散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

韓国旅行の思い出・韓国時代劇

2019年04月24日 | 韓国・朝鮮
韓国旅行に行ったのは、2000年ぐらいだったでしょうか。「下見旅行」なので「自腹なしの旅行」でした。自腹なしで、うまいもん食べてきました。ただし「接待」とかはありません。旅行会社の人に「接待するな」と言ったら「イマドキしませんよ」と笑われました。

女性の通訳さんが付きました。彼女、「男性たち」と「食事を一緒にしない」のです。「こっち来て一緒に食べましょう」と言ったら困った顔をしていた。「男尊女卑の残滓」なのか「単なるマナー、文化様式」なのか。今はどうなんでしょう。

あれは閔妃(ミンピ)関連の施設だったのでしょうか。閔妃は19世紀末に、自国民および日本人に殺された朝鮮王朝の妃です。

ある老人から「ここは日本人の来るところではない」と怒られました。老人ですから日本語が分かったのでしょう。女性の通訳さんが飛んできて「老人と大喧嘩」です。

私は「通訳さん、いいのです。なぜ来てはいけないか。訳してください。」と言いましたが、「相手にしてはいけない」と言われ、結局訳してはくれませんでした。

なんだ残念。と私は言いました。「反日感情のナマの声を聞きたい」という私の思いは通じなかったようです。もっとも「暴力」をふるわれたら、私は逃げます。でもそんなことはありませんでした。

それ一回です。反日に触れたのは。あとはもう「歓迎、歓迎、熱烈歓迎」でした。

夜に一人でコンビニに行きました。運悪く店員に韓国語で何かいわれました。「ストローつけますか」かと思ったのですが「〇〇ウォンです」という会計の話だったようです。

「アイアム イルボン アイキャント スピーク ハングル」、、滅茶苦茶な英語です。私は日本、ハングル話せない。ハングルは文字です。でも韓国語という英語が浮かびませんでした。「コリアン」または「コリアンランゲージ」ですかね。

店員さんは大きな声で、英語で金額を言いました。言わなくてもレジみれば分かるのに。

全体としてみると実にいい旅でした。

韓国時代劇「イニョプの道」以来見ていません。好きなのは「根が深い木」それから「六龍が飛ぶ」でしょうか。「イニョプの道」もいい作品です。ただ最近のはどうもロマンス色が強すぎます。あっ「トンイ」もいいですね。ほぼフィクションです。史実をもとにしたフィクション。まあ日本の「大河ドラマ」と同じです。

昔の韓国時代劇は「朝鮮王朝実録」に基づいているので「かなり史実を反映」してました。だが面白くはない。史実は悲惨なことが多いのです。

「朝鮮王朝」は実に長い歴史を持った国です。いまだに「朝鮮」は差別用語なんでしょうか。でも韓国ドラマでは「朝鮮」と言ってます。「偉大なる朝鮮」なんて言葉も出てきます。本来国号が差別用語であるはずもない。しかし日本人が差別的に使ったので昔は差別用語でした。悲しい歴史です。

武将たちの死に様(ドラマのお話)・舞いを舞わない本能寺

2019年04月24日 | 織田信長
死の美化」、例えば現代戦争ものなどでそれをやられると、私の体は生理的にそれを拒否します。ですから以下は「時代劇での死に様」の話です。

☆「真田丸」の北条氏政

高嶋家の弟さんです。家康が「ここまででござるか」と問います。家康としては秀吉に詫びをいれて生きて欲しいのです。
氏政は答えます「ここまででござる」、凄くカッコ良かった。今まで北条氏政の描かれ方はそりゃひどいものでしたが、三谷さんは見事に「救済」しました。

☆「真田丸」の真田信繁(幸村)

何も言いません。人々の様子が回想的に流れます。「翔ぶが如く」の西郷の死のシーンに似ています。

☆「真田太平記」の真田信繁(幸村)

演者は草刈さんです。「左衛門佐、かくあいなりました。父上、これでよろしゅうござるな」と言います。
とても素晴らしいシーンです。

☆「しゅんけい尼、これでよろしいか」

これだけで「太平記」における北条高時だと分かったら、相当なマニアでしょう。北条高時の切腹です。たしかフランキー堺さん演じる長崎円喜に向かって「円喜、これでよいか」とも問います。円喜は大きくうなづきます。それから「一族全員自刃」です。「鎌倉北条氏の最期」はすさまじい。北条への復讐を生きがいにしてきた一色右馬介も、悲しい顔してたたずむのみです。足利側には「喜ぶ」者はおらず、ずっと「共に鎌倉を支えてきた北条の最期」を悼みます。脚本の池端さんは、来年の大河「麒麟がくる」の脚本担当です。

☆「われは執権である。なんで足利づれに救いを求めようか。北条家の戦いぶり、とくとご覧なされ」

これは「太平記」における北条守時です。守時は足利に同情的であり、彼の妹は足利尊氏の正室です。「足利づれ」とか言ってますが、本当は足利尊氏を同志だと思っていました。妹を逃がして「北条の滅亡」に手を貸した部分もあります。それだけに「最後の執権」として北条氏の雄姿を見せたいという決意をしていました。最後の執権ですが、彼に権力そのものはありません。権力はあくまで「北条得宗家、北条高時とその家宰である長崎円喜」にありました。

☆本能寺の織田信長

「是非に及ばす」、これは信長公記にあります。おそらく史実でしょう。本能寺の生き残りもいますから。史実にしては見事なセリフになっています。短いので解釈の余地が沢山あります。
よく考えてみると、本能寺では「人間五十年」を舞ったりしません。舞った作品もあるでしょうが、記憶にはありません。信長公記にも「舞った」とは書いてなかったはずです。「人間五十年」を舞うのは「桶狭間」の前です。空想大河ドラマ「小田信夫」では舞います。ホリケンが演じました。