遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『日蓮』   佐藤賢一   新潮社

2024-05-19 18:44:50 | 諸作家作品
 タイトルが目に止まり読んだ。本作は「パッション」という題で「小説新潮」(2020年6月号~2021年1月号)に掲載された後、2021年2月に「日蓮」に改題されて、単行本が刊行されている。
 表紙のカバーには、日蓮聖人御持物『妙法蓮華経』(池上本門寺所蔵)が使われ、本扉には、長谷川等伯筆『日蓮聖人像』(髙岡大法寺所蔵)が使われている。この日蓮聖人像はどこかで見たことがある・・・・。手元にある京都国立博物館での特別展「没後100年 長谷川等伯」(2010年)の図録を改めて見ると、通期で展示されていた一点だった。長谷川等伯が永禄7年(1564)に描いた作。重文。

 日蓮についての本は今まで読んだことがない。著者は関心をよせる作家の一人でもあり、よい機会だと思った。本作は伝記風小説というところか。
 日蓮の視点から日蓮の活動のプロセスを描き上げていく。焦点となる時期は、日蓮が十余年にわたる勉学を終えて「叡山帰り」をし、建長5年(1253)、安房の国の名刹・清澄寺において「説法」をする場面から始まる。この時点から、文永11年(1274)10月、来襲した蒙古軍・高麗軍が風雨により撤退するいわゆる文永の役に至る。日蓮はこの報を身延の庵室で弟子から聞くという場面で終わる。
 日蓮は貞応元年(1222)2月生まれなので、当時の年齢法でいえば32歳から53歳までの時期が描き出されている。ネット検索で得た情報を加えると、1253年の「説法」場面は、日蓮の「立宗宣言」に相当する。一方、最後の場面は、日蓮が身延(山梨県)に入山した年になる。(資料1,2)

 本作は<第一部 天変地異>、<第二部 蒙古襲来>の二部構成である。
<第一部 天変地異> 建長年(1253)~文永4年(1267)
 「一、朝日」は、まず日蓮が仏法・真理を学んだ経緯を簡潔に記す。そして、「叡山帰り」をした1253年に17日の籠山行を行い、その直後に、得度により是聖房と称してきた己の名を、日蓮と自ら改めたという。「日」は法華経如来神力品第21、「蓮」は従地涌出品第15より引いたということを、この小説で初めて知った。
 「二、説法」から始まる場面が、日蓮の信念とスタンスを如実に描き出していく。人々が救われるのは法華経に依拠するときだけであり、法華経には全てのことが記されているという日蓮の信仰・信念・思想が表明される。それゆえ、後に「立宗宣言」と称されるのだろう。日蓮は既存の他宗派を悉く否定する立場を明確にする。その槍玉に最も挙げたのは浄土宗の念仏「南無阿弥陀仏」の否定である。さらに禅宗、天台宗、真言宗等の否定である。
 清澄寺は天台宗、比叡山横川流の末寺であった。その天台宗で行われていた念仏すら否定した。そして、「南無妙法蓮華経」を唱えよと主張する。唱題の勧めである。
 結果的に、日蓮は師の道善房から破門されて、清澄寺を去り、鎌倉に向かう。

 第一部で、日蓮は辻説法により唱題を勧めり。経典に依拠して、論理的に他宗派の思想・法論の誤謬を論破していく行動を積極的に推し進める。いわゆる「折伏」である。日蓮は法華経を基盤に、他の諸経典類を援用して、己の論理を構築していることに、よほどの自信があったことをうかがわせる。
 正嘉元年8月23日に発生した「鎌倉大地震」(正嘉の大地震)が地獄絵を引き起こす。その地獄絵の状況から人々を救済するために、日蓮は再び一切経に立ち返って行く。駿河国岩本にある実相寺において、拠るべきは釈迦が述べた言葉であり、無謬の仏に尋ねるべきだという信条のもとに、一切経に立ち返り、考究を重ねる。日蓮は、『金光明経』『大集経』『薬師経』『仁王経』などから、仏の予言に気づくと著者は記す。
 日蓮の経典探求が『立正安国論』の著述として結実する。日蓮は、宿屋光則を介して、北条得宗家の当主、最明寺入道(北条時頼)にその勘文を届けた。この小説で知ったことは、その後も、日蓮は北条得宗家に対して『立正安国論』を繰り返し進言していることだ。己の信念を貫き通すという日蓮の凄さが見えてくる。
 日蓮に帰依する人々が増えて行く。一方で日蓮の他宗派排斥の折伏の継続が軋轢を生む。日蓮の庵があった松葉ヶ谷が強襲される結果となり、日蓮は逃亡せざるを得なくなる。そして、遂に日蓮は断罪を受け、伊豆に配流の身となる。法難である。だが、この配流には、最明寺入道の配慮があったようである。そこは興味深い点でもある。
 第一部は、日蓮の活動が徐々に帰依者を増やし、清澄寺は日蓮が安房で弘法した際の拠点となっていくまでを描く。

 この第一部において、日蓮の考えは、次の引用箇所に集約されていると思う。
「なすべきは法華経の弘法と決まっていた。やってきたことを、やり続けるしかない。この国の仏法を正しい道に戻せたならば、王法も自ずから盤石となるからだ。やり続けるしかない。相模守時宗を支えるに、それに勝る助けはないのだ」(p150)

<第二部 蒙古襲来> 文永5年(1268)~文永11年(1274)10月
 蒙古の牒状と添付の高麗の国書が鎌倉に届いたという知らせが日蓮に届く場面から始まるが、この第二部は、蒙古襲来そのものの状況を描いている訳ではないところがおもしろい。牒状が届き、実際に蒙古襲来が起こるまでの時期に、日蓮が何をしていたのかを克明に描いていく。
 興味深いことは、日蓮が蒙古という大国の存在を知っていたわけではないこと。経典に記された「他国侵逼難」を予言として確信していただけであることだ。だが、その知らせを聞き、日蓮は『安国論御勘由来』を柳営に進言する。だが、日蓮の進言は無視される。 文永8年(1271)5月には旱魃が発生する。鎌倉の柳営は極楽寺の良観忍性に雨乞いの祈祷を命じるが効果なし。日蓮の主張と他宗派との軋轢が高まっていく。7月、名越松葉ヶ谷の日蓮に『行敏難状』が届けられることに進展する。それが因となり、日蓮は奉行人と対決することになり、日蓮は捕縛されることになる。さらには、「竜の口」の法難、「佐渡」への流罪という法難に進展していくことになる。
 第二部の主題は、日蓮の法難の経緯を描くところにあると言える。
 その根底には、日蓮と他宗派との間に、法華経の解釈、読み解き方の差異もあるようだ。また、鎌倉の柳営は、現存する仏教諸宗派の存続を前提とする政治的方針を変えない。政治の次元と宗教の次元の相容れない局面がここに表出しているとも言えそうである。
 この第二部の要は、竜の口の法難において、日蓮が寂光土を感得し、地湧の菩薩の中に現れる四人の導師の中の上行菩薩が己であると開眼し、それ以降、日蓮が上行菩薩としての生き方、人々の教導をめざしたというところにあるように受け止めた。佐渡の流罪はその過渡期といえようか。
 佐渡への流罪は、大仏宣時の一存による下文よる沙汰であったという。下文は本来は執権が下す、あるいは了解して下すものなので、相模守北条時宗は先の下文を怒り、取り消して、日蓮を赦免にする。日蓮に科なく、主張も空言ではないとしたという。
 文永11年(1274)2月に赦免された日蓮は、3月下旬に鎌倉に戻る。だが、日蓮は甲斐国身延に引き籠もる選択をし、5月17日に身延に着いた。身延につき従う弟子もいた。
 日蓮は、身延にて文永の役の事実を知る。

 このストーリーを読み終えて、思ったことがいくつかある。
1.鎌倉幕府の政治的文脈で考えると『立正安国論』は取り上げられなかった。
2. 日蓮の主張が通らなかったので、日蓮は蒙古調伏の祈祷を実行していない。
3. 身延に引いた日蓮と日蓮の弟子たちとの関係は、その後どのように維持されたのか。
4. 日蓮が既存の他宗派の問題点として指摘した事実を各宗派はどのように受け止めた
  のだろうか。

 後半の2点は、私にとっては、新たに考えるべき課題になった。

 本作は、私にとり、日蓮という宗教家を掘り下げていく上での出発点、考えるための材料を得られる機会になった。起点ができたことが大きなプラスである。
 
 ご一読ありがとうございます。


参照資料
1. 日蓮大聖人の御生涯(1) :「SOKAnet(創価学会公式サイト)」
2. 日蓮正宗略年表     :「日蓮正宗」

補遺
大本山 清澄寺  ホームページ
清澄寺  :ウィキペディア
日蓮聖人の生涯  :「日蓮宗 いのちに合掌」
日蓮の手紙  100分 de 名著  :「NHK」
日蓮の足跡を訪ねて  :「さど観光ナビ」
日蓮宗   :「コトバンク」
日蓮宗とは  仏教ウエブ入門講座 :「日本仏教学院」
日蓮宗   :ウィキペディア
日蓮宗総本山寺院ページ一覧  :「日蓮宗 いのちに合掌」
『立正安国論』を読む :「鷲峰の風」

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『尚、赫々たれ 立花宗茂残照』  羽鳥好之  早川書房

2024-05-10 16:58:54 | 諸作家作品
 「立花宗茂残照」という副題に関心を抱き、本書を手にとった。
 本書は2022年10月に単行本が刊行されている。尚、本作の原型となる作品が2021年、日経小説大賞最終候補作となったという。その原型に大幅な改稿を加えて、著者は本書にて作家デビューをした。
 著者略歴によれば、1984年文藝春秋入社後、雑誌編集長、文藝書籍部長、文藝局長など、一貫して小説畑を歩み、2022年に退社。63歳で作家デビューするという異色さ。

 さて、私は葉室麟さんの『無双の花』を読んで、立花宗茂という武将を知り、戦国武将の中で関心を抱く人物の一人になった。この作品の読後印象記を以前に拙ブログ「遊心逍遙記」に載せている。その時、「立花の義」ということがテーマになっていることと、追記で「『無双の花』は宗茂を主軸にしているが、柳川城を退去せざるを得なくなって以降の時代、柳川藩に大名として返り咲くまでの人生後半の段階を焦点にストーリーが展開される」と述べていた。
 そこで、副題の「残照」という言葉が私の心のアンテナに感応した次第。

 目次の次のページから、本書は登場人物について、多くの他書と比較すれば長文ぎみな紹介がある。だがそれは簡略かつ要領を得た人物プロフィールになっている。本作のストーリーの進展を考えると、豊臣秀吉の命令による朝鮮の役、東軍・西軍による関ヶ原合戦、德川家の初期の将軍継承、これらについての背景情報を読者に予め知らせる役割を兼ねているようだ。私はここを読まずに本文を読み始めたので、後で振り返ってみた印象の一つとして、まず記しておこう。

 本作の中心人物は勿論、立花宗茂である。「登場人物」での紹介をまず引用しよう。
”豊臣秀吉から「西国無双」と讃えられた名将。「関ヶ原」では西軍に与して改易されたが、家康、秀忠からその能力を買われ、唯一、旧領を回復する。晩年は将軍家光に敬愛され「御伽衆随一」として重きをなす。左近将監。飛騨守。通称「柳川侍従」”
 登場人物紹介は、これくらいのプロフィールが、この後、德川家光から始まり、加藤忠広まで、19人について列挙される。そして、その後に、「関ヶ原 周辺図」「関ヶ原の戦い 勢力図」が併載されている。この勢力図が本作では大きな意味をなしてくる。

 本書のタイトルは、「尚、赫々たれ」。
 「赫々」を辞書で引くと「(形動トタル)①光り輝くさま。②手がらや名声が際立つさま」(日本語大辞典・講談社)と説明されている。
 本作は、立花宗茂が德川三代将軍家光の御伽衆として仕えている時期を扱っている。「西国無双」と称された宗茂の過去の有り様がまず大前提になっているので、文脈から言えば、②の意味合いといえる。しかし、そこに「尚、」が頭辞として付いているところに、重い意味がある。本作のテーマをこのタイトルが象徴しているなあ・・・というのが読後印象。将軍家光に向かう宗茂のスタンスをこの語句が示している。「西国無双」とまで言われた己の生き様、いわば「立花の義」を崩すことなく、かつ、泰平の世に向かう德川政権の時世の中で、旧領を回復して後の柳川藩と己がいかにサバイバルすることができるか。
 本作では、家光を筆頭とした德川政権と立花宗茂との微妙な心理面での駆け引きが描かれて行く。そこにさらに、重要な人物が関係してくる。一人は毛利秀元、もう一人は天樹院である。
 毛利秀元は、”長府毛利家の藩祖。「関ヶ原」では毛利一統を率いて南宮山に布陣したものの、戦況を空しく傍観して「宰相の空弁当」と揶揄された。その後、大国毛利の執政として本家の藩政を主導し、また将軍家「御伽衆」となる。甲斐守。通称「安芸宰相」”と紹介されている。本作では、秀元も御伽衆となっている。
 天樹院とは、二代将軍秀忠の長女であり、千姫の名で知られる。家光の姉にあたる。

 本作は三章構成で、「第一章 関ヶ原の闇」「第二章 鎌倉の雪」「第三章 江戸の火花」である。
 第一章は、祖父である「神君」家康をことのほか崇敬する家光が、父・秀忠の「武断政治」を引き継ぎ、生まれながらにして将軍家の子孫として三代将軍に就く。宗茂は家光直々に、関ヶ原の話をせよと命を受けることになる。関ヶ原では、西軍の一将として参戦した宗茂である。德川政権が確立して以降、戦勝した東軍(德川方)の諸将は己の都合のよい解釈で関ヶ原を語り伝える部分がある。家光が宗茂に参内を命じてきた時期、大御所・秀忠は西の丸で病床にあった。諸藩の誰しもが大御所の死期の到来を思い、三代将軍家光に完全に政権が移れば、己等の存在・藩の存続はどうなるかについて、心中に疑心暗鬼をいだいている時期だった。そんな最中でのお召しである。宗茂が家光と対面する席に、家光は姉の天樹院を同席させるという。その場面から、このストーリーの実質が始まる。
 家光の問いかけは、「天下を握る戦いで、東照神君はどこに一番、意を砕かれたのか、その叡慮に、わずかでも触れたいと願っている」(p31)「戦場を踏んだこともなく、神君からも大御所かrなお、親しく教えを受けることのなかった私に、それがどれほどの輝きをもつことかわかってほしい」(p33)
 この家光の問いかけが、真に本音として何を宗茂から聞きだそうとしているのか。ここで宗茂が述べたことが、家光にどのように受け止められるか。後にどのように使われることになるのか・・・・。事は単純な昔話ではない。その発言内容が話中に登場する人々あるいは己に、谺が刃となり返ってくるかもしれないのだ。宗茂にとては、家光の本音を感受しながらの心理戦、駆け引きをも内包する対談の場になっていく。
 関ヶ原を経験した武将ははや数少なくなっている段階である。それも西軍に加担していた生存者ではごく僅か。実経験者から実話を聞ける機会ももう最後という時期でもある。 そして、宗茂の関ヶ原話の行き着く先は、南宮山上に陣取った毛利一統の去就となっていく。それが、御伽衆の一人となっている毛利秀元に関わってくるのだ。宗茂は秀元と友に、家光に関ヶ原について語ることへと発展していく。それが関ヶ原合戦の闇を明らかにすることに・・・・・。この対談の経緯が読ませどころの一つとなる。

 第二章は、家光から直に天樹院に引き合わされた宗茂が、天樹院に同行し鎌倉に行くことになるエピソードが描かれる。このエピソードは、宗茂が天樹院をより深く知る機会となる。さらに、鎌倉では、天樹院から、東慶寺において、豊臣秀頼の遺児、天秀尼に引き合わされることに。
 この機会は、天樹院が宗茂という人物により信頼を深める機会となる。一方で、宗茂が天樹院に思いを寄せる契機にもなる。
 本作においてはしばしのインターミッションのような役割を果たしていて興味深い。

 第三章は、宗茂への天樹院の信頼感は、宗茂に難問を投げかける形になる。なぜか。
 それは、天樹院と家光にとっては弟である德川忠長の甲府蟄居の問題に関連していた。 大御所秀忠の病状が年の瀬に向かなかで、ますます悪化していた。それ故に、天樹院は弟忠長の蟄居の赦免について、宗茂に家光への働きかけの助力を依頼してきたのである。 この天樹院の依頼に対して、宗茂はどのように対応していくか。御伽衆に過ぎない宗茂が、将軍家の内輪の問題にどこまで関与できるのか。下手をすれば己の身が余波を受けてしまうことになりかねない。さて、宗茂、どうする。どこが助力できる限界となるか。そこが読ませどころになる。
 最後に、大御所秀忠が亡くなった直後の状況が描かれる。その中で、後に加藤家改易騒動と称される事態が発生する。それは情報収集合戦の様相を呈するようになる。その中で、毛利秀元は宗茂に協力を惜しまない。関ヶ原の回顧が彼らの絆を深める機会となったのだ。政権の変わり目の中での宗茂の思い、残照を描き上げている。

 秀忠から家光への実質的な政権交代の転換期、さらには、戦国の残影から泰平の維持強化への移行期という社会状況が、立花宗茂という人物の生き様と絡めて描き出されて行く。立花宗茂の残照を描きつつ、その反面で德川家光の曙光を描いていることになる作品とも言える。
 
 著者は、最後に宗茂の思い切れぬ胸の痛みを描写する。それが宗茂の残照として余韻を残す。

 ご一読ありがとうございます。
 
補遺
立花宗茂   :ウィキペディア 
立花宗茂   :「コトバンク」
德川家光   :ウィキペディア
德川家光   :「コトバンク」
千姫     :「コトバンク」
毛利秀元   :ウィキペディア
德川秀忠   :ウィキペディア
德川忠長   :ウィキペディア
德川忠長   :「コトバンク」

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『のち更に咲く』  澤田瞳子  新潮社

2024-05-09 00:33:15 | 澤田瞳子
 本書を読み終えてから、ネット検索で関連情報を調べてみた。そして、本作は実に巧妙な構想で、歴史的題材をベースに、史実の空隙にフィクションを織り込み、複数の謎解きというミステリー仕立てにしていると思った。下層貴族の懊悩に共感させていく筆致は、あの時代の貴族社会並びに彼らの日常生活への理解を深めさせていく。史実を踏まえたうえで、著者流にその事実の意味を換骨奪胎してフィクションを加えて織り上げて行った時代歴史小説といえる。
 本作は「小説新潮」(2023年1月号~11月号)に連載された後、2024年2月に単行本が刊行された。

 読了後に少し調べてみて、目次の次に載せてある「登場人物紹介」が簡にして要を得ていると改めて思った。ここに記載の系図と説明文を押さえて読み進めると分かりやすいと思う。

 本作は、藤原致忠(ムネタダ)の末女・小紅(コベニ)の視点から、小紅が内奥に抱く疑問を主軸に、その疑問の核心に一歩ずつ迫っていくミステリーになっている。著者によりこのストーリーに織り込まれたフィクションの最たるものが、小紅という女性の設定にあると解釈する。
 この小紅の設定とその視点が、歴史的事実としての実在の人々-おもに上層の貴族とその家族-と、フィクションとして組み込まれた人々-盗賊を含む下層の人々-を巧みに統合し、ストーリーを円滑に進展させる役割を果たしている。
 小紅は今や28歳で、藤原道長の私邸・土御門第で働く下﨟女房として登場する。

 次に重要な登場人物は、小紅の兄、藤原保昌(ヤスマサ)である。保昌は武勇に優れ、藤原道長の四天王の一人と呼ばれた。このストーリーの時点では、肥後守であり、受領層の下層貴族である。
 どこかで見聞した名前・・・・。読みながら連想したのが、祇園祭で巡行する「保昌山」の保昌。読んでいる途中で祇園祭のウエブサイトを確認したら、「丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語に取材し、・・・・」と冒頭に記されていたので、同名の別人だったかと思ってしまったのだが、後で調べ直して、藤原保昌の別名が平井保昌であり、同一人物だとわかった。ただし、このストーリーでは、「保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる」という伝承とは程遠い関わり方になっている。保昌と和泉式部との関係がいかなるものかが、このストーリーで一つの妙味となっている。
 和泉式部は、このストーリーから外れる寛弘年間の末期に中宮彰子に仕えることになるようである。しかし、ここに描かれた和泉式部と、中宮彰子に女房として仕える和泉式部とが、イメージ的にすんなりつながらない印象が私には残った。

 さて、保昌と小紅にとり、祖父からの家系の背景が彼らの生き方を根底からしばっている。この部分は、史実・記録をほぼ踏まえて描き込まれていく。「登場人物紹介」の箇所に明示されていることを「」に転記してみる。
 藤原元方:祖父。「民部卿、天皇の外戚になる夢破れ、悶死」
 藤原致忠:父。「酒席で人を殺めて佐渡へ遠流となる」今から8年前。後、現地で死去
 藤原大紅:姉。「摂津国多田源氏の祖・源満仲の嫁ぐ」
        ⇒本作では父等の不詳事を理由に、己の保身として絶縁を宣言
 藤原斉光:「公卿の闇討ちに失敗し殺害される」今から22年前の事件
 藤原保輔:「郎党を率いて盗みを働き、捕縛され自害」今から19年前。末弟。

 つまり、小紅と兄の保昌は、咎人の血族として肩身の狭い思いで、後ろ指を指されつつ生きてきたのである。小紅は物心ついたころから、この負い目のもとに生きている。兄の保昌はこの負い目を少しでも軽減する為に、道長に忠勤をはげむことに精を出し続けている。

 もう一人、足羽忠信(アスワノタダノブ)という検非違使太尉が登場する。彼はかつては保輔に気に入られ、配下の一人だった。だが、忠信の密告で保輔は自害し、忠信はその功績で馬寮に勤めることできたと、世間的には思われてきていた。その後、検非違使に移って彼の現在がある。だが、忠信自身は密告には関与していず、なぜ密告者と見做されたのかが、忠信にとって解明したい疑問となっている。ここで、忠信の立場からみた謎の究明も、小紅の解明したい謎と絡み合う一側面になる。

 保輔が自害して以来20年近く経った今、都に「袴垂」と称す奇妙な賊徒が出没し始めた。このストーリーに、この袴垂が大きく関わってくることに・・・・。
 疫病や旱魃が数年置きに諸国を襲い、今や都の治安は悪化の一途を辿る状況にある。さらに「朝廷の要職のほとんどを藤原氏が占める当節、生まれながらに栄達を約束された御曹司や、反対にどれだけ足掻いたとて出世の先が見えている中流貴族の若君たちが酒を喰らい、馬や牛車で都大路を疾駆する風景は決して珍しいものではない」(p25)という社会状況になってきている。そのただなかで、袴垂と称する盗賊団が京を跳梁するという次第。
 このストーリーでは直接触れられていないが、調べていて知ったことがある。『今昔物語集』の「本朝世俗部」巻第二十五、巻七には「藤原保昌朝臣、盗人袴垂に會ひし語」という世間話が記録されている。当時、実在したとされる「袴垂」を、そのままストーリーに登場させている。うまくつながっている。
 
 小紅は同僚の命婦ノ君から、都の人々が、袴垂の正体は20年前に死んだ筈の藤原保輔ではないかと噂されていると聞かされる。捕縛される際に割腹して、獄舎でなくなった者は身代わりであり、盗人として再来したのではないかという噂が立っていたのだ。その手口が20年前の保輔のものと似ているという。
 この噂を聞いたことが小紅にとり、動因となる。末兄・保輔が亡くなったのは小紅がわずか9歳の時。小紅は、保輔がなぜ、罪人として自害せねばならなかったか。今、袴垂と呼ばれている盗賊は何者なのか。にっと笑う保輔の歯の白さを記憶する小紅は、世間の評判・噂ではなく、保輔の実像を究明したいという思いを深めて行く。この謎解きが小紅の行動を促す。
 そんな矢先に、土御門第に袴垂が侵入してきた。賊が南の蔵を破ろうとしたところに、女童が行き合い、女童の悲鳴で賊は逃げた。だが、西ノ対にて小紅は隠れていた賊の一人と遭遇することになり、それが契機で袴垂の首領の隠れ家に連れて行かれることになる。 ストーリーは、ここから進展していくことに・・・・・。

 このストーリーの興味深いのは、寛弘4年(1007)の晩秋の頃から寛弘5年の9月中旬という時期に時代が設定されている点である。
 寛弘4年秋には宇治・木幡の浄妙寺多宝塔造営が進行していて、12月2日に浄妙寺多宝塔の供養が実施される。同12月には中宮彰子の妊娠が確実とみなされることとなり、寛弘5年には、彰子が土御門第に退出してくる。そして、9月11日、皇子敦成親王誕生。引き続き生誕に伴う諸行事が執り行われていく。道長42~43歳、我が世を迎える時期に、このストーリーの焦点が当たっている。
 この時代の様相と人々の思惑が、状況描写として濃密に描き込まれていく。
 わずかではあるが、小紅と藤式部(紫式部)の接点が生まれてくる。その様子も織り込まれていく。
 藤原道長の治世の基盤が確立する時期を焦点にしているところが、読者にとって興味深い所となる。

 本書の内表紙の裏ページに、『和漢朗詠集』から元稹「菊花」の
   これ花の中に偏(ヒトヘ)に菊を愛するにはあらず
   この花開けてのち更に花のなければなり   
という詩句が引用されている。本書のタイトルはこの詩句に由来する。そして、この詩句が保輔がある女性に対して口にしたという形でリンクしていく。そこのこのストーリーの妙味と余韻が重ねられている。読ませどころとなってく。お楽しみに・・・・。

 本作から、印象深い箇所をご紹介して終わりたい。
*人を変えることが出来るのは人だけだ、と保昌は語を継いだ。
 「父上をみていたゆえ、小紅にも分かるだろう。人とはとかく弱いものだ。わずかな隙が心の箍(タガ)を取り払い、たやすくその身を持ち崩させることも多い。しかしそれでもほんの少しでも、誰かのために生きねばと思えれば、人はどんな淵からでも這い上がることができるのだ」  p317

*その推測はきっと間違いではあるまい。誰が信じずとも、小紅は--そして保昌は、倫子の言葉を信じられる。なぜなら、保輔はそういう男だった。風のようにこの世を駆け抜け、残された者たちの胸にただ鮮烈な記憶だけを残して消えて行く、秋菊のように清冽な男だったのだから。 p346

*何一つ残さぬまま獄舎の露と消えた保輔の面影は、残された人々の中に今なお鮮烈に刻みつけられている。ならば菊なき後の野面には、小さくとも鮮やかな花がいまだに咲き乱れているのだ。   p347

 本作の最後のシーンに藤式部が登場してくるところがおもしろい。

 お読みいただきありがとうございます。
 

補遺
藤原保昌   :ウィキペディア
平井保昌   :「WEB画題百科事典『画題Wiki』」(立命館大学アート・リサーチセンター)
保昌山 山鉾について  :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)
藤原元方   :ウィキペディア
藤原致忠   :ウィキペディア
藤原保輔   :ウィキペディア
源満仲    :ウィキペディア
和泉式部   :ウィキペディア
袴垂     :「WEB画題百科事典『画題Wiki』」(立命館大学アート・リサーチセンター)
全唐詩巻四百十一 -菊花 元稹- :「雁の玉梓 -やまとうたblog-」 

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『天神さんが晴れなら』   徳間書店
『漆花ひとつ』  講談社
「遊心逍遙記」に掲載した<澤田瞳子>作品の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在 22冊
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『まだ見ぬ敵はそこにいる』 ジェフリー・アーチャー  ハーパーBOOKS

2024-05-04 17:23:54 | 海外の作家
 副題は「ロンドン警視庁麻薬取締独立捜査班」。勅撰法廷弁護士である父の反対を押し切って、ロンドン警視庁に入庁したウィリアム・ウォーウィックの警察官人生シリーズ第2弾。第1作に記述の記憶では、ウィリアムがロンドン警視庁のトップに昇り詰めるまでのシリーズになるようだ。
 第1作は「美術骨董捜査班」所属だったが、この第2作では、「麻薬取締独立捜査班」がロンドン警視庁内に新設され、ウィリアムはこの班に異動する。

 勝っているチームは解散すべきではないという警視総監の判断により、元美術骨董捜査班が、麻薬取締独立捜査班として新編成される。ブルース・ラモントが警視に昇進してこの班の班長となる。ウィリアムは巡査から巡査部長への昇任試験に合格し、捜査巡査部長に昇進。それと同時にこの新設班で新たな任務に就く。ジャッキー・ロイクロフト捜査巡査もまたこの班に異動となる。そこに、ポール・アダジャ捜査巡査が新たに加わる。アダジャは少数人種系の警察官。少数人種系というのは、minority という単語の翻訳だろう。「アダジャと握手をするラモント警視がにこりともしないことを、ウィリアムは見逃さなかった」(p15)という一行がさりげなく記されている。イギリスにおける人種問題の一端が垣間見える。ウィリアムは逆である。「アダジャのような人物がどうして警察官になろうなどと考えたのか知りたいということもあって、ウィリアムはできるだけ早く彼をチームに馴染ませてやろうと決めた」(p15)逆に彼に関心を寄せる。
 アダジャはケンブリッジ大学で法律を学び、オックスフォード大学との対抗ボートレースの代表の一人だった。警察官となり、クローリー署の地域犯罪捜査班で3年の経験を積んでいるという経歴の持ち主である。読者としても新人登場で期待が持てるではないか。

 この麻薬取締独立捜査班は、ロンドン警視庁警視長であるジャック・ホークスビーの直属下に位置づけられる。ホークスビーは、この新設の捜査班は、既存のどの薬物対策部局や麻薬取締部局とも無関係に、完全に独立した位置づけであると皆に説明する。
 麻薬取締独立捜査班の目的は、「いまだ住所も不明で、グレーター・ロンドンの川の南側に住んで仕事をしているとしかわかっていない男を特定すること」(p18)そして排除することであると言う。その男とは、ロンドンを支配する悪名高き麻薬王で、”ヴァイパー”と称されている。その正体をつかみ、逮捕することがウィリアムたちの使命になる。
 
 ウィリアムが仲間から昇進祝いをしてもらった時、パブからウィリアムを自宅まで車で送り届けるのはジャッキーの役割となる。ジャッキーがウィリアムを送り届ける途中、ジャッキーは、チューリップと称する若い黒人が麻薬を取引する現場を目撃する。ジャキーは取引相手をまず逮捕した。チューリップは逃げた。現行犯逮捕した容疑者をジャキーはロチェスター・ロウ署の留置区画へ引き連れて行く。”白い粉の包み二つ”が証拠となる。
 この容疑者、偶然にもウィリアムのプレップ・スクール時代の同級生、エイドリアン・ヒースだった。それも、学校の売店でエイドリアンがチョコレートを万引きしたことを、ウィリアムが立証したことで、退学処分となった同級生だったのだ。
 ウィリアムは、麻薬の売人エイドリアンと交渉して”ヴァイパー”に関する情報を引き出す作戦をとる。それを微かな糸口として捜査を始める。
 一方、ウィリアムはロンドン警視庁に戻るため地下鉄の駅で列車を待っているとき、向かいのプラットフォームに立っているチューリップを見かけた。気づいて逃げるチューリップをウィリアムは追跡し、身柄を拘束する。チューリップが利用したタクシーの運転手から、彼が告げた行き先がバタシーの<スリー・フェザーズ>というパブだと聞き出す。これがもう一つの手がかりとなる。このパブの監視をホークスビーは囮捜査官に委託する。麻薬取締独立捜査班に囮捜査官が加わることになる。

 このストーリーの興味深いところは、僅かな情報を糸口にして、緻密な監視活動と追跡捜査を累積し、"ヴァイパー”を特定する捜査を行っていくというプロセスの描写にある。
 そして、ロンドン市内に存在するドラッグ工場の探索、現場への立入捜査の大作戦と逮捕へと進展していく。このプロセスが読者を惹きつけ、その描写の迫力が読ませどころになる。
 
 この第2作は、ストーリーの全体構成におもしろい点がある。
 メイン・ストーリーは、上記の麻薬王”ヴァイパー”の特定捜査と逮捕である。これと並行して、パラレルに進むストーリーが組み合わされている。それは第1作で逮捕された美術品の窃盗詐欺師、マイルズ・フォークナーに関する裁判である。裁判が進展して行く経緯が描き出されて行く。ひとつは、マイルズの妻、クリスティーナがマイルズに対して離婚訴訟を起こしている。クリスティーナの弁護士を引き受けているのが、ウィリアムの父、サー・ジュリアン・ウォーイックである。
 さらに、サー・ジュリアンは、マイルズの逮捕事案に対して、検察側の勅撰弁護士となり代理人を引き受けた。こちらの裁判には、ウィリアムの姉、グレイスが補佐として加わる。グレイスが活躍することに・・・・。まずは、マイルズの保釈申請事案、そして逮捕事実に対する裁判が進展していく。マイルズの弁護士、ブース・ワトソンとの裁判での対決、裁判の経緯描写が読ませどころとなる。
 裁判のシステムが日本と異なる点に気づき、知ることも興味深い。

 もう一つ、スポットとしてストーリーに織り込まれていくのが、ウィリアムとベスの結婚式と新婚旅行の様子である。結婚式で思わぬハプニングが発生するところがまずおもしろい。ウィリアムの結婚という人生の転換点が描き込まれ、ベスが出産するハッピーなエンディングとなる。双子の誕生!! これが第2作のストーリーを彩る一つの要素になる。
 他方、このストーリーの本流に関連して、仕組まれたアンハッピーな事態が新たに発生する。その一つの事件報道がこのストーリーを締めくくる文となる。
 第2作で麻薬取締独立捜査班の使命は達成される。だが一方で、形を変えて事件が生まれ、捜査が継続することになる。
 やはり、著者はストーリーテラーである。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
グレーター・ロンドン   :ウィキペディア
イギリスの刑事裁判(独立性がある裁判官と検察官) :「西天満綜合法律事務所」
法廷弁護士  :ウィキペディア
英国法廷衣装こぼれ話  :「駒澤綜合法律事務所」

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『レンブラントをとり返せ ロンドン警視庁美術骨董捜査班』ジェフリー・アーチャー 新潮文庫
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『人体ヒストリア』 キャスリン・ペトラス  ロス・ペトラス  日経ナショナル・ジオグラフィック 

2024-05-03 14:13:19 | 歴史関連
 タイトルに惹かれて読んだ。キャスリンとロスのペトラス兄妹の共著作。ペトラス兄弟は言葉をテーマにした数多くのユーモアあふれる本を数多く出し、ベストセラー本もあるという。本書は言葉の代わりに、人体のバーツ(部位)-五体、諸器官など-に着目し、歴史を作る人間、総体としての人から、さらに一歩踏み込んで、その人の人体のパーツが歴史を変えたということをテーマにしている。副題は「その『体』が歴史を変えた」。
 実にユニークな視点。歴史的発見や史実を生み出し、歴史に名を残すのは人である。歴史に名を刻んだ元々の遠因がその人の体のパーツにあるというのだから、おもしろい。
 2023年8月に翻訳の単行本が刊行された。コピーライトを見ると、2022年に出版されている。
 本書の原題は、"A HISTORY OF THE WORLD THROUGH BODY PARTS" である。

 「もしクレオパトラの鼻がもっと低かったら、世界の様相はすっかり変わっていただろう」という格言を、ほとんどの人はどこかで見聞したことがあるだろう。超有名な格言。これが、端的に本書のテーマの象徴となる。クレオパトラ(紀元前69年~紀元前30年)の美貌が鼻に象徴されている。「鼻」という体のパーツがエジプトの女王、クレオパトラ7世の人生を変転させたという。この歴史的エピソードは、勿論、本書では第4章に詳しく取り上げられている。17世紀のフランス人哲学者ブレーズ・パスカルは、人体のパーツである鼻のサイズをきわめて大きな問題として哲学的探求の素材にしたらしい。

 trivia という英単語がある。トリビアとそのままカタカナ語で使われている。
 辞書によれば、「1.ささいな[つまらない、くだらない]こと 2.雑情報、(クイズなどで問われる)雑学的知識」(『ジーニアス英和辞典第5版』大修館書店)と説明されている。ほかでは豆知識とも訳されている。
 本書は、いわばトリビアの集成ともいえる。つまらない歴史秘話ととらえるか、歴史に名を刻んだ人々の本音、本源、動因に関わったかもしれないエピソード、雑学的知識として一考するネタ、豆知識と捉えるかは、読者の受け止め方次第である。

 ペトラス兄弟が膨大な参考文献を渉猟して、特定の歴史上の人物と人体のパーツを結びつけ、歴史の一事象を読者にとって読みやすく綴っている。秘話とも言える側面を扱っているので、読みだしたら、殆どが知らなかったことばかり・・・。という訳で、おもしろくて止まらなくなる。好奇心に訴えかけるエピソード集である。
 末尾には、なんと参考文献が20ページにわたって列挙されている。全部横文字。翻訳文献はない。このトリビア領域にも、研究者や好事家が大勢いることがわかる。

 第1章は起源前5万年~紀元前1万年前の事例から始まる。フランスのピレネー山脈のガルガスの石灰岩洞窟、深奥の「手」の身体芸術事例を中心に述べている。エピソードは、ほぼ年代順に、クレオパトラの鼻、古代ギリシャの彫像に見る最高神ゼウスのペニス、マルティン・ルターの腸、ジョージ・ワシントンの(入れ)歯、レーニンの皮膚、そして、最終の第27章はアラン・シェパードの膀胱に至る。
 アラン・シェパード(1923~1998)はアメリカの宇宙飛行士の一人。最後のエピソードはアランからはじまり、その後の宇宙飛行士の全員が抱える排尿・排便の秘話を取り上げている。この切実な問題、読者には興味深い。

 上記と一部重複するが、「本書を構成する人体の部位」が内表紙の裏面に掲載されているので、その一覧をご紹介して終わりたい。 右側に人物について多少付記した。
  1.旧跡時代の女性の手
  2. ハトシェプスト女王の顎ひげ    エジプト第18王朝のファラオ
  3.最高神ゼウスのペニス
  4.クレオパトラの鼻
  5.趙氏貞の乳房          3世紀のベトナムの女性戦士
  6.聖人カスパートの爪       7世紀の修道士。イングランドのダラム教会に安置
  7.ショーク王妃の舌      メキシコ、マヤ文明の一都市ヤシュチランの王妃
  8.アル・マアッリーの目     アラビアの哲学的詩人。イスラムの理神論者
  9.ティムール(タメルラン)の脚   ティムール帝国の創建者。悪名高い征服者
 10.リチャード3世の背中       イングランド、ヨーク朝最後の王
 11.マルティン・ルターの腸   16世紀の宗教改革の中心的人物
 12.アン・ブーリンの心臓       イギリス王ヘンリー8世が処刑を命じた元妻
 13.チャールズ1世とクロムウェルの頭 イングランドの王と議会派のリーダー
 14.カルロス2世の顎         スペイン、ハプスブルグ家最後の王
 15.ジョージ・ワシントンの(入れ)歯  アメリカ初代大統領
 16.ベネディクト・アーノルドの脚  アメリカ独立戦争の立役者。英国に寝返る
 17.マラーの皮膚          フランス革命の指導者。暗殺され有名に
 18.バイロン卿の足         イギリスの詩人
 19.ハリエット・タブマンの脳    脳損傷で特殊能力活性。女性参政権運動元祖
 20.ベル一家の耳          電話の発明者とその一族
 21.ウィルへルム2世の腕       ドイツ皇帝、第一次世界大戦を引き起こす
 22.メアリー・マローンの胆嚢    最初の無症候性腸チフス保菌者
 23.レーニンの皮膚         ソビエト連邦建国者のエンバーミング
 24.秋瑾の足            中国のフェミニスト革命家。纏足からの解放
 25.アインシュタインの脳      天才的な物理学者
 26.フリーダ・カーロの脊柱     太い一本眉で有名なメキシコの画家
 27.アラン・シェパードの膀胱

 人体のパーツが、歴史にどのような影響を及ぼすことになったのか。トリビア、エピソードをお楽しみあれ!

 ご一読ありがとうございます。


補遺
太古の芸術家は女性だった?  :「NATIONAL GEOGRAPHIC」
アル=マアッリー      :ウィキペディア
ティムール   :ウィキペディア
処刑を繰り返す暴君!ヘンリー8世の素顔と6人の妻の悲劇 :「COSMOPOLITAN」
ベネディクト・アーノルド  :ウィキペディア
ハリエット・タブマン    :ウィキペディア
第一次世界大戦   :「ホロコースト百科事典」
レーニン廟     :ウィキペディア
検便はなぜ必要か~「腸チフスのメアリー」:「株式会社東邦微生物病研究所」
纏足        :ウィキペディア
フリーダ・カーロ  :ウィキペディア

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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