散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

気分次第で責めないで・今までにない音楽・フランシーヌの場合

2019年04月19日 | 音楽
音楽の衝撃というものを2回経験しています。まずは井上陽水と吉田拓郎の登場。

陽水、氷の世界「窓の外ではリンゴ売り、声を枯らしてリンゴ売り、きっと誰かがふざけて、リンゴ売りの真似をしているだけなんだろ、、とても醜いあの子をぐっと魅力的な子にしてすぐ消えた」

そもそも「リンゴ売り」ってなんだ?豆腐売り、金魚売り、さお竹売りなら知っています。リンゴ売りって?そして「とても醜いあの子」という歌詞。

小学生だったと思います。もう何もかもが衝撃でした。

それから拓郎「生きていくのは、ああ、みっともないさ。あいつが死んだ時も、オイラは飲んだくれてた。そうさオイラも罪一人さ、ああ、またあの悲しみを、おきざりにしたまま」(おきざりにした悲しみは)

作詞は拓郎ちゃんではなく、岡本おさみです。襟裳岬も岡本さん。ルームライトも岡本さん。

小学校からの帰り道「みんなで歌って帰った」記憶があります。上記の歌詞を小学生が口ずさんでいたのです。

初期ユーミンも衝撃でしたが、なんというか「美しい」のですね。それに比べると、陽水や拓郎には「凄み」がありました。メロディーも聴いたことない音律でした。

次が1978年、サザンオールスターズ。勝手にシンドバッド。最初はコミックバンド扱いでした。歌を聞いたらもの凄い。衝撃でした。

いま何時?そうねだいたいね、、、の部分。当初は歌詞見てないので、聞き取れないのです。それでいていままでに聴いたこともない音楽。

そして2ndシングル「気分次第で責めないで」、、、途中でなんかセリフが入るのです。今でも分かりません。

「強い子、アミーゴ、○×△□、茅ヶ崎辺りに飛んでった」、、、茅ケ崎辺りに飛んでった、だけは聞き取れました。「いとしのエリー」で「なんか普通」になったのですが、次の「思い過ごしも恋のうち」「C調言葉にご用心」でまた元のサザンに復帰です。熱中しました。

では「その前の時代」に衝撃性のある歌はなかったのかというと、変な歌だなーと思うのはいくつもあります。当時は今のようにパッケージ化された歌、タイアップソングではないから、「はみ出し者」「すね者」が作った歌があったのです。

たとえば「なかしに礼」、、、正統派ですが「石狩挽歌」、、オンボロロ、オンボロボロドという歌詞。これは1975年のようです。「恋の奴隷」「恋のフーガ」、、、。
「知りたくないの」などは正当派そのものですが「あなたの過去」などの「過去」が耳に残るのです。実はこれを巡っては歌手の菅原洋一と「ケンカ」したようです。「カコ」という音は非常に歌いにくく、そんな歌詞などありえないと菅原は言う。でもなかにし礼は譲らない。結局この「過去」でこの歌は大成功します。

それから「老人と子供のポルカ」「フランシーヌの場合」「帰ってきたヨッパライ」「ケメ子の歌」「夜明けのスキャット」「ナオミの夢」「非情のライセンス」「クレージーキャッツの一連の歌」「シンガーソングライター、加山雄三の歌」、、、考えてみると、凄い歌が沢山ありました。

僕がもっと早く生まれていたら「クレージーの歌」や「加山雄三の歌」にも衝撃を受けたと思いますが、なにせ衝撃を感じるには子供過ぎました。ただ「引きつけられた」ことは確かです。

80年代になり、歌は「企業化」され、タイアップ性が強まっていきます。それでも今でも時々「はっとするような歌」があるような気がします。といっても2000年以降の歌はほぼ何も知らないので、具体的には書けません。ぱっと思いつくのは「今夜はブギー・バック」小沢健二、、なんと1994年。25年前です。あと三木道三とか。

最近のランキングをみるとAKB系列ばかり。これは年寄りの小言に過ぎませんが、AKB系が「日本の流行歌を劣化させた」と言いたい気もします。でも実は聴いてないので、確信はありません。

さて話もどって「フランシーヌの場合」

フランシーヌ・ルコントという女性がパリで焼身自殺したことを歌っています。
1969年3月30日、日曜日の朝。パリの路上で30歳の女性が、シンナーを被って焼身自殺した。フランシーヌ・ルコントさんというこの女性はベトナム戦争やナイジェリアの政情に心をいため、自殺した時もビアフラの飢餓の切抜きを持っていたという。また、ウ・タント国連事務総長などに訴えの手紙も書いたこともあるといわれる。

とのことです。ここまで詳しく知ったのは大人になってからです。小学生時代は「ただ、いい歌だ」と思って、子供ながらに聴いていたのです。

「フランシーヌの場合は、あまりにもおバカさん」から始まり「本当のことを言ったらおリコウになれない」「一人ぼっちの世界に残された言葉」と続く。そして「フランシーヌの場合は、わたしにも分かるわ」と共感を示します。「お馬鹿さん」「おリコウになれない」が「わたしにも分かるわ」となるのです。僕は小学校低学年でしたが、「異様な魅力」をこの歌詞に感じました。むろん「背景」など知りません。

岡本太郎ではないけど「なんだこれは」という歌。そういう歌が今でも実は作られているなら、個人的見解では、まだまだ日本の音楽界にも未来がある。ただし私自身は「最近の歌は全く聴かない」ので、大ヒットでもしない限り、気が付かないとは思います。

東條英機暗殺の夏・東條英機を考える。

2019年04月19日 | 戦争責任
吉松安弘「東條英機暗殺の夏」は実にいい「小説」なんですが、読み返そうとしたら本棚にありません。で図書館で借りようと思ったら、わが自治体では「わずか1館が所蔵」です。17の図書館で1館しか所蔵していない。驚きです。いい小説なのになー。

東條を過剰に批判してはいません。ほのぼの談なんかも書いています。ただ暗殺計画の部分はシビアです。故三笠宮(昭和天皇の末弟)の暗殺計画への関与などにも触れています。(これはねつ造ではなく、史実です)。関与などというものではない。途中で躊躇し、自ら憲兵隊に通報しているのです。小説ではお母さんに怒られたという感じのことも書かれています。

戦後、ジェントルマンを絵に描いたような三笠宮まで、「もはや暗殺しかない」というところまで追い詰められていたのです。それほどに東條の権力は強大でした。

彼が毎日のように参内し、昭和天皇の了解を得ていたからです。

また、行政権の責任者である首相、陸軍軍政の長である陸軍大臣、軍令の長である参謀総長の三職を兼任していました。(嶋田繁太郎が海軍大臣と軍令部総長の兼任)。

日中、太平洋戦争中、日本には3つもしくは4つの「権力」が存在しました。

1、政府・総理
2、参謀総長
3、軍令部総長
4、陸軍、海軍に対して、政府から独立した統帥権を持つ昭和天皇

5、宮廷勢力(これには法的根拠はなし)

陸軍の作戦には政府は口出しできない。海軍の作戦には政府は口出しできない。上記の1、2、3と(2と3の上に立つ昭和天皇)の「強大な権力」は法的には完全に独立しているのです。総理、参謀総長の兼任があっても法的には独立です。嶋田は東條の子分ともされますが、東條すら海軍の作戦行動には法的に口出しできないのです。

東京裁判の被告は言っています。政府、陸軍、海軍、あんなバラバラであったのに「共同謀議をした」とはよく言ったもんだ。連合軍が言うように「共同謀議していたら、もっといい戦いができた。」
実際は独立した権力で、バラバラ。共同謀議なんて高等な行動がとれるわけもなかった、というわけです。

わたしは東條をかばっているのか。批判しようとしているのか。実は批判しようとしています。

戦争を起こした、、、これ自体は罪ではないという解釈もできる、、、これが罪ならルーズベルトも罪人です。チャーチルも。

では何故東條を批判するのか。それは作戦指導があまりに「稚拙」だから。「兵站を考えない軍事行動なんてありえない」からです。戦死者の6割、戦死約230万の6割が餓死者です。

作家の半藤一利氏が言うように「軍の指導者たちは無責任と愚劣さで、兵士たちを死に追いやった」わけです。食事がない、、のです。

戦争を追っていけば「戦争指導者、その頂点だった東條の無能さ」が「餓死者を生み出した」ことは歴然です。

つまり「戦争自体は罪ではない」とか「下らないごたく」をいかに言おうが、「実際に餓死してるのだから、作戦指導が無能」ということです。

自国兵の集団虐殺と私は呼んでいます。その無責任と残酷な作戦指導の頂点に立っていたのが、東條、嶋田ということになります。戦争の罪とかアジアへの罪とか言うまでもなく、「無能な作戦指導によって自国兵を虐殺=食事を与えない」をしているわけです。

この1点だけでも、東條は断罪されてしかるべき人物です。そして「無能な餓死大量製造機械のような東條」を批判することは、自虐でもなんでもありません。

ノートルダム大聖堂・我らが貴婦人・ノートルダムのせむし男・フランスかぶれ

2019年04月19日 | カルチャー
萩原朔太郎/旅上(純情小曲集)
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん

「フランス」は「あまりに遠き」国です。行ったことはありません。焼けたノートルダム大聖堂は1163年から建設が始まったようで、12世紀末には一応の完成をしています。一応の完成は鎌倉時代初期です。荏柄天神社の本殿は鎌倉に唯一現存する、鎌倉時代の建築物、という情報がネットに載ってました。鎌倉は鎌倉時代も室町時代も「騒乱ばかり」ですから、当時の建築物は残っていないようです。むろん日本全土なら、いくつかあるようです。東寺の御影堂など。

ノートルダム、「ノートルダムのせむし男」という映画がありました。映画の名前だけは有名でした。それで「ノートルダム」という言葉を知りました。ノートルダム大聖堂が舞台です。
「ミシェル・ド・ノートルダム 」、、、これはノストラダムスの本名です。

一年ぐらい前に「イギリス・フランス史」という本を読みました。そこで初めて「ノートルダム」とは「我らが貴婦人」という意味で、聖マリアを指すと知りました。

ノートルダム寺院は当初は西洋最大級のカトリック教会だったようですが、フランス革命で「廃墟化した」ようです。18世紀末のことです。

フランスが大改修というか、再建に近いものを行ったのは19世紀半ば(調べ書きですから、たぶんです)。すると、ほぼ19世紀の建造物ですね。

日本人は昔はフランス好き、というか「フランス憧れ」があったように思います。アメリカかぶれ、フランスかぶれがいました。文化面ではフランスかぶれが多かったように思います。1966年の「ウルトラマン」にはダダという宇宙人が登場します。白黒の筋が入った異様な姿です。これはフランス等を中心にしたシュールレアリスム運動、「ダダイズム」または単に「ダダ」の影響です。子供になんか「ダダ」が分かるはずもないのに、フランス文化の影響をモロに受けた宇宙人が登場するのです。作家の「あこがれ」が分かろうというものです。

西洋では大国です。ウソのような話ですが、1160年ぐらいから300年間、「イギリスの公用語はフランス語」でした。イギリス王がフランス貴族だったからです。「イギリス・フランス史」に書いてありました。

かつてフランス出身の「日本の有名人」はフランソワーズ・モレシャンさんで「わたくしどもの国ではー」とよく言ってました。「フランスではこうだ」ということです。フランス好きの日本人に訴えるところがあったと思います。今有名なのは、数学者のピーター・フランクルさんですが、もともとはハンガリー人のようです。

私がフランスに「あまり興味がない」のは、まずフランス映画とか分かりにくい。ファッションに興味がない。また、フランス料理とか「バカバカしい、なんでこんな小さな料理に大きな皿」とか思ってしまうからだと思います。

が、本当の理由は「ベトナム戦争」です。

ベトナム戦争の始まりは「ベトナムVSフランス」です。アメリカはそれを引き継ぎました。

ヒトラーによるフランス侵略とパリへの無血入城が1940年6月です。1944年の8月になってやっとフランスはパリを取り返し、「パリ解放」叫びます。ドゴール大統領です。

ところがなんと1946年の末にはベトナムと「インドシナ戦争」を始めるのです。首相はドゴールではありません。直前まではドゴールです。

つまり「フランスという国」はヒトラーに占領されて、やっとパリを解放したと思ったら、その2年後には「侵略戦争を再開」しているのです。「なんという国か」と思います。

むろん背景には「ベトナム共産化の阻止」、共産主義国増大阻止の目的はありました。それでも「侵略から解放された、その2年後には自分が侵略国になっている」わけです。

で、どうもフランスとかフランス文化にあこがれる気分にはなれません。

南野陽子さんとスケバン刑事Ⅱ・少女鉄仮面伝説

2019年04月19日 | サブカルチャー
南野陽子さんが、スケバン刑事Ⅱで麻宮サキを演じていたのは1985年。たぶん17歳か18歳の時です。わたしは「出来の悪い大学院生」で、もうアイドルに夢中になる年でもなかったのですが、南野さんや「スケバン刑事Ⅱ」の「ありえない設定」が好きでした。ぶっ飛んでました。南野さん、今は色々あるようです。それには触れません。

高校の時のアイドルは陽水、拓郎、甲斐バンドで、それからサザン、久保田早紀さん、松原みきさんが好きでした。「アイドルというよりアーティスト」です。だから南野さんは私にとっては「最後のアイドル」かなと思います。それと原田知世さん。

歌では「楽園のドア」が好きです。ひょうきん族に出た時、鶴ちゃんとかの妨害で歌詞を忘れてしまい「なんたらかんたら好きだから」と本当に「文字通りそう発音して」歌ってました。

さてスケバン刑事Ⅱ・少女鉄仮面伝説

南野さんの最初の名前は五代陽子です。それから二代目麻宮サキとなる。実は本名は早乙女志織、、私は「詩織」かと思ってましたが。「志を織る」のですね。

17才か18才まで「鉄仮面をかぶって生きて」います。そして土佐でスケバン(女性の番長)をしているのです。

1、18才ぐらいまで「本当の自分の顔を知らない」 
2、18才ぐらいまで「顔洗ったことも、髪洗ったこともない」

ことになります。凄い設定です。

二代目スケバン刑事です。初代は斉藤由貴さんです。蟹江敬三演じる西脇さんとは深い因縁があります。彼女の鉄仮面をはずしたのも蟹江さんです。

「生まれてはじめて、頬に風が当たっちょる」、、、、これが最初の最も印象的なセリフだったと思います。

その後色々戦うわけですが、最終的には「青狼会」と「鎌倉の老人」が敵となります。「鎌倉の老人」は信楽老と言われ「日本のドン」かつ「ラスボス」です。「不老不死の水」を求め、「伝説のキドラの器」を手にします。が、南野さんが不老不死化を阻止します。

「青狼会」を主宰する「影の総統」は信楽老の養子で、ヒトラー的です。しかし最後は幼馴染でもある麻宮サキをかばって死にます。

この信楽恭志郎の最期の言葉はたしか「お前は美しい」だったと思います。記憶で書いています。確かに南野さんは美しかった(今でも美しい)と思います。

さてラスボスである「鎌倉の老人」、日本のドンで不老不死になって「日本を支配する。それが私の愛なのだ」と言います。南野さんのこたえは「許さんぜよ」です。

しかし、意外に強く、あっけなく南野さんは倒されます。が、鎌倉の老人が「不老不死の水」を飲もうとした瞬間、南野さんが湖の中から飛び出し、ヨーヨーで器を砕き、野望を阻止します。ベートーヴェンの第九が流れていたと思います。

記憶だけで書いています。

ここで終わりではなく、最後に鎌倉の老人を銃で殺すのは「暗闇指令」(長門裕之)です。長門さんはいい味出してました。蟹江さんはもっといい味出してました。

たしかこんな感じ。というかこれは調べました。

暗闇指令「あんたが圧力をかけて,我々の組織は屈服した. だが俺に,不屈の闘志を教えてくれた者がある. 信念の闘いを放棄すべきではない.なすべき事は、なさねばならぬ」
信楽老「やるが,いい」

この「なすべきことは、なさねばならぬ」はいい言葉です。その後もしばらくずっと日常において使っていた記憶があります。

八重の桜(会津の教育)の「ならぬことは、ならぬ」というのは、実は「その前に条項があって」、「ならぬこと」がいくつか項目として並びます。しかし単体で「ならぬことはならぬ」としてしまうと「いかにも抑圧的」なイメージがあります。

しかし暗闇指令の「なすべきことは、なさねばならぬ」というのは抑圧的でなく、なんというか「実用的」です。嫌な仕事や用事あると、心の中で「なすべきことは、なさねばならぬ」と思って「活用して」いました。

最近はすっかり忘れていましたが、むろん今でも「なすべきこと」はあります。それは「なさねばならぬ」ことです。「まだ使える言葉だな」と思いました。