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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『奇想の図譜 からくり・若冲・かざり』  辻 惟雄   ちくま学芸文庫

2024-03-07 22:18:55 | アート関連
 先日、『奇想の系譜』(以下、系譜と略す)を半世紀遅れで読み終えた。その続きに一気に「奇想」つながりで本書も読むことにした。本書『奇想の図譜』(以下、図譜と略す)の出版は1989年。『系譜』が2004年9月に文庫化されたのに対し、『図譜』は2005年4月に文庫化された。『系譜』の翌年に『図譜』が文庫化されている。手許の本は2019年10月の第12刷。本書もロングセラーとして読み継がれているようである。
 
 遡ってみるとちょっとおもしろい、『系譜』の最初の出版(1970年)と『図譜』の最初の出版(1989年)との間には、20年の歳月を経ている。その間に「奇想」の画家に対する著者の研究は広がりと深化をみせている。一方、『系譜』が「奇想」の画家たちに光をあてる先駆けとなって、社会に一つの衝撃を与えて以降、「奇想」の画家に対する研究者並びに人々の評価や受け止め方は大きく変化した。伊藤若冲への関心の高まりはその典型だろう。
 1988年6月に『系譜』が新版という形でぺりかん社から出版された。『図譜』の「あとがき」にはこれが「復刊」であると明記されている。『系譜』の復刊とタイミングが合う形で、その翌年に、著者が1985年~1988年に各種雑誌等に発表していた論考がまとめられて『図譜』が出版された。文庫版出版もまた、1年ずらせて出版されている。
 著者は、『図譜』出版の「あとがき」に、「最近復刊されたのをしおに、これとの姉妹編を意図した」(p295)と記す。そして、「文庫版あとがき」にて、姉妹版の意図は、「ところが著者の期待にたがい読者の反応はさっぱりで、同じ柳の下にドジョウはいないことを痛感させられた」(p298)と苦笑している。
 それは、そうだろうと思う。『系譜』は、いわば人々が今まで見過ごしていたか軽視していた画家たちを「奇想」という共通項でハイライトすることによって、ブームを引き起こす先駆けの書となった。光が当てられた目新しさは人々を惹きつけるはずである。その後の20年の時の流れの中で、「奇想」の画家たちの展覧会が少しずつ取り上げられていき、鑑賞する機会が生まれて行ったはずだ。ちょっと知りたいという人々の欲求は、『系譜』発刊後に企画された展覧会で絵そのものを見ることにより、当初の好奇心はある程度満たされて行ったはずだ。「奇想」の画家たちに対する様々なレベルでの情報は当然増殖して流布されてきていることだろう。
 その先は、画家・作品そのものについて、一歩踏み込んで知りたいと思う美術愛好家の欲求との相関関係になっていく。いわば各論を扱っている『図譜』を読もうという欲求は低減してもそれは自然かもしれない。評判と好奇心の先に、一歩踏み出してさらに知りたい理解を深めたいと思う人の比率は下がるのが普通だろうと思うから。

 さらにその後の30年の時の経過の中で、葛飾北斎、伊藤若冲は飛び抜けて人気があるように感じる。画家名と作品は浸透してきている。私にとっても好きな画家たちである。
 伊藤若冲を例にとると、本書『図譜』の出版の後、現在までの間に、私が伊藤若冲の作品に触れた展覧会だけでも、手許に次の購入図録がある。
『京都文化博物館十周年記念特別展 京の絵師は百花繚乱』 1998年 京都文化博物館
『特別展覧会 没後200年 若冲』 2000年 京都国立博物館 
『若冲と琳派-きらめく日本の美-細見美術館コレクションより』 2003-2004年
『プライスコレクション 若冲と江戸絵画』2006年 東京国立博物館・日本経済新聞社
『開基足利義満六百年忌記念若冲展』 2007年 大本山相国寺・日本経済新聞社
『特集陳列 生誕300年 伊藤若冲』  2016年 京都国立博物館
『若冲の京都 KYOTOの若冲』 2016年 京都市美術館
『没後220年 京都の若冲とゆかりの寺』 2020年 京都高島屋7階グランドホール

 脇道をつき進んでしまった。本筋に戻る。
 本書『図譜』は、いわば『系譜』以降20年弱の著者の研究の進展過程における各論を編纂した書である。
 <Ⅰ 自在なる趣向>、<Ⅱ アマチュアリズムの創造力>、<Ⅲ 「かざり」の奇想>という三部構成になっている。それぞれ独立した論考である。今読んでも、なるほどと学ぶところが多い。各論ゆえに、一歩踏み込んで画家と作品を知るあるいは、鑑賞したことのある作品を新たな視点で見直す機会になった。
 三部構成のそれぞれについて、私が論考の要所と思う内容の一部を感想を交えご紹介したい。

<Ⅰ 自在なる趣向>
 著者は、『系譜』の「おくがき」では、「この大物(=北斎、付記)と取組むための準備が、まだ私自身に不足なため」(p241)との理由を記し、奇想の画家と認識しつつ『系譜』の一項に北斎を取り上げていなかった。
 この『図譜』では、この第Ⅰ部の冒頭に葛飾北斎について論じている。北斎が読本挿絵に描いたワニザメ、大蜘蛛、爆発のシーン、「富獄三十六景」の中でも特に有名な「神奈川沖浪裏」の大浪と読本の挿絵の波、北斎漫画を対象に分析し鑑賞する。これらの作品事例を介して、北斎の想像力・創作力の源泉がどこにあるかを究明する。
 著者は、当時輸入された蘭書に印刷された銅版画、その洋風手法から北斎が学び、それをヒントに換骨奪胎して独自の描法に取り入れていることと、北斎が自然の観察と凝視に卓越していた点を具体的に論じている。「北斎の眼は、対象を瞬時にキャッチする高性能のカメラ」と喩え、一方北斎の心性には「すべての物に魂が宿ると信じるアニミズムが巣くっている」(p49)と言う。「神奈川沖浪裏」は、北斎の眼と心性の合作として生み出されたイリュージョンなのだと指摘する。北斎が、西洋美術でいうメタモルフォシス(変容)に通じる手法を独自に習得して駆使していた点を論じている、
 北斎の浪から、曽我簫白が描いた「群仙図屏風」の波、イギリス画家ウォルター・クレイン画「海神の馬」やマックス・クリンガー画「手袋」、さらには伝伊達綱村所用の単衣の図柄を取り上げ、変容についての解説を展開するところがおもしろい。

 洛中洛外図屏風(六曲一双)の全体の構成原理は現存する60点のうち1点を除き一貫しているという。東から眺めた目線での一隻と西から眺めた目線での一隻を組み合わせて、六曲一双で洛中洛外の全体を構成するという構成原理である。
 この定型に従わず異色なのは、舟木家本「洛中洛外図」だけだとか。この屏風絵の奇想な点を取り上げて分析的に論じていく。洛中洛外図もいろいろ鑑賞してきているので、興味深くこの論考を読んだ。また、改めて洛中洛外図の細部の鑑賞の仕方、目のつけどころを具体的に学ぶ機会にもなった。
 著者は、「舟木屏風」が浮世絵の母体になるとし、「『舟木屏風』の人物の特徴は、『又兵衛風』に通じるものをもっている」(p98)と論じている。

 第Ⅰ部の最後に、<「からくり」のからくり>という題で、中国と日本の文献を話題にする。世界に冠たる中国の美術を日本は受け入れた。だが、それに圧倒され萎縮せずに、中国の原典から借用転化していく才を発揮し、柔軟な応用力を日本美術は発揮したと著者は言う。それを「見立て」の妙と表現している。それが、文献の中でも同様に起こっているとして、日本の説話文学に見られる中国書の原典からの内容の変容、すり替えを指摘する。それを「自在な遊戯の態度」として、ポジティブに評価している。

<アマチュアリズムの創造力>
 第Ⅱ部では、若冲・白隠・写楽が取り上げられている。
   1.若冲という「不思議の国」--「動植綵絵」を巡って
   2.稚拙の迫力--白隠の禅画
   3,写楽は見つかるか? --ある架空の問答
という3つの論考で構成されている。あの時代の大半の絵師は、○○派に入門し、絵と描画法の基礎を修練して、絵画力を修得し、その○○派の中で絵師として力を蓄え発揮して名を成していく。流派の看板を背負った職業絵師である。流派という埓の中に生きている。それに対して、たとえ一時期どこかの流派で描法等を学んだことがあったとしても、流派の看板を背負うことなく、独習で技法を身につけ自己流で絵の道を歩んだ画家を、ここではアマチュアリズムという共通項で括っていると理解した。
 著者は、「一言で片付けるならば、応挙はプロ、若冲はアマということになるだろう」(p138)と例示している。
 若冲の「技法の基礎は明・清花鳥画の独習によってつくられ、それは本質的に自己流のものであった。もっとも若冲の場合、それは本格的な自己流であり本格的な素人絵なのである。矛盾しているようだが、こういう以外に仕様がない。かれは、応挙のように三人称の普遍的形態を追わず、中国花鳥画のかたちの迷宮のなかから、自己に訴えかける形態をみつけ、呪術をかけるようにしてそれを画面の外に誘い出して、自己のものにしてしまう」(p139-140)と評している。
 若冲の「動植綵絵」の世界を分析的に鑑賞し、そこから若冲の絵を読み解くキーワードとして<無重力>と<正面凝視>、さらに<増殖>を抽出している。若冲は、「いつも『物』の質感を捉えることに関心を払った」(p152)と論じる。若冲の描いた絵の世界に、「現実を同化させてしまう強烈なリアリティを、『動植綵絵』は持ち合わせているのだ」(p149)と語る。

 白隠の生涯を簡略に解説しながら、白隠の禅画の特質を論じていく。著者はそのルーツは中世禅僧の書画に求められるとする。その上で、白隠の禅画は「自己の強烈な個性をなかだちとして、江戸時代民衆の感情に即した土着的な表現に再生させた」(p161)ものと読み解いている。白隠の禅画をあまり見る機会がなかったので、白隠の人生に沿った形で絵の変遷を眺められる点が有益だった。67歳作の「達磨図」を含め3点の達磨図が併載されているが、見応えのある図だ、何ともいえないギョロ目に迫力が漲っている。「円相内自画像」(永青文庫蔵)とは実に対照的である。白隠はこの自画像を残し、遺偈は残さなかったという。
 著者はこの一文の最後に、禅画家仙厓にも少し触れている。「亡くなるまでの15年間、かれの書画は、技巧の衣装を捨てた<無法の法>を目標に円熟していった」(p190)と言う。

 3つめは、話し手Aが年齢不詳の美術史家、聞き手BがAの友人の美術ジャーナリストという設定で、写楽とは誰かについて、架空の問答をするという設定の対話録になっている。奥書に、初出は1985年の『浮世絵八華 4 北斎』(平凡社)とある。この時点までに世間で談論風発していた様々な写楽探しの仮説論議の状況が網羅され、要点が語られていく。当時の様子がうかがえておもしろい。
 文庫版には、追記が2つあり、2つめの追記でどうもこの論議は終焉しそうな雲行きと思われる。ふと、振り返ると最近は写楽論議を見聞した記憶がない。

<Ⅲ 「かざり」の奇想>
 本文は、ダーウィンの『ピーグル号航海記』に記述されているというフェゴ島住民の観察から始め、著者はホイジンガの有名な言葉をもじって、”「文化は<かざり>の形をとって生まれた。文化はその初めから飾られていた」ともいうことはできないだろうか”(p234)という仮説を設定する。
 『万葉集』に載る挿頭(カザシ)の歌を皮切りに、縄文土器に遡り、中国における事情にも触れながら、各時代における様々な<かざり>を例示し、江戸時代の宗達による「見立て」まで論じて行く。「かざり」の母体は「風流」にあると捉え、「飾り立てる風流」(p250)の側面に関心を寄せていく。「風流」の窓から日本美術を通覧し、日本人の創造には「見立て」があるという特質を抽出する。それはヨーロッパ文化に於ける創造性とはかなりちがうものがあると論じている。
 「この『見立て』の思想方法こそは、日本民族の活性の素で、文芸・美術などの芸術の構造をはじめ、形造る働き、美学の基本をなすのだといってよい」(p268)と、郡司正勝氏の文を引用しつつ、論じている。
 「美術における見立てとは、かたちや主題の連想・変換を楽しむ一種の知的遊戯とみなすことができるだろう」(p286)とも述べている。

 <かざり>という視点で日本文化を通覧しているところがおもしろい。学際的な試みが必要な領域だと言う。著者はこの第Ⅲ部の論考で、「日本かざり学」とでもいった学際的な研究の場、「かざり」学を提案している。そういう場や研究は本書の出版後、現在までに進展しているのだろうか・・・・。読後印象として気になる。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
椿説弓張月 前編第一  31コマ :「古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館)
新編 水滸画伝 巻一 39コマ  :「古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館)
冨嶽三十六景《神奈川沖浪裏》  :「文化遺産オンライン」
おしをくりはとうつうせんのづ  :「文化遺産オンライン」
椿説弓張月 続編より 23コマ  :「古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館)
洛中洛外図屏風(舟木本)   :「文化遺産オンライン」
伊藤若冲の《動植綵絵》など皇室ゆかりの5件、国宝指定へ  :「美術手帖」
絹本著色動植綵絵〈伊藤若冲筆/〉  :「文化遺産オンライン」
白隠慧鶴  :ウィキペディア
出山釈迦:白隠の禅画   :「日本の美術」
七福神合同船:白隠の漫画 :「日本の美術」
達磨図(白隠慧覚筆)  :「MIHO MUSEUM」 
「達磨図」をはじめ、白隠・仙厓が描いた禅画 およそ20点が展示  YouTube
仙厓義梵   :ウィキペディア

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『若冲の花』   辻 惟雄 編  朝日新聞出版
『奇想の系譜 又兵衛--国芳』  辻 惟雄   ちくま学芸文庫
『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著  原田マハ 翻訳  幻冬舎
「遊心逍遙記」に掲載した<アート>関連の本の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在 34冊
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『若冲の花』  辻 惟雄 編    朝日新聞出版

2024-03-03 21:47:34 | アート関連
 鴨川の東岸沿いは川端通。鴨川に架かる御池大橋とその北の二条大橋との中間位に、東西方向に仁王門通が通っている。信行寺は、この仁王門通と東大路通との交差点の北西角に位置する。仁王門通をそのまま東に進めば、岡崎公園のエリアに至る。京都国立近代美術館や京都市京セラ美術館へ行く時には、この仁王門通を歩み、信行寺の側を通り過ぎることを何十年と繰り返してきている。普段は非公開のお寺なので、この寺の本堂外陣の天井が、伊藤若冲筆「花卉図 天井画」で飾られていることを知らなかった。かなり前だが、当寺の特別公開の報道を新聞で読み、この天井画の存在を知った。当時、残念ながら拝観する機会を逸した。その後に本書が出版されていることを知った。本書は2016年9月に第1刷が刊行されている。購入後部分読みしていただけで、『奇想の系譜』を読み終えた勢いで、やっと通読した。

 本書は、信行寺に現存する「花卉図 天井画」を主軸にしながら、伊藤若冲の描いた「花」が現存する計3ヵ所をとりあげている。
 信行寺の外陣格天井には、総数168枚の板絵が嵌め込まれている。若冲の款記1枚、花167枚である。格天井の1マスは38cm角で、その中に約33cmの円相に花が描かれ、周囲は群青色に塗り潰されているようだ。図版では周辺が黒色に見える花卉図天井画である。

 あとの2ヵ所は、滋賀県大津市にある義仲寺と讃岐の金比羅さんで知られる香川県琴平町の金刀比羅宮である。
 義仲寺境内には、松尾芭蕉をまつる「翁堂」があり、その天井に若冲筆「花卉図」が板絵として格子天井に嵌め込まれている。翁堂は「無名庵」とも称されている。義仲寺を以前に探訪したことがあり、この翁堂の天井を見上げてはいた。本書を読み知ったことは、信行寺の花卉図とこの翁堂の花卉図は、その形式からしてルーツが同じと推定されていることだ。。
 ならば、そのルーツはどこか。もとは、若冲が最晩年に、伏見・深草の石峰寺観音堂の天井画として描いたものだという。理由は不詳だが、この観音堂自体は安政6年(1859)以前に破却されたようである。花卉図天井画は古美術商を経由して、現在の地で天井画として保存されてきたことになる。
 金刀比羅宮の奥書院に若冲が49歳の時に障壁画を描いたという。だが、現在はその中の「百花図」だけが現存するそうだ。若冲が障壁画を完成させた80年後、損傷が激しくなったことにより、天保15年(1844)に岸岱(ガンタイ)により描き直されたという。つまり、若冲筆「百花図」が現存する。

 本書は縦25.8cm、横18.4cmというサイズなので、信行寺の花卉図が比較的大きい図版で掲載されていて、間近に図を眺める上で見やすい。天井画を見上げるよりも、図の細部を具体的に鮮明に、時間を気にせず眺めることができるのがメリットだろう。実物を簡単には見られないので、代替手段として便利である。
 本書では花卉図に描かれた花々が全て新たに同定され、主な花について花卉図の掲載と解説が載せてある。見開きで花卉図と実際の花の写真との対比ページも載っている。
 信行寺の花167枚が同定された後の分類結果をご紹介しておこう。
牡丹30枚、菊(家菊)15枚、梅10枚、朝顔6枚、百合6枚、杜若4枚、水仙4枚、蓮4枚、藤4枚(?とされるものも含む)だそうである。
 
 本書の表紙に記された副題「85年の人生、画家は何処に辿り着いたか」という問いかけも興味深い。

 本書の解説文の目次構成をご紹介すれば、本書の全体イメージが少しできるかもしれない。以下の構成になっている。

 無限の個性をあらわにして紡ぎ出された胸中の花々      美術史家 辻惟雄
 格天井の花々を「同定」する         植物分類学 理学博士 光田重幸
 若冲が描いた江戸中期の「花」        植物分類学 理学博士 光田重幸
 描かれた花に見る江戸中期の栽培植物     植物分類学 理学博士 光田重幸
 本堂と一体化した格天井の花々は仏の心を宿し、浄土へと誘います。
                            信行寺住職 本多孝昭
 義仲寺翁堂「天井画」                       岡田秀之
 「応挙」と「若冲」                        岡田秀之
 特別インタビュー 
   歴代別当の書斎だった奥書院を美しく彩った京の絵師、若冲の花の絵
                         金刀比羅宮権宮司 琴陵泰裕
 整然と配置された濃密な花の世界 (付記:若冲筆「百花図」関連)  岡田秀之
 絢爛たる花々とともに庶民の野菜まで描かれている(付記:若冲筆「百花図」関連)
                       植物分類学 理学博士 光田重幸
著者名の記された文以外に本書の編集部によるものと推測するセクションとして、
 人物で綴る「若冲の時代」 /  伊藤若冲の生涯   が併載されている。
なお、岡田秀之さんの最後の文には、プロフィールが付記されていて、本書の発刊時点ではMIHO MUSEUM 学芸員であることがわかる。

 冒頭の辻惟雄さんの一文には、若冲の花々について、「心象デザイン」「心象スケッチ」と評されていること。「若冲の花は、生きとし生けるものは皆成仏するという『草木国土悉皆成仏』の仏教思想で描かれたので、本草学者が描く植物画とは一線を画しています」「現代の植物学者が識別できるほど、若冲が植物の特徴をとらえて描いていたということは、大きな発見でした」(p19)と語っていること。またアニミズムの視点で若冲を論じられていること。この点をご紹介しておきたい。若冲自身と彼の描法について学ぶ上で役立つ一文と思う。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
信行寺   :「京都」
[京都 美の鑑賞歩き]第7回~信行寺本堂の天井に描かれた伊藤若冲の傑作が初公開!
                             :「サライ」
天才絵師 伊藤若冲の“最晩年の傑作”を貸切で鑑賞!:「そうだ京都行こう」
義仲寺   :「滋賀・びわ湖」
「義仲寺」の観光・見どころ:木曽義仲・松尾芭蕉に触れる場所 :「BIWAKO HOTEL」
義仲寺境内 :「文化遺産オンライン」
金刀比羅宮  ホームページ
  「お待たせ!こんぴらさんの若冲展」 20234.8~6.11 終了
金刀比羅宮奥書院  :「文化遺産オンライン」
第49話 岸岱筆 柳・白鷺図 菖蒲・群蝶図 :「金刀比羅宮美の世界」
岸岱    :ウィキペディア

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『奇想の系譜 又兵衛--国芳』  辻 惟雄  ちくま学芸文庫
『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著  原田マハ 翻訳  幻冬舎
「遊心逍遙記」に掲載した<アート>関連の本の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在 34冊
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『奇想の系譜 又兵衛--国芳』  辻 惟雄  ちくま学芸文庫

2024-03-02 22:54:57 | アート関連
 半世紀前に刊行された本の文庫本を購入してからもしばらく書架に飾ったままだった。その本を読み終えた。本書は、岩佐又兵衛・狩野山雪・伊藤若冲・曽我簫白・長沢蘆雪・歌川国芳の絵を論評し、画家自身を論じている。
 私がこの文庫を購入した動機は、「奇想」という語句と若冲・簫白・蘆雪が採りあげられているという点にあった。 

 読後に本書についてネット検索してみて知ったことと併せて、まず本書の経緯からご紹介しよう。
 読了した本は、2021年4月第24刷で、文庫化されたのは2004年9月である。遅ればせながら今知ったことは、『新版 奇想の系譜』の単行本が2019年2月に出版されていること。オールカラーで、新たな図版を加え、レイアウトを変更し、各章最後に「若冲をはじめ江戸の絵師たちに起こった絵画をとりまく状況変化を各章最後に新原稿として追記」(PR文より)して刊行されたという。今からなら、こちらを読むと良いのかもしれないが、いささか高額の本になる。
 まず言えることは、本書が上記の画家たちを知る上での基本書として、ロングセラー本として読み継がれているということだろう。

 読了した文庫版を踏まえて本書のタイトルと出版経緯に触れておこう。
 まず出版に至る経緯である。箇条書き的に記すと、
1. 1968年、『美術手帖』(7月号~12月号)に、<奇想の系譜--江戸のアヴァンギャルド>というテーマで、又兵衛・山雪・若冲・簫白・国芳について連載された。
2. 1969年夏以降に、蘆雪の一章を加えた形で単行本が刊行された。
3. 1988年3月以降に、新版の単行本が刊行された。(2との関係についての情報なし)
4. 2019年にたぶん上記の改訂増補版といえる新版が刊行された。
5. 2004年に1988年の新版を底本に文庫化されたようだ。作品の現所蔵先を注記で追補。
 「奇想の系譜」の論点の中核を知るためなら、文庫版がまず手頃だろうと思う。

 文庫にそれぞれ(上記の2,3,5)の「あとがき」が収録されている。著者は<奇想の系譜>と名付けるに際し鈴木重三氏の「国芳の奇想」という一文にヒントを得たと言う。<奇想>という言葉が本書に登場する6人の「それぞれ変わった個性を一括りするのにまことに都合よくできている」(p245)と述べ、さらに、「<奇想>という言葉は、エクセントリックの度合の多少にかかわらず、因襲の殻を打ち破る、自由で斬新な発想のすべてを包括できる」(p242)と語る。つまり、著者は、本書でこれらの画家たちを当時の絵画の中での<異端>ではなくて、主流の最先端にいる<前衛/アバンギャルド>の画家ととらえるべきであると論じた。これが当時の専門家たちの間で、絵画史を書き換える画期的な提言としてセンセーショナルに受け止められたようだ。本書が奇想の画家たちを再評価する先駆になったのである。
 著者は、「文庫版あとがき」に「この本に登場する六人の画家たちは、当時はみな美術史の脇役だったが、今やかれらは江戸時代絵画史上のスターであり、とりわけ伊藤若冲の人気上昇は異常なほどだ。知らない間に現代の美的な好みの方が、どんどんこちらへと接近してきたようである。」(248)と記している。

 著者が本書で論じている<奇想>の画家たちにそれぞれについて、著者の論評を少しご紹介してみよう。各章で、各画家のプロフィールも概略紹介しているので、基礎的知識を得ることもできる。

<憂世と浮世 ---岩佐又兵衛>
 極彩色絵巻「山中常磐」(MOA美術館蔵)12巻を中核に、「堀江物語」(村山氏・古森氏蔵)と「上瑠璃」(MOA美術館蔵)なども併用し、それらの内容を紹介するとともに、その描写の特徴を論じる。そして、①描写に現れる奇矯な表現的性格、②扱うテーマの内容を卑俗な、当世風のものにすり替えようとする要素の存在、③人物に風変わりな特徴を持たせて描写する、④作品に共通するモノマニアックな表出性、を指摘している。

<桃山の巨木の痙攣---狩野山雪>
 山雪は京狩野と称された狩野山楽の養子となった画家。山楽と山雪とを対比的に論じた上で、山雪の代表的作品を介して、山雪を論じて行く。金地濃彩六曲一双屏風「黄石公張・虎渓三笑図」(東京国立博物館蔵)、「龍虎図屏風」(個人蔵)、天球院襖絵の四季花鳥図、同「竹に虎図」、「寒山拾得図」(真正極楽寺蔵)などが採りあげられている。
 著者は、幾何学的秩序という人工的な仮構を好む山雪の造形意識に着目する。白梅の奇矯な枝ぶり、自然風景の描写の背後に見られる幾何学的虚構の構図などを指摘する。山雪のマニアックな形態感覚に着目する。
 最後に、旧天祥院「老梅図」を採りあげ、その枝ぶりに「このグロテスクな巨樹の痙攣が、単に桃山の時代精神の断末魔の象徴的表現であるだけでなく、このあと一世紀以上おくれて登場する若冲、簫白、盧雪ら<京都奇想派>にいわば先駆としての意義を持つように思われる」(p93)と論じている。

<幻想の博物誌---伊藤若冲>
 「動植綵絵」(宮内庁蔵)三十幅を中核に、「群鶏図襖」「蓮池図」(西福寺蔵)、「鶴図襖」(金閣寺蔵)、「野菜涅槃図」(京都国立博物館蔵)などを採りあげて論じていく。 若冲が<物>からの直接の描写に作画の意義を見出したことを指摘する。しかし、円山応挙のめざした写生へのスタンス(形状の精密なコピー)とは異なり、対象物に若冲の内的ヴィジョンを表出した描写であり、<物>に即しての観察写生は、作品の中では手段であり、デフォルメされて描出されている点を指摘している。「鶏の専門学者にいわせると、各部分のプロポーションや器官のかたち、位置などが、応挙のそれにくらべてはるかに不正確であり、写生画としてはあまりよい点がつけられないそうだ」(p105)という所見を付記する。この点、若冲の写実的描法について、認識を新たにした次第。
 「綵絵」の画面空間は、共通して「一種の無重力的拡散の状態に置かれたといってよいような空間」(p110)を特色とすると著者は指摘する。そこに、幻想的な空間を描出する若冲の内的ヴィジョンを見つめている。そして、アンリ・ルソーとの類似点を示唆している点は興味深い。

<狂気の里の仙人たち---曽我簫白>
 「群仙図屏風」(文化庁蔵)、「鷹図」(村山氏旧蔵)、「雪山童子図」(継松寺蔵)、「唐獅子図壁貼付」(朝田寺蔵)、「石橋図」(米国パークコレクション蔵)、「寒山拾得図」(興聖寺)その他の作品を採りあげていく。
 著者はまず、簫白の奇行と、「権威や因襲に対して股ぐらのぞきをするような簫白の態度」(p137)の側面を指摘する。一方で、彼の熟練した筆技、精緻な描写力を論じていく。そして、葛飾北斎と簫白との間に、「鉱物質とでもいうべき乾いた非常な想像力、鬼面人を驚かす見世物的精神、怪奇な表現への偏執、アクの強い卑俗さ、その背後にある民衆的支持、といった点が共通しているのである」(p170)と言う。
 冒頭に載せた本書の表紙には、曽我簫白の「雲龍図襖」(ボストン美術館蔵)の龍の頭部が使われている。この雲龍図、長い間ニセモノ扱いされて庫の片すみに眠っていたのが、本書発刊(1969年)の数年前頃からやっと注目され始めた作品だという。

<鳥獣悪戯---長沢蘆雪>
 「薔薇に鶏図襖」「虎図襖」(無量寺蔵)、「岩浪群鳥図襖」(薬師寺蔵)、「山姥図」(嚴島神社蔵)、「大黒天図}(佐山氏蔵)、「龍図襖」(西光寺蔵)、「蝦蟇鉄拐図」(米田氏蔵)、「四睡図」(草堂寺蔵)、「唐子遊戯図屏風」などが採りあげられる。
 蘆雪は天明6年(1786)に応挙の代役として南紀に赴き、無量寺を始め寺々の襖絵や屏風を描いた。この頃(33~34歳)の作品が評価を高めているという。寛政11年6月大坂で客死。毒殺説が伝わる。享年46歳。
 著者は蘆雪の描画技術と水準は驚くべきものがあり、デッサンにおいても応挙をしのぐ側面があるという。著者は、蘆雪が「応挙のいくぶん気どった古典主義的作風を、より身近な庶民的世界へ移し変えようとする」(p196)意図を持つ点。画面空間に二次元性が見られ、側面性の奇妙に欠如した作品を多く見かける点。洒脱軽妙な筆さばきによるカリカチュアに本領を発揮している点。人の意表をつこうとする奇抜な着想など。そして、晩年の作品には、それまで見られなかったグロテスクな要素があらわれている点を指摘する。 本章の末尾で、「線の芸術としての日本絵画の伝統を、18世紀上方の庶民的な世界に再現した画家として評価されるべきかもしれない」(p207)と評している。

<幕末怪猫変化---歌川国芳>
 著者は冒頭で、これまでの正統的浮世絵史観を改めるべき時期に来ていると警鐘を発している。<アンバランスの美>ともいうべき美意識の追求が出現してきている側面を重視する。画題に対する斬新な機知とドラマティックな想像力の発揮、それが<奇想>であるという。北斎の作画にそれが見られると論じた上で、歌川国芳がその<奇想>を継承していると説く。
 著者は、「東都首尾の松」に国芳特有の幻想的資質が発揮されているということから論じ、「東都」シリーズに見られる洋風表現と幻想性の独特な結びつきを論じている。さらに、三枚続きの画面構成に独創的構図を展開し、怪魚や妖怪のクローズアップによる衝撃的な効果をねらった作品。裸体で肖像や幽霊を合成した嘉永年間の<工夫絵>シリーズ、「荷宝蔵壁のむだ書」という<釘絵>と呼ばれる戯画のシリーズ等を紹介し、国芳の機知とユーモアのセンスを論じる、近代マンガの歴史は国芳からはじまるといってもさしつかえあるまいとすらいう。
 最後に、国芳が風刺画家として不適な活躍をした側面並びに愛猫家であった側面にも触れていておもしろい。

 奇想の画家たちをクローズアップして、彼等の活躍の見直しを論じた基本書といえる。ロングセラーになっていることが頷ける。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
奇想の又兵衛 山中常盤物語絵巻  :「MOA美術館」
堀江物語絵巻           :「MOA美術館」
堀江物語絵巻     :「文化遺産オンライン」
天球院方丈障壁画 梅・柳に遊禽図襖  :「Canon 綴TSUZURI」
老梅図襖               :「Canon 綴TSUZURI」
天球院方丈障壁画 竹に虎図襖     :「Canon 綴TSUZURI」
動植綵絵(どうしょくさいえ)[国宝]   :「宮内庁」
野菜涅槃図    :「e國寶」
伊藤若冲 中鶏・左右梅図 鹿苑寺蔵  :「美術手帖」
伊藤若冲・晩年の傑作「仙人掌群鶏図」の特別公開レポ :「野村美術」
曾我蕭白―醜美と優美  :「京都国立博物館」
   「寒山拾得図」興聖寺蔵を掲載
唐獅子図:曽我蕭白の世界  :「日本の美術」
曾我蕭白「石橋図」   :「足立区綾瀬美術館ANNEX」
虎図襖 本堂・襖絵・壁画 :「紀州串本 無量寺」
長沢芦雪 「大黒天図」 福田美術館  :「インスタグラム」
東都首尾の松之図  :「ADACHI HANGA」
鬼若丸の鯉退治  歌川国芳 :「江戸ガイド」
讃岐院眷属をして為朝をすくう図(1組) :「文化遺産オンライン」
人をばかにした人だ  寄せ絵・だまし絵 :「ちょっと便利帳」
歌川国芳 「一つ家」 :「足立区綾瀬美術館」

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『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著  原田マハ 翻訳  幻冬舎

2023-01-20 17:49:00 | アート関連
 表紙カバーの絵に目がとまりまず惹きつけられた。やはりムンクの絵。翻訳が原田マハとなっている。内容も確かめずに読み始めた。本書は2022年2月に刊行されている。

 著者はムンク。だが、表紙には「ムンク美術館 原案・テキスト」と併記してある。
 本書の冒頭には「言葉の画家、その調べ」と題し、翻訳をした作家・原田マハの一文が載っている。そこに、ムンクは「私は、呼吸し、感じ、苦悩し、生き生きとした人間を描くのだ」と決意表明したと記されている。それが後に「サン=クルー宣言」と呼ばれるようになったそうだ。原田マハは「彼は、目の画家、手の画家というよりも、感性の画家であり、言葉の画家でもあったのだ」と続けている。
 本書末尾には、オスロにあるムンク美術館が「ムンクのテクストについて」と題して一文を記す。エドヴァルド・ムンクは生涯にわたって文章を書き続けたという。ムンク美術館にはムンクが書いた1万2千点以上の原稿が所蔵されているという。そのすべてのテクストをホームページで公開することが目指されている。一部がすでに英訳されているとあるので、本書はその英訳の一部なのだろう。
 本書は原田マハの翻訳文と、ムンクのテクストの英訳文とがバイリンガルとして併載されている。ここには、ムンクの創作ノート、スケッチブック、手紙文あるいは手紙の下書き、印刷物などの中に記されたムンクの言葉が抽出され、言葉の内容を分類し章立てされて編集されている。

 本書の原題は、「LIKE A GHOST I LEAVE YOU」である。直訳すれば、亡霊のように私はあなたから去るという意味だろう。「愛のぬけがら」とは言い得て妙でおもしろい。
 本書を読むとおわかりいただけるが、「トゥラ・ラーセンへの手紙の下書き 1899」であるムンクの言葉(p148)の後半にあたる。該当ページを御覧いただきたい。絵も併載されている。

 本書は以下の章立てで編集されている。
  アートと自然/ 友人と敵/ ノルウェー/ 健康/ ムンク自身/ 愛/
  ヴィーゲラン、他の芸術家たち/ 人生観/ お金/ 死
 そして、各所にムンクの作品とムンクに関わる様々な写真が併載されている。

 久々に書棚から「ムンク展」の図録を引き出して眺めてみた。前年に国立西洋美術館で開催された後、2008年1~3月に兵庫県立美術館で開催された。2008年3月初旬に出かけていた。本書表紙の「マドンナ」は本書のP159にも載っていて、本書末尾に油彩、1894年作と説明されている。見ている気がしたのだが図録を再見すると、ほぼ同じ構図の「マドンナ」だが、図録の絵は、リトグラフ・墨・スクレイバーによる1895年作だった。類似の構図で異なる作品をいくつか制作していることを、本書に併載の絵と手許の図録で知った。
 手許の図録にはムンク自身の写真は1枚載るだけなのだが、本書には年代の違う自画像と写真がいくつか載っていて、ムンクの言葉を読み、肖像画・写真を併せてみられるのは興味深い。

 ムンクの絵といえば、「叫び」を連想する人が多いと思う。私も真っ先に「叫び」を想起する。ここでは「人生観」の章の後半、p204にその絵が併載され、この絵は19100? と補注にある。図録を見ると、1925年のムンクのアトリエには、左から「不安」「叫び」「絶望」の3点が順に入口の上部に掲げてあった様子を示す写真が載っている。ムンク展では「不安」と「絶望」が出展されていた。余談だが、「叫び」は作品として4バージョンあるようだ。
 本書でこれもおもしろいと思うのは、見開きの左ページに「叫び」の絵が載せられ、右ページにはつぎのムンクの言葉がバイリンガルで載せてあること。
    「なんて幸運なんだ、君たちは。
     君たちには進歩的な両親がいる。
    彼らは、君たちに聖書を教えなかった。
      聖書が君たちの血の中に
     染みつくようにはしなかったのだ。
          ああ!
  歓びと死後の生にまつわるすばらしい夢たちよ。 」  (創作ノート 1890)

 編集された形であるが、本書にはムンクの言葉-愛、欲望、主張、希求、意志、意欲、叫び、懊悩、憤慨、恨み、絶望、批判など-が様々な視点でまとめられている。その言葉が、英語と日本語に翻訳されているだけである。ムンクの断片的な言葉に対する解説は一切ない。読者がその言葉からどのような思いを抱くかは、読者に任されていることになる。
 ムンクの言葉自体が、ここにポンと投げ出されているとも言える。その解釈と理解、受容は読者の課題となる。ムンクの真意に沿ってこれらの言葉の意味を追体験しようと思うならば、ムンクの人生という文脈について別途背景情報を知る必要がある。それは書架から久しぶりに取りだしてきた図録を再読しての気づきでもある。

 例えば、「アートと自然」の最初に載るムンクの言葉を引用してみる。

    「  その時代の信仰。
    すなわち、その時代の魂というものを
      写さなければならない。
    単に装飾芸術であるだけではだめだ。
      この装飾という言葉は、
    今まで多くのものを台無しにしてきた。  」  (創作ノート 年不詳)

      ” The religion of time - that is,the soul of time
           must be reflected -
      There must not only be ornamental art
       This word has ruined very much     "   (Undated note)

 ムンクはどのような芸術をめざそうとしたのか。
 図録(2007年)の冒頭に「エドヴァルト・ムンク、『装飾』への挑戦」(田中正之、武蔵野美術大学准教授)という論文が載っている。そこには、ムンクが「装飾画家」であったことを論じている。ムンクの一連の作品である<生命のフリーズ>がその一例として語られる。この時のムンク展の第一章は「<生命のフリーズ>:装飾への道」である。そこでの説明にはムンク自身が「全体として生命体のありさまを示すような一連の装飾的な絵画として考えられたもの」と述べていると記されている。
 ムンクに沿ってここの言葉を理解するには、例えばこんな背景情報があると読み方を深められる気がする次第。

 「アートと芸術」から印象深い言葉をいくつかご紹介しよう。本書は上記のようなスタイルで記されて居る。ここでは通常の文章スタイルで引用するにとどめたい。
*1脚の椅子が、ひとりの人間と同くらいおもしろいものだとしよう。
 けれどそのおもしろさは、その椅子が誰かに見られない限り誰にもわからない。
 誰かを感動させる椅子を絵にしたら、その絵を見た者を同じ気持ちにさせなきゃならない。つまり、絵に描かれるべきなのは、椅子そのものではなくて、ひとりの人間の体験なんだ。   p23
*写生をするのではない。自然がいっぱいに盛られた大皿に自由に手を伸ばすのだ。
 見えるものを描くのではない。見たものを描くのだ。   p28
*私のアートは、人生との不和の理由を探って考えあぐねたことに始まっている。
 なぜ私は他人と違うのだ? 頼みもしないのに、どうしてこの世に生を受けたのだ?
 この苦しい思いが、私のアートの根っこにある。
 これがなければ私のアートは違うものになっていただろう。  p30
*アートは、自然の対極にある。アートは、人間の内なる魂から生まれる。
 アートとは、人間の神経、心、頭、脳、目を通して物質化された画のかたちである。
 アートとは、結晶化しようとする人間の渇望である。
 自然は無限の領域であり、アートはそこから糧を得る。    p35
*私は、心をむきだしにしなくてもいいようなアートを信じない。
 文学でも、音楽でも同じだが、あらゆるアートは、心血を注いで創造されるべきだ。
 アートとは、心の血のことだ。  p49

 こんなムンクの言葉もある。
*もしノルウェーでの生活をつづけていたら、才能を無駄にして立ち直れなかっただろう。
 そして恐らく、ソーレンセンやその仲間たちに潰されていただろう。
 この40年の間に、自分たちこそが正しいのだと言い張る数々の芸術グループが誕生してきたが、やつらに対抗することができたのも、外国からの支援があったおかげだ。
                          「ノルウェー」 p90
*人間にとっていちばん恐ろしいふたつの敵を私は受け継いだ。
 肺結核と精神障害の遺伝だ。病と狂気と死は、私のゆりかごの横に立つ、黒い天使だった。
                          「健康」 p112
*結局、僕は君に何もしてやれなかったんじゃないか・・・・・・。
 僕という男は、夢見がちで、まず何よりも仕事。
 愛は二の次にしてしまう、そんなやつだから。    「愛」 p152
*絵を描いているとき、お金のことを考えたことは一度もない。
 私の絵に値がつくようになってはじめて、人々は私の絵に関心をもつようになった。
 45歳になるまでは、私の絵を見ただけで「おお、気味が悪い」と叫んでいたくせに。
                          「お金」 p211

 エドヴァルト・ムンクは1863年に生まれ、1944年に他界した。
 モダニズムにおける重要な芸術家のひとり。1890年代にシンボリスムの芸術家として頭角を現し、20世紀初頭からはエクスプレッショニスムの先駆者となった。これらがプロフィールとして記されている。右のページにはムンクが椅子に坐る姿を左斜めから撮った写真が載っている。彼のその目は何を眺めているのだろうか・・・・・。

 バイリンガルの表記なので、アート小説を数多く書く原田マハさんがどのように訳されているかを楽しみつつ学ぶこともできる。英語学習教材としても役立つのではないかと思う。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
ムンク美術館 英語版ホームページ Edward Munch's Writings in English
エドヴァルド・ムンク :ウィキペディア
ムンクの「叫び」は何を叫んでいる?描かれた理由と鑑賞ポイントを詳しく説明
                          :「This is Media」
エドヴァルド・ムンクの生涯と作品の特徴・代表作・有名絵画を解説
                          :「美術ファン@世界の名画」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。

「遊心逍遙記」に掲載した<原田マハ>作品の読後印象記一覧 最終版
                 2022年12月現在 16冊
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「遊心逍遙記」に掲載した<アート>関連の本の読後印象記一覧 最終版 2022年12月現在

2023-01-02 12:28:33 | アート関連
ブログ「遊心逍遙記」を開設して以降、その時々の関心で手に取り単発的に読んだ本があります。既にまとめた一覧以外の本についての読後印象紀を大凡で整理してみました。
掲題の大凡の分類ですが、関心の方向性はご理解いただけると思います。

お読みいただけるとうれしいです。

『江戸絵画の不都合な真実』 狩野博幸  筑摩書房
『謎解き 広重「江戸百」』  原信田 実  集英社新書ビジュアル版
『北斎漫画 日本マンガの原点』  清水 勲  平凡社新書
『等伯の説話画 南禅寺天授庵の襖絵』 須賀みほ  青幻舎
『光悦 琳派の創始者』 河野元昭編  宮帯出版社
『光琳、富士を描く!』 小林 忠  小学館
『奇想の江戸挿絵』 辻惟雄  集英社新書ヴィジュアル版
『桜狂の譜 江戸の桜画世界』  今橋理子  青幻舍
『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎』  千野境子  国土社
『知られざる北斎』  神山典士  幻冬舎
『新訳・北斎伝 世界に挑んだ絵師』  荒井 勉   信濃毎日新聞社
『葛飾北斎 富嶽百景』  クールジャパン研究部  ゴマブックス
『世界で一番素敵な浮世絵の教室』 監修 岡部昌幸  三才ブックス
『自画像のゆくえ』  森村泰昌  光文社新書
『恋愛美術館』 西岡文彦 朝日出版社
『「瓢鮎図」の謎 国宝再読ひょうたんなまずをめぐって』 芳澤勝弘  ウェッジ
『まんが訳 酒呑童子絵巻』 大塚英志監修/山本忠宏編  ちくま新書
『決定版 日本の雛人形 江戸・明治の雛と道具60選』 是澤博昭  淡交社
『美しい切り絵。』 大橋 忍  エムディエヌコーポレーション
『滝平二郎 きりえ名作集 朝日新聞日曜版から 冬-春篇』 朝日新聞出版
『絵巻で読む方丈記』 鴨長明  [訳注] 田中幸江 東京美術
『足立美術館』  監修・足立美術館  河出書房新社

『ヘンな日本美術史』  山口 晃  祥伝社
『美術でめぐる西洋史年表』 池上英洋 青野尚子  新星出版社

『ブリューゲルへの招待』 監修 小池寿子・廣川暁生   朝日新聞出版
『名画を見上げる 美しき天井画・天井装飾の世界』 キャサリン・マコーマック 誠文堂新光社
『印象派はこうして世界を征服した』 フィリップ・フック 白水社
『大英博物館 1 エジプト編』  国際芸術研究会  ゴマブックス
『大英博物館 4 メソポタミア編』 国際芸術研究会  ゴマブックス

『「盗まれた世界の名画」美術館』 サイモン・フープト 創元社
『FBI美術捜査官 奪われた名画を追え』ロバート・K・ウィットマン、ジョン・シフマン  柏書房
『フィクションとしての絵画』 千野香織・西和夫  ぺりかん社
『絵を見る技術 名画の構造を読み解く』 秋田麻早子 朝日出版社
『構図がわかれば絵画がわかる』  布施英利  光文社新書

以上
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