今日は令和について色々書いてきました。本来、このブログは「日本史ブログ」です。政治的なことは書いてきませんでした。
でも令和の出典に関して、「しきりと漢籍排斥」が言われるのは、なんというか「滑稽」で「狭量の極み」という気がして、また少し書きたくなりました。でも「政治のことは書きたくない」のが本音で、「狭隘なナショナリズムと戦おう」なんて「戦意」は私にはありません。
元号は中国では紀元前から使っています。今は使っていません。日本では645年の「大化」が最初の元号です。つまり「元号そのものが中国由来」なのです。「漢籍排斥」に何の意味があるのでしょうか。しかも令和の出典である「万葉集」は「漢字で書かれている」のです。万葉仮名です。全部漢字です。「ひらがな」も「カタカナ」もなかったからです。
漢文ではないのです。まだ漢文を書く力を持った者は少なく、漢字の「音」を利用して書いています。時代が下ると、和製漢文で和歌を記すことが可能となったようです。「変体漢文」と言われます。わたしは詳しくはありません。
私が書いた「日本では大化が最初」も間違いです。「日本」という国名は成立していません。「倭国」です。「ワコク」か「ヤマト」と読みます。「日本」も「天皇」も、使用は早くて7世紀後半からです。これは「日本」で検索すればすぐわかることです。「天皇」で検索すれば、最初にこの「文字を使った」のが7世紀後半の天武天皇か持統天皇だとすぐに分かります。
天武天皇以前の大王は「天皇」と呼ばれてもいなかったし、「日本」という国号も使用されていませんでした。
なお天皇という号は13世紀で廃れ、再び使用されるのは19世紀初頭です。これは「光格天皇」で検索すれば分かります。
さて漢字・漢文について、
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。これは「土佐日記」です。女性が書いてはいません。紀貫之です。でも女性だと嘘をついています。なぜなら「かな」は主に女性が使うものだったからです。では男はどうやって日記をつけていたのか。漢文です。役所の公式文書も漢文です。土佐日記は10世紀の作品。この頃になると、男性は「漢文をつかいこなして」いたわけです。女性でも紫式部などは「漢文をつかいこなした」と言われています。
時代下って戦国武士にとっても漢文は重要でした。家康は大変な読書家で中国の「孫子」「論語」などを読んでいました。日本製の「吾妻鏡」なども「変則的な漢文」で書かれています。ちなみに家康は本当に読書好きで、やがて1万冊を集めた日本一の図書館を作ります。
私は「漢文が大切だ」なんて言ってるわけではありません。日本文化と漢文は「切り離せない」と言っているのです。「科挙」を採用しなかったおかげで、極端な中国化は起きませんでしたが、江戸時代に至っても、漢文は「基本的な教養」だったのです。
ここで韓国の「漢字排斥」に触れます。韓国は「科挙」を採用し、ずっと中国文化の深い影響のもとに政治を運営してきました。15世紀に国王世宗が「ハングルを発明」します。表音文字で日本で言えば「かたかな」です。でもやはり政治の公的場では「漢文」が主流でした。1910年まで。
ところがナショナリズムが台頭し、「中国文化を排除せよ」とばかりに漢字排斥・当然のことながら漢籍排斥(令和におけるような)が唱えられます。朴正煕(逮捕された朴大統領のおやじ)は、1970年に漢字廃止宣言を発表、普通教育での漢字教育を全廃してしまいます。「使用禁止」ではないのです。でも漢字を教えません。だからどんどん読めなくなります。漢字排斥が「文化破壊だった」と気がついた韓国は、今、漢字教育を復活させようともがいていますが、反対運動もあり、混乱しています。企業は漢字が読める人間を求め、だから金に余裕のある家庭は、学校外で漢字を習わせてきました。貧富の差が漢字力の差に連動してしまっています。漢字能力検定試験合格者を優遇する韓国企業が増えてきている、とのことです。娘の朴槿恵大統領が漢字「教育」復活を政策としたのは、「歴史の妙」というものでしょう。
1、歴史を「俯瞰的」に広くみるならば、日本文化と漢籍文化は切り離すことなどできない。
2、万葉集だって漢字で書かれている。
3、漢籍排除・漢字排除、、、韓国が行い、今はそれで困っている「文化破壊」を日本は行ってはならない。
令和は「初めて漢籍ではなく日本の古典(国書)から選定された」なんて言って「一部の人々が」喜んでいるのは、実に滑稽である、というより交流する文化の本質、文化の複合性と重層性をわかっていない行為だと思えてなりません。
長州の倒幕への道のりは、4名の人物で「考えられるかな」と思います。もちろん「4人以外にも重要な人物」は沢山います。でもまあ4人で考えてみます。
1人目は「思想家」である吉田松陰、2人目は「革命家」である高杉晋作、3人目は「政治家」である桂小五郎。
そして、なんと言うか、「仕上げ人」である村田蔵六(大村益次郎)です。技術者と書いてもいいのですが、まあ「仕上げ人」でしょう。
1859年(ちなみに大政奉還は1867年です。)
まず思想家の吉田松陰が「草莽崛起論」を表明します。「もはや武士階級はダメだ。一般大衆が立ち上がって政治を正すしかない」というものです。革命性がありますし、平等主義への志向も見られます。しかし、この段階では弟子の高杉や久坂玄瑞にすら「過激過ぎる」と思われ、孤立します。最終的には安政の大獄が起き、思想家吉田松陰は幕府によって処刑されます。
1863年
やがて草莽崛起(そうもうくっき)が本当に必要な時代を長州は迎えます。攘夷に伴う長州と外国との戦争です。この時になって高杉晋作は「時代が吉田松陰に追いついた」ことを知ります。
で、彼と仲間が作ったのが「奇兵隊」です。「聞いておそろし 見ていやらしい 添うてうれしい奇兵隊」という「歌」を高杉は作っています。ただ比較的すぐに高杉は奇兵隊総督を「くび」になってしまいます。奇兵隊が正規の武士と「もめた」為です。
その後、奇兵隊は山縣狂介(有朋)、赤根武人(あかねたけと)らによって運営されます。
1865年
高杉晋作が「最も輝いた年」です。功山寺挙兵ですね。「藩内革命」です。第一次長州征伐が迫る中、保守派の武士(上士)たちを打倒します。高杉も上士なんですが。
最初は山縣らは高杉の「革命」に賛同しませんでした。「ほぼたった一人の戦い」です。やがて伊藤博文らの「力士隊」等が加わります。これが後の伊藤の出世につながります。
高杉らは藩の軍船を乗っ取りますが、保守派の「弱腰」に腹を立てていた艦長らは抵抗もせずに高杉に船を明け渡します。奇兵隊も加わります。
ここで高杉は有名な言葉を吐きます。長州に逃れていた三条ら公家に対し「これから長州男児の肝っ玉をお見せいたします」と言い放ちます。ドラマにすると「かっこいい」ところです。
藩内革命が終わると、高杉は政権を桂小五郎らに譲り渡します。彼自身が狙われていたという事情もあります。「おうの」さんと逃避行です。
桂小五郎は高杉の「藩内革命」が起きる前までは、兵庫あたりで逃亡生活を送っていました。
1866年
第二次長州征伐の年です。
高杉も活躍しますが、主役は桂小五郎と村田蔵六(大村益次郎)に移っていきます。伊藤博文、井上馨も活発に活動します。この二人親友ですが、伊藤は百姓階級、井上は上士です。
小倉城を落とした後、高杉は途中で結核が重篤になってしまうのです。翌年、大政奉還を見ずに死亡します。辞世の句は「面白きことも無き世を面白く」です。「済みなすものは心なりけり」は野村望東尼が加えました。ただしこの辞世については異論もあるようです。
ドラマでは「済みなすものは心なりけり」という文字をみて「おもしろいのう」と言って死んでいきます。ドラマです。
村田蔵六は桂の政治的保護のもと、奇兵隊ら諸隊を「軍隊」として組織化します。そしてグラバーからミニエー銃を買い付けます。元込め式で「回転弾」です。近代武装のおかげで、幕府軍を圧倒し、撤退させます。途中14代将軍徳川家茂がわずか20歳で亡くなります。死因は「脚気衝心」(かっけ)です。
1867年 大政奉還です。
1868年
鳥羽伏見の戦いが終わり倒幕がなります。
西郷は江戸で指揮をしますが、彰義隊に悩まされます。そこで桂は京都から東征大総督府補佐(実質は総督)として村田蔵六を江戸に送ります。
村田蔵六は周到な作戦を用意し、アームストロング砲も駆使して、上野で彰義隊を征伐します。
その後の戊辰戦争も村田が東京で「総指揮」します。戊辰戦争をもって明治維新がなります。したがって村田が維新の仕上げ人です。「龍馬が維新の仕掛け人とするなら、仕上げ人は村田蔵六」とも言われます。が、戊辰終了後、西郷信者(海江田と言われます)らの反発を買い、彼らが放った刺客によって暗殺されます。
「一人の男がいる。歴史が彼を必要としたとき忽然と現れ、その使命が終わると大急ぎで去った。もし、維新というものが正義であるとしたら、彼の役割は津々浦々の枯木にその花を咲かせてまわることであった。中国では花咲爺のことを花神という。彼は花神の仕事を背負ったのかもしれない。彼、村田蔵六、後の大村益次郎である。」
これが村田を描いた大河「花神」の冒頭です。実際の主人公は吉田松陰→高杉晋作→村田蔵六と移行します。
大河「花神」が放映された時、まだ10代半ばでしたが、この冒頭のナレーションには「参りました」というか、言語によってこんなに人間は「感動するものなのだろうか」というほどの衝撃を覚えました。「言語」ってすごいなと思います。とにかく体が硬直するぐらい、ひきつけられたのです。
実は「それを書くために」、長々と前半を書いてきたのです。要するに「花神冒頭のナレーションには降参するしかなかった」と書きたかったのです。
ちなみに三谷幸喜さんなども大好きな大河として「花神」を挙げています。私より言語感覚が鋭いでしょうから、やはりこの冒頭には感動したのだと思います。
わたしは当然村田蔵六なんて知りませんでした。主人公としては「風采のあがらない中年風の男」です。ただ中村梅之助さんですから、一種独特な口調の良さとなにより「眼力」があります。とにかくこの大河ドラマにはもう「夢中」になりました。幕末ものの最高峰です。桂小五郎は米倉斉加年さん。吉田松陰は篠田三郎さん。高杉晋作は中村雅俊さんです。伊藤博文は尾藤イサオさん。
小説の方にはこの冒頭文はありません。だから司馬さんの文章ではなく、脚本家の大野靖子さんの文章なんでしょうか。天才的才能だと思います。
大野靖子さんは「国盗り物語」も担当しています。
「光秀の死とともに、ひとつの時代が終わる。戦国と呼ばれ、乱世と呼ばれた時代、一介の油商人山崎屋庄九朗が、美濃一国の主、斉藤道三となりえた時代、尾張のうつけと呼ばれた悪童が、天下の権を握りえた時代、人が力と知恵の限りを尽くし、国盗りの夢と野望を色鮮やかに織り成した時代は、ここに終わりをつげる。」
これは「国盗り物語」の最後のナレーションです。名文です。一般には「光秀の死とともに戦国が終わり、近世に移行する」という考えはありませんが、「そう思わせてしまう」ほどの名文です。特に「人が力と知恵の限りを尽くし、国盗りの夢と野望を色鮮やかに織り成した時代」という表現は最高です。
以上、後半は歴史の話ではなく、言語の力は凄いなというお話でした。こうして歴史ブログを書いているのは、この二つの名文に出会ったからだと思います。
ブログのこのタイトルで、要クリック
新元号「令和」について、色々悪口を書きました。そしたらアクセスが1000PVとかになって「困惑」しています。
あんなに苦労して作った「麒麟がくる・キャスト予想」(要クリック)だって、せいぜい日に20PVぐらいなのに、「なんでだろう」と「大困惑」です。
で、グーグルで「令和 発音しにくい」で検索かけたら、上から2番目でした。「なるほど」と思いました。
そんなに滅茶苦茶なことは書いてませんが、5分ぐらいで「仕上げた」ブログです。「粗雑な点」も多いのは確かです。
1、ラ行は発音しにくいこと。発音障害がある方も少ないないこと。
2、令という漢字は「どうしたって命令のイメージ」があること。
3、巧言令色などと言う場合、「令色」は「相手に気にいられようと(忖度して)、顔色をうかがうこと」で、いい意味にはならないこと。
4、令嬢という場合、貴族主義的な響きがあること。(これは人により感覚が違うでしょうが)
5、めでたいという意味があることを知っている、または知っていた国民は皆無に等しいこと(今は皆無じゃないでしょうが)
などを書きました。
おそらく一番問題なのは「誰でも気が付く発音の問題を、有識者が指摘しなかったこと」で、これは「機能不全」を表しています。「もう既に決まっていて、文句を言える雰囲気がなかったこと」を意味します。
「皇室の問題」となると、特に「天皇の問題となると」、「まあ、およろしいこと」と「言っておけばすむ」という風潮がメディアにはあります。
そのくせ「マコさんの婚約者が気に食わない」と攻撃する人々もいます。完璧な人間なんていないのだから、放っておけばいい、大人なんだから二人で考えるでしょう。それに「結婚すればマコさんは皇族ではなくなる」のです。
またネット上では、次の天皇(浩宮)やその奥さんへの「悪口」も少なくありません。
「令和」への批判を「撤回」するつもりはないし、撤回しろという人もいませんが、少なくともわたしは「人格攻撃」はしていません。
「令和」の向こうに見え隠れする現総理大臣の影にはすぐに気がつきましたが、総理攻撃もしていません。
ただ自由に思ったことを書いただけです。誰にも忖度してないし、強い政治的主張もしていません。
とは言え、私のブログなど「ほそぼそとしたブログ」だから「自由に書いていたのに」、急にアクセスが増えて困惑しました。
どうせ「今日一日の問題」なんだから、まあ気にする必要もないのでしょう。とにかく驚きました。こちらも参考にしてください。
「令和」、、ラ行は言いにくいな。
研究者によって調査の結果にバラつきはありますが、たとえばサ行やラ行の音などは、5歳を過ぎても、まだまだ多く子ども達が発音できるようにはならないという研究があります。
大人でもラ行は発音障害の方も多い。
つまり「ラ行」は難しいのです。「レイワ」と発音してみてください。人によりますが、「ショウワ」より難しい。ラ行採用なんて考えられない。
だいたい「令」という漢字は、
①いいつける。命じる。いいつけ。「令状」「命令」
②のり。きまり。おきて。「訓令」「法令」
③おさ。長官。「県令」
④よい。りっぱな。「令色」「令名」
⑤他人の親族に対する敬称。「令室」「令嬢」
というわけで「命令」の令ですから、「上の者の言うことを聞け」という「いやな字」であり、「令嬢」で分かる通り「階級的な字」でもあります。
④よい。りっぱな。「令色」「令名」
「巧言令色すくなし仁と」の「令色」ですね。
「他人に気にいられようとして顔色をうかがうこと」です。
他には、
禁令(キンレイ)・訓令(クンレイ)・号令(ゴウレイ)・司令(シレイ)・指令(シレイ)・辞令(ジレイ)・政令(セイレイ)・勅令(チョクレイ)・伝令(デンレイ)・法令(ホウレイ)・命令(メイレイ)・律令(リツリョウ)
一部の政治家は大好きなんでしょうが、「ろくな字じゃ」ありません。ホント、やめてほしい。どこのバカがこんな「令」なんて漢字を言いだしたのでしょう。
ちなみに出典は万葉集の「令月」とのこと。
れい‐げつ【令月】
1 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰(かしん)令月」
2 陰暦2月の異称。
「令」は
1、過剰に道徳的な字である。上意下達を連想させる。
2、貴族主義的な文字でもある。令嬢。(ただし人により感覚の違いはあるでしょう)
3、上の者の言うことは聞けという「圧力的な文字」である。
4、そもそもラ行は発音しにくい。発音障害の方も多い。それを有識者が「指摘できなかった」ことは問題である。
5、現総理大臣の政治姿勢の影響がみられる。
というわけで、とてものこと「素直に賛成」なんてできません。でも役所は元号主義ですから、「使わない選択」は国民にはないのです。気持ちが暗くなりました。昭和、平成は使ってきました。でも令和は本心から「使いたくない言葉」です。こちらも参考にしてください。