忙しい、忙しいと言っている人に限って暇。
これはかなり言い当てていると思う。
「私たちって超ラブラブ~」とアピールしているカップルに限って、相手の携帯をチェックしていないと不安でしょうがなかったりする。
(他意はないよ(笑))
何が言いたいかというと
人に「排他的、排他的」という人に限って、排他的である。
実際に「あれは排他的だから許せない」と声高に叫ぶ人。
そこまで自分が「排他的じゃない」のなら、誰にも声を荒げないのでは?
許せるのでは?
文化もマナーも考え方も教育も違う隣国や、理解し難い宗教を信じる人や、フレシキブルな政治信条や、ソリの合わない人にも自分の言葉を呑み込んで、相手の立場を譲れるのだろうか?
「日本人は宗教に寛容というのは嘘。よろずの神をよしとしない一神教には不寛容」
と訴える帰国子女の意見を聞いた。
「そういう人たちが八百万の神の名を使って、他の宗教信者を下に見る」
「そんな自分たちの信仰的土壌を誇らしげに話すとき、とても残念な気持ちになる」と。
排他的を過敏に責める人は、どこかに自分が排他的な部分があるからでは?
つくづくも「寛容」って難しいと思う。
これはかなり言い当てていると思う。
「私たちって超ラブラブ~」とアピールしているカップルに限って、相手の携帯をチェックしていないと不安でしょうがなかったりする。
(他意はないよ(笑))
何が言いたいかというと
人に「排他的、排他的」という人に限って、排他的である。
実際に「あれは排他的だから許せない」と声高に叫ぶ人。
そこまで自分が「排他的じゃない」のなら、誰にも声を荒げないのでは?
許せるのでは?
文化もマナーも考え方も教育も違う隣国や、理解し難い宗教を信じる人や、フレシキブルな政治信条や、ソリの合わない人にも自分の言葉を呑み込んで、相手の立場を譲れるのだろうか?
「日本人は宗教に寛容というのは嘘。よろずの神をよしとしない一神教には不寛容」
と訴える帰国子女の意見を聞いた。
「そういう人たちが八百万の神の名を使って、他の宗教信者を下に見る」
「そんな自分たちの信仰的土壌を誇らしげに話すとき、とても残念な気持ちになる」と。
排他的を過敏に責める人は、どこかに自分が排他的な部分があるからでは?
つくづくも「寛容」って難しいと思う。
中略…
私は自分の周りで、ろくに接したこともないのに、他のアジア人の大半がいけ好かない奴だと思っている人を知っている。
「韓国人は...」とか「中国人は...」とか。
で、特に接したこともないのに「あいつらは昔からそうだ。」って言う。
イデオロギーまみれ。
中には、彼らには強気で出て良いと思ってるのか飲食店でうまく伝わらない外国人のウェイターに怒鳴り散らしたり。
一方的に命令にしたりする人もいる。
最近のヘイトデモも見てて悲しい。
そんなことが起こっちゃうって、多神教の、いろんなものを受け入れる精神が全然モラルとして根付いていないってことだと思います。
…中略…
多神教ベースの日本が寛容的というのは、彼らが話すときに出る態度と同じように、それは「聞こえ」だけ寛容的で、口に出してそれを実行しようとした瞬間、唯一神を否定してしまうので何も寛容的じゃないのです。
唯一神を信仰して争いばっかり起こしている唯一信者のお前らが何いっとんねん
ってこれもよく言われます。
「お前らが、この事態を起こしてるんだから。それは自覚しとけよ」
って。
「宗教がすべての戦争の根源だ」とか。
よくわいれます。これは日本のみならず他の国でもよく言われます。
最近のニュージェネレーションなヒッピーな子とかも、この考え方があるから、宗教なんていらないって考えが多いです。
で、ここでまた戻ってくる問題が、「信仰」したことがないからわからないっていう点です。
信仰しその教えを求め続けていくとあることに気づきます。
「宗教」というのが、いかに「神」でなく「人間」が「後付け」で作り上げた組織の名称かということが。
よく周りから十字軍のことを言われます。
聖戦だといって他の人を殺しているじゃないかと。
最近のISISが持つ他宗教への排他的な考えもそうですね。
でも、それらがいかに宗教や信仰心を国家や別の組織が政治的に利用したものかというのは語られません。
なぜなら宗教をよく知らないため、実際には聖書ではそんなことは教えていない、そんなことは良い事とされていないということを知らないからです。
ただキリスト教の名の下にもたらされた結果を見て「宗教は戦争の根源」と思ったわけです。
印象操作ですね。
プロパガンダです。
第2次世界大戦で行われたプロパガンダと一緒ですね。
日本でも天皇陛下の名を使い、多くの人が殺され、死にました。
でも日本人はその天皇の存在が他の国が描くような鬼人ではないことを知っています。
同じようなことなんですよね。
宗教の教えが言わんとする真理を探し求めて、それが何なのか理解しようとする人たちは他の宗教、信仰を否定し他を殺そうだなんて私が出会った信仰深い人たちの中ではいませんでしたよ。
(なんの宗教を信仰しているかは関係なく)
日本に帰ってきてからは少し宗教を知っている人たちからは決まってこのような批判を受けます。
中略…
「相手が自分とは全く違う価値観を持っている」という前提を正しく受け止めれていれば、双方相手を否定するなんてことはありません。
逆にもし少しでも「自分の方が正しい。正当だ」という考えを持った上で話せば必ず相手を傷つけます。
みんな違って当然なのです、唯一神を信じているから、多神教だから、無宗教だから、優劣があるということは決してないのです。
それが意外と、自分の土壌で培った価値観にとらわれすぎると気づかないのです。
少なくとも私の経験上では日本では知らずのうちにかどうか知りませんが、価値観に優劣をつけて話す人が多いです。
ていうか、あれだね。宗教信じている人が「寛容じゃない」って感じる時点そうだよね。
「俺、すごい寛容的だよ」って自分で言ってるけど、肝心の宗教信じてたり、信仰持ってる人がその人と接してそう感じないという。
なんとも滑稽だ...。
引用終わり。