の子息の伊周(コレチカ)と隆家(タカイエ)は、史上でいわれる「中ノ関白家事件」で転落していくことに・・・・。
 上巻では、左大臣になった道長の時代のもとで、小市の父・為時が当初淡路の国司への除目が、越前の国司に変替えを通達されるところまでが描かれる。

 ここまでの時間軸で興味深いと思った点がある。
1. この段階では、小市は己の生きている時代を、己の目と耳で見聞する観察者の立場にいる。父を含め、周囲の人々から社会の情勢、貴族社会内部の人間関係や権力闘争、政治の状況について情報を吸収する立場である。貴族社会内の格差を実感する。過去のことは、身近にある書物から知識を蓄える。小市が情報を己にインプットしていく状況を描いていると言える。そのプロセスで小市は己の見方を徐々に培い始める。
 たとえば、小市の意識を著者は次のように記している。姉の大市の生き方に絡んで、
「美しいものはこころよい。花でも鳥でも虹でも星でも、美しいものが世の中を潤す力ははかりしれないが、人間--ことに女が生きる上で、外貌の美醜が幸・不幸を分ける重大な決めてとなっている点が、小市には釈然としないのだ。(女の仕合わせとは何か、不仕合わせとはどういうことか)」   p340
そして、姉の生き方を(わたしには耐えられないわ)と己の立ち位置を自覚する。

2. 現在進行中のNHKの大河ドラマのフィクションとは大きな構想上での差異点があっておもしろい。
 1) 小市の母の死についての設定が全く違う。
 2) 父為時の越前国司受任時点までに、小市と藤原道長との人間関係は発生しない。
 3) 同様にこの時点までで小市が清少納言との間で親交を深める機会は描かれない。
  ただし、伯父・為頼の息子伊祐が清原元輔の家を訪ねる際に、小市が同行する。
  そこで、御簾を介して、小市が清少納言に古今集に載る清原深養父の歌17首を誦
  しきる場面が描いている。 上巻・p174-176
 4) 逆に、小市は姉大市が女房務めをしていた昌子皇后の御所に同様に幼女の頃から
  仕えている御許丸との関係が生まれ、織り込まれて行く。御許丸とは後の和泉式部
  である。著者は、御許丸の歌に、小市が「わが家は詩歌の家すじ・・・・・・せめて生き
  た証を、その伝統の中で輝かしたい」と触発される場面を描く。 p446
 5) 藤原宣孝が為時の家に頻繁に訪れ、小市と対話するのは双方で同様。
同じ史実をベースに踏まえても、状況設定が大きく異なり、それが成り立っているのが、フィクションのおもしろさといえるだろう。

 下巻は、小市が同行し、為時が越前国司として赴任地に出立する場面から始まる。往路の状況。越前国府での小市の心境。為頼伯父の病臥という通知を潮に小市は帰京。宣孝との結婚に至る紆余曲折。賢子誕生と宣孝の死。中宮定子に対抗する形での道長の娘彰子の入内。『枕草子』の評判。「光る源氏 輝く日ノ宮」の書き始め。小市の出仕とその直後の顛末。道長呪詛事件と道長の宮廷への布石。小市が中宮彰子出産の記録を担当。和泉式部の出仕と「宇治十帖」執筆。彰子の人格的成長(人形から賢后へ)。小市の晩年。という進展により、紫式部の後半の生涯が描き出されていく。
 大河ドラマがこの後どのように進展するのかは知らないが・・・・・。
 このストーリーでは、小市が宣孝と結婚して、女として体験する様々な側面、その感情と思いを著者は書き込んで行く。この期間は短いけれどもこの小市の結婚生活での心理的体験、女心の変転する機微が多分『源氏物語』の人物描写の中に反映していく、いわば創作の肥やしとなっていくのだろう。
 小市が土御門第に居た彰子のもとに年末に出仕したが、その直後に自宅に戻ってしまった。その時の原因を著者は道長の関わりとして描く。それを、恵み、通過儀礼の側面としている。当時の時代背景を踏まえると、立場によりその行為がいかように解釈できるかという描写となり、実に興味深い。この体験が、小市にとり『源氏物語』創作の肥やしになるのだろう。道長の立場での解釈を、小市が推察する記述が下巻のp318に明確に記述されている。その前に、小市の立場からの反射的判断が描き込まれているのはもちろんである。さらに視点を変えた解釈も小市が考えていく。多面的思考が盛り込まれていて興味深い。なるほど・・・である。

 四十余年の歳月を経た時点で「近ごろ小市を苦しめつつある索莫とした心情」として、著者は小市が自己省察する内容を明確に記している。これは著者が捕らえた紫式部像とも言えるだろう。長くなるが引用する。 
”もともと小市は、内省的な性格に生まれついていた。頭がよく、洞察力もあるため他人への批判はきびしい。口に出しては言わないけれど、見る目はなかなか辛辣だし、相手の欠点や短所を抉るのに手加減しなかった。
 しかもその目が、他人ばかりでなく、自分自身にも同じ鋭さ、容赦のなさで注がれているところに、小市の気質の不幸な特色があった。おのれに甘く人に辛いなら、まだしも救われる。相手を悪者にしてのければ気分は安まり、解き放たれもするのに、「まちがっているには相手、自分は正当」と思いこめる自己本位な楽天性が、小市にはない。
 人から蒙る不快、苦痛、恨みや憤りも、煎じつめてゆくと結局、自身に回帰してくる。原因をおのれに求めるという出口のない、息ぐるしい形に至り着いてしまう。それでなくても、よろこびの実感は常に淡く、あべこべに、悲しいこと口惜しいこと情けないことつらいことは記憶の襞に深く刻みつけて、容易に忘れないたちだった。
 誇りを傷つけられる無念には敏感に反応したし、何びとにも犯させない矜持と自我を、頑なまでに守り通しながら、まったくうらはらな弱さ脆さ、おのれへの嫌悪感、愧じの意識に苛まれるという二律背反の矛盾の中で、重荷さながらな生を、曳きずり曳きずり生きてきた四十余年の歳月なのである”  p398
 
 小市が『宇治十帖』を書き継いだ理由、心情の底にあるものも著者は記している。これは本書を読んでいただきたい。

 さらに、「それはすでに、小市の--紫式部の『源氏物語』ではなく、その読み手自身の『源氏物語』なのである」と記す。p416
 その後に、こう述べている。「作者は自分のために書き、自分の好みにのみ、合わせるほかないのだ」(p416)と。これは著者自身の自作に対する思いでもあると感じる。

 著者は「あとがき」に、「本質的には現代人と変わらぬ生き身の人間として、登場人物を描くことにつとめた」と記している。
 大長編小説だが、読みごたえがある。紫式部という存在が、ちょっと身近に感じられる小説だ。

 ご一読ありがとうございます。

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