坂本龍馬の遺産を継承した人間は無数にいましょうが、板垣退助、後藤象二郎、岩崎弥太郎などがまず挙げられるでしょう。
岩崎は亀山社中を発展させ、三菱財閥のもとを作りました。もっとも色々汚いこともやっています。
後藤象二郎は大政奉還案を容堂に伝え、慶喜に伝えたことで有名ですが、明治以降は「金で失敗」した感じが強くする人物で、偉人としての扱いはされていません。
板垣退助は長く生きましたから、「こういう人物だ」というのが難しい人物です。ただ「野党精神」が旺盛であったという印象が強くします。実際は与党の側にいたことも多いのですが。
板垣は土佐の上士で、本来なら坂本龍馬など土下座しないといけない「藩内貴族」です。しかし明治後は「私が今日あるは、坂本先生のおかげである」と言ったという話も残っています。
明治後すぐ参議という高官中の高官となりますが、明治6年の政変で下野します。
戦闘指揮官としての力は抜群で、戊辰戦争ではその力を世間に示しました。土方たちを甲府で敗退させたのも板垣だと思います。もともとは「乾退助」でしたが、甲府に行くということもあって「板垣」に改名します。「板垣」は信玄を扱った作品には必ず出てくる苗字ですね。
指揮官としては有能だった板垣退助。だたし、「近代国家のビジョン」は少なくとも明治初頭には持っていなかったようです。西郷と同じアジア的教養を持った人物で、近代政治家には不向きでした。むろん明治初頭段階の話です。
西郷は明治政府の金権体質や汚職には不満だらけであり、いつもいつも「死にたい」と言っていました。
ある日、西郷が同じように愚痴を言うと、板垣は怒気をはっし、「そんなことで倒幕、戊辰の戦役で死んだ人間に顔向けができるのか」と西郷を「叱った」という話があります。
西郷は膝を正して板垣にわびたそうです。
僕はこの逸話が大好きです。
岩崎は亀山社中を発展させ、三菱財閥のもとを作りました。もっとも色々汚いこともやっています。
後藤象二郎は大政奉還案を容堂に伝え、慶喜に伝えたことで有名ですが、明治以降は「金で失敗」した感じが強くする人物で、偉人としての扱いはされていません。
板垣退助は長く生きましたから、「こういう人物だ」というのが難しい人物です。ただ「野党精神」が旺盛であったという印象が強くします。実際は与党の側にいたことも多いのですが。
板垣は土佐の上士で、本来なら坂本龍馬など土下座しないといけない「藩内貴族」です。しかし明治後は「私が今日あるは、坂本先生のおかげである」と言ったという話も残っています。
明治後すぐ参議という高官中の高官となりますが、明治6年の政変で下野します。
戦闘指揮官としての力は抜群で、戊辰戦争ではその力を世間に示しました。土方たちを甲府で敗退させたのも板垣だと思います。もともとは「乾退助」でしたが、甲府に行くということもあって「板垣」に改名します。「板垣」は信玄を扱った作品には必ず出てくる苗字ですね。
指揮官としては有能だった板垣退助。だたし、「近代国家のビジョン」は少なくとも明治初頭には持っていなかったようです。西郷と同じアジア的教養を持った人物で、近代政治家には不向きでした。むろん明治初頭段階の話です。
西郷は明治政府の金権体質や汚職には不満だらけであり、いつもいつも「死にたい」と言っていました。
ある日、西郷が同じように愚痴を言うと、板垣は怒気をはっし、「そんなことで倒幕、戊辰の戦役で死んだ人間に顔向けができるのか」と西郷を「叱った」という話があります。
西郷は膝を正して板垣にわびたそうです。
僕はこの逸話が大好きです。