剣、についての、素人のつぶやきです。何も調べていないし、本当にシロウト見解です。
剣道って変だなって思います。頭に当たっても一本とならない。「ちゃんと当たる」ことが必要なようです。実践で真剣つかって剣道をやったとすると、「同時撃ち」で二人とも死にます。
でもきっと剣道の達人と私が真剣でやったら私が負けて死ぬ。相手の頭にも私は当てられない。それは分かっているし、「剣道」が「道」なのも分かっているのですが、同時撃ちで「両方とも頭に当たっても」、「浅い」とか審判が言うと、笑いそうになります。「死んでるじゃん、実践なら二人とも」と。
新選組ってのは「剣が強かった」ことになってます。僕は新選組が嫌いなので、「複数で戦った」からだと思ってます。
または「殺人になんのためらいもなかった」から。
池田屋は少数でしたね。やたらと近藤が活躍して、土方は後で救援にやってくる。近藤も、土方も天然リシン流ですが、「気合いで押す」って流儀らしいです。
武士といっても江戸武士は人なんかめったに殺しません。町民だって殺したら、大変な抗議があります。切り捨て御免なんてことにはなりません。
「隠し剣、鬼の爪」の主人公が「武士といっても剣を抜くのは手入れの時ぐらいだ」と言ってます(時代設定は幕末)。
そうだろな、と思います。武士と言えども簡単に人なんか殺せるわけがない。殺した経験がある武士なんて江戸時代はめったにいない。
新選組には「正義」がありました。「正義」のためなら、人はいくらでも残酷になれます。近藤や土方が「強かった」とすれば、「迷いなく人を殺せた」からだと思います。
ちなみに僕が新選組を嫌いなのは「残酷」だからです。最後は内紛で新選組同志で殺し合いをします。人殺し集団、僕の中ではそんなイメージです。
戦国は、というと、もともと剣なんか使いません。基本はやりですね。剣は主に首を獲る時に使うものです。
司馬さんの「燃えよ剣」は何度も読みましたし、あの土方はかっこいいとは思いますが、やっぱり新選組は嫌いです。
剣道って変だなって思います。頭に当たっても一本とならない。「ちゃんと当たる」ことが必要なようです。実践で真剣つかって剣道をやったとすると、「同時撃ち」で二人とも死にます。
でもきっと剣道の達人と私が真剣でやったら私が負けて死ぬ。相手の頭にも私は当てられない。それは分かっているし、「剣道」が「道」なのも分かっているのですが、同時撃ちで「両方とも頭に当たっても」、「浅い」とか審判が言うと、笑いそうになります。「死んでるじゃん、実践なら二人とも」と。
新選組ってのは「剣が強かった」ことになってます。僕は新選組が嫌いなので、「複数で戦った」からだと思ってます。
または「殺人になんのためらいもなかった」から。
池田屋は少数でしたね。やたらと近藤が活躍して、土方は後で救援にやってくる。近藤も、土方も天然リシン流ですが、「気合いで押す」って流儀らしいです。
武士といっても江戸武士は人なんかめったに殺しません。町民だって殺したら、大変な抗議があります。切り捨て御免なんてことにはなりません。
「隠し剣、鬼の爪」の主人公が「武士といっても剣を抜くのは手入れの時ぐらいだ」と言ってます(時代設定は幕末)。
そうだろな、と思います。武士と言えども簡単に人なんか殺せるわけがない。殺した経験がある武士なんて江戸時代はめったにいない。
新選組には「正義」がありました。「正義」のためなら、人はいくらでも残酷になれます。近藤や土方が「強かった」とすれば、「迷いなく人を殺せた」からだと思います。
ちなみに僕が新選組を嫌いなのは「残酷」だからです。最後は内紛で新選組同志で殺し合いをします。人殺し集団、僕の中ではそんなイメージです。
戦国は、というと、もともと剣なんか使いません。基本はやりですね。剣は主に首を獲る時に使うものです。
司馬さんの「燃えよ剣」は何度も読みましたし、あの土方はかっこいいとは思いますが、やっぱり新選組は嫌いです。