著者はフリーランスのジャーナリスト夫妻。哲二さんは元朝日新聞社カメラマン、律子さんは元読売新聞大阪本社記者。「沖縄には20世紀末から通い始め、本島の中南部で戦没者の遺骨や遺留品を収集し、身元を特定して遺族に返還する活動を続けている。勤めていた新聞社での取材がきっかけだったが、2010(平成22)年に哲二が会社を早期退職したのちは、毎年約2ヵ月間は現地に滞在し、ボランティアで取り組むようになった」(p4)という。
2015年2月、沖縄本島南部の糸満市喜屋武と福地に連なる丘陵地の岩山の横穴で18枚の認識票を収集した。この認識票の持ち主を特定しようと著者たちが奮闘する中で、思い余って相談したNHKの記者から、沖縄戦の最後の戦闘に加わっていた歩兵第32連隊第1大隊の元隊長・伊東孝一(元大尉)さんがお元気であるという情報を得る。認識票の持ち主の特定という一縷の望みをかけた伊東孝一元大隊長との出会い。これが本書の生まれる始まりになる。
西原・小波津の戦闘、首里近郊146高地、棚原高地と次々に指令を受け転戦し、最後の防衛線として糸満・国吉台の戦闘という激戦を経て、終戦を迎え、伊東大隊長以下の生存者は奇しくも本土に生還した。
沖縄戦から生還した伊東大隊長は、1946(昭和21)年6月1日付で、およそ600の遺族に詫び状を送られた。それに対して、356通もの返信が届いた。伊東さんは、この返信を己が没するときに携えていくつもりでおられたようだ。また、2001年に伊東さんは戦記『沖縄陸戦の命運』を私家版として出版されていた。
著者たちが伊東大隊長と面談でき、認識票についての話が一段落した後、哲二さんは、人目を避けた場所で、「ところで、遺族に手紙を書かれたそうですが、返信が来たのでは」と伊東大隊長に問いかけたという。私家版の戦記に一行記されていた箇所について、哲二さんは問いかけたのだという。後日、面談いただいたことへの礼状を投函する際に、「その最後に、ジャーナリストとして沖縄戦の記録と記憶を残すために、遺族からの手紙を読ませてほしいと書き添えて投函した」(p8)。それに対し、伊東大隊長からは己の心を定め答えを出す猶予がほしいとの返信があった。
2016年8月、終戦記念日の少し前に、手紙の公開について応諾の返事が伊東さんから届く。「この手紙には、当時の国家や軍、そして私の事が、様々な視点で綴られている。礼賛するものもあれば強く批判したものも。そうした内容の良いも悪いもすべて伝えてほしい。手紙にしたためられた戦争犠牲者の真実を炙りだしていただきたい。どちらか一方に偏るならば、誰にも託さない」(p9)と記されていたそうだ。
終戦から71年が過ぎた秋(2016年10月)に、著者夫妻に356通の手紙が託された。
約70年前の書簡の解読、分析から始め、その手紙の差出人もしくは遺族関係者の現住所を特定するという困難な追跡作業が引き続く。「これを世に出すには、手紙の差出人の遺族の了承を得る必要がある」(p11)からだ。
本書には、この追跡調査のプロセスの一部も記述されている。
そして、伊東大隊長の詫び状に対して、出された返信の書簡が困難を経ながらも無事に受諾され、遺族に引き取られることになる。この過程で、戦争の犠牲者となった兵士たちの遺族関係者の戦後の生活にも簡略に触れられていく。戦死した兵士たちだけが戦争の犠牲者ではない。その遺族の人々にもその後の犠牲が及んでいるのだ。「指揮官と遺族の往復書簡」はいわば、戦後につながる契機となっている。この側面は本書を通して、戦争について考える重要な要素だと思う。
一方で、引き取りを拒絶される事例や、追跡調査ができない事例もあるという。
著者たちと伊東大隊長の関係は、伊東大隊長への手紙を介して深まっていく。書簡の公開への承諾と書簡の引き渡しが、困難を経ながらも少しずつ進行していく。そのプロセスが進行するさなか、2020年2月、伊東大隊長は自宅でひっそりと逝去された。享年99歳。
本書はドキュメンタリーという分野の一書になると思う。
「プロローグ---伊東大隊長への手紙」には、本書が生み出された背景が記述される。そこに、上記した伊東大隊長の詫び状の書簡文が開示されている。
そして、本文は7章で構成される。各章は歩兵第32連隊が指令を受けて戦闘拠点を移動させていく状況に合わせて、構成されていく。その一部は上記で触れているが、改めて章題としてご紹介しておこう。
第1章 戦いは強固な陣地づくりから
ー沖縄上陸と戦闘準備(1944年夏~45年4月中旬)
第2章 陣地なき戦い
ー緒戦、西原・小波津の戦闘(1945年4月末)
第3章 噛み合わない作戦指令
ー首里近郊、146高地の戦闘(1945年5月初旬)
第4章 死闘、また死闘
ー棚原高地の奪還作戦(1945年5月5~7日)
第5章 玉砕を覚悟
ー首里司令部近郊の守備~南部撤退(1945年5月中旬~5月末)
第6章 最後の防衛線
ー糸満・国吉台の戦闘(1945年6月中旬)
第7章 武装解除までの消耗戦
ー糸満・照屋の戦闘(1945年6月~8月末)
エピローグ ------奇跡の帰還
各章とエピローグの前半部には、当時24歳だった青年将校、伊東大隊長の視点から、沖縄戦が伊東大隊の戦いを辿る形で記述されていく。その内容は、伊東孝一著、私家版の手記・戦記『沖縄陸戦の命運』を土台に、「復員した同大隊兵士、戦没者およびその遺族らによる手紙や証言、その他の記録などを参照・一部引用したうえ」で著者が構成している。この部分は、本文がグレー地で表示されている。
それに引き続き、伊東大隊長に返信された書簡の内容開示されていく。その開示にあたる追跡調査のプロセスの要点や、書簡を引き取っていただいた遺族関係者の戦後の状況や思いが併せて記述されていく。返信された方ー父、母、妻ーの思いが、その返信文の中に、様々な形で表出されている。沖縄戦の展開状況を読み、その拠点で戦死した兵士の遺族からの返信書簡を合わせて読むと、涙せずにはいられない箇所が頻出してくる。
エピローグに返信書簡はない。その代わりに、沖縄で犠牲になった二十数万人の戦没者のなかで、DNAが合致して身元が判明した6例目のことが取り上げられている。それは伊東大隊の隊員の一人の遺骨と判明し、2021年4月に奇跡の帰還を果たした。その隊員については、父親からの返信書簡が第7章で取り上げられている。
もう一つ、伊東さんが訪問を受け、面談した人々に対して、伊東さんが尋ねた質問とその結果、及び伊東さんの意見について著者が記述している。
その質問とは、「日本にとって、大東亜戦争とは?
①やむにやまれぬものか ②愚かなものか 」 である。
後は本書をお読みいただきたい。
先日、GOOブログのU1さんのブログ記事で本書を知った。ブログ記事を読んでいなければ、知らずに終わる一冊になったかもしれない。
団塊の世代の一人として生を受け、いわゆる「戦争を知らない世代」、戦争に関わる直接体験が皆無の世代の一人として生きてきた。沖縄での戦いは、米軍上陸に伴う沖縄の人々がどのような状況に投げ込まれたかについて、本や記録報道などで見聞したことはある。一方、沖縄本島における沖縄戦の戦闘に絡んだ戦記の側面は読むことがなかった。本書で初めてその一端に触れた思いがする。さらに、沖縄戦で犠牲となった兵士の遺族の思いがどうであったか、そこまで具体的に思いを及ぼすことはなかった。己の無知を知らされる。
そういう意味では、得難い一冊となった。
世界の各地で戦争が継続している。「戦争」のない世界平和はなぜ実現できないのだろう。
日本が「あらたな戦争前夜」へと踏み出さないことを願う。
ご一読ありがとうございます。
補遺
これを機会に、少し情報を検索してみた。
戦没者の遺骨収集の推進に関する法律 :「衆議院」
遺骨収集事業の概要 :「厚生労働省」
戦没者遺骨収集情報センター :「県営平和祈念公園」
「遺骨収集」の記事一覧 :「沖縄タイムスプラス」
日本戦没者遺骨収集推進協会 ホームページ
沖縄戦 :「沖縄県」
沖縄戦の歴史 :「沖縄市役所」
沖縄戦の実相 :「沖縄市役所」
沖縄市における沖縄戦について :「沖縄市」
【そもそも解説】沖縄戦で何が起きた 住民巻き込んだ「地獄」の戦場:「朝日新聞DIGITAL」
沖縄戦の概要 :「内閣府」
伊東孝一 :ウィキペディア
「大隊の部下の9割を失って」 動画 :「NHK」
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
2015年2月、沖縄本島南部の糸満市喜屋武と福地に連なる丘陵地の岩山の横穴で18枚の認識票を収集した。この認識票の持ち主を特定しようと著者たちが奮闘する中で、思い余って相談したNHKの記者から、沖縄戦の最後の戦闘に加わっていた歩兵第32連隊第1大隊の元隊長・伊東孝一(元大尉)さんがお元気であるという情報を得る。認識票の持ち主の特定という一縷の望みをかけた伊東孝一元大隊長との出会い。これが本書の生まれる始まりになる。
西原・小波津の戦闘、首里近郊146高地、棚原高地と次々に指令を受け転戦し、最後の防衛線として糸満・国吉台の戦闘という激戦を経て、終戦を迎え、伊東大隊長以下の生存者は奇しくも本土に生還した。
沖縄戦から生還した伊東大隊長は、1946(昭和21)年6月1日付で、およそ600の遺族に詫び状を送られた。それに対して、356通もの返信が届いた。伊東さんは、この返信を己が没するときに携えていくつもりでおられたようだ。また、2001年に伊東さんは戦記『沖縄陸戦の命運』を私家版として出版されていた。
著者たちが伊東大隊長と面談でき、認識票についての話が一段落した後、哲二さんは、人目を避けた場所で、「ところで、遺族に手紙を書かれたそうですが、返信が来たのでは」と伊東大隊長に問いかけたという。私家版の戦記に一行記されていた箇所について、哲二さんは問いかけたのだという。後日、面談いただいたことへの礼状を投函する際に、「その最後に、ジャーナリストとして沖縄戦の記録と記憶を残すために、遺族からの手紙を読ませてほしいと書き添えて投函した」(p8)。それに対し、伊東大隊長からは己の心を定め答えを出す猶予がほしいとの返信があった。
2016年8月、終戦記念日の少し前に、手紙の公開について応諾の返事が伊東さんから届く。「この手紙には、当時の国家や軍、そして私の事が、様々な視点で綴られている。礼賛するものもあれば強く批判したものも。そうした内容の良いも悪いもすべて伝えてほしい。手紙にしたためられた戦争犠牲者の真実を炙りだしていただきたい。どちらか一方に偏るならば、誰にも託さない」(p9)と記されていたそうだ。
終戦から71年が過ぎた秋(2016年10月)に、著者夫妻に356通の手紙が託された。
約70年前の書簡の解読、分析から始め、その手紙の差出人もしくは遺族関係者の現住所を特定するという困難な追跡作業が引き続く。「これを世に出すには、手紙の差出人の遺族の了承を得る必要がある」(p11)からだ。
本書には、この追跡調査のプロセスの一部も記述されている。
そして、伊東大隊長の詫び状に対して、出された返信の書簡が困難を経ながらも無事に受諾され、遺族に引き取られることになる。この過程で、戦争の犠牲者となった兵士たちの遺族関係者の戦後の生活にも簡略に触れられていく。戦死した兵士たちだけが戦争の犠牲者ではない。その遺族の人々にもその後の犠牲が及んでいるのだ。「指揮官と遺族の往復書簡」はいわば、戦後につながる契機となっている。この側面は本書を通して、戦争について考える重要な要素だと思う。
一方で、引き取りを拒絶される事例や、追跡調査ができない事例もあるという。
著者たちと伊東大隊長の関係は、伊東大隊長への手紙を介して深まっていく。書簡の公開への承諾と書簡の引き渡しが、困難を経ながらも少しずつ進行していく。そのプロセスが進行するさなか、2020年2月、伊東大隊長は自宅でひっそりと逝去された。享年99歳。
本書はドキュメンタリーという分野の一書になると思う。
「プロローグ---伊東大隊長への手紙」には、本書が生み出された背景が記述される。そこに、上記した伊東大隊長の詫び状の書簡文が開示されている。
そして、本文は7章で構成される。各章は歩兵第32連隊が指令を受けて戦闘拠点を移動させていく状況に合わせて、構成されていく。その一部は上記で触れているが、改めて章題としてご紹介しておこう。
第1章 戦いは強固な陣地づくりから
ー沖縄上陸と戦闘準備(1944年夏~45年4月中旬)
第2章 陣地なき戦い
ー緒戦、西原・小波津の戦闘(1945年4月末)
第3章 噛み合わない作戦指令
ー首里近郊、146高地の戦闘(1945年5月初旬)
第4章 死闘、また死闘
ー棚原高地の奪還作戦(1945年5月5~7日)
第5章 玉砕を覚悟
ー首里司令部近郊の守備~南部撤退(1945年5月中旬~5月末)
第6章 最後の防衛線
ー糸満・国吉台の戦闘(1945年6月中旬)
第7章 武装解除までの消耗戦
ー糸満・照屋の戦闘(1945年6月~8月末)
エピローグ ------奇跡の帰還
各章とエピローグの前半部には、当時24歳だった青年将校、伊東大隊長の視点から、沖縄戦が伊東大隊の戦いを辿る形で記述されていく。その内容は、伊東孝一著、私家版の手記・戦記『沖縄陸戦の命運』を土台に、「復員した同大隊兵士、戦没者およびその遺族らによる手紙や証言、その他の記録などを参照・一部引用したうえ」で著者が構成している。この部分は、本文がグレー地で表示されている。
それに引き続き、伊東大隊長に返信された書簡の内容開示されていく。その開示にあたる追跡調査のプロセスの要点や、書簡を引き取っていただいた遺族関係者の戦後の状況や思いが併せて記述されていく。返信された方ー父、母、妻ーの思いが、その返信文の中に、様々な形で表出されている。沖縄戦の展開状況を読み、その拠点で戦死した兵士の遺族からの返信書簡を合わせて読むと、涙せずにはいられない箇所が頻出してくる。
エピローグに返信書簡はない。その代わりに、沖縄で犠牲になった二十数万人の戦没者のなかで、DNAが合致して身元が判明した6例目のことが取り上げられている。それは伊東大隊の隊員の一人の遺骨と判明し、2021年4月に奇跡の帰還を果たした。その隊員については、父親からの返信書簡が第7章で取り上げられている。
もう一つ、伊東さんが訪問を受け、面談した人々に対して、伊東さんが尋ねた質問とその結果、及び伊東さんの意見について著者が記述している。
その質問とは、「日本にとって、大東亜戦争とは?
①やむにやまれぬものか ②愚かなものか 」 である。
後は本書をお読みいただきたい。
先日、GOOブログのU1さんのブログ記事で本書を知った。ブログ記事を読んでいなければ、知らずに終わる一冊になったかもしれない。
団塊の世代の一人として生を受け、いわゆる「戦争を知らない世代」、戦争に関わる直接体験が皆無の世代の一人として生きてきた。沖縄での戦いは、米軍上陸に伴う沖縄の人々がどのような状況に投げ込まれたかについて、本や記録報道などで見聞したことはある。一方、沖縄本島における沖縄戦の戦闘に絡んだ戦記の側面は読むことがなかった。本書で初めてその一端に触れた思いがする。さらに、沖縄戦で犠牲となった兵士の遺族の思いがどうであったか、そこまで具体的に思いを及ぼすことはなかった。己の無知を知らされる。
そういう意味では、得難い一冊となった。
世界の各地で戦争が継続している。「戦争」のない世界平和はなぜ実現できないのだろう。
日本が「あらたな戦争前夜」へと踏み出さないことを願う。
ご一読ありがとうございます。
補遺
これを機会に、少し情報を検索してみた。
戦没者の遺骨収集の推進に関する法律 :「衆議院」
遺骨収集事業の概要 :「厚生労働省」
戦没者遺骨収集情報センター :「県営平和祈念公園」
「遺骨収集」の記事一覧 :「沖縄タイムスプラス」
日本戦没者遺骨収集推進協会 ホームページ
沖縄戦 :「沖縄県」
沖縄戦の歴史 :「沖縄市役所」
沖縄戦の実相 :「沖縄市役所」
沖縄市における沖縄戦について :「沖縄市」
【そもそも解説】沖縄戦で何が起きた 住民巻き込んだ「地獄」の戦場:「朝日新聞DIGITAL」
沖縄戦の概要 :「内閣府」
伊東孝一 :ウィキペディア
「大隊の部下の9割を失って」 動画 :「NHK」
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
多くの方の読んでいただきたい1冊です。
ブログに取り上げていただきまして、ありがとうございました。
>拙ブログの記事により本書を手にされ、読まれたとのこと、嬉しく思います。... への返信
無知だった事項について、学ぶ機会となりました。
ありがとうございます。