散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

キリスト教 人による人の支配

2017年03月12日 | ドラマ
有名な神学者がこんなことを書いています。

キリスト教は「神の支配」を目指したが、現実をみればキリスト教がもたらしたのは「人による人の支配だった」と。

慧眼だと思います。カトリックにおいてその階級制度はことに顕著です。

日本のキリスト教信者人口は、0.5%から多くて2%ぐらいと言われています。心情的にキリスト教に愛着を感じている、ぐらいの人ならもっといるかも知れません。

「少ない」と言えるでしょう。キリスト教は随分と日本の教育に貢献しましたが、その割には信者が増えることはありませんでした。ただ、明治、大正の知識人はキリスト教文化が西洋文化だと思っていましたから、キリスト教への意識はみんな今より「敏感」です。芥川も白樺派も、むろん夏目漱石もそうでした。

西洋科学史、西洋文化史の面からみると、キリスト教は文化抑圧的な役割を果たしてきた、と言えそうな気もします。ローマで国教となって以来、ルネッサンス運動が起きるまで、特に科学技術の発展はキリスト教によって抑圧されてきました。あの「暗い中世」の時代です。「十字軍の時代」でもある。医学も哲学も、その間はイスラム圏が伝承、そして発展させました。その土台の上に咲いた花がルネッサンスです。

みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、すでに心の中でその女を犯したのである。

マタイ福音書です。一世紀後半に「ギリシャ語で」書かれました。もとになったQ資料(キリストの言葉を伝承したとされ、多くの福音書のもとになったと想定されている幻の資料)には、載っているのでしょうか。Q資料は未発見なので、誰にも分かりません。

とにかく、この言葉は随分と明治の青年を悩ませました。志賀も芥川もそうです。日本はもともと「性におおらか」な国ですから、こんなこと言われれも困ります。「見る」ぐらい許してくれてもいいでしょう。でも明治の青年は本気で悩みました。なにしろキリスト教が西洋文化の中心と思っていたのです。実際そういう側面もあったのです。

これは「性の抑圧」ですが、キリスト教全体が持つ「抑圧感」が日本になじまなかったのかな、などと私は考えます。夏目漱石の「こころ」はキリスト教の「告白、懺悔形式」で書かれていますが、あれなども近年は「過度に禁欲的かつ抑圧的だ」なんて批判されることもあります。

原始仏教は煩悩からの解脱を説きます。つまり煩悩(欲)そのものは普通の人間ならみな持つものと認めているのです。それを「罪」とはしません。煩悩(欲)から解放された存在が仏です。

面白いのは、煩悩から解放されたほうが幸せ、とも説かないことです。幸福の希求もまた煩悩、愛情もまた煩悩です。もっと原理的に突き詰めれば「解脱の追及」もまた「煩悩」です。このあたり凄みがあります。

お前は坊主か、と言われそうですが、悲しいかな、宗教的体質がなく、信心というものが私にはない。おかげで未だに煩悩だらけです。

「鎖国の消滅」とグローバル化または愛国心

2017年03月12日 | ドラマ
「鎖国」が教科書からなくなるようです。「幕府の対外政策」とするとか。なんでしょう「幕府の対外政策」ってのは。具体性を欠く分かりにくい言葉です。

そりゃ、家光の時代に鎖国という言葉はない。でも歴史を当時の言葉だけで叙述することなぞできません。そんなこと言うなら、天武天皇(7世紀後半)より下の時代の天皇には「天皇」が使えません。それ以前には、天皇号を「使った証拠」がありません。

話戻って、「鎖国」って言葉は「幕末にはありました」。19世紀のごく初めにはあったようです、当時の武士ってのはそんなに歴史に詳しくないから、幕府が始めたってことを知らない武士も多くいました。

神代の昔から続いていたと思っていた。天皇がはじめたと。そこで「尊王攘夷」となるわけです。やがて開明的な武士の間で「どうやら幕府が始めたらしいぞ」という口コミが広がっていきます。

攘夷は幕府の始めた制度。明治になってかつての志士たち(明治高官)はさっさと「攘夷」は捨てます。実際は幕末時点で捨ててます。幕府が作った仕組みなら捨てても問題ないと考えた、という面も「少しだけ」あるかも知れません。まあ攘夷は途中から討幕の手段(方便)となってましたから、ごく自然と捨てたというのが、ほんとのところでしょうが。


鎖国、実態としては「していた」でしょ、やはり。長崎での貿易は幕府が管理。相手は主に中国それとオランダ、あとは対馬で朝鮮と、薩摩で琉球と、松前藩で今の北海道と。

外国人の上陸はこの4地点以外認めない。貿易も認めない。

これは「鎖国」でありましょう。「幕府の対外政策」では何のことかわからない。少なくとも「幕末時点では」当時の武士たちも「鎖国」という言葉でこの状態を把握していました。

TPP、グローバル化の時代に日本が鎖国してたなんてのは恥ずかしい。そんな国にしたら子供たちの愛国心が育たない、とかなるのでしょうか。

なるわけない。大昔の話です。

昨今の研究成果をふまえて、なんでしょうか。でも出島で貿易してたってことは昔の教科書にも載っています。

なんで鎖国という言葉をそんなに消したいのか。

とにかく、日本史の教科書から鎖国の記述が消えて嬉しい、という方々がいるはずで、まずは「なにが嬉しいのか」から調べてみたいと思います。