散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

比叡山焼き討ちのこと・歴史秘話ヒストリアの新説?

2019年04月04日 | 織田信長
後白河法皇は「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたとされています。この3つは自由にならないということです。

山法師が比叡山延暦寺の僧兵です。延暦寺は山王社の暴れ神輿を盾にして、「強訴」を繰り返していました。平清盛はこの僧兵と小競り合いになり、神輿に矢があたります。で、大騒動になり、しばらく清盛の昇進は止められます。

積極的に矢を打ち「どうだ、神罰が下ったか。このおれが血反吐を吐いてしんだか!」とドラマでは叫びます。それを民が応援します。

歴史秘話ヒストリアでは「信長は延暦寺に中立を要請して待ったが、聞き入れないので、天下静謐のため仕方なく焼き討ちをした」として「新説」と銘打ちました。どこが新説なのか?「天下静謐のため仕方なく」の部分のみです。

「仕方なく」やったのだが、児童、智慧者、上人も殺したわけです。「信長公記」にはそうあります。「仕方なく」やったわりには、虐殺となっています。仕方なくは通りません。ウソです。

虐殺というと「聞こえ」は悪いですが、比叡山の山法師は冒頭に書いたように、好き勝手(彼らにも言い分はあるが)やっていたわけです。なにより「戦国時代の話」です。信長はもっとひどいこともしています。

「(悪人とは)叡山の坊主どもよ。僧でありながら、僧刀を携えて殺生を好み、女人を近づけ、学問はぜず、寺の本尊を拝まず、仏の宝前に供華灯明さえあげずに、破戒三昧の暮らしをしている。そういうやつらの国家鎮護に何の験があるか。」

「うぬが事ごとに好みたがる、古き化け物どもを叩き壊し、すり潰して新しい世を招き入れることこそ、この信長の大仕事よ。その為には仏も死ね。」

これが「ザ信長」とでも言うべきセリフです。それを「やりたくないのだが、仕方なくやるのだ」と「麒麟がくる」では言わせるつもりなのでしょう。俳優は染谷将太くんです。

信長好きの小泉純一郎が「自民党をぶっつぶす」と言った時、国民は喝采を送りました。できるわけないと思われていたことを「やる」(やらなかったが)と言ったからです。後白河法皇さえ「自由にならぬ」と嘆いた延暦寺(僧兵武装集団)を本当に「ぶっつぶした」のが信長で、しかも400年以上前のことです。なにか問題があるのでしょうか。

なんなのだろう?「お茶の間向けじゃない」からなのか。「守旧的な若者を取り込む作戦」なのか。たしか「お江」でもみっともなく「言い訳ばかりしている信長」が描かれました。それからも変な解釈ばかり。で、唯一、私が途中で見るのをやめた作品になりました。


誰がそんな信長を「望んでいるのか」「史実とも言い難いし。別に大河は史実を描いてこなかったし。ドラマだし。」、、、、不思議です。

補足
大河「平清盛」で「王の犬」というセリフを使ったら、批判が一部の人から起きました。天皇は中国の冊封を受けてないから王ではなく「帝だ」というわけです。平安文学を「王朝文学」というように、天皇を王と呼ぶのは普通のことです。まあ、騒いだ人たちは「皇室をいやしめた」と言いたいわけではなく、「中国の冊封を受けてないから王じゃない」と言いたかったのです。どうもあれ以来、大河は「皇室」「伝統的存在」を忖度し過ぎるような気がします。「西郷どん」ではしきりと「天子様」という言葉が出てきました。でも視聴率は最低ラインです。延暦寺=仏教=日本の伝統だから、その破壊者を描いてはまずいとでも勘違いしているのか。誰に忖度しているのか。全くもって奇々怪々です。


忍びの国・織田信雄・仮面の忍者

2019年04月04日 | 忍者
豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、琵琶湖の南に「金目教」という怪しい宗教が流行っていました。

史実じゃありません。仮面の忍者赤影の「設定」です。いつの時代なんでしょうか。琵琶湖とあります。秀吉が長浜城主となったは天正元年(1573)です。でもその前年に秀吉は「羽柴秀吉」を名乗っています。木下藤吉郎だった頃ですから、元亀年間なんでしょうね。元亀は4年(1573年まで)ありますが、実質は3年とちょっとです。

さて忍者もの。

「忍びの国」をTVで放映していました。録画をなんとなく見ました。小説の方も読んでいます。

小説の方の少しの面白さは「織田信雄が副主人公並み」という点です。ただ全体に「サツバツとした小説で、救いがない」のです。主人公の無門は伊賀で最も腕がある忍者で「殺人マシーン」のような存在です。あ、ネタバレしますよ。ちなみに映画では織田信雄をジャニーズの知念くんが演じています。「おのれらは天下一の父を持ったことがあるのか」(その辛さが分かるのか)と泣き崩れたりしています。

主人公無門は殺人マシーン的ですが、しかし「お国」という女性だけは例外で、彼女の前でだけは「人間」です。お国はお国で無門を「甲斐性なし」として世間一般の女房のように叱り飛ばします。無門は「女房に頭があがらない亭主」となり、その間だけは「人間」となるのです。

が、最後はお国を殺され、お国を殺した「伊賀の国そのものを壊滅させようと」します。で、織田信長を脅かしてわざと伊賀に攻め込ませます。第二次天正伊賀の乱のことです。

映画は、、、なぜか信長が出てきません。だから無門、嵐の大野くんが「天正伊賀の乱を起こした」となっていません。嵐の大野くんが「非戦闘員をあわせて3万人を殺した伊賀の乱のきっかけを作った」ではまずかったのかなと思います。映画は特に面白いわけでもなく、つまらないわけでもなし。お国は石原さとみさんです。

こっから映画を離れて、織田信雄の話です。

第二次天正伊賀の乱は、1581年(天正九年)です。信長の死の一年前です。

その前1576年に「織田信雄」信長の次男は、第一次天正伊賀の乱を起こしています。勝手に1万の兵で伊賀に攻めこみ、負け、信長にしばかれています。でも結局は信長も伊賀攻めを決め、第二次天正伊賀の乱が起きます。総大将は信雄でした。5万を動員して非戦闘員も殺し、3万人を虐殺しています。

第一次天正伊賀の乱は「信長の命もなく勝手に攻め込んだ」わけです。で勘当だとは信長から言われますが「殺すぞ」とまでは言われていないようです。アホな子ほど可愛かったとか、信長も普通の父親だったとかされます。

大河では天正伊賀の乱(二回もしくは三回あった)はあまり描かれません。「虐殺シーン」になるからです。大河「国盗り物語」では描かれました。総集編が残っているので分かります。それ以後、大河で描かれた記憶が私にはありません。

さて織田信雄。清須会議の後、三法師を抱え込んだ織田信孝への対抗上。織田家の家督扱いとなります。で尾張美濃で100万石です。その後徳川家康と組んで、小牧長久手の戦いを起こします。

1590年の小田原攻めまでは、豊臣大名として安泰です。小田原攻めの後、移封を拒んだら100万石改易です。この時織田信包も改易されています。織田家を秀吉が切り捨てるわけです。ただし、三法師、織田秀信は、岐阜13万石です。三法師だけは小田原後も安泰でした。秀吉としてはかつての織田家家督である三法師に13万石は惜しくなかったのでしょう。信雄は100万石です。これは取り上げたかったのだと思います。

その2年後の朝鮮の役の時に許され、でも2万石程度です。

この辺り伊藤潤の「虚けの舞――織田信雄と北条氏規」に描かれています。しかしその2万石も関ケ原で「傍観者」だったため、家康に取り上げられています。

その後14年間、大坂城で「居候」です。茶々と信雄は「いとこ」です。が大坂の陣の直前に城を出ます。大坂にいたら名目上の「総大将にされていた説」もあります。その後、家康から5万石を与えられました。間者であったともされますが、証拠はないようです。

結局この信雄が信長の血筋を残します。織田有楽も残していますが、彼は信長の子ではなく弟です。信雄はどうにも絵にならない感じがします。一方三法師、江戸期まで生き延びたら、彼の生涯を面白く描くこともできたと思います。惜しいことに関ケ原では西軍について、あっという間に岐阜城を落とされ、高野山追放。その後若くして亡くなります。三法師が東軍について、20万石ぐらいになっていたら「織田家の逆襲」ということで、色々なドラマ、小説で取り上げれていたと思います。もっとも少なくはありますが、三法師を主人公にした小説は存在します。

歴史秘話ヒストリア・世にもマジメな魔王・織田信長・最新研究が語る英雄の真実

2019年04月04日 | 織田信長
NHKは来年の大河「麒麟がくる」では、信長の保守的側面を強調すると既に予告しています。歴史秘話ヒストリア・世にもマジメな魔王・織田信長・最新研究が語る英雄の真実は、「その線に沿ったもの」で、「最近の流行りの学説」を採用してました。

来年「麒麟がくる」が放映されると「信長のイメージがおかしい」となるはずで、その防止も狙っているようです。
 
と私が書いた歴史学者、金子拓氏の監修です。

ただ面白いのは「信長像は揺れ動いてきた。永遠に確定することはないだろう」と金子拓氏自身が出演して言っていることです。「一応今の段階ではこうだけど、論争は果てしなく続くよ」と言っているわけです。その割に内容は「これが史実だ」という感じに仕上がっています。

なんというか、逆説的なんですが、問題点は「当時の一次資料」を用いて織田信長像を再現しようとしていることです。

例えば上洛時に「足利義昭公を奉じて、足利幕府を再興します」と書いている。そりゃ書いています。まさか「足利義昭を傀儡にして、天下は自分が治めます」なんて書くわけないわけです。上杉謙信なんか最初はこの手紙を信じて、喜び、信長に好意的でした。

手紙なんて戦略的なウソばっかり、なんですが、「一次資料」ということで採用されます。そうすれば信長像が守旧的になるは当然です。

明智光秀は「細川忠興のために本能寺の変を起こした」と手紙に書いています。細川を味方にするためです。学者のほとんどは「ウソ」としています。でも「一次資料だから信頼できる」となると、「ウソが史実になる」ことになります。

1、信長は朝廷、公家を重んじていた。

そりゃ重んじているふりはしています。それは徳川家康だって同じです。しかし家康は天下をとるや「禁中並公家諸法度」を金地院崇伝に命じて起草させます。建前としては家康だって重んじているのです。が実際はこの法度によって朝廷の政治力を奪います。家康はそうかも知れないが、信長は本気だった、なんてのは成立しがたい意見です。朝廷そのものが問題というより、朝廷と大名の結びつきが問題なのです。明智光秀が謀反を起こした時、朝廷は光秀を恐れ、もろ手を挙げて光秀を支持しました。この「定見のなさ」に家康のみが気が付き、信長は気が付いていなかったなんてことはありえないことです。

2、天下布武というが天下とは畿内である。

これについては今まで散々書いてきたので省略します。

3、信長は足利義昭を奉じて、足利幕府を再興しようとした。

既に書いたように、建前としてはずっとそういう態度です。各大名に手紙も送っています。だから謙信などは黙って見ていた。その戦略的態度を「本気だった」とするのは無理です。最後の最後までそうした態度ですし、義昭も殺していません。追放にとどめています。

4、比叡山焼き討ちに至っては新説ですらない。

前もって中立を要請したが、聞き入れないので1年待って「仕方なく」「天下静謐」のために焼き討ちをした、そうです。
何が「新しい」のか。全く新事実はありません。1年だったかなぐらいは思います。前に読んだ本では3か月となっていました。
要するに「しぶしぶやった」から「新説」らしいのですが、話にもなりません。「しぶしぶ」「天下静謐」という「言葉遊び」をしているだけです。そんなの解釈だけの問題です。

では何故、僧侶だけでなく、「児童、智者、上人一々に首をきり」と「信長公記」にあるのか。子供も知者も上人も殺しているのです。「しぶしぶ」やったなら、「子供は助けよ」「上人は助けよ」ぐらいの命令となるでしょう。金子氏の言っている(この番組の言っている)ことは単なる言葉遊びであり、全く事実を反映していません。

5、四国攻めだけが何故か「天下静謐」の為ではなく、「暴走」とされ、それが本能寺の変の原因であると金子氏、この番組は言う。

どうして「四国攻め」だけが特別な侵略行為とされるのか。藤田さんの本を読んだけど、実に変な理屈なのです。論理破綻もはなはだしかった。でもまたその変な理屈を読み直す気にはなりません。とにかく「強引で変な理屈」でした。お話にならない感じがしたのを覚えています。

ともかく信長は真面目な正常な人間らしいのですが、

では例えば「信長公記」には親父の葬式で「抹香をくわっとつかんで、仏前に投げかけて」ありますが、「これは若い日のあやまち」なんでしょうか。当時の資料に載っているわけです。一応一級資料です。異常な人格です。

それから一向一揆攻めにおける「なで斬り」をどう説明する。天正伊賀の乱における虐殺3万人をどう説明する。NHKご用達の磯田道史氏など「許せない。とんだサイコ野郎だ」と「英雄たちの選択」で発言しています。
 
さらに城の建て方の革新性をどう評価するのか。
 
戦略的ウソが多い手紙なんぞより、実際の行動の方を見るべきです。

一次資料など、使い方次第でどうとでも「解釈」できるわけです。

だから私の書いていることも「史実だ」ということではないのです。そもそも資料がすくな過ぎるのです。信長の妻たち、帰蝶も吉乃もお鍋の方も、実名すら分かりません。
 
それに何故「信長が人気ランキング1位か」を考える場合、その革新性が国民を引き付けていることは確かでしょう。「悪漢小説」というジャンルがあるように、「悪漢の魅力」というものがあるのです。それを真面目ないい子にされてもなーと思います。

まあ「麒麟がくる」で「守旧的な信長を描く」ことは良くはないけどしょうがないでしょう。ただそれが史実だとするのは無理というものです。

かつて山岡荘八が「聖人君子の家康」を描いてベストセラーになりました。あくまで勤王の人として描いたのです。でも今は「たぬき親父」扱いです。

信長をどう描こうと、それはドラマだから自由なんですが、「もし勤王の程度によって人を評価しようとしている」なら、それは愚行です。なんせ信長は上京を焼き払っているのです。京都焼き討ちです。本当は下京も焼くつもりで命令を出しています。勤王の志士にするのは、いかにも無理です。

こういう見方もある、はいいのですが「最新研究だから史実」とはなりません。学者さんの「一次資料の使い方」は極めて恣意的だからです。数日に一冊は歴史家の本を読んでますが、「わかってやってるな」と思うほど不誠実な人もいます。ただしごく少数、本当に真面目な方もいます。
 
大河の視聴率を高めるためには、若い層も開拓しないといけません。どうせ年寄りは「麒麟がくる」を見るだろう。じゃあ若者受けだ。最近の若者は守旧的だ。「それじゃあ信長も守旧的にしてしまおう」とうNHKの意図が「みえみえ」なのが、なんというか「お願いだからやめてくれ」と言いたくなるわけです。ウソだし。

そもそも「魔王信長」を散々デフォルメして描いてきたのはNHKです。「おんな城主直虎」のデフォルメなんて極端でした。

あとは、どーでもいい話ですが
大河ドラマにおける「狂気の度合い」で考えると、
「国盗り物語」ではさほどではありません。
「信長キングオブジバング」は狂気の人というより「変な人」という描き方です。
「功名が辻」では「かなり狂気が入って」きます。
「おんな城主直虎」となると「完全な魔王」です。市川海老蔵(団十郎)です。
「真田丸」には合計5分も登場しません。真田昌幸、草刈さんは「若い頃の信玄公のような気迫を感じた」と評価し、その妻高畑さんには「神仏を大事にしない人はろくな死に方をしない」と言わせています。計5分ですが重層的な描き方になっていました。

坂本龍馬と大村益次郎、西郷隆盛・薩長同盟

2019年04月04日 | 坂本龍馬
好きな人物ランキング、織田信長が1位、坂本龍馬は4位です。龍馬意外と人気ない。「歴史秘話ヒストリア」調べです。2位が秀吉、3位が家康、5位は西郷です。

龍馬は最近ドラマ化されていません。西郷どんの坂本龍馬、小栗旬も「ちょっと出てきた」感じでした。

薩長同盟の評価も随分と低い方へ変わりました。ウィキペディア(怪しい面も多い辞書ですが)などにも、「幕府による長州藩処分問題に関して、長州藩の状況が悪くなっても薩摩藩は長州藩を支援するという内容であり、共に倒幕へ向けて積極的に動き出そうとするものではない。 」とか書かれています。

歴史番組などでも最近は「過大評価だった」とするものが多いように思います。

薩長同盟運動は最初は失敗します。西郷が「ドタキャン」したせいです。桂小五郎は「激怒」します。長州は西郷が「大嫌い」でした。

そこで龍馬や薩摩藩は「幕府の命で外国から兵器が買えない長州、に代わって島津の名で武器を長州に調達」したのです。

当時長州の軍事担当だった村田蔵六(大村益次郎)は、元込め式回転弾の「ミニエー銃 」を購入したかったのですが、非常に「難儀」していました。

以下はドラマですが、そこに龍馬が現れ、「一か月もあればなんとかなるじゃろ」と言ったので大村は驚きます。さらに龍馬は言います。

「そもそも、あれだけ憎みあっている薩長が、簡単に手を結ぶと考えたのが失敗じゃった。まずはモノの交流で薩摩が誠意をみせれば、長州の感情も少しはやわらぐじゃろ」

大村は心でこう考えます。
「この男、世を動かすのは思想ではなく、経済だと言っている」

むろんドラマです。当時は思想とか経済という言葉もなかったはずです。しかしモノの交流はドラマではなく、史実です。ただし龍馬の海援隊が「一手に担ったかどうか」はまだ調べていません。

さて薩長同盟。締結段階において桂小五郎ら(他に品川弥二郎、三好重臣など)は、「長州から頭を下げる」ことはしません。それは薩摩側も同じでした。

遅れて京都に来た龍馬はこの薩長の態度に激怒します。ドラマでは「薩摩がなんだ。長州がどうした。武士なんぞ滅ぶべくして滅びるぞ。そんなものにこだわっているようでは、所詮、おまんらは、日本人じゃない」となります。

これに対し桂は、同盟がならねば長州は滅びるが、「悔いはない」と言い、
「たとえ長州が滅びても、薩摩が日本のために尽くしてくれるならば、天下の為に幸である」 と言います。

これを聞いた龍馬は薩摩藩邸に走り、
「いつまで見栄の遊びをしているのだ。長州が、長州がかわいそうじゃないか」

これは「竜馬がゆく」の最も大切なシーンでもあります。「長州がかわいそうじゃないか」という言葉を書くためだけにこの小説を書いた、と確か小説内でも述べています。

薩摩人は「かわいそう」に弱いのです。「弱い者いじめ」は私の子供の頃でも、「最も卑怯な行為」とされていました。

西郷は威儀を正し「坂本さーの言う通りごわす」と応じます。

最後の方はむろん、小説、ドラマの話です。どこまで史実かをちょっと調べましたが、分かりませんでした。わたしは西郷も龍馬も大好きというわけではなく、龍馬などはちょっとかっこよく描かれすぎかなと思っている人間です。それでも、これが史実に近いならば、それぞれの人物に大きな魅力を感じます。