このブログを読んでおられる人の中には主婦も多いと思うけど、自分が、自分の意志決定と能力と技術で、洗濯ものを干して、お弁当を作って、スーパーに行って買い物をしていると当たり前に思っていたら、
実はそれをやっていたのは「自分の本体という、自分でありながら自分を超えたスーパーコンピュータ」だったとしたらどう思われるだろうか。
私はめちゃくちゃ納得して、同時に衝撃でもあった。
心臓が私の意志で動いていないように、自分の姿勢一つも、常にベストな状態で調整して動かしているのはこのスパコンの方だった。
実際、何も考えずボーッとしていても、まるっきり他のことを考えていても、いつの間にか歩いたり立ったり、座ったり寝そべったりを、常に完璧にやってくれる凄腕の本体。
自転車の乗ることをよく「身体が覚える」「身体がやっている」というけど、一切がそうで、近い言葉でいうと本能?がやっている。
だとすると「私」って何?
全部私がやっていると思っていたどのくらいが、私の認知している私なのかと思ったら、なんと全体の5%ほどだそう。
じゃあ言ってみれば、ただオロオロしているだけの5%が、がなぜに、全部ワタシ一人がやっている。これからもワタシの人生なんだから、ワタシの努力と忍耐で頑張ってやらなければならないと思い込んでいるのかというと、あれもこれもに後付けで主語に「ワタシが」が付ける機能が働いているから。
その機能も、もちろん「5%の私」じゃなんだけど、私はそれもワタシと思っているという😅
これが体感というか腹落ちするしない以前に、「仮に」でいいので、
もし私と言う人間?人生?運命?が、たった一人で全責任を担っているのではなく、様々な意識の複合体が働いており、背後には壮大にして完璧なスパコンがついているとしたら?
私が認知できる小さなワタシを、よってたかってサポートする凄腕の応援団が、超絶に包み込んでいるとしたら?
そこに諦めていた、尽きぬ愛と調和があったら?
単純に「そっちの方がいい」と思わない?
体感できるものなら体感したい、実感したいと思わないだろうか。
5%ほどの小さな意識体の私が、身体の神経と共鳴した時、親にも学校にも習わなかった扉が開くのを知ることができる。
これを「覚醒」と呼んで、昨今、世界中で多くの人がざわついているんですよ。
結果、それで多少の影響は及ぼしたかもしれない。
でも、そしたらS時代全くの無縁だった人間関係でめんどくさいことが起こった。
そういうことに悩んだことも困ったことも経験がなかった私には、S問題よりそれにずっとずっと驚いた。
要は、外で起こっていることに何らかの働きかけをしても、それが終わったらまた別の何かが来るのよ。
コロナ騒動もそう。
一生懸命主張をしたところで、必ず次の別問題が起こって、それはエンドレスなの。これさえ倒したら平和で何もないなんて絶対ないの。
厚労省の次は財務省、財務省の次はと線路は続くよどこまでも。
だから矛先を外から内に変えた。
中への働きかけって(実際、S問題やコロナ騒動と同じだけの力量を使ってみたところ)「次の問題」が現れないのよ。
それどころか、※よくなっていくことに天井がなくて歯止めが利かない🤣
例えばSアンチを1年やるのと2年やるのと10年やるので、よくなる限界がないどころか、やればやるだけミラクルな幸福が生まれ続けるなんてあり得ないでしょ?
なんだこれは?!と思いましたよ。
少なくとも私には、これ以上おもしろいことは知らなかった。
あてもこれも私の選んだ設定通り、神々がやるので、それを体感すること。
そのための攻略本がどんどん明かされている。
ざわつかないわけがないよね🤣