遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『禁断の国史』  宮崎正弘   ハート出版

2025-01-17 20:39:45 | 歴史関連
 新聞広告で本書を知った。書名の「禁断」という冠言葉に興味を抱いたためである。
 「禁断」という語句は「絶対にしてはならぬと堅く禁じられていること(行為)」(『新明解国語辞典 第五版』三省堂)という意味だから、日本史を語るのに、敢えてこの語句を付けるのはなぜか? 何か思い切った見解でも述べるのだろうか・・・・。まあ、そういう好奇心から。地元の図書館の蔵書本を借りて読んだ。
 本書は、2024年8月に単行本が刊行された。

 サブタイトルがおもしろい。「英雄100人で綴る教科書が隠した日本通史」。
 「序章 日本の英雄たちの光と影」で著者は記す。「歴史とは物語である。英雄の活躍が基軸なのである」と。そこで、著者は一人の英雄(時折、複数)を取り上げて、その人物が日本の歴史にどのように関わったのか。人物のプロフィールと行動を描く形で、歴史年表の項目になっている史実に触れていく。英雄たちをつないでいく形で、日本通史の語りを試みる。私にとっては、今まで読んだことのないスタイルの通史本の面白さとともに、視点の異なる史実解釈に接する機会となった。

 序章の3ページを読むだけで、著者が現在の歴史学者の見解を批判する歴史観のもとに本書を記していることの一端がわかる。
 要約すると、著者はまずこの序章で次の観点を指摘する。
*歴史の始まりにある神話を現在の歴史教育は無視する。日本人は自らの先祖の物語を忘れ、神々を信じなくなった。神話の実在性を裏付ける地名、遺跡の存在に歴史学者は知らん顔である。
*今の歴史書には自虐史観の拡大と外国文献の記録を事実視し正史とする誤断がある。
*史実については、後世の史家の主観の産物(見解)が押し付けられているところがある。

 そして、序章の次のパラグラフで、本書の意図を述べている。
”この小冊が試みるのは、「歴史をホントに動かした」英傑たち、「旧制度を変革し、国益を重んじた」愛国的な政治家、「日本史に大きな影響をもった」人たちと「独自の日本文化を高めた」アーティストらの再評価である。時系列的に歴史的事件を基軸にするのではなく、何を考えて何を為したかを人物を中軸に通史を眺め直した。従来の通説・俗説を排しつつ神話の時代からの日本通史を試みた。”と。(p3)

 本書の構成とその章で取り上げられた英雄たちの人数を丸括弧で付記しておこう。
   第1章 神話時代の神々           ( 8)
   第2章 神武肇国からヤマト王権統一まで   (13)
   第3章 飛鳥時代から壬申の乱         (12)
   第4章 奈良・平安の崇仏鎮護国家      (24)
   第5章 武家社会の勃興から戦国時代     (20)
   第6章 徳川三百年の平和          (21)
   第7章 幕末動乱から維新へ         (19)

 例えば、第2章と第5章で、著者が誰を英雄たちとして取り上げているか。その人名だけ列挙してみる。この時代の通史として、あなたのイメージにこれらの人々が想起されるだろうか。
【第2章】 神武天皇/ 崇神天皇/ 日本武尊/ 神功皇后/ 応神天皇/ 雄略天皇/
      顕宗天皇/仁賢天皇/ 継体天皇/ 筑紫君磐井/ 稗田阿礼・太安万呂

【第5章】 平清盛/ 木曽義仲/ 源頼朝/ 後鳥羽上皇/ 亀山天皇/ 親鸞/ 後醍醐天皇
  足利尊氏/ 光厳天皇/ 楠木正成/ 北畠親房・北畠顕家/ 日野富子
ザビエル/ 織田信長/ 明智光秀/ 正親町天皇/ 豊臣秀吉/ 石川数正
黒田官兵衛
 私の場合、第2章では、想起できる人名が数名、第5章では想起できない人名が数名いた。
 
 本書に登場する英雄たちの中に、今までまったく意識していなかった人物が居る。また、過去の読書や見聞から、多少は知識として知っていても、本書で知らなかった側面を知らされる機会になった。ほとんどが2ページという枠に納めて日本通史に絡める論述なので、かなり断定的な記述にもなっている。そのため、そういう側面や事実があるのか・・・・という受け止め方になりがちだった。本書により問題意識を喚起されたというのが、本書のメリットと感じる。
 例えば、豊臣秀吉が行った朝鮮への二度にわたる出兵は、ポルトガル、スペインによる日本侵略に対する先制予防戦争の原型(p159)。秀吉によるキリシタン追放の意図は背景に宣教の陰に隠れた闇商売の問題事象がからむ(p177)。勝海舟が蘭学修行中に、辞書を1年かけて2冊筆写した(p235)。など、他にもいろいろと知的刺激を受けた。つまり、「そういう側面や説明」の指摘については、一歩踏み込んで史資料で確認するというステップを踏んで、理解を深めるステップがいるなという思いである。歴史認識への刺激剤。

 一方で、筆者の筆の滑りなのか、編集・校正ミスなのかと思う箇所もある。例えば、紫式部の項の「夫の越前赴任により現在の越前市に住んだことがある」(p118)は明らかに父の越前赴任のはず。「光る君へ」でもそうだった。親鸞の項目の「『歎異抄』『教行信証』などは親鸞の弟子たちがまとめた」(p136)。この箇所、『歎異抄』は弟子の唯円がまとめたと言われているが、『教行信証』は親鸞自身が晩年まで本文の推敲を重ね続けたと見聞する。引用文の形では意味が変化するように思うのだが・・・・。

 いずれにしても、ここで取り上げられた英雄たちについて、まったく名前すら知らなかった人びととが取り上げられている。名前は見聞したことがあっても、日本通史の中で重要な位置づけとしてとらえていなかった人々がいる。知らなかった側面に光が当てられた人々もいる。
 そういう意味で、知的刺激を結構受けた日本通史本である。

 著者の視点・見解も含めて、我が国の過去の歴史に一歩踏み込んでみたいと思う。

 ご一読ありがとうございます。
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『西行 歌と旅と人生』   寺澤行忠   新潮選書

2024-11-08 17:40:59 | 歴史関連
 若い頃に購入した『山家集 金槐和歌集 日本古典文学大系29』(岩波書店)が手元にある。たぶん西行の歌に関心を高めていたときに入手したのだろう。時折、参照する程度で完読せずに今にいたる。不甲斐ない・・・。もう一つのブログで日々の雲の変化を載せいたとき、2023年5月に西行法師が雲を詠み込んだ歌を抽出して併載する試みをしていた。これが直近で『山家集』を久しぶりに参照した記憶である。
 今までに、断片的な西行についての記事等を読んだことはあるが、西行の人生そのものについてまとめられた書を読んだことがない。昨年、『山家集』を拾い読みしていたせいだろうか、タイトルが目に止まり、サブタイトルの「歌と旅と人生」に惹かれた。
 本書は今年、2024年1月に、新潮選書の一冊として刊行されている。

 本書を手に取り、初めて著者を知った。「おわりに」と著者プロフィールによれば、1942年生まれ。慶應義塾大学名誉教授。文学博士。専攻は日本文学・日本文化論。文献学・書誌学の領域に入り、「私の研究も文献学的なアプローチをとることになった。実際、研究を始めてみると、西行歌集に関する文献の整備がきわめて遅れていることを痛感し、図書館・文庫・個人の所有者などを訪ね歩いて、写本や版元の調査研究をするようになった」(p227)という。現存する写本・版本はほとんどすべて閲覧・調査されたそうだ。その研究は『山家集の校本と研究』『西行集の校本と研究』二書として公刊されている。
 私にとっては本書が西行研究者とのラッキーな出会いとなった。

 本書は読みやすい。教養書という位置づけで執筆されているからだろう。
 「はじめに」の末尾に、本書執筆のスタンスが明記されている。「本書は研究者として長年西行に親しんできた者が、実証に基づきつつ、文化史の大きな流れの中で改めて光を当て、新しい西行像の彫琢を試みたものである」と。
 つまり、実証ベースで西行の歌や旅の軌跡、西行を取り巻く史実としての系譜、人間関係が織り込まれながら、西行の人生が、読者には読みやすい形でまとめられている。
 本書全体は、ほぼ西行の人生の時間軸に沿う形でまとめられている。年代記述ではなく、西行の人生のフェーズを取り上げ、テーマを設定し、そのテーマに関連する形で、西行が詠じた歌を集めて、実在する資料を援用し、西行の思考や心を浮き彫りにしていくというアプローチが試みられている。取り上げられた歌は、原歌と歌意の訳文がセットになっているので、歌の意味がわかりやすい。ここでは個々の歌の鑑賞だけではなく、そこに集合させた歌のまとまりを介して、西行像が実証ベースで描き出される。
 西行の歌と西行が研究者の視点でどのように論じられているかという点にも触れられていて、様々な見解があることもわかる。また、歌の相互関係の分析から西行の意図や心について推論が加えられていて、著者の思いが述べられていく。なるほどと思う論述を楽しめる。

 全体の構成をご紹介しておこう。
 1. 生い立ち 2. 出家   3. 西行と蹴鞠     4. 西行と桜   5. 西行と旅
 6. 山里の西行  7. 自然へのまなざし      8. 大峰修行   9. 江口遊女
10. 四国の旅   11. 地獄絵を見て  12. 平家と西行   13. 海洋詩人・西行
14. 鴫立つ沢   15. 西行の知友   16. 神道と西行   17. 円熟
18. 示寂     19. 西行と定家   20. 西行から芭蕉へ 21. 文化史の巨人・西行

 詳細は本書をお読みいただくとして、西行像を知るうえで本書から学んだことを覚書として、引用と要約で記してみたい。
*西行の家系は藤原秀郷を祖とし、その子・千常系の子孫。俗名は佐藤義清(ヨシキヨ)
 曾祖父公清から父康清までは、左衛門尉かつ検非違使だった。
*西行生年の記録はない。藤原頼長の日記『台記』の記述から生年が推定できる。
 元永元年(1118)生まれ。平清盛と同年の生まれ。→ 時代をイメージしやすい。
*18歳で任官し、ほどなく鳥羽院の北面武士として出仕。この頃、徳大寺家藤原実能の家人となる。実能の妹が、鳥羽院の妃・待賢門院だった。
*『台記』によれば、西行は在俗時より仏道に関心が深かった。「出家を促す要因が他人から見て少しも見い出されないにもかかわらず、出家という行為を敢然と実行した西行に、人々は称賛を惜しまなかった」(p26)義清、23歳で出家。出家の要因に恋愛問題(?)
 西行には、実家に荘園の経済的バックがあったことを指摘。
*西行が桜を詠んだ歌は、詠出歌全体の1割以上。西行が眺めていたのは山桜。
*出家により仏道修行と作歌修行をめざす。両修行は密接不可分。和歌仏道一如観。
 出家直後は、都の周辺で庵をむずび、修行。
 高野山の真言宗で長期間修行。ここを活動の拠点にした。
 その初期、西行は壮年期に大峰山にて修験道の修行も行う。
 1180年に高野山を去り、伊勢に移住。足かけ7年を過ごす。神道に対する信仰も厚い。
 中世における大日如来本地説の立場を西行は先行していたと思われる。
 西行という法号自体は浄土教のもの。
*「西行自身は、生涯にわたり作歌の道に精進を重ねてきたにも拘わらず、いわゆる歌壇と直接交渉を持とうとはしなかった。当時盛んに行われた歌合の場にも出席しなかった」(p200)
*「人生無常の思いは、西行の歌に流れる通奏低音である」(p220)
*「西行は、日本の思想史を貫く無常の自覚と、それを乗り越える『道』の思想の発展において、きわめて大きな役割を果たしたのである」(p221)
*西行の行動範囲:都、高野山、大峰山、吉野山、伊勢、熊野、二度の奥州行脚、西国・四国への旅

 「おわりに」で、著者は、『山家集』の写本で、京都の陽明文庫所蔵の写本が最善本とされ、その本文がほとんどあらゆる西行歌集のテキストに用いられていることに触れている。その写本自体にも誤写の箇所があることを文献学的見地から事例をあげて指摘されている。「本文が間違っていれば、その解釈も当然おかしなことになる。書物というものは、転写が繰り返されるごとに誤写が拡大していく運命にある。したがって西行が詠んだ歌の本来の姿を見定めることは、極めて重要なのである」(p229)
 なるほどと思うと同時に、最新の研究成果を取り入れて校注された西行歌集にも目を向け、数冊対比的に参照して、読むことが必要だなと思う次第。

 西行の詠んだ歌自体を主軸に鑑賞しながら、西行像に多角的な視点からアプローチしていける。西行の世界へ一歩踏み込みやすくて役立つ書である。
 
 ご一読ありがとうございます。


補遺
吉野山と桜   :「吉野町」
高野山真言宗総本山金剛峯寺 高野山  ホームページ
崇徳天皇白峯陵  :「宮内庁」
崇徳天皇 白峯陵 :「新陵墓探訪記」
悲運の帝『崇徳上皇』 :「坂出市」
世界遺産 大峰 ホームページ :「奈良県吉野郡 天川村」
波乱の人生のひととき、伊勢・二見浦にやすらぎを求めた僧侶 西行  :「お伊勢さんクラブ」
円伍山西行庵  ホームページ
西行は待賢門院璋子と「一夜の契り」を交わしたのか――日本文学史最大の謎を追う :「デイリー新潮」
若くて、お金持ちで、前途有望だった西行はなぜ出家したのか――「潔癖すぎた男」の選択  :「デイリー新潮」
「出家するなんて、許せない」――天才歌人・西行に対して、高名な評論家が言い放った「驚きの評価」 :「デイリー新潮」
天才歌人・西行が見せた源頼朝への「塩対応」――貴重な贈物も門前の子供にポイ :「デイリー新潮」
「清廉な西行」と「貪欲な清盛」はなぜウマが合ったのか――正反対の二人を結びつけた「知られざる縁」 :「デイリー新潮」

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『日本史を暴く 戦国の怪物から幕末の闇まで』  磯田道史  中公新書

2024-09-27 13:58:30 | 歴史関連
 『日本史を暴く』というタイトルはショッキングな印象を与え、読者を惹きつける。それは、「暴く」という言葉から受ける印象にある。これって、広告の原則には則っている。
 「暴く」という語を念のために手元の辞書で引くと、「人が隠しておこうと思うものを、ことさら人目に触れるようにする。ことに、人が意図的に隠そうとしている悪徳・非行や、ともすれば多くの人が見逃しがちな欠陥などを、遠慮なく衆の前にそれと示す。」(『新明解国語辞典 第五版』三省堂)と説明されている。
 タイトルを読めば、誰しもこの語義の意味合いで受け止めていて、興味をそそるに違いない。私もその一人。副題がそれを助長する効果を持っている。

 本書は、『読売新聞』(2017年9月~2022年9月)に「古今をちこち」と題して連載されたものを一部改題のうえ、加筆修正を行い、2022年11月に新書として刊行された。
  
 本書の「まえがき」には「歴史には裏がある」という標題がついている。冒頭はこんな書き出し。「歴史には裏がある。歴史は裏でできている。この本に書いてあるのは、歴史の裏ばかりだ」。つまり、著者は歴史教科書はじめ、市販の歴史書などで取り上げられている史実では取り上げられていない側面を本書の話材としている。著者自身が遭遇あるいは発見した古文書を読み解き、さらに歴史研究者の諸論文を援用し、一般に語られる史実の表には見えなかった「裏」の側面をここでオープンにしていく。

 我々が知っているつもりの歴史は、史実の一面である。
 事実はいわば多面体。いろいろな側面があり、証拠資料が発見されれば、史実の内容がより明らかになる。解釈を深めることができる。そんなスタンスで、著者は「裏がある」と語っている。本書を読み、そう受け止めた。読後印象は、史実をより多面的にとらえるために、著者が実際に発見した事実を具体的に列挙してみせた。歴史を「暴く」というスタンスとは少し違うように感じた。
 よく言えば、我々が学び、知る歴史の史実は表層的な事実だけであり、その史実を多面的にとらえ、理解の奥行きを広げ、懐深く史実をとらえ直す一助となる書である。
 我々が知る歴史の史実解釈について、新しい証拠を示して覆そうという類の意図はない。今まで世に出ていなかった古文書の発掘、発見から得た情報を主体にしながら、史実の周辺を補強できる話材を集めた書といえる。ちょっと、人に教えたくなるようなトレビアな知識の集積本という一面を併せもつ。雑多な話材が盛り込まれていて、知的好奇心をかきたてられる書でもある。つまり、公知の史実から一歩踏み込み、その裏にある知られていなかった事実を証拠をもとに語ることで史実の解釈に新しい側面が加わり、理解が深まることに繋がる。

 著者は「おおよそ、表の歴史は、きれいごとの上手くいった話ばかりで出来ている」(pⅳ)と言う。そこに「自分で探した歴史だから、現場の一次情報」(pⅵ)と自信をもって、埋もれていたリアルな話材をこの本で紹介し、そのネタを料理してくれている。史実に絡んだリアルな話の好きな読者は、この料理を味わいたくなるだあろう。

 本書の構成は以下の通り。
   第一章 戦国の怪物たち
   第二章 江戸の殿様・庶民・猫
   第三章 幕末維新の光と闇
   第四章 疫病と災害の歴史に学ぶ

 副題に記された「戦国の怪物」は、第一章の話材として出てくる。松永久秀、織田信長、明智光秀、細川藤孝、豊臣秀吉、徳川家康をさすようだ。比類なき戦国美少年と称された名古屋山三郎を登場させ、淀殿との密通説について触れているのが興味深い。密通説はどこかで見聞したことがあるが、秀吉が「淀殿周辺の男女を淫らな男女関係を理由に大量に処刑している」(p36)という事実を本書で初めて知った。歴史記述の表には出てこない話である。また。「家康の築城思想」(p46-48)はおもしろいと思った。
 第二章では、徳川家と徳川御三家に関わる裏話、忍者の知られざる側面の話、赤穂浪士が「吉良の首切断式」を泉岳寺の尊君墓前で行った話、女性の力で出来た藩が実在した話、江戸時代の猫についての話など、話材が多岐にわたっている。すべて古文書などの資料的裏付けがあるので、興味深く読める。
 副題にある「幕末の闇まで」という記述はちょっと一面的。第三章の標題は、「幕末維新の光と闇」と題して、光の側面も話材にして、バランスがとられている。明るい側面としては、幕末の大名、公家や武士の日常生活の側面を具体例で取り上げている。坂本龍馬が関係する『藩論』の古文書が発見できたことを語る。松平容保と高須四兄弟にも触れている。一方で、西郷隆盛が抱えていた闇の側面、そして、孝明天皇毒殺説という闇の側面に触れている。孝明天皇の公式記録にも掲載されていない病床記録を発見したこととその内容の分析である。興味深い話材ばかりである。
 第四章は、まさに闇に近いだろう。これまでこの側面は大災害や大流行の疫病が歴史に名をとどめても、事実ベースで詳細に語られるというのは表の歴史ではほとんどなかった。具体的に話材としてこの章で取り上げられている。日本における「マスク」の起源を論じているところが興味深い。

 読者に新たな知見を少し加え、話材が豊富で日本の歴史の多岐にわたり、読者を飽きさせない構成になっているのは間違いない。楽しめる一書である。

 ご一読ありがとうございます。
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『ずっと、ずっと帰りを待っていました 「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』 浜田哲二・浜田律子 新潮社

2024-08-20 22:00:04 | 歴史関連
 著者はフリーランスのジャーナリスト夫妻。哲二さんは元朝日新聞社カメラマン、律子さんは元読売新聞大阪本社記者。「沖縄には20世紀末から通い始め、本島の中南部で戦没者の遺骨や遺留品を収集し、身元を特定して遺族に返還する活動を続けている。勤めていた新聞社での取材がきっかけだったが、2010(平成22)年に哲二が会社を早期退職したのちは、毎年約2ヵ月間は現地に滞在し、ボランティアで取り組むようになった」(p4)という。
 2015年2月、沖縄本島南部の糸満市喜屋武と福地に連なる丘陵地の岩山の横穴で18枚の認識票を収集した。この認識票の持ち主を特定しようと著者たちが奮闘する中で、思い余って相談したNHKの記者から、沖縄戦の最後の戦闘に加わっていた歩兵第32連隊第1大隊の元隊長・伊東孝一(元大尉)さんがお元気であるという情報を得る。認識票の持ち主の特定という一縷の望みをかけた伊東孝一元大隊長との出会い。これが本書の生まれる始まりになる。
 西原・小波津の戦闘、首里近郊146高地、棚原高地と次々に指令を受け転戦し、最後の防衛線として糸満・国吉台の戦闘という激戦を経て、終戦を迎え、伊東大隊長以下の生存者は奇しくも本土に生還した。

 沖縄戦から生還した伊東大隊長は、1946(昭和21)年6月1日付で、およそ600の遺族に詫び状を送られた。それに対して、356通もの返信が届いた。伊東さんは、この返信を己が没するときに携えていくつもりでおられたようだ。また、2001年に伊東さんは戦記『沖縄陸戦の命運』を私家版として出版されていた。
 著者たちが伊東大隊長と面談でき、認識票についての話が一段落した後、哲二さんは、人目を避けた場所で、「ところで、遺族に手紙を書かれたそうですが、返信が来たのでは」と伊東大隊長に問いかけたという。私家版の戦記に一行記されていた箇所について、哲二さんは問いかけたのだという。後日、面談いただいたことへの礼状を投函する際に、「その最後に、ジャーナリストとして沖縄戦の記録と記憶を残すために、遺族からの手紙を読ませてほしいと書き添えて投函した」(p8)。それに対し、伊東大隊長からは己の心を定め答えを出す猶予がほしいとの返信があった。
 2016年8月、終戦記念日の少し前に、手紙の公開について応諾の返事が伊東さんから届く。「この手紙には、当時の国家や軍、そして私の事が、様々な視点で綴られている。礼賛するものもあれば強く批判したものも。そうした内容の良いも悪いもすべて伝えてほしい。手紙にしたためられた戦争犠牲者の真実を炙りだしていただきたい。どちらか一方に偏るならば、誰にも託さない」(p9)と記されていたそうだ。

 終戦から71年が過ぎた秋(2016年10月)に、著者夫妻に356通の手紙が託された。
 約70年前の書簡の解読、分析から始め、その手紙の差出人もしくは遺族関係者の現住所を特定するという困難な追跡作業が引き続く。「これを世に出すには、手紙の差出人の遺族の了承を得る必要がある」(p11)からだ。
 本書には、この追跡調査のプロセスの一部も記述されている。
 そして、伊東大隊長の詫び状に対して、出された返信の書簡が困難を経ながらも無事に受諾され、遺族に引き取られることになる。この過程で、戦争の犠牲者となった兵士たちの遺族関係者の戦後の生活にも簡略に触れられていく。戦死した兵士たちだけが戦争の犠牲者ではない。その遺族の人々にもその後の犠牲が及んでいるのだ。「指揮官と遺族の往復書簡」はいわば、戦後につながる契機となっている。この側面は本書を通して、戦争について考える重要な要素だと思う。
 一方で、引き取りを拒絶される事例や、追跡調査ができない事例もあるという。

 著者たちと伊東大隊長の関係は、伊東大隊長への手紙を介して深まっていく。書簡の公開への承諾と書簡の引き渡しが、困難を経ながらも少しずつ進行していく。そのプロセスが進行するさなか、2020年2月、伊東大隊長は自宅でひっそりと逝去された。享年99歳。

 本書はドキュメンタリーという分野の一書になると思う。
 「プロローグ---伊東大隊長への手紙」には、本書が生み出された背景が記述される。そこに、上記した伊東大隊長の詫び状の書簡文が開示されている。
 そして、本文は7章で構成される。各章は歩兵第32連隊が指令を受けて戦闘拠点を移動させていく状況に合わせて、構成されていく。その一部は上記で触れているが、改めて章題としてご紹介しておこう。
 第1章 戦いは強固な陣地づくりから
        ー沖縄上陸と戦闘準備(1944年夏~45年4月中旬)
 第2章 陣地なき戦い
        ー緒戦、西原・小波津の戦闘(1945年4月末)
 第3章 噛み合わない作戦指令
        ー首里近郊、146高地の戦闘(1945年5月初旬)
 第4章 死闘、また死闘
        ー棚原高地の奪還作戦(1945年5月5~7日)
 第5章 玉砕を覚悟
        ー首里司令部近郊の守備~南部撤退(1945年5月中旬~5月末)
 第6章 最後の防衛線
        ー糸満・国吉台の戦闘(1945年6月中旬)
 第7章 武装解除までの消耗戦
        ー糸満・照屋の戦闘(1945年6月~8月末)
 エピローグ ------奇跡の帰還

 各章とエピローグの前半部には、当時24歳だった青年将校、伊東大隊長の視点から、沖縄戦が伊東大隊の戦いを辿る形で記述されていく。その内容は、伊東孝一著、私家版の手記・戦記『沖縄陸戦の命運』を土台に、「復員した同大隊兵士、戦没者およびその遺族らによる手紙や証言、その他の記録などを参照・一部引用したうえ」で著者が構成している。この部分は、本文がグレー地で表示されている。
 それに引き続き、伊東大隊長に返信された書簡の内容開示されていく。その開示にあたる追跡調査のプロセスの要点や、書簡を引き取っていただいた遺族関係者の戦後の状況や思いが併せて記述されていく。返信された方ー父、母、妻ーの思いが、その返信文の中に、様々な形で表出されている。沖縄戦の展開状況を読み、その拠点で戦死した兵士の遺族からの返信書簡を合わせて読むと、涙せずにはいられない箇所が頻出してくる。
 
 エピローグに返信書簡はない。その代わりに、沖縄で犠牲になった二十数万人の戦没者のなかで、DNAが合致して身元が判明した6例目のことが取り上げられている。それは伊東大隊の隊員の一人の遺骨と判明し、2021年4月に奇跡の帰還を果たした。その隊員については、父親からの返信書簡が第7章で取り上げられている。
 もう一つ、伊東さんが訪問を受け、面談した人々に対して、伊東さんが尋ねた質問とその結果、及び伊東さんの意見について著者が記述している。
 その質問とは、「日本にとって、大東亜戦争とは? 
            ①やむにやまれぬものか ②愚かなものか 」 である。
 
 後は本書をお読みいただきたい。

 先日、GOOブログのU1さんのブログ記事で本書を知った。ブログ記事を読んでいなければ、知らずに終わる一冊になったかもしれない。

 団塊の世代の一人として生を受け、いわゆる「戦争を知らない世代」、戦争に関わる直接体験が皆無の世代の一人として生きてきた。沖縄での戦いは、米軍上陸に伴う沖縄の人々がどのような状況に投げ込まれたかについて、本や記録報道などで見聞したことはある。一方、沖縄本島における沖縄戦の戦闘に絡んだ戦記の側面は読むことがなかった。本書で初めてその一端に触れた思いがする。さらに、沖縄戦で犠牲となった兵士の遺族の思いがどうであったか、そこまで具体的に思いを及ぼすことはなかった。己の無知を知らされる。
 そういう意味では、得難い一冊となった。

 世界の各地で戦争が継続している。「戦争」のない世界平和はなぜ実現できないのだろう。
 日本が「あらたな戦争前夜」へと踏み出さないことを願う。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
これを機会に、少し情報を検索してみた。
戦没者の遺骨収集の推進に関する法律  :「衆議院」
遺骨収集事業の概要  :「厚生労働省」
戦没者遺骨収集情報センター   :「県営平和祈念公園」
「遺骨収集」の記事一覧  :「沖縄タイムスプラス」
日本戦没者遺骨収集推進協会  ホームページ
沖縄戦  :「沖縄県」
沖縄戦の歴史         :「沖縄市役所」
沖縄戦の実相         :「沖縄市役所」
沖縄市における沖縄戦について :「沖縄市」
【そもそも解説】沖縄戦で何が起きた 住民巻き込んだ「地獄」の戦場:「朝日新聞DIGITAL」
沖縄戦の概要  :「内閣府」
伊東孝一    :ウィキペディア
「大隊の部下の9割を失って」  動画 :「NHK」

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
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『人体ヒストリア』 キャスリン・ペトラス  ロス・ペトラス  日経ナショナル・ジオグラフィック 

2024-05-03 14:13:19 | 歴史関連
 タイトルに惹かれて読んだ。キャスリンとロスのペトラス兄妹の共著作。ペトラス兄弟は言葉をテーマにした数多くのユーモアあふれる本を数多く出し、ベストセラー本もあるという。本書は言葉の代わりに、人体のバーツ(部位)-五体、諸器官など-に着目し、歴史を作る人間、総体としての人から、さらに一歩踏み込んで、その人の人体のパーツが歴史を変えたということをテーマにしている。副題は「その『体』が歴史を変えた」。
 実にユニークな視点。歴史的発見や史実を生み出し、歴史に名を残すのは人である。歴史に名を刻んだ元々の遠因がその人の体のパーツにあるというのだから、おもしろい。
 2023年8月に翻訳の単行本が刊行された。コピーライトを見ると、2022年に出版されている。
 本書の原題は、"A HISTORY OF THE WORLD THROUGH BODY PARTS" である。

 「もしクレオパトラの鼻がもっと低かったら、世界の様相はすっかり変わっていただろう」という格言を、ほとんどの人はどこかで見聞したことがあるだろう。超有名な格言。これが、端的に本書のテーマの象徴となる。クレオパトラ(紀元前69年~紀元前30年)の美貌が鼻に象徴されている。「鼻」という体のパーツがエジプトの女王、クレオパトラ7世の人生を変転させたという。この歴史的エピソードは、勿論、本書では第4章に詳しく取り上げられている。17世紀のフランス人哲学者ブレーズ・パスカルは、人体のパーツである鼻のサイズをきわめて大きな問題として哲学的探求の素材にしたらしい。

 trivia という英単語がある。トリビアとそのままカタカナ語で使われている。
 辞書によれば、「1.ささいな[つまらない、くだらない]こと 2.雑情報、(クイズなどで問われる)雑学的知識」(『ジーニアス英和辞典第5版』大修館書店)と説明されている。ほかでは豆知識とも訳されている。
 本書は、いわばトリビアの集成ともいえる。つまらない歴史秘話ととらえるか、歴史に名を刻んだ人々の本音、本源、動因に関わったかもしれないエピソード、雑学的知識として一考するネタ、豆知識と捉えるかは、読者の受け止め方次第である。

 ペトラス兄弟が膨大な参考文献を渉猟して、特定の歴史上の人物と人体のパーツを結びつけ、歴史の一事象を読者にとって読みやすく綴っている。秘話とも言える側面を扱っているので、読みだしたら、殆どが知らなかったことばかり・・・。という訳で、おもしろくて止まらなくなる。好奇心に訴えかけるエピソード集である。
 末尾には、なんと参考文献が20ページにわたって列挙されている。全部横文字。翻訳文献はない。このトリビア領域にも、研究者や好事家が大勢いることがわかる。

 第1章は起源前5万年~紀元前1万年前の事例から始まる。フランスのピレネー山脈のガルガスの石灰岩洞窟、深奥の「手」の身体芸術事例を中心に述べている。エピソードは、ほぼ年代順に、クレオパトラの鼻、古代ギリシャの彫像に見る最高神ゼウスのペニス、マルティン・ルターの腸、ジョージ・ワシントンの(入れ)歯、レーニンの皮膚、そして、最終の第27章はアラン・シェパードの膀胱に至る。
 アラン・シェパード(1923~1998)はアメリカの宇宙飛行士の一人。最後のエピソードはアランからはじまり、その後の宇宙飛行士の全員が抱える排尿・排便の秘話を取り上げている。この切実な問題、読者には興味深い。

 上記と一部重複するが、「本書を構成する人体の部位」が内表紙の裏面に掲載されているので、その一覧をご紹介して終わりたい。 右側に人物について多少付記した。
  1.旧跡時代の女性の手
  2. ハトシェプスト女王の顎ひげ    エジプト第18王朝のファラオ
  3.最高神ゼウスのペニス
  4.クレオパトラの鼻
  5.趙氏貞の乳房          3世紀のベトナムの女性戦士
  6.聖人カスパートの爪       7世紀の修道士。イングランドのダラム教会に安置
  7.ショーク王妃の舌      メキシコ、マヤ文明の一都市ヤシュチランの王妃
  8.アル・マアッリーの目     アラビアの哲学的詩人。イスラムの理神論者
  9.ティムール(タメルラン)の脚   ティムール帝国の創建者。悪名高い征服者
 10.リチャード3世の背中       イングランド、ヨーク朝最後の王
 11.マルティン・ルターの腸   16世紀の宗教改革の中心的人物
 12.アン・ブーリンの心臓       イギリス王ヘンリー8世が処刑を命じた元妻
 13.チャールズ1世とクロムウェルの頭 イングランドの王と議会派のリーダー
 14.カルロス2世の顎         スペイン、ハプスブルグ家最後の王
 15.ジョージ・ワシントンの(入れ)歯  アメリカ初代大統領
 16.ベネディクト・アーノルドの脚  アメリカ独立戦争の立役者。英国に寝返る
 17.マラーの皮膚          フランス革命の指導者。暗殺され有名に
 18.バイロン卿の足         イギリスの詩人
 19.ハリエット・タブマンの脳    脳損傷で特殊能力活性。女性参政権運動元祖
 20.ベル一家の耳          電話の発明者とその一族
 21.ウィルへルム2世の腕       ドイツ皇帝、第一次世界大戦を引き起こす
 22.メアリー・マローンの胆嚢    最初の無症候性腸チフス保菌者
 23.レーニンの皮膚         ソビエト連邦建国者のエンバーミング
 24.秋瑾の足            中国のフェミニスト革命家。纏足からの解放
 25.アインシュタインの脳      天才的な物理学者
 26.フリーダ・カーロの脊柱     太い一本眉で有名なメキシコの画家
 27.アラン・シェパードの膀胱

 人体のパーツが、歴史にどのような影響を及ぼすことになったのか。トリビア、エピソードをお楽しみあれ!

 ご一読ありがとうございます。


補遺
太古の芸術家は女性だった?  :「NATIONAL GEOGRAPHIC」
アル=マアッリー      :ウィキペディア
ティムール   :ウィキペディア
処刑を繰り返す暴君!ヘンリー8世の素顔と6人の妻の悲劇 :「COSMOPOLITAN」
ベネディクト・アーノルド  :ウィキペディア
ハリエット・タブマン    :ウィキペディア
第一次世界大戦   :「ホロコースト百科事典」
レーニン廟     :ウィキペディア
検便はなぜ必要か~「腸チフスのメアリー」:「株式会社東邦微生物病研究所」
纏足        :ウィキペディア
フリーダ・カーロ  :ウィキペディア

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