珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

うつみんが厚労省の大臣になったら

2024-11-17 | 日記
RFKジュニア氏が保健福祉省のトップに就任するとなったから、さー大変。
日本でいえば、厚生労働省のトップが内海聡になったみたいなもんなので、ここで質問したい。

うつみんが厚労省の大臣になったらどうするの?

反ワクは、国だろうが権威だろうが専門科が言おうが、「内容を見て反ワク」だったので誰がなろうと変わらないけど、
国やメディアが言うことと真逆を言うおかしな陰謀論者を嫌悪して「反ワクなんか」と言った人たちは、

国のトップが言えば、あっさり反ワクに転じるのか。
今度は自分が、国の言ことと真逆を言うおかしな人になるのか。

実際にアメリカで起こったことなので、ガチで興味がある。
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アリとキリギリスに思う

2024-11-16 | 精神世界
「幸せは未来にあるとして、今をそのための通過点にしてはいけない」と聞いた時、私の思考は、存在しない過去に読んだ童話の「アリとキリギリス」をかき集めてきた。
親からも「キリギリスはダメよ。今より先のことを考えるの。今ガマンすれば将来ラクできるのよ」と教育された記憶の断片と一緒に。

確かに「今を、未来の幸せのための目をつむって耐えなければいけない通過点としたアリが、結果とても幸せになって、今を楽しんでいたキリギリスがその先不幸になった」と記憶していた物語は、一瞬私を惑わせた。
が、私はブン投げるのはもっと速いのだ😆 

というわけで幻のワタシ記憶のそれは、もう上書きされている。
キリギリスは寒さや飢えで不幸を感じたのではなく、過去話をかき集めて鳴りやまない思考の声に、自分を責めて苦しんだのだ。
アリが存在しない未来のために、今を「ガマンする通過点」として働いたのなら、間違いなく病んでまうわ。

実際は、アリもキリギりスも今に在って、両方とも生き生きと生命を躍動させているに違いない。
人間だけがそれに気づいておらず、ヘンな解釈をしているだけで。
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パーフェクト!

2024-11-15 | 精神世界
完全すぎて何一つ反論できない理論とはこういうもの。
本当に「何一つ」💦



今まで「私は絡まったややこしいものを、整理整頓してわかりやすく書くのが好き」なんて調子に乗ったことを言っていたけど、この「今に在る」という究極の分野では、エックハルト・トールさんが圧巻で、完璧すぎて、この異次元の解説の前にはただただ黙って聞くのみ。

だって「殆どの人が理解していない難解な真理」と「それをめっちゃ解りやすく解説」をセットで一人がやってるんですよ?
ふつうは例えばブッダとかキリストの教えというものがあって、他にも難しいことを言ってる哲学者とか心理学者もそうだけど、「それを解りやすく解説する人」が別に何千、何万といる。
でもこの人は教えも、わかりやすい解説も一人で完結する。
(日本が産んだネドじゅんさんも然り)
だから不要なんですよ、それ以外は。

そこが凄くて、知るほどに「それ以外の私なんかが駄文を書いたところで」と思ってしまう。
いやホントに私、この二人の話を聞いて以降、打ちぬかれたというか「あたった」というかヘロヘロになりましたね。

気づけば確かに意識が変わった。
漠然とした不安が消えて、「今まで思っていたワタシ」というものが他人のように興味がなくなって、
世の中に起きることに、正邪みたいな色?のようなものが消えて、
「ただ起こったこと」になって、
でも決して無関心なわけじゃなくて、むしろ強い興味があって、
じゃあどうすべきかということを真摯に探ろうと思うんだけど、それは自分と繋がっている神のようなものに委ねたいという感覚になって、
「繋がっている」というのも別に信じようと力まなくても、それは当たり前のように感じられて、
それから常に「今」に集中することが面白くてしょうがない。

え?私ってこんな集中力あったっけ?と不思議なんだけど、今まで「集中しなさい」言われることって、勉強とか仕事とか何か辛いことだったじゃない?
それを「自転車のペダルをこぐのに集中する」とか「お風呂に入る時にゾーンに入る」とか、誰も言わなかったしょうもないこと?にすると、めちゃくちゃ面白いんですよ😆 
これならできると思うし、ゲームみたいで退屈しないし、これで「今に生きる」ということが身体で覚えられる。

個人的な、こんな体験談ならこれからも書くけどね。
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オカンに会いにいくことにした

2024-11-14 | ネドじゅんさん
私の左脳はもともとヘタレなので「自動思考」なんて知ったら、「えー?そうだったの?じゃあ改めて聞くから遠慮しないでどんどん流してよ。何か言ってごらん?」とからかうと「………………」となっておもしろい😆 
でもね「これこれ!!あーっ、何て言ったらいいかな?この感じにぴったり当てはまる言葉って何だろ?教えて~」というと、しっかり働いてくれる愛しい相棒である。

作文を書くという行為に欠かせない言語は、私には大切。だからそれを生み出してくれる左脳さんは大切。
私が、矢のように走る時の狭間で踊って(だから、今ココって言いたいだけ🤣)思考で力を発揮できない分を、ブログで働いてもらっている。

こんな楽しい人生ゲームの攻略本を立て続けに出してくれたネドじゅんさんに敬意を込めて、一度リアルで会いにいってみることにした。
「ネットを鵜呑み」なんて言われたくないしね。
お洒落して電車に乗ってルンルンで出かけよう♫

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✖✖指導の正体2

2024-11-14 | S教団関係
DSというものを知って、その主張を知るたびに感じた「はて?どこで聞いたような…」というデジャブ感は、今や完全にSのガッガイ指導(仏教の方ではなくて、2本立てのD作指導の方)と一致したと前に書いた。

以下、実際に見聞きしたものを改めて整理すると。

●既存の学校教育を疑うどころか、率先して大賛辞。自らも幼稚園から大学までのそれを複数創設した。
DS思想に欠かせないのは、幼少期からの学校教育のシステムだとわかっていたからだ。
ここで優秀な成績をとって大手企業(DS企業)に就職する(正社員を勝ち取る)ことが、偉くて、親孝行で、人生の勝利者だと徹底して教えた。

●ワクチンが大好きで、それを打たないがために病気になるのは可哀そうとする(宗教)「思いやり」で溢れていた。
口だけでなく、署名運動で新しいワクチンを認可させるほどの行動力まであったが、その有害を問うと、厚労省と同じ能面顔で華麗にスルー。
あれほどの「思いやり」は一体どこに?

●韓国と中国をとにかく絶賛。
島国根性で嫉妬深い日本人は「彼らを見習え」が口癖だった。

●奴隷のように愚直に健気に尽くす中に、自分は負けていないという、さわやかな、本当の勝利者の実感がわき起こるみたいな激励の数々。
(書いていて意味不明 )

●世界の一流の人というのは、ローマクラブの面々やビル・ゲイツやキンシンジャーのようなグローバリストであり、お互いに勲章を贈り合って「偉大だ」と称え合っている。


というわけで、この世はとっくに彼らに支配されていたというけど、より濃く密にの思想に浸かっていたのは、D作傘下のS会員だった。
「勝ち組」とか「負け組」というDS語も、D作語と一致だし。

だからおそらく今でもS組織にいて、D作指導を拠り所にしている人たちは、要するにアッチ側と同じことを言われているはず。
それを「世界はさすがD作先生のおしゃっていた通りに進んでいる」とか本気で喜んでいるとしたら、はよ気づけ。 
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ワタシって?

2024-11-13 | 精神世界
昨日久々にカッチーンと頭にくることがあって、思わず「何その言い方?!」と光の速さで口が出た。
(世界もこのくらい高速で変わってほしいもんだ)
その勢いで「だってワタシが今あなたにどーちゃらこーちゃら…」と続きのドラマが展開されようとした時、チャンスと思って同時にそれを観察してみた。

頭に血が上って沸騰しているのが感じ取れる。
鼓動が速い。
汗ばんだ手で皿を割りそうだ。
食べ物を消化する時は「ワタシが消化している」といちいち言わないのに、身体が状況に合わせて自動的に反応しているそれを、こういう時は「ワタシがやってる」と思う。
「それは起こった」じゃなくて「ワ~タ~シ~が~怒った」になる。

血液に乗って流れ星のように消える物質を、「ワタシ」はさらに激情的なドラマにつむいで、こじらせて長居させるのが大好き。
ときどき今でもあるように思い返して、いじくって、考えこむのも好き。

そんな「ワタシ」って誰よ?
それって本当にワタシ?

「気づくと」ワタシが思っているワタシは幻になっていく。
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視聴者

2024-11-12 | 日記
なんで日本って、テレビや新聞のニュースを支持する人がここまで多いのかというと、「バカだから」「寝てるから」「人がいいから」ではなく、実はそうではなく、
「言われるとまずい本当のことを言わないから」「ウソを言って不都合を隠してくれるから」
視聴者の大半は信じているんじゃなくて、ウソだとわかっていて「いかにも本当というふうに報道してくれる」ということを有難く思っている。
怖ろしいことを言うようだけど、メディアが真のバリバリなら、視聴者の大半も真のバリバリというのが私の結論。
(大半じゃない残りが反発して、SNSで頑張っている)

例を挙げましょうか👇👇

3100個分のバイアルを調べたけどmRNAなんて入ってなかった。
入っていたのは脂質ナノ粒子、ハイドロゲル、タングステンやクロムなどの重金属、還元酸化グラフェン、脱イオン水、塩、砂糖、水酸化アルミニウム 。
スペインの検査でもmRNAはなく、酸化グラフェン ハイドロジェル、重金属、ナノテクノロジー物質、ウランなど超有害強毒しか入ってなかった。
 


「ウイルスなんて存在しない」が信じられないなら、なんでこんなもの入れるの?
これを言われて言い返せる医者はいない。
実際、いろいろな情報がここまで出ても、どうしても出てこない声がある。
実際に人に注射した医者のアンサーである。
誰もが聞きたいであろう、このシンプルな質問を、私は医者に問いかけたい。

Q:
①ウイルス感染症なんて存在せず、ワクチンとはただの毒注射であり、医者は「打ち子」として利用されたことを認めることと、②自分が打ったせいで、人が苦しんだり死んだりすることの、どっちが辛いですか?
①か②でお答えください。

Q:
①を認めたら、打った人が助かるとしたら認めますか?


こういう時に、彼らは何と答えるかというと、瓶の中味にmRNAが入ってなかっただの酸化グラフェンやウランが入っていたなんてネットのデマだ。それを証拠にテレビや新聞はそんなこと言ってないじゃないか。それが事実ならマスコミで報道されるだろう!!と言う。
ああ有難たや~、本当のことを決して言わないTVショーというわけですね。

このように視聴者が皆「メディアは真摯に、本当のことを伝えてほしい」と思っているなんて幻想だ。
ある意味、報道する側も「ウソ八百を並べて事実を隠してくれ」というニーズに応えて発信しているというか。

何度も言っているように、メディアだけ、スポンサーだけ、株主だけ、芸能人だけ、政治家だけ、官僚だけ、裁判官だけ、警察だけ、ヤクザだけがアッチ側で、国民は皆、正直で善良な愛国心の塊なんてあり得ない。
そんな諸々の権力を生み出している分母なのだから。
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今に在る

2024-11-11 | 精神世界
卒業式の日、からっぽになった教室や机や椅子や下駄箱が、今までと全然違ってキラキラと見えたという話に納得。
そうそう!!こういうのを「ありのままに見る」というのではないか。
もうここに来ないゆえ、それらにまつわる未来も、過去に日々使ったという「ワタシの幻想」もすっぱり外れると、なぜか見え方が変わる。
学校生活が楽しかったとかつまらなかったとは関係なく、同じものが光を帯びたように美しく見える。

「今に在る」と、フィルターが外れて、木がありのままに美しく見えた。言ってみれば精霊が宿っているように見えたという話を言いた時は、そんな悟りは凡人には無関係と思ったけど、こういうことかなと。
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自分を見る

2024-11-11 | 思うこと
ここ数年、変わってほしいものが自分というより他人であり、それも相手は世の中というか、日本や世界のとてつもない巨大組織だったため、歯は立たないわ、変えるにしても長い年月と集合意識という大勢の団結が必要だわで、何の権力もなければどこにも属していない、ただの主婦の私にはただただじれったく、ストレスでしかなかった。
(支援政党やQプランなどに期待して、自分ごとのように何年も辛抱強く待つ人を見ると、よくできるなあと感心する)

あー!!自分一人で自分のペースでサクサク動けて、変えられることがあるなら喜んでやるのにとイライラしていたら、何のことはない、自分を変えることをやればいいのだった😅 
何しろ、自分のペースでサクサクやることに飢えていたので、意識変容というのはもう楽しくて楽しくてしょうがなかった。
過去形じゃなくて今も楽しいんだけどね。

それまでスピリチュアルなんて何も知らなかったし、瞑想も座禅もやったことなかったけど、言っていることが何のひっかかりもなくド・ストライクで入ってきた。
単純に「頭の中のおしゃべりを止める」或いは「思考を意識して聞いてみる」、それから「過去や未来に目を向けるんじゃなくて今に集中する」は私には難しくなかった。
あ、それならできるわ~と、めっちゃ軽いノリで始めて、全然深刻にもならなかった。
何となくだけどそういう感覚的なことは好きだったので。

何が楽しいってとにかく、相手にするのが他人じゃなくて自由自在にできる自分なこと。
本当にこれに尽きる。 
自分一人じゃ何もできない世の中を、何年もかけて変わっていく様子をひたすら辛抱強く待つ…これがもう、万里の長城みたいな行列に並んでるようなゴーモンだったのでね。

今はそんなのたまに横目でチラッと見るくらいで、見ている99%は自分。
ああ何て幸せ!!なんてノンストレス😆 
もっと早くこうしていればよかった。
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曲率

2024-11-10 | フラットアース
フラットアースについては、ただフラットか球体かを知りたいだけなのに、「フラットアーサーってこんな人あんな人」にフォーカスしたい人が多いのにウンザリして書くのをやめてしまった。
まだ興味あるのかなあ?フラットアーサーってどんな人とか?
そんなのいろいろでしょうよ?男か女かトランスジェンダーか、ワクチンは打ったか、支持政党はどこで、学歴はどうで、既婚か未婚か離婚歴はあるのか、好きな色は何で、性格は明るいかネクラか、今朝は何を食べたかが、地球の形状に何の関係があるのやら?

地球に曲率があるなら、見えないはずのものが見えたらそれが答えでしょうよ。
腐るほどついているウソの一つがめくれただけで「あーじゃあ平らなんだね」って思うけど、それが何か。
騒ぎたいならフラットアーサーではなくて、その直径と曲率を発表している機関に言えば?
そんな彼らのメンタリティについて語りたいならわかるけどね。

 
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覚醒を伝えたいだとか

2024-11-09 | 精神世界
言葉はラベルみたいなものだとしても「覚醒」なんて単語を、まーチャラく使っていたもんだ。
覚醒を伝えたいだとか、クサいことばっか考えて待ってても、だんだんソファに沈んでいくだけ♫(あいみょん)ってね…

今再びこの言葉の意味を知ると、「的外れだった」という言葉こそがピッタリくる。
にしてもこの動画の翻訳の美しさと、的確さと、説得力には感動しきりだ。 
どうやったらこんなに上手く文章を作れるの?


というわけで、何かをしたいなら「どんな自分であるか」と調和させなければ、だんだん沈んでいくのはよくわかった。

今日も難しいことを考えてるわけじゃない。
ただゾーンに入りながら皿洗いしたわ🤣
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気持ち的には

2024-11-08 | ウイルスは無い
打て打てドンドンがめでたく失墜したところで、ロバート・F・ケネディJrが、ワクチンの中味と有害さを徹底追及するそうだけど、はたしてウイルス感染症は存在しないまでいくのだろうか。

今まではこの通り「そういう報告は実際よく聞くんだけど、優秀な人たちからは白眼視されているし…私は気持ち的にはあると思っている…」という何とも及び腰な言葉。
反ワクを言う時の歯切れよさはどうしたの?(うつみんと一緒)

しかしながら反ワクの中から、どんどん「そもそもウイルスがない」が増えてきており、これは時間の問題ですよ。
断言するけど医者は「ウイルスがある」を信じているのではなくて、医療業界という組織が言うことを信じているだけ。
上や教科書が言うことを変えたら、もうコロッと、色鮮やかに豹変しますよ。
そうなったら気持ち的に信じる気になるんでしょうね😆 

気持ち大事だよね。 
人の気持ちじゃなくて自分の気持ちが。
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物語

2024-11-07 | 精神世界
今まで団結していたグループなりコンビが、その親密度と同じくらいの嫌悪を持って分断するのを見るたび、愛と憎は表裏一体で、誰人もその法則から逃れられないのかと思っていたら、「感情ではない愛」というものが存在することを知って、先日書いた記事。
👇👇


私が今、何とか言語化しようとあがいている、ワタシという幻想が作った架空の物語は、しばしば人間関係のトラブルを起こしてしまう。

私も経験あるけど、一つの出来事があっても見方はいろいろで、10人いれば10人の正義(善悪)がある。
その正義ってやつが強ければ強いほど、それは燃え上がって一帯を焼き尽くし、焼野原にまたガソリンを注ぐくらい強情なもの。
言い換えればそれがアイデンティティってやつなんだよね、当人にとっては。
他人のそれを眺めて「ワタシはこっち側」と、自分に感情移入するのも同じ。

でも「出来事」というのは一つであって、ありのままというのは「出来事」以外に存在はせず、ありのままが10種類も存在するわけない。
存在しないんだけど各々は、自分の思考こそが絶対的な真実だと信じ切ってしまうので、「ありのまま=自分だ」と固く思いこんでしまう。

ありのままの「出来事」は終わってしまって、指一本触れられない、変えようもない過去なのに、消えた過去やら来てもいない未来からワタシ(要は記憶の断片や想像という幻)をかき集めて語る話が、「ありのまま」のはずがなく、
「幻想じゃない、ありのまま」というものがあるなら、この事実をただ見ることしかない。

私たちは幻想をジブンと思ってそこに情熱を注いでしまうけど、ありのまま(本当の自分)というものがあるなら、少なくとも過去や未来という幻を行き来する思考とは無関係である。
(焼野原をさらに燃やし尽くすような、自分もどきから解放された自分ね)

ずっとスピチュアル界隈ってよく知らなかったけど、そういえば揉めたとか分断したとか聞かないなあと思っていたら、そういうことを解っていたんですね。
誰が誰の愛人だとか、誰が昔、あー言ったこー言ったということは知らなくても、もっと人の本質を見ていたんだろうか。

知識って、この世をラクに楽しくいけるように役立つものじゃないと。わざわざ争うために博識になっても…と思う次第。
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6ヵ月

2024-11-07 | ネドじゅんさん
さて、今の私がどうなったかというと、例えば「怒る」という感情は、ワタシという場?箱?の中でそういうものが起きたと感じるようになった。
ワタシが怒ったのではなくて、ワタシとされる入れ物の中にそういうモノ?が起きたのであって、ワタシと怒ったは別。
だから仮に頻繁に怒るということがあれば「怒りっぽいワタシ」じゃなくて「なんや地震が頻繁に怒るなあ」という感じ。
(実際には怒りというのは極端に無くなりました)

「ワタシじゃなかったら誰が怒ったん?」と自分でもツッコみたいけど、誰が?ってものがいるとしたら、架空の人物か、幻想か、思考の産物というか。
つまり「ワタシが怒った」のなら、ワタシというものは架空の人物ということになる。

いや別に哲学やポエムを言ってるんじゃないんですよ。ホントにそうなるから書いている🤣

ちなみにスピチュアルの人がよく言う「ジャッジしない」ってのは、
「それっていい悪いの判断もつかなくなるの?批判もいけないの?ならそんなのいらないわ」と思っていたけど、それはこんな感じ。
👇👇
「ワタシはそれはカスだと思う。許せない。ワタシの正義はこれよ」が、
「カスなことが起こっているねえ」と見たままを言うけど、ワタシ感がちょっと薄まったというか。
(そのうちカスと思う、自分の感情をつけた物語も消えて、いいもわるいもない「出来事」として映るそうですが)
今のところですよ?

毒舌ブロガーが人格者や菩薩になるとは思えないし、そんなことは目指してないので、これからも見たままありのままを、できるだけ解りやすく率直に書きたいのは何も変わらず。
右脳は言語化が苦手らしいけど、作文も感覚も両方大好きなのも露も変わらず。 


下から三番目は自覚できます👇

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2024-11-06 | 精神世界
過去でも未来でもなく「今に集中」なんて、辛い悩みがないからだ。
差し迫った深刻な問題がなければそりゃ、悠長にマインドフルネスだの悟りだの言って遊んでいられるよね~と思うとしたらそれは逆。

本当に生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたら、人は過去だ未来なんて悠長なことは考えないし、今起きていることにジャッジもできない。
本当にたった今に生きて、それをただ受け入れることしかしない。
火事場のばか力みたいな奇跡が訪れるのは、そういう時である。

火事場じゃないのに、この一秒一瞬に何の問題もない時に、なぜそのチャンスも尊さも有難さも忘れてしまうのか?と思う。

この瞬間もある、奇跡の「今」を。
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