二条城に幾度か訪れている。タイトルに目がとまったとき、「寛永文化」という語句と「Living History in」という横文字にまず関心を抱いた。そこで読んでみることに。
「はじめに」に「Living History」とはプロジェクトだと説明されている。日本の文化財を保存するだけではなくて、「生かす」動きのためのプロジェクトの一つだそうである。令和元年(2019)から、二条城の生きた歴史を感じるための取り組みを始めたとのことで、その試みをまとめたのがこの本という。
目次をまずご紹介すると、イメージが少し湧くかもしれない。
プロローグ 寛永は日本文化の故郷
第一章 寛永行幸への日々 - 進められた綿密な計画
第二章 寛永行幸 - 二条城が煌めく五日間
第三章 寛永文化とその継承 - 広がり・交わり・リバイバル
エピローグ 寛永の薫り漂う二条城と京都めぐり
日本史の歴史区分として江戸時代が始まった後、いわゆる「大阪冬の陣」の戦争が終わって初めて徳川幕府の下での平和の時代が始まった。平和の時代に文化が花開く。その最初が「寛永の文化」である。歴史年表で「寛永」という時代は知っていても、「元禄の文化」などから比べると、殆ど意識していなかった。
プロローグでは、寛永時代の特徴をまず摘出している。「型」ができ、諸芸道の大衆化が進んだ時代であること。その結果、武家、公家、牢人、町衆という身分をこえた交流が大小様々なサロンとして発生したという。「どんな人でも型を覚えればできる遊芸の文化が、寛永時代にはじまります」(p11)と。さらに、寛永文化はその後に、時代の要素を加えつつ、何回もリバイバルしてきているという。
「寛永文化を花開かせた人々」というタイトルの<人物相関図>(p12-13)と「寛永文化のキーパーソンたち」(p14-16)がまとめてあるのが便利である。
二条城は訪れていたものの、徳川家が京都の居城として今の二条城を築いたこと。しかし、そこを居城として使うことは殆どなかった。「大政奉還」の舞台として使われたという史実。探訪の印象はさすがに贅を尽くした二の丸御殿だということ。その程度の認識で、建物の内部装飾と庭園に関心を寄せていた程度にとどまる。
二条城はどのような役割を担ったのか。徳川幕府は事前に綿密な計画を持ち、その展望のもとで二条城をPR効果の大きい舞台として使ったと、本書で知ることになった。二条城を中核として、様々な事象が一つに結びついた。結果として「寛永の文化」が花開いたという。ナルホドである。
二代将軍徳川秀忠の女・和子(まさこ、東福門院)が1620(元和6)年に後水尾天皇に入内する。幕府が朝廷と姻戚関係を結ぶことで、両者の緊張関係は軟化し、妥協が成立する。そして、後水尾天皇が二条城を訪れるというビッグ・イベントが周到に計画されていく。その準備のプロセスが第一章で説き明かされていく。
二条城は1601(慶長6)年に徳川家康の造営命令で、大名普請として築城され、1603年には完成していた。そして、天皇を迎えるに相応しい城への大改修が行われる。小堀遠州ら4人の作事奉行と、京都大工頭・中井正侶ら棟梁が指揮して一大普請が行われたという。このときに「行幸御殿」が建てられたとか。場所は二の丸御殿の南西方向である。このことを本書で初めて知ることに。「二条御城中絵図」が載っている。
現存する建物だけでは、どんな景色だったのか想像できない。そういう視点で西側の二の丸庭園を眺めたことも無かった。二の丸庭園は、「二の丸御殿」と「行幸御殿」の双方からの観賞に堪える庭に作庭されているそうだ。作庭をしたのが小堀遠州である。庭の見方が変化すること間違いがない。
二の丸御殿の障壁画を担当したのは御用絵師集団・狩野派。それを率いたのが当時20代だった狩野探幽。ここでの成果、つまり障壁画が、江戸時代の絵のスタンダードを導くことになるとか。それまでの障壁画に描かれていた金雲や霞というフレームワークは排除され、絵を直接見る時代への転換点となったそうである。ご存知でしたか?
私はこの転換の契機が狩野探幽であること、寛永の文化がその始まりということを知らなかった。
勿論、それは絵師に新しい描画法の課題を突きつけることになる。画面構成にごまかしがきかない。センスが要求されるようにもなる。
そして、後水尾天皇が中宮和子を伴って二条城に行幸する。それが「二条城が煌めく5日間」である。逆に言えば、この5日間の大イベントのために、「行幸御殿」が建築されたのだ。この行幸御殿をCGで再現してほしいものだ。
第二章は「寛永行幸」の実際の内容について解き明かす。徳川家が威信をかけて後水尾天皇を饗応したプロセスについて解説していく。
「二条城行幸図屏風」(泉屋博古館蔵)があるという。天皇と将軍の大パレード図である。勿論その行幸風景を京都の町衆は眺めたことだろう。それは徳川の威信を知らしめ、平和の到来を実感させる場にもなっただろう。それが伝播されることこそ狙いだったのかもしれない。
この行列の絵解き、儀式料理の解説、歌会や猿楽(能)の内容など、その饗応の状況が解説されている。さらに、障壁画に加え、室礼としての座敷飾りが行幸に対する眩い艶やかな空間を演出したという。
徳川家から天皇並びに中宮和子への膨大な進物の記録も載っていておもしろい。例えば、将軍家光は天皇への進物7項目の一つとして「白銀三万両」を贈っている。併せて大御所秀忠は、進物6項目の一つとして「黄金二千両」を贈っているそうである。
秀吉は「聚楽第行幸」を実現させた。しかし、猿楽興行はしていないとか。
「江戸時代、猿楽は幕府の式楽とされました。家康、秀忠、家光の三代までは、伏見城で将軍宣下を受け、二条城で公家や大名を集めて猿楽を興行しています。戦国の頃からお祝いがあると猿楽を催しているんです。ただ儀式に必ず付くようになるのは、寛永の頃からです」(p46)という。
第三章では、寛永文化の華とその後の継承がジャンル毎に解説されていく。寛永文化を起点にして、文化の広がり、人々の交わり、リバイバルの大凡が把握できて興味深い。ここで解説されているジャンルとキーワードをご紹介しておきたい。
茶の湯 近世的茶道への展開 小堀遠州・金森宗和・千宗旦 伝統文化へ進展
花 立花の大成 生花の展開 立花会 池坊専好
書 寛永の三筆(本阿弥光悦、近衛信尹、松花堂昭乗) 定家様のリバイバル
画 狩野探幽 俵屋宗達 松花堂昭乗
建築 社寺の復興 数寄屋建築の芽ばえ 安定した優美さ 装飾性 桂離宮
陶芸 小堀遠州の「かたち」 唐物屋 金森宗和と御室焼 尾形乾山と尾形光琳
きもの 寛永小袖 「表」世界と「奥」世界の服装 町人女性が作り出す流行
書物 書物の印刷・出版 版木 書物の商品化と書店 嵯峨本
香道 中宮和子と香道 米川常白 盤物(盤立物)
エピローグでは、寛永文化以来の伝統を守り伝える担い手たち、「あの日の二条城」の体感、京都で寛永文化を味わえるスポットの簡潔な紹介が行われている。
最後に、「寛永をめぐる京都MAP」と「二条城関連年表」が掲載されている。
二条城を訪れる時、事前にこの本を読んでおくと、楽しみが倍加することと思う。現存する二条城を楽しむ上では、第一章がストレートに有益である。本書を携えて行くのも良いかもしれない。
ご一読ありがとうございます。
補遺 ネット検索範囲での情報を一覧にしておきたい。
世界遺産 元離宮二条城 ホームページ
観光モデルコース
二条城 :ウィキペディア
後水尾天皇 :ウィキペディア
徳川和子 :ウィキペディア
徳川和子の入内 :「京都市上京区」
皇后・徳川和子がお手本!江戸時代も大人気だったセレブファッションを『雛形本』で探る! :「warakuweb」
寛永文化 国史大事典 :「ジャパンナレッジ」
特講2.寛永文化 :「日本史のとびら」
寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽 :「SUNTORY サントリー美術館」
「はじめに」に「Living History」とはプロジェクトだと説明されている。日本の文化財を保存するだけではなくて、「生かす」動きのためのプロジェクトの一つだそうである。令和元年(2019)から、二条城の生きた歴史を感じるための取り組みを始めたとのことで、その試みをまとめたのがこの本という。
目次をまずご紹介すると、イメージが少し湧くかもしれない。
プロローグ 寛永は日本文化の故郷
第一章 寛永行幸への日々 - 進められた綿密な計画
第二章 寛永行幸 - 二条城が煌めく五日間
第三章 寛永文化とその継承 - 広がり・交わり・リバイバル
エピローグ 寛永の薫り漂う二条城と京都めぐり
日本史の歴史区分として江戸時代が始まった後、いわゆる「大阪冬の陣」の戦争が終わって初めて徳川幕府の下での平和の時代が始まった。平和の時代に文化が花開く。その最初が「寛永の文化」である。歴史年表で「寛永」という時代は知っていても、「元禄の文化」などから比べると、殆ど意識していなかった。
プロローグでは、寛永時代の特徴をまず摘出している。「型」ができ、諸芸道の大衆化が進んだ時代であること。その結果、武家、公家、牢人、町衆という身分をこえた交流が大小様々なサロンとして発生したという。「どんな人でも型を覚えればできる遊芸の文化が、寛永時代にはじまります」(p11)と。さらに、寛永文化はその後に、時代の要素を加えつつ、何回もリバイバルしてきているという。
「寛永文化を花開かせた人々」というタイトルの<人物相関図>(p12-13)と「寛永文化のキーパーソンたち」(p14-16)がまとめてあるのが便利である。
二条城は訪れていたものの、徳川家が京都の居城として今の二条城を築いたこと。しかし、そこを居城として使うことは殆どなかった。「大政奉還」の舞台として使われたという史実。探訪の印象はさすがに贅を尽くした二の丸御殿だということ。その程度の認識で、建物の内部装飾と庭園に関心を寄せていた程度にとどまる。
二条城はどのような役割を担ったのか。徳川幕府は事前に綿密な計画を持ち、その展望のもとで二条城をPR効果の大きい舞台として使ったと、本書で知ることになった。二条城を中核として、様々な事象が一つに結びついた。結果として「寛永の文化」が花開いたという。ナルホドである。
二代将軍徳川秀忠の女・和子(まさこ、東福門院)が1620(元和6)年に後水尾天皇に入内する。幕府が朝廷と姻戚関係を結ぶことで、両者の緊張関係は軟化し、妥協が成立する。そして、後水尾天皇が二条城を訪れるというビッグ・イベントが周到に計画されていく。その準備のプロセスが第一章で説き明かされていく。
二条城は1601(慶長6)年に徳川家康の造営命令で、大名普請として築城され、1603年には完成していた。そして、天皇を迎えるに相応しい城への大改修が行われる。小堀遠州ら4人の作事奉行と、京都大工頭・中井正侶ら棟梁が指揮して一大普請が行われたという。このときに「行幸御殿」が建てられたとか。場所は二の丸御殿の南西方向である。このことを本書で初めて知ることに。「二条御城中絵図」が載っている。
現存する建物だけでは、どんな景色だったのか想像できない。そういう視点で西側の二の丸庭園を眺めたことも無かった。二の丸庭園は、「二の丸御殿」と「行幸御殿」の双方からの観賞に堪える庭に作庭されているそうだ。作庭をしたのが小堀遠州である。庭の見方が変化すること間違いがない。
二の丸御殿の障壁画を担当したのは御用絵師集団・狩野派。それを率いたのが当時20代だった狩野探幽。ここでの成果、つまり障壁画が、江戸時代の絵のスタンダードを導くことになるとか。それまでの障壁画に描かれていた金雲や霞というフレームワークは排除され、絵を直接見る時代への転換点となったそうである。ご存知でしたか?
私はこの転換の契機が狩野探幽であること、寛永の文化がその始まりということを知らなかった。
勿論、それは絵師に新しい描画法の課題を突きつけることになる。画面構成にごまかしがきかない。センスが要求されるようにもなる。
そして、後水尾天皇が中宮和子を伴って二条城に行幸する。それが「二条城が煌めく5日間」である。逆に言えば、この5日間の大イベントのために、「行幸御殿」が建築されたのだ。この行幸御殿をCGで再現してほしいものだ。
第二章は「寛永行幸」の実際の内容について解き明かす。徳川家が威信をかけて後水尾天皇を饗応したプロセスについて解説していく。
「二条城行幸図屏風」(泉屋博古館蔵)があるという。天皇と将軍の大パレード図である。勿論その行幸風景を京都の町衆は眺めたことだろう。それは徳川の威信を知らしめ、平和の到来を実感させる場にもなっただろう。それが伝播されることこそ狙いだったのかもしれない。
この行列の絵解き、儀式料理の解説、歌会や猿楽(能)の内容など、その饗応の状況が解説されている。さらに、障壁画に加え、室礼としての座敷飾りが行幸に対する眩い艶やかな空間を演出したという。
徳川家から天皇並びに中宮和子への膨大な進物の記録も載っていておもしろい。例えば、将軍家光は天皇への進物7項目の一つとして「白銀三万両」を贈っている。併せて大御所秀忠は、進物6項目の一つとして「黄金二千両」を贈っているそうである。
秀吉は「聚楽第行幸」を実現させた。しかし、猿楽興行はしていないとか。
「江戸時代、猿楽は幕府の式楽とされました。家康、秀忠、家光の三代までは、伏見城で将軍宣下を受け、二条城で公家や大名を集めて猿楽を興行しています。戦国の頃からお祝いがあると猿楽を催しているんです。ただ儀式に必ず付くようになるのは、寛永の頃からです」(p46)という。
第三章では、寛永文化の華とその後の継承がジャンル毎に解説されていく。寛永文化を起点にして、文化の広がり、人々の交わり、リバイバルの大凡が把握できて興味深い。ここで解説されているジャンルとキーワードをご紹介しておきたい。
茶の湯 近世的茶道への展開 小堀遠州・金森宗和・千宗旦 伝統文化へ進展
花 立花の大成 生花の展開 立花会 池坊専好
書 寛永の三筆(本阿弥光悦、近衛信尹、松花堂昭乗) 定家様のリバイバル
画 狩野探幽 俵屋宗達 松花堂昭乗
建築 社寺の復興 数寄屋建築の芽ばえ 安定した優美さ 装飾性 桂離宮
陶芸 小堀遠州の「かたち」 唐物屋 金森宗和と御室焼 尾形乾山と尾形光琳
きもの 寛永小袖 「表」世界と「奥」世界の服装 町人女性が作り出す流行
書物 書物の印刷・出版 版木 書物の商品化と書店 嵯峨本
香道 中宮和子と香道 米川常白 盤物(盤立物)
エピローグでは、寛永文化以来の伝統を守り伝える担い手たち、「あの日の二条城」の体感、京都で寛永文化を味わえるスポットの簡潔な紹介が行われている。
最後に、「寛永をめぐる京都MAP」と「二条城関連年表」が掲載されている。
二条城を訪れる時、事前にこの本を読んでおくと、楽しみが倍加することと思う。現存する二条城を楽しむ上では、第一章がストレートに有益である。本書を携えて行くのも良いかもしれない。
ご一読ありがとうございます。
補遺 ネット検索範囲での情報を一覧にしておきたい。
世界遺産 元離宮二条城 ホームページ
観光モデルコース
二条城 :ウィキペディア
後水尾天皇 :ウィキペディア
徳川和子 :ウィキペディア
徳川和子の入内 :「京都市上京区」
皇后・徳川和子がお手本!江戸時代も大人気だったセレブファッションを『雛形本』で探る! :「warakuweb」
寛永文化 国史大事典 :「ジャパンナレッジ」
特講2.寛永文化 :「日本史のとびら」
寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽 :「SUNTORY サントリー美術館」