わざわざ思い出さないと勝手には思い出さないので、わざわざ思い出して書くけど、昔、私が人気ブログのコメントを「これナリスマシじゃないかな?」と言うと「エスパーかよ?」「証拠もないのに」「せっかく勇気を振り絞って書いた人に対して酷い」「エビデンスは?根拠は?」と言った人がいっぱいいた。
ところがですよ?
ナナシになって「自分が誰か」を特定されなくなった途端、あれほど忌み嫌っていた「勇気を振り絞って書いた人にナリスマシ認定」のようなことが、膨大に積み上がったのには笑った。
てか、それがやりたくてナナシになったように、朝から晩まで「あれは誰々だろ、乙」「あれはデタラメだね」とそんなんばっかり。
更にそれを、見事に誰も批判しない。
この世の終わりみたいに「証拠もないのに疑うのはサイテーだ、許せない」とか発狂していたのは何だったの?と面白かったけど、本当にコントみたいだった。
許せないどころか大・大好きじゃん?🤣
じゃあ本当に許せないのは何だったかというと「自分の偽善がバレること」だった。
それはいいとして、言いたいのはそこじゃなくて「エビデンスも証拠もないのに」じゃあ何故そんなことを言ったの?かというと
「何となく」「勘で」と答えるのではないだろうか。
これも人には「エスパーかよ?」と言いながら、自分もその「エスパーかよ?」という、何かピンとくる勘があったわけだ。
なんでこう、自分がやることを他人がやると否定したくなるんだろうね😅
勘って重要だと思うよ。
逆にエビデンスなんて小細工だらけで、私は全然信用していない。
私は昔からそうだけど、昨今の情勢もあり、昔より少しは理解できる人が増えていたら嬉しいと思う。