『日本史を暴く』というタイトルはショッキングな印象を与え、読者を惹きつける。それは、「暴く」という言葉から受ける印象にある。これって、広告の原則には則っている。
「暴く」という語を念のために手元の辞書で引くと、「人が隠しておこうと思うものを、ことさら人目に触れるようにする。ことに、人が意図的に隠そうとしている悪徳・非行や、ともすれば多くの人が見逃しがちな欠陥などを、遠慮なく衆の前にそれと示す。」(『新明解国語辞典 第五版』三省堂)と説明されている。
タイトルを読めば、誰しもこの語義の意味合いで受け止めていて、興味をそそるに違いない。私もその一人。副題がそれを助長する効果を持っている。
本書は、『読売新聞』(2017年9月~2022年9月)に「古今をちこち」と題して連載されたものを一部改題のうえ、加筆修正を行い、2022年11月に新書として刊行された。
本書の「まえがき」には「歴史には裏がある」という標題がついている。冒頭はこんな書き出し。「歴史には裏がある。歴史は裏でできている。この本に書いてあるのは、歴史の裏ばかりだ」。つまり、著者は歴史教科書はじめ、市販の歴史書などで取り上げられている史実では取り上げられていない側面を本書の話材としている。著者自身が遭遇あるいは発見した古文書を読み解き、さらに歴史研究者の諸論文を援用し、一般に語られる史実の表には見えなかった「裏」の側面をここでオープンにしていく。
我々が知っているつもりの歴史は、史実の一面である。
事実はいわば多面体。いろいろな側面があり、証拠資料が発見されれば、史実の内容がより明らかになる。解釈を深めることができる。そんなスタンスで、著者は「裏がある」と語っている。本書を読み、そう受け止めた。読後印象は、史実をより多面的にとらえるために、著者が実際に発見した事実を具体的に列挙してみせた。歴史を「暴く」というスタンスとは少し違うように感じた。
よく言えば、我々が学び、知る歴史の史実は表層的な事実だけであり、その史実を多面的にとらえ、理解の奥行きを広げ、懐深く史実をとらえ直す一助となる書である。
我々が知る歴史の史実解釈について、新しい証拠を示して覆そうという類の意図はない。今まで世に出ていなかった古文書の発掘、発見から得た情報を主体にしながら、史実の周辺を補強できる話材を集めた書といえる。ちょっと、人に教えたくなるようなトレビアな知識の集積本という一面を併せもつ。雑多な話材が盛り込まれていて、知的好奇心をかきたてられる書でもある。つまり、公知の史実から一歩踏み込み、その裏にある知られていなかった事実を証拠をもとに語ることで史実の解釈に新しい側面が加わり、理解が深まることに繋がる。
著者は「おおよそ、表の歴史は、きれいごとの上手くいった話ばかりで出来ている」(pⅳ)と言う。そこに「自分で探した歴史だから、現場の一次情報」(pⅵ)と自信をもって、埋もれていたリアルな話材をこの本で紹介し、そのネタを料理してくれている。史実に絡んだリアルな話の好きな読者は、この料理を味わいたくなるだあろう。
本書の構成は以下の通り。
第一章 戦国の怪物たち
第二章 江戸の殿様・庶民・猫
第三章 幕末維新の光と闇
第四章 疫病と災害の歴史に学ぶ
副題に記された「戦国の怪物」は、第一章の話材として出てくる。松永久秀、織田信長、明智光秀、細川藤孝、豊臣秀吉、徳川家康をさすようだ。比類なき戦国美少年と称された名古屋山三郎を登場させ、淀殿との密通説について触れているのが興味深い。密通説はどこかで見聞したことがあるが、秀吉が「淀殿周辺の男女を淫らな男女関係を理由に大量に処刑している」(p36)という事実を本書で初めて知った。歴史記述の表には出てこない話である。また。「家康の築城思想」(p46-48)はおもしろいと思った。
第二章では、徳川家と徳川御三家に関わる裏話、忍者の知られざる側面の話、赤穂浪士が「吉良の首切断式」を泉岳寺の尊君墓前で行った話、女性の力で出来た藩が実在した話、江戸時代の猫についての話など、話材が多岐にわたっている。すべて古文書などの資料的裏付けがあるので、興味深く読める。
副題にある「幕末の闇まで」という記述はちょっと一面的。第三章の標題は、「幕末維新の光と闇」と題して、光の側面も話材にして、バランスがとられている。明るい側面としては、幕末の大名、公家や武士の日常生活の側面を具体例で取り上げている。坂本龍馬が関係する『藩論』の古文書が発見できたことを語る。松平容保と高須四兄弟にも触れている。一方で、西郷隆盛が抱えていた闇の側面、そして、孝明天皇毒殺説という闇の側面に触れている。孝明天皇の公式記録にも掲載されていない病床記録を発見したこととその内容の分析である。興味深い話材ばかりである。
第四章は、まさに闇に近いだろう。これまでこの側面は大災害や大流行の疫病が歴史に名をとどめても、事実ベースで詳細に語られるというのは表の歴史ではほとんどなかった。具体的に話材としてこの章で取り上げられている。日本における「マスク」の起源を論じているところが興味深い。
読者に新たな知見を少し加え、話材が豊富で日本の歴史の多岐にわたり、読者を飽きさせない構成になっているのは間違いない。楽しめる一書である。
ご一読ありがとうございます。
「暴く」という語を念のために手元の辞書で引くと、「人が隠しておこうと思うものを、ことさら人目に触れるようにする。ことに、人が意図的に隠そうとしている悪徳・非行や、ともすれば多くの人が見逃しがちな欠陥などを、遠慮なく衆の前にそれと示す。」(『新明解国語辞典 第五版』三省堂)と説明されている。
タイトルを読めば、誰しもこの語義の意味合いで受け止めていて、興味をそそるに違いない。私もその一人。副題がそれを助長する効果を持っている。
本書は、『読売新聞』(2017年9月~2022年9月)に「古今をちこち」と題して連載されたものを一部改題のうえ、加筆修正を行い、2022年11月に新書として刊行された。
本書の「まえがき」には「歴史には裏がある」という標題がついている。冒頭はこんな書き出し。「歴史には裏がある。歴史は裏でできている。この本に書いてあるのは、歴史の裏ばかりだ」。つまり、著者は歴史教科書はじめ、市販の歴史書などで取り上げられている史実では取り上げられていない側面を本書の話材としている。著者自身が遭遇あるいは発見した古文書を読み解き、さらに歴史研究者の諸論文を援用し、一般に語られる史実の表には見えなかった「裏」の側面をここでオープンにしていく。
我々が知っているつもりの歴史は、史実の一面である。
事実はいわば多面体。いろいろな側面があり、証拠資料が発見されれば、史実の内容がより明らかになる。解釈を深めることができる。そんなスタンスで、著者は「裏がある」と語っている。本書を読み、そう受け止めた。読後印象は、史実をより多面的にとらえるために、著者が実際に発見した事実を具体的に列挙してみせた。歴史を「暴く」というスタンスとは少し違うように感じた。
よく言えば、我々が学び、知る歴史の史実は表層的な事実だけであり、その史実を多面的にとらえ、理解の奥行きを広げ、懐深く史実をとらえ直す一助となる書である。
我々が知る歴史の史実解釈について、新しい証拠を示して覆そうという類の意図はない。今まで世に出ていなかった古文書の発掘、発見から得た情報を主体にしながら、史実の周辺を補強できる話材を集めた書といえる。ちょっと、人に教えたくなるようなトレビアな知識の集積本という一面を併せもつ。雑多な話材が盛り込まれていて、知的好奇心をかきたてられる書でもある。つまり、公知の史実から一歩踏み込み、その裏にある知られていなかった事実を証拠をもとに語ることで史実の解釈に新しい側面が加わり、理解が深まることに繋がる。
著者は「おおよそ、表の歴史は、きれいごとの上手くいった話ばかりで出来ている」(pⅳ)と言う。そこに「自分で探した歴史だから、現場の一次情報」(pⅵ)と自信をもって、埋もれていたリアルな話材をこの本で紹介し、そのネタを料理してくれている。史実に絡んだリアルな話の好きな読者は、この料理を味わいたくなるだあろう。
本書の構成は以下の通り。
第一章 戦国の怪物たち
第二章 江戸の殿様・庶民・猫
第三章 幕末維新の光と闇
第四章 疫病と災害の歴史に学ぶ
副題に記された「戦国の怪物」は、第一章の話材として出てくる。松永久秀、織田信長、明智光秀、細川藤孝、豊臣秀吉、徳川家康をさすようだ。比類なき戦国美少年と称された名古屋山三郎を登場させ、淀殿との密通説について触れているのが興味深い。密通説はどこかで見聞したことがあるが、秀吉が「淀殿周辺の男女を淫らな男女関係を理由に大量に処刑している」(p36)という事実を本書で初めて知った。歴史記述の表には出てこない話である。また。「家康の築城思想」(p46-48)はおもしろいと思った。
第二章では、徳川家と徳川御三家に関わる裏話、忍者の知られざる側面の話、赤穂浪士が「吉良の首切断式」を泉岳寺の尊君墓前で行った話、女性の力で出来た藩が実在した話、江戸時代の猫についての話など、話材が多岐にわたっている。すべて古文書などの資料的裏付けがあるので、興味深く読める。
副題にある「幕末の闇まで」という記述はちょっと一面的。第三章の標題は、「幕末維新の光と闇」と題して、光の側面も話材にして、バランスがとられている。明るい側面としては、幕末の大名、公家や武士の日常生活の側面を具体例で取り上げている。坂本龍馬が関係する『藩論』の古文書が発見できたことを語る。松平容保と高須四兄弟にも触れている。一方で、西郷隆盛が抱えていた闇の側面、そして、孝明天皇毒殺説という闇の側面に触れている。孝明天皇の公式記録にも掲載されていない病床記録を発見したこととその内容の分析である。興味深い話材ばかりである。
第四章は、まさに闇に近いだろう。これまでこの側面は大災害や大流行の疫病が歴史に名をとどめても、事実ベースで詳細に語られるというのは表の歴史ではほとんどなかった。具体的に話材としてこの章で取り上げられている。日本における「マスク」の起源を論じているところが興味深い。
読者に新たな知見を少し加え、話材が豊富で日本の歴史の多岐にわたり、読者を飽きさせない構成になっているのは間違いない。楽しめる一書である。
ご一読ありがとうございます。