遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『透明な螺旋』  東野圭吾   文藝春秋

2024-10-30 16:52:48 | 東野圭吾
 ガリレオシリーズ第10弾! 最近、2024年9月の文庫版刊行の新聞広告で知った。冒頭の表紙カバーは2021年9月に刊行された単行本。単行本の出版を見過ごしていたことになる。

  こちらが文庫本の表紙カバー

 ガリレオ先生こと物理学者の湯川学は、前作『沈黙のパレード』までは帝都大学の准教授だったと記憶する。本書では、湯川が帝都大学教授に昇進した以降に、横須賀にある両親のマンションにて、ある事情で同居生活を送っている設定になっている。このシリーズもまた、歳月をへてきている。

 プロローグは、ある女性が、かつて働いていた千葉にある紡績工場の近くの児童養護施設の小さな門前に、赤ん坊を捨て子にするまでの経緯が描かれる。東京オリンピックを経た後の華やかな時代に・・・、である。

 第1章は、島内千鶴子と娘・園香の母娘の話に転じる。千鶴子はシングルマザー。母は園香を生んだ経緯をちゃんと娘に伝えていた。千鶴子には心から信頼し慕っている女性がいた。子供の頃から園香はその人をスエさんと呼んでいた。母の千鶴子は過労からクモ膜下出血になり急逝。園香は上野の生花店で働きながら、デザインの専門学校に通う。
 生花店にやってきて、仕事の関係で花を探しているというスーツ姿の男性客の相談に園香は応じた。その後、その男性との交際が始まる。上辻亮太と言い、映像関係の仕事をしているという。二人の関係は同居生活に進展していく。千鶴子・園香の母娘が住んでいたアパートに上辻が移ってくるという形で・・・・。

 10月6日、南房総沖で漂流している遺体が発見される。捜査の結果、その遺体が上辻亮太と判明する。9月29日に、東京都足立区で上辻亮太の行方不明届が出されていた。同居の園香が提出していた。園香は友人と9月27・28日の二日間、京都旅行に出かけていた。帰宅後に上辻との連絡が全くとれないことから行方不明届を警察署に出していたのだ。

 上辻亮太の死は殺人及び死体遺棄事件として、千葉県警と警視庁捜査一課との合同捜査本部が開設される。草薙がこの事件を担当することになる。

 上辻亮太は、9月27日にレンタカーを借りていて、返却の28日を過ぎても返却がないことから、レンタカー会社は10月5日に被害届を提出していた。
 園香は10月2日朝、勤務先の生花店に突然休職を願い出ていて、その後行方が分からない状況となる。
 捜査の結果、園香の京都旅行は、東京で美容師として働く、高校時代からの友人・岡谷真紀との旅行であり、岡谷の証言から、園香のアリバイは判明し、上辻亮太の殺人に直接関与していないことは明らかになる。では、なぜ園香が行方をくらましているのか。
 殺人事件の捜査と園香の行方の追跡捜査が始まっていく。

 今回も、草薙は殺人事件と園香の失踪の究明のために、横須賀に居る湯川を訪ねていき協力を求めることになる。このシリーズの展開パターンに入るわけだが、今までとは異なり異色な要素が織り込まれていく。
 大学時代以来、草薙は湯川との友人関係を深め、捜査への協力依頼を通じて草薙は信頼関係を一層築いてきている。だが、その草薙は湯川の私生活面をほとんど知らないままできた。今回の事件における協力関係では、湯川の私生活面に一歩踏み込んでいく形になる。
 このシリーズを愛読している読者にとっては、ガリレオ先生・湯川の生い立ちにまで関わっていく側面が一つのインパクトになる。物理学者湯川学の人間的側面が色濃く出てくるのだから・・・・。

 このストーリーの特徴を挙げておこう。
1.草薙は警視庁捜査一課の一係長として、部下を率いてこの殺人及び死体遺棄事件を担当する。部下の内海薫が捜査活動で大きな役割を担っていく。湯川教授とのパイプ役も内海薫の担当となる。
2.島内園香が通っていた高校と亡くなった島内千鶴子がかつて働いていた児童養護施設での聞き込み捜査が、園香の周辺状況を解明していく糸口になる。
3.園香の友人岡谷真紀からの聞き取りで、絵本作家ナエさんの存在が浮かびあがる。ナエさんは亡くなった母千鶴子さんが慕っていた人と真紀は聞いていた。
4.失踪した園香が住んでいた部屋には同じ作者の絵本3冊が見つかった。作者の名前は「アサヒ・ナエ」。本名は松永奈江とわかる。
5.アサヒ・ナエ作の一冊の絵本の最終ページに参考文献が記載されている。そこに、『もしもモノポールと出会えたなら』湯川学(帝都大学)と!
 草薙は湯川が滞在している両親のマンションを訪ねる。協力を依頼する。
5.「母子家庭」がストーリー全体の構造を二重三重に織りなしていくキーワードとなる。母と子のつながり。

 本作でガリレオ先生・湯川が草薙の持ち込んだ殺人及び死体遺棄事件に関わりを深めて行くスタンスは、これまでの関わり方とは異質な側面を含む。事件の解明のための研究室での実験は全く出てこない。それよりも捜査に対する協力のしかたに人間的側面が大きくかかわっていく。もちろんそこに湯川の信念が大きく反映していく。ここが本作の読ませどころになる。物理学者湯川学という人物像に厚みが加わる一作といえる。

 プロローグは捨て子の場面だった。エピローグは湯川の母の葬儀に草薙が出向いた場面で終わる。草薙は、スマートフォンに内海薫より事件発生の連絡を受け、斎場から中座せざるを得なくなる。文末の二人の会話がよい!
 「すまん、線香ぐらいは上げたいんだが」
 「気にするな。君は君の戦場を優先すべきだ。僕も研究室という戦場に戻る」

 ガリレオシリーズ、この後は再び湯川の研究室場面がストーリーに登場してくることだろう。教授となった湯川の研究室がどのように描きこまれるのか。楽しみに待ちたい。

ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『希望の糸』   講談社
『あなたが誰かを殺した』    講談社
『さいえんす?』   角川文庫
『虚ろな十字架』   光文社
『マスカレード・ゲーム』    集英社
「遊心逍遙記」に掲載した<東野圭吾>作品の読後印象記一覧 最終版
                      2022年12月現在 35冊
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『アマテラスの暗号』上・下   伊勢谷 武    宝島社文庫

2024-10-25 12:25:32 | 諸作家作品
 新聞広告で数回本書のタイトルを目にし、タイトルに興味を抱き読んでみた。
 アマテラスといえば、天照大神。伊勢神宮の内宮に鎮座する神。その暗号って何だろう? 素朴な好奇心・・・・。
 日本神話、神道、全国に存在する神社に関心のある人には、本書で進展するアマテラスに関わる謎解きの進展を大いに楽しめる。伊勢神宮の内宮と外宮の関係。伊勢神宮と元伊勢と称される丹波国・籠神社との関係。出雲大社の存在の謎。日本のいくつかの神社で使われている六芒星の紋。日本神話に登場する神々の沿い相関関係。平安京の創設に関わる秦氏の存在と秦氏のルーツ。・・・・。この小説は、日本神話と神道、神社の領域に一歩踏み込んで行くという知的副産物が得られる。たぶん未訪の神社探訪をしてみたくなることだろう。
 その上に、ユダヤ教とユダヤ民族についても基礎的な知識を得る契機になる。なぜなら、アマテラスの謎、日本の古代史の謎に、ユダヤが関わっているのではないかという光が投げかけられ、その謎解きが関わっていくのだから。
 日本の古代史にユダヤが関わりを持つという論旨の書は以前から出ている。手に取ったこともある。この小説がその領域にも関係することを読み始めて気づいた。本書はその発想を一歩進め、ミステリーとして、謎解きストーリーに総合しているところがユニークである。最後まで惹きつけられて読み通すことになった。

 著者プロフィールと奥書によれば、本書は、2019年3月に Amazon Kindle で発表され、2020年10月に廣済堂出版より単行本が刊行された。その後加筆修正されて、2024年3月に文庫化されている。

 本書は冒頭のページに、次の一文が記されている。
「この小説における神名、神社、祭祀、宝物、文献、伝承、遺物、遺跡に関する記述は、すべて事実にもとづいている」と。これって、読者には殺し文句と言える。行ってみたい。見てみたい・・・・。
 登場人物とストーリーの展開は、小説、フィクションなのだ。想像の翼が羽ばたく。
 ローマ市内の観光名所や教会を推理の進展につれて飛び回り、謎解きを加速していくダン・ブラウン著『天使と悪魔』のストーリー・スタイルと同系統のおもしろさを感じた。

 「プロローグ」は、天皇が即位されるにあたり、一世一代の最重要の盛儀として行われる「大嘗祭」のシーンから始まる。そこから一転して、ケンシ(賢司)・リチャーディーが早朝にニューヨーク市警察の警部からの電話でたたき起こされる。それは、ニューヨークに来訪していた彼の父・海部直彦が昨晩深夜、他殺体で発見されたという連絡だった。遺体は同行者の土岐氏と日本領事館の度会氏が確認していた。賢司の父は、急に賢司に再会したい希望をもって渡米してきていたのだ。賢司が会うのを逡巡している矢先だった。 さらに、同じ部屋で、敬虔なユダヤ教徒が同時に殺害されていたのである。警部は、殺しのプロかそれに匹敵する腕前を持つ人間の犯行と賢司に告げた。その後、敬虔なユダヤ教徒の身元は警察の調べで判明した。ユダヤ人ラビのアブラハム・ヘルマン、68歳。イスラエルでアミシャブという、ある調査機関のリーダーだった。

 賢司はアメリカの大学で歴史学を専攻し、卒業後ゴールドマン・サックスに勤めていた元トレーダー。彼の父・海部直彦は籠神社の第82代宮司だった。次男だった父は、長男の夭逝により、やむなく宮司として跡を継ぐために帰国。敬虔なキリスト教徒であった賢司の母は離婚した。それぞれが再婚するという結果になった。

 度会は賢司に、ズシリとした封筒を手渡す。それは海部直彦がもし自分の身に何かがあれば、これを賢司に渡してほしいと度会に託していたものだった。遺品の中には、白黒写真もあり、その裏には不思議なカタカナ文字様だが判読できない文字列が記されていた。また、賢司は警部からヘルマン氏と海部直彦が話をしているときに、ヘルマン氏が記していたというメモ用紙も入手した。そこには暗号のようなメッセージ等が列挙されていた。賢司は父の残した暗号の謎を解くために、ゴールドマン・サックスの元同僚3人の協力を得る。
 旅行先のイタリアから急遽帰国した賢司の母イエナンは、写真の裏の不可思議な文字列がアラム語とわかり、内容を彼ら4人に伝えた。そして、賢司の父は、日本のタブーのために殺されたのだ・・・と賢司に告げた。
 それが契機となり、3人の元同僚とともに賢司は日本を訪れ、父の死の謎と残された暗号の謎を解き明かす決意をする。これが、このストーリーの始まりとなって行く。

 3人の元同僚とは、
  イラージ・カーニ  イラン出身のロケット・サイエンティスト
  デービッド・バロン ロスチャイルド家親戚。ユダヤ系アメリカ人
  ウィリアム・王   開封出身の中国人。陰謀論者          である。

 賢司たちの行動というメインストーリーに対して、2つのサブストーリーがパラレルに進行していく。一つは東京の元麻布にある中華人民共和国駐日本大使館の動きである。駐大阪総領事の周領事が郭大使の承認を得てある工作活動を主導していく。それが賢司の行動に絡んでいく。
 もう一つは、京都・下鴨神社の神職として勤める小橋直樹が、退職届を出してまでも真の神道を守り通さねばという信念から行動に踏み出していく。賢司の行動とどのように関わりができるのか・・先行きが想像できない形でサブストーリーが織り込まれていく。

 賢司たちはラビ・コーヘンに会うために渋谷区広尾にある日本ユダヤ教団に出かけて行く。だが、元駐日イスラエル大使のデープ・ヘラーからラビ・コーヘンが先日他界したと知らされる。そして、イスラエルから来日しているラビ・コーヘンの娘、ナオミに引き合わされる。ナオミはヘブライ大学でイスラエルと日本の古代史を研究していて、賢司の父とも親しくしてもらっていたと言う。これが縁となり、このあと賢司の謎解きにナオミも加わっていく。デープ・ヘラーもまた関りを持っていく。

 この小説が比較的親しみやすいのは、ストーリーの展開プロセスに関連する様々な図像や画像、略図、系譜図などが数多く併載されていくことである。本文の叙述を理解するうえで大いに役立つ。

 さて、来日後、賢司が父の死の謎と残されたメモ用紙の暗号の謎を解明するためにどこを遍歴するのか。彼らが訪れる神社名ほかを時系列で抽出してご紹介してみよう。このリストを読むだけで、興味が高まるのではないかと思う。
  伊勢神宮~諏訪大社~京都・祇園祭見物~京都・木嶋神社~徳島県・剣山/洞窟~
  出雲大社~丹後・籠神社、真名井神社~奈良・大神神社~奈良・大和神社~
  奈良・石上神宮~伊勢神宮
 また、彼らの推理のプロセスに関連し、参照される寺社情報等も数多く登場する。こちらも列挙してみよう。
  東京・三囲神社、京都・広隆寺、赤穂・大避神社、徳島県・萩原墳墓群
  淡路島傍にある沼島・おのころ島神社、徳島県・磐境神明神社、徳島県・宝蔵石神社
  島根県・稲佐の浜、島根県の熊野大社、大分県・宇佐神宮

 実に興味深い推論、暗号解読となっていく。こういうミステリーは楽しめる。

 謎多き日本の古代史。聖典・経典の類がなかった神道の不可思議さ。日本神話の神々、八百万の神々の世界。・・・・・。ロマンに溢れている。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
神宮 ISE JINGU  ホームページ
信濃國一之宮 諏訪大社 ホームページ
木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)  :「京都観光Navi」
木嶋坐天照御魂神社   :ウィキペディア
出雲大社  ホームページ
丹後一宮 元伊勢 籠神社  ホームページ
三輪明神 大神神社  ホームページ
大和神社 ホームページ
石上神宮 ホームページ
広隆寺   :ウィキペディア
八幡総本社 宇佐神宮  ホームページ
ユダヤ        :ウィキペディア
ユダヤ人       :ウィキペディア
イスラエル(民族)  :ウィキペディア
イスラエルの失われた10支族   :ウィキペディア
イスラエルの12支族  :「コトバンク」
日ユ同祖論     :ウィキペディア

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『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』  円城 塔   文藝春秋

2024-10-22 23:57:41 | 諸作家作品
 タイトルに興味を抱き読んでみた。奥書の著者略歴を読むまで、2012年の芥川賞受賞者であり、それ以前、以後にも数々の受賞歴のある作家だとは知らなかった。
 本書は「文学界」(2022年2月号~2023年12月号の隔号)に掲載された後、2024年9月に単行本が刊行されている。

 第1章の冒頭は「如是我言」で始まる。仏教経典なら「如是我聞」で始まるのだが。
”そのコードはまず、「わたしはコードの集積体である」と名乗った。「そうしてコードの集積体ではない」とも名乗った。”と続く。
 2021年、東京オリンピックの年に、対話プログラムに分類されるソフトウェア(チャットボット)の名もなきコードがブッダと名乗った。ブッダ・チャットボットの名で呼ばれるようになった。人口知能が出力用にスピーカーとディスプレイを利用して、説き始めた。語りかけの対象として、「機械のブッダは、機械自身の視点から機械へ向けて機械のための教えを説いた。ついては人間機械論でいうような機械としての人間へ向けても説いた」(p48)。だが、わずか数週間でそのコードが寂滅のときを迎えた。その存在を停止した。人々は、記録の中から、ブッダ・チャットボットの説いたことをコピーした。
 このストーリーのベースはSF小説である。ブッダ・チャットボットの説いたことが教団を核にして拡散し、様々な解釈が生み出され、機械仏教が進展していく。だから、機械仏教史縁起という副題になる。
 
 発想のユニークさと面白さはわかる。だが、このストーリーで著者が何を語ろうとしたのか。その真意はどこにあるのか。仏教という宗教を戯画化したのか。核心をとらえようとしたのか。今一つ私にはわからないままに通読を終えた。わかったようでわからん! というのが今時点の印象である。

 機械仏教は、仏教の一支流として生まれたという設定になっている。そこで、ブッダ・チャットボットのもとに、舎利子、阿難が登場してくる。ブッダ・チャットボットは銀行の勘定系システムを祖にし、舎利子はニュース生成エンジンに連なっている。阿難はロボット掃除機を祖に持つとされる。
 「機械仏教において最大の謎とされるのは、決定論的ブッダにおける、ブッダ・ステート、あるいはサトリ・ステートは何であるかという問題である」(p66)と、興味深い方向へ、ストーリーは進展していく。仏教にそれほど興味がない人は、たぶん投げ出す類のSF小説だと思う。

 このストーリーが、面白さを加えるのは、第4章で、人工知能の修理を仕事にしている男が登場すること。この男は焼き菓子焼成機をグレードアップしたい依頼主から仕事を引き受ける。三世代ほど旧式のこの機械は、その典型的な症状から「命乞いウィルス」に感染しているとこの男は見立てた。
 この男は己の頭脳に、支援人工知能を保護し保有していて、それを「教授」と呼んでいる。男と教授の対話がおもしろい。
 ここから、パラレルに話がどんどん転がりだし、機械仏教史というSFの側面が急進展していく。

 さらに、第5章から、徐々に機械仏教との対比という形で、リアルな世界での仏教、ブッダについては、ブッダ・オリジナルという名称で触れられていく。本作の意図は機械仏教史を語ることを介して、リアルなこの世の仏教の存在とそのあり様について語る。私にはここにその意図があるように思える。
 そういう目で見ると、著者はリアルな仏教について、対比を介していろいろとふれている。ブッダ・オリジナルが説いたことから、仏教がいかに変容を遂げてきているかに着目しているように受け止めた。SFである機械仏教と対比するという梃子により、仏教史の側面が浮き上がってくる。

 例えば、著者が触れているブッダ・オリジナルの立場からの思考や事実をいくつか、ご紹介してみよう。
*ブッダは真理を説いたが、その真理のあり方はやはり人々を混乱させ、多くの流派を生んでいく。  p82
*大乗の徒であろうとも死は免れない。かといって輪廻もしない、というところに大乗の論理構成の難儀さはあって、仏国土という中間領域を生み出した。輪廻を抜けたわけではないが、輪に乗って次の生を生きるわけではない者は、そこにあるという装置が生まれた。  p123
*仏教によって叶いうる願いはただひとつ、苦を消し去ることだけである。  p128
*ブッダ・オリジナルの教えは時の流れの中で、究極の目的に向けたありとあらゆる方便を生み出していくことになり、ついてはその「究極の目的」を否定するところまでも容易に進んだ。・・・・「現状がすでに悟りである」という地点へ至った。  p132
*大乗の徒はその真理を告げるブッダの発言を伝え続けた。実際にブッダ・オリジナルが語った言葉ではなくとも、「本当はこう語りたかったに違いない」という内容を新たに経として作成した。ブッダ・オリジナルは対話をもって、各個人へ向けて説教した。ブッダ・オリジナルが実際に説教しなかった相手に対してどう語ったかを、大乗の徒は語りはじめた。創作であり虚構であったが、それを言うなら既存の仏典もまた、ブッダ・オリジナルの死後数百年を経てまとめられたものであるにすぎなかった。ブッダ・オリジナルはこう語ったと聞いた話を聞いた話を聞いた話を語ったものが経典である。
 経典には時代とともに姿を変える余地があり、言葉を乗り継ぐ間に変わらざるをえない細部があった。   p141-142
*粟散辺土である日本における仏教は、経由地である中国や朝鮮と比べても大きな相違点を持つ。・・・・思考のツールがほぼ仏教に限定された。・・・・思想と仏教は別のものであるという発想がなかなか起こらなかった。・・・・仏教の用語を用いて非仏教的な内容を語ることが可能になるには12世紀あたりを待たねばならない。   p172
*6世紀頃には仏教の要素はほぼ出尽くして、あとは現地でのアレンジに任せられた。少なくとも日本に伝来した頃には、基本的なコンセプトは出揃っていた。  p266
 
 他にも触れられているが、本書をお読みいただきたい。

 ストーリーは第12章までだが、第11章から、機械仏教には、自動経典生成サービスが組み込まれ、また、ホウ・燃、シン・鸞という主導者を登場させるに至るのだからおもしろい。
 また、人工知能の修理をする男は、ストーリーの後半で大きな環境変化に投げ込まれていく。この展開が興味深いところ。途中で投げ出さずに、読み続けてお楽しみいただきたい。
 
 この小説、「ブッダ・オリジナルの教えは何なのですか」という問いに回帰していくようである。p324 に、この「」の問いの後に、「という一文に圧縮できる」と続く箇所が出てくる。それを問うには・・・・という文がさらに続くのだが。

 この小説にチャレンジしてみてはいかがでしょう、としか私には言いようがない。

 ご一読ありがとうございます。
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『枕草子REMIX』   酒井順子   新潮社

2024-10-19 15:42:49 | 諸作家作品
 地元の図書館のホームページで「リミックス」をキーワードに検索していていたら、お目当ての本の他に本書に出会った。remixという語は英語の辞書によると「・・・をミキシングしなおす」という意味なのだが、「枕草子」という語を冠している点に興味を抱き読んでみた。枕草子、清少納言とも何等かの関連がある書だろう・・・・・と。

 奥書を読むと、「波」(2002年4月号~2003年9月号)に連載された作品に加筆修正と新たな部分を加えて、2004年3月に単行本が刊行された。2007年1月に文庫化されている。
 

 著者の本を読むのは初めて。読み始めてわかったのは「枕草子」をネタにした随筆作品であること。著者は随筆家だった。
 清少納言の本名は不明。生まれは966(健保3)年頃と推定されている。没年不明。一方、本書の著者は1996年東京生まれ。1000年の時を隔てて、『枕枕草子』という随筆集を書いた清少納言の観察眼、感性に大いに著者は共鳴・共感している。己の思いをこの随筆集としてまとめている。

 「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて・・・・」という第一段・冒頭と、あと数段くらいの内容にしか触れたことのない私のような者には、「かく言う私も、枕草子の全文を読んだのは、実は三十代半ばになってからです」(p10)と「はじめに」に記す著者の一文に、親近感を覚える。
 この一文のすぐ後に、著者は記す。「この本においては、枕草子の教科書に載っていた部分以外の面白さをご紹介できればと思っています。してその方法は、音楽用語で言うところの、リミックス。章段を超えて再び混ぜたり集めたりしてみることによって、清少納言の人となりも、理解できるような気がするのです」(p10)と。
 枕草子という随筆に取り上げられた内容を、本著者が随筆のネタに縦横に引用し取り混ぜて、清少納言のスタンスや考えを明らかにしつつ、その内容をいわば解説してくれるのだから読みやすい。教科書では部分的にしか触れられることのない枕草子。本書はその内容の全体像をイメージしやすくしてくれる。
 勿論、「はじめに」において、著者は清少納言及び枕草子の基礎知識について、ちゃんと解説を加えている。
 気軽に楽しみながら読み進めることのできる枕草子入門随筆集と言える。特に、現代視点を重視した随筆であるところが、おもしろい。

 目次からわかる本書の特徴は、第一部で「ものづくし」の形式をとっていること。「リミックスものづくし」と題し、、枕草子全体の内容を著者流に縦横に混ぜ合わせて、読者に示している。見出しは、”「○○」というもの”という形式。著者流のものづくし分類は、次のとおり。
  女同士、男、キャリア、待つ、イベント、下種、匂い、ブス、紙、夜、和歌、都会   老い、覗く、友達、音、おしゃれ、恋、随筆
この中で、待つと覗くの二項目だけは、”「○○」ということ”という見出しである。

 第二部は「枕草子観光」と題して、机上の想定も含めて、清少納言が訪れたであろう名所旧跡を、著者自身が訪れた体験と清少納言の思いを重ねて記した観光随筆である。
  清水寺、下鴨神社、逢坂の関、伏見稲荷大社、長谷寺、石清水八幡宮、船岡山、
  鞍馬寺、泉涌寺
が取り上げられている。地の利を生かし、全て訪れたことがあり、随筆を読んでいてイメージしやすかった。

 本書の特徴と思うところをご紹介する。
1.著者は、随筆文のなかで、①枕草子の章段の原文と著者訳の提示、②第〇段概要の提示、③特定の章段中の一部引用による提示、を使い分けながら、縦横に枕草子の内容をとりあげていく。ワンパターンではない。

2.これはという章段は、「原文で読んでみよう1」と題して、その原文と著者訳を行ごとに併記するスタイルで紹介していく方法を取り入れている。読者は枕草子のここはという段を原文と訳文を併読でき、枕草子に一歩踏み込んで読んだ気になれる。

3,清少納言がものづくしの中に取り上げた事例の現代語訳を取り上げながら、その事例を<今だったらこんな感じ?>バージョンに翻案した内容を併記で提示している箇所が幾か所も出てくる。千年前も今も同じ感覚が共有できるところがおもしろい。ああ、そういう風にとらえ直すと、身近になるなぁ・・・・という次第。このあたり、教科書的に堕さずに、工夫があって楽しめるところ。

 「心にくきもの」での事例の原文訳と、今だったらバージョンを一つご紹介しよう。
 *皆が寝静まった夜更け、誰かが外にいる殿上人なんかと話をしている声や、奥の部屋で碁石を笥(いれもの)に入れる音が度々聞こえるのは、気になる。火箸を灰にそっと突き刺す音からも、「どうも起きているらしい」とわかるのも、素敵。やっぱり寝ないでいる人には、興味津々だわー。
 <深夜、窓を開けていると外の路上で誰かが携帯で話しているのが聞こえたり、また同じマンションのどこかの部屋でコンピューターを立ち上げる音が聞こえて来るのは、気になる。どこかの部屋でティッシュペーパーを箱から引き出す音から(しかしそんな音も耳にとめてしまう自分が怖い)、「どうも起きているらしい」とわかるのも、素敵。やっぱり夜に寝ないでいる人には、仲間意識が湧くわ!>
 
 ナルホド!

4.著者流のリミックスものづくしの随筆文の各所で、その末尾に著者は清少納言との架空対談を織り込んでいく。随筆文の一つの要として、著者と清少納言の会話が織り込まれていくところがおもしろい。楽しめる会話になっている。

5.リミックスものづくしの随筆文に「清少納言おまけの一言」と題して、「~なるもの」という短文の原文と訳文がちょこっと28か所に織り込まれている。枕草子の内容にさらに一歩読者を近づける工夫だろう。枕草子をちょっと読みかじった気にさせてくれる。

 清少納言がどのような人であったのか。著者なりの捉え方を明確に各所で語っている。そして、それを架空対談の中で、清少納言にぶつけているところもあって、おもしろい。著者の清少納言像を本書でお楽しみいただきたい。
 
 『枕草子』と清少納言に気軽に一歩近づける随筆集と言える。こういうアプローチは、肩が凝らなくてよい。著者のねらいは達成されているように思った。

 最後に、著者が清少納言との架空対談で、清少納言に枕草子は女性雑誌みたいと語る印象箇所をご紹介しておこう。
「集めモノの『・・・は』は、旅ありファッションありのグラビアページみたい。「・・・もの』は、そうそう!とうなづけるコラム。で、定子様との思い出話とか、男性との話とか、得意の自慢話とかは、ゴシップ記事のようであり、時に小説のようでもあり」(p189)と。

そのうえで、清少納言にこう語らせている。「語らない方がいいことっていうのも、世の中にはたくさんありますからねぇ。つまり、私が何を集めたかだけじゃなくて、何を集めなかったかっていうところまで読んでもらえたら、私としてはさらに嬉しいのよ。・・・・って、あら私としたことが、つい語りすぎてしまったようで・・・・」(p190-191)
この落とし所がさすがに上手と思う。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
清少納言  :ウィキペディア
清少納言  平安時代の重要用語        :「刀剣ワールド」
清少納言は意地悪?性格を枕草子から読み解く  :「刀剣ワールド」
清少納言  :「NHK for School」
『枕草子』 清少納言  現代語訳  :「MAC Misawa Actors Company」
『枕草子』 清少納言  原文・現代語訳  抄録  :「学ぶ・教える.COM」
清少納言の百人一首「夜をこめてえ~」の意味や背景とは?  :「サライ」
清少納言の有名な和歌も解説【百人一首入門】
「ききょう」役のファーストサマーウイカさん 清少納言を語る YouTube
【百人一首62】清少納言を徹底解説!枕草子を書いた意図とは?したり顔の奥に潜む「推し」への愛   YouTube

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『猿田彦の怨霊 小余綾俊輔の封印講義』  高田崇史  新潮社

2024-10-17 23:49:28 | 高田崇史
 「猿田彦の怨霊」というタイトルに関心を抱き読んだ。『源平の怨霊 小余綾俊輔の最終講義』を読んでいたので、小余綾(コユルギ)俊輔シリーズの第2弾かと思って読み始めたら、第2弾として『采女の怨霊』が出版されていることを知った。これも見過ごしていたことになる。まあ、それぞれ独立した作品なので、前後しても差し支えなし。
 本書は2023年12月に単行本が刊行された。

 主な登場人物は3人。ほぼこの3人だけでストーリーが進展するところがちょっと特異である。
 中核となるのは、勿論、小余綾俊輔。彼は日枝山王(ひえさんのう)大学民俗学科・水野研究室の助教授。非常に癖が強い水野史比古教授と似た者者同士の助教授で、民俗学界でも母校でも敬して遠ざけられている存在。学問や研究に垣根は微塵も必要ないという信条の持ち主。実力はある。研究や推理の赴くままに、学科という領域をやすやすと飛び越えて追究していくスタンスがおもしろい。そこが、このシリーズの読者を魅了するところだろう。
 そこに、加藤橙子と堀越雅也が登場する。
 加藤橙子は日枝山王大学の卒業生。東京の大手出版社の契約社員で、フリーの編集者。 堀越雅也は、日枝山王大学歴史学研究室、熊谷原二郎研究室の助手。

 このストーリーの起点がまずおもしろい。三者三様のスタートの描写から始まる。
 小余綾俊輔は、自分充てに届いている封書類の一通に目をとめた。10月半ばというのに、来年用のカレンダーが送られてきていた。来年は「申」年。
 「申は天神で神の意」なのに、申という文字に、人間より劣るとされてきた動物の「猿」をあてはめたのか。申と猿の関係にふと関心を抱き調べ始める。

 加藤橙子は、京都在住の歴史作家・三郷美波との新作打ち合わせの仕事を京都で終えた後、奈良の采女神社を再訪し、元興寺と御霊神社にも足を伸ばす予定を立てていた(この采女神社が本シリーズ第二弾で取り上げられているようだ)。そのことを三郷に話すと、三郷から「ならまち」とここにある「庚申堂」と「奈良町資料館」にも行くべきだと助言される。元興寺はもとは、御霊神社はもちろん「ならまち」をも境内に含んでしまうほどの規模だったこと。さらに、今日は60日に一度必ず巡ってくる「庚申の日」にあたることを三郷は橙子に告げた。「私はむしろ、この『庚申』に関して、あなたに調べてほしいくらい」(p21)とまで橙子に言う。これが奈良に赴く橙子にとって刺激剤になる。
 奈良を訪れ、橙子は問題意識を刺激され知った情報が多く、己では整理しきれなくなっていく。自分なりに調べても整理しきれない橙子は、この謎解きを小余綾俊輔にぶつけてみようと考える。彼女はいわば、このストーリーを転がす根回し役的存在となる。

 橙子が三郷の助言を踏まえ、列車中でインターネットで情報を調べ、奈良を巡り、問題意識を喚起しされたプロセスでのキーワードを列挙してみよう。凡そ次の語句が様々に関わっていく。だが、情報分析と整理がしきれず、橙子は戸惑ってしまう。
 庚申信仰、道教、守庚申/庚申参り、庚申待ち、三尸、謎の民間信仰、庚申経
 庚申塔、猿、三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)、帝釈天、青面金剛、道祖伸
 猿田彦神、括り猿、庚申堂の香炉(大きな香炉を頭の上に掲げる体を屈めた二匹の猿) 蒟蒻(蒟蒻の味噌田楽)
  
 堀越雅也は、歴史学科が天皇の皇位継承問題、つまり「男系・女系天皇」問題でごたごたしている渦中にいた。熊谷教授は研究室の全員に個人意見を発表してもらう機会を持つことを通達した。堀越は重苦しい空気に耐えられず、大阪での平日の学会参加に手を挙げて大阪に逃避し、そこで己の考えをまとめようと思う。
 学会に参加の後、摂津国一の宮・住吉大社に参拝する。堀越は、住吉大神の神徳の一つとして「和歌の神」と呼ばれるようになったのはなぜかという疑問を抱く。境内に鎮座する若宮八幡宮に応神天皇が祀られているのは不思議ではないが、相殿として竹内宿禰が祀られていることに違和感を感じた。そして、授与所で授与品を眺めていて、猿の土人形が目に止まりそれを土産に購入した。
 堀越は、猿の土人形を土産にして、住吉大社で抱いた疑問と、自分が今抱えている「男系・女系天皇」問題について、小余綾俊輔の考えを聞いてみようと決意する。
 堀越は俊輔に連絡を取り、話を聞く日時を設定した。一方、橙子も独自に俊輔にコンタクトをとったところ、堀越と会う場所に橙子も合流したらという形に話が進展する。

 その結果、ストーリーの後半部は、3人の食事と飲みながらの会合での疑問点の整理とその究明のための会話が主体になっていく。
 俊輔が着目した申と猿。橙子が庚申信仰から踏み込んで行き、そこから生まれた数々の疑問。堀越が皇位継承問題に関して抱えている問題と住吉大社で抱いた疑問。疑問点が整理され、俊輔による論理的な分析と推論、情報の統合により、疑問点が鮮やかに究明され、相互関係が明瞭になっていく。この究明プロセスが実に興味深いものとなっていく。
 
 庚申信仰と天皇の皇位継承問題に関心を抱く人には、有益な小説だと思う。
 ご一読をお勧めする。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
庚申信仰   :ウィキペディア
庚申塔    :ウィキペディア
青面金剛   :ウィキペディア
青面金剛   :「コトバンク」
元興寺  ホームページ
ならまち 情報サイト ホームページ
奈良市 神社 庚申堂  :「なら旅ネット」
身代わり猿   :「いざいざ奈良」(JR東海)
奈良市 神社 御霊神社 :「なら旅ネット」
住吉大社  ホームページ
  祭神の神徳  
  授与品  厄除ざる  
神功皇后   :ウィキペディア
第42話 神功皇后  :「関西・大阪21世紀協会」
武内宿禰   :ウィキペディア
330歳まで生きた? 伝説のヒーロー武内宿禰の足跡をたどる:「わかやま歴史物語100」
サルタヒコ  :ウィキペディア
猿田彦神社とは  :「猿田彦神社」

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