散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

時をかける少女、もしくはタイムトラベラー

2017年03月02日 | ドラマ
気が付くと、日曜歴史家もどき(日曜歴史家には到底及ばない者)として、歴史の話題を書いていますが、実はSFが大好きです。

私が子供の頃は、「科学の時代」です。「人類の進歩と調和」を信じていたのです。みんな20世紀少年でした。

星新一さん、小松左京さん、筒井康隆さんが特に好きでした。今でも好きです。

1972年、「時をかける少女」がNHKで映像化されます。題名は「タイムトラベラー」。

原田知世さんが演じたのはその11年後。

そして近年も日本TVで新作が発表されています。ちらと見たところ、主人公の名前すら違う「違う作品」になっていましたが。原作では主人公の名は芳山和子です。

さてNHK版のタイムトラベラー。今では全編を見ることは決してできません。ビデオの重ね撮りによって、消滅してしまったからです。ビデオが高価だったとはいえ、よくもまあ、あの作品を「消す」なんてことができたものだと思います。

最初にナレーションが入ります。城達也さん。そして超常現象的エピソードを語ります。控えめにそして懐疑を交えながら。その超常現象が「本物である」という姿勢ではありません。基本的には「そんなことこの世にありえない」という姿勢です。ただ、最後にこう言うのです。

「もしかしたら」

この「もしかしたら」は少年だった私の心を打ちました。私は今はすっかりオカルト否定派ですが、むやみに否定はしません。「もしかしたら」という実証的態度は必要と思っています。「もしかしたら」という態度は、きわめて科学的だとも思っています。

あとの内容は、実は覚えていないのです。でも原作がありますから、むろんストーリーはわかります。でもNHK版でラベンダーのシーンがどうなっていたか。細部が思い出せません。

ただ主人公が叫ぶ言葉「ケン、わたしを元の世界に帰して」。この言葉だけはよく覚えています。ちなみにケンとは「深町君」。未来人「ケン・ソゴル」です。日本人のようなのですが、どっちが苗字なんでしょう。たしか27世紀人だったはずです。

ああでも、ケン、私を元の世界に戻して、というセリフは「続タイムトラベラー」かも知れません。これ原作者が筒井さんではありません。ややこしい。

音楽も素敵でした。さすがに音楽は残っていて、今でも聴くことができます。

映像のテープはもう現存しません。ただし最終回のみなんとか復元されました。

せめてもの罪滅ぼし?として、NHKは当時の脚本で「復刻版」を作ってくれないだろうかと思います。きっと多くの「大人」が見るはずです。

三男坊が継ぐ朝鮮

2017年03月02日 | ドラマ
朝鮮王朝は1392年から1910年まで続きました。(最後の十五年ぐらいは大韓帝国)

実に500年です。日本で言えば室町初期から明治末年まで。

私は、朝鮮王朝の歴史に詳しいわけでもありませんが、この「長さ」には圧倒されます。

李成桂という軍人が作りました。が、3代目にあたる李成桂の五男、イヴァンオンが「本当の建国者」と言ってよいでしょう。

その強烈な政治力によってまず、親父から王権を奪取。そして私兵の解体、軍隊の整備といった中央集権化をなしとげました。

破壊者にして創造者ですね。日本史で言うと信長風でしょうか。外戚をことごとく殺し、それもあってか、正規の皇太子(世子)であったヤンニョン大君が世子の座を放棄したほどです。

ヤンニョン大君が世子でなくなった為、急遽世子になったのは三男坊です。

これが大王世宗。ハングルのもとを作った人物。あまりにも聖君扱いされているせいか、面白みに欠け、ドラマになりにくいのですが、むろんいくつかのドラマには登場してきます。

ドラマ「大王世宗」はほとんどフィクションですが、「龍の涙」は「朝鮮王朝実録」に基づいており、史実風です。

「龍の涙」は朝鮮王朝史を学ぶ上で参考になりました。でもお話が180話以上あります。長い。長すぎる。「龍」とはイヴァンオンのことでで、大王世宗は脇役です。「全ての罪は自分が背負って死んでいく。だから(世宗は)聖君になれ」というイヴァンオンのセリフが印象的です。

つまりは、そういえば大王世宗も金ジョンウンと同じ「三男坊だった」なという話です。

でもこの三男坊。次男や長男を殺したりはしません。それどころか長男は三男の王様より長生きし、王族の長老として何かと譲位に口を出します。

実質的な建国者である暴れん坊のイヴァンオンは腹違いの弟を殺しましたが、14世紀の話です。

北朝鮮では、まだ朝鮮王朝が続いているのだな。でも親父の金正日が「すべての罪を背負って」死んで、後継の三男坊が聖君になるってわけにはいかなかった。

ドラマと現実は違うのだから当然ではあるけれど。

昨今の事件をみると、そんな感想を持たずにはいられません。

最後に大王世宗に戻りますが、ドラマ「大王世宗」はあまりに世宗が美化されており、その他の人物も美化ばかりで、長いわりには面白みに欠けます。あと字幕だから長いと見直す気になりません。

世宗を扱ったドラマのうち、個人的に一番面白いと思うのは、「根の深い木、大王世宗の誓い」です。悩んだり迷ったり泣いたり叫んだりする世宗が描かれます。俳優さんも実に味のある中年男性、ハンソッキュさんで、親しみが持てます。フィクションですが、内容は深い作品で、素晴らしいと思います。

信長の天才性とは

2017年03月02日 | ドラマ
金ヶ崎の戦い、は戦国ファンの間ではあまりにも有名です。

京都にいた信長が、あっという間に敦賀平野に出陣し、「朝倉攻め」を開始する。緒戦は勝利したものの、義弟の浅井長政が離反する。「金ヶ崎」に秀吉らを殿(しんがり)として残し、織田軍は撤退。信長自身もほとんど単身で戦線を離脱する。「信長生涯の最大の危機だった」とも言われます。

敦賀平野に舞い降りた速さもさることならが、勝ち戦の収穫に何の未練もなく戦場を離脱した異常な速さは、戦術の常識を破った「信長の天才」を示している。

と言われます。その通りかな、と感じます。

戦術の常識、が果たして当時存在していたかは問題になりますね。「用兵の妙」とか「少数をもって多数をうつ」とか言ったものでしょうか。

信長は、桶狭間でこそ少数でしたが、その後は「多数をもって少数をうつ」「事前に調略を行う」「兵器を改良する」といった作戦で勝ち続けます。「勝つべくして勝った」戦いがほとんどです。実はそれこそ本当の「信長の天才性」なのだ、と私などには思えます。(手取川では謙信に散々負けましたが)

車懸りの陣というような、「神秘的で魅力的だがその実態はよくわからない」ような作戦は、信長の戦いにはありません。

秀吉が殿(しんがり)をつとめたことで有名ですが、明智光秀も参加しています。それから徳川家系統の資料では家康もいたことになっています。ドラマになると、これに鉄砲衆の雑賀孫一なんかも参加してドラマ性を高めます。孫一は史実性の薄い人物ですが、小説「尻くらえ孫一」の主人公としてドラマの世界では有名です。

信長はこの撤退の際に狙撃されます。これは「信長公記」に出てきます。狙撃手の名前も記されています。

杉谷善住坊。

大河「黄金の日々」のサブ主人公です。おそらくこの名前は信長公記ぐらいにしか出てこないと思うのですが、彼と、同じくほとんど資料がない「ルソン助左衛門」を主人公にして50話もある大河を作ってしまう。作家の想像力というのは凄いものだと思えます。