珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

表裏一体

2019-12-04 | 思うこと
好きの反対は無関心とはよく言ったもんだと思う。

好きと嫌いは反対というより同じなんじゃないかと思う。
好きである中には嫌悪も含まれて好き、というのかな。

人を好きになると誰もが、例えばちょっとつれなくされるだけで激しい痛みや苛立ちや憎悪を感じる。
好きじゃなかったら、そんなのどうでもよくて何も感じないことがね。

「信じる」に続いて「シンパとアンチ」も、私がずっと見てきた書きたいテーマである。

遠い昔に見た題名も思い出せない単発ドラマで、少年犯罪に関わった女性弁護士役の女優さんが
「好きと嫌い?同じよ」
と、余りにもさらりと言った台詞だけが、なぜかずっと残っている。
その時は意味がわからなかったんだけどね。

愛憎のそれに軽い重いはあれど、コインの表裏は同じ。
ネットでシンパがヤレソレと応援するけど、これが同時にアンチにも転ずると思うと冷めるわ。

 シンパにはその同じエネルギーと執着を含む、アンチが同居していることをお忘れなく。
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2 コメント

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Unknown ()
2019-12-04 14:07:29
ズバッと書くと、えらてんさんは最初にDaiGoさんにもちょっとちょっかい出しただけだった。
だけど簡単には振り向いてくれないから、もっと挑発を上げてみた。
それがあまりにも酷くてしつこくて延々止まないから、DaiGoさんから「君は一体誰なんだ?」とウィキを読み上げられた。
自分を知らない人から見たら、誰?とそりゃネットの情報をとりあえず見ますよね。
(私も全く知らなかった)
でもDaiGoさんはちゃんと「これは完全には信用ならないウィキですから違ったら訂正してくださいんね」と、そこまで配慮しましたけどね。

ウィキには自分が触れてほしくない過去が書いてあって、えらてんさんはただそれが恥ずかしくて屈辱でしょうがなかったんでしょうね。
そこから彼は異常な敵意を剥きだしにして攻撃を開始した。
完全に幼稚な逆恨みですよ。
この人はお勉強が好きでもこのあたりが極端に幼稚。
あまりにも自分ファーストだよねえ。

世の中、誰も自分の思う通りにならないし人も自分の意のままになりませんよ。
アプローチしてもフラれることもあるでしょ。
当たり前ですよ。
立花さんに対してもそうですよ。
私だって一方的に好かれて、本なんか送られて相手にしなかったら逆恨みするような人とは付き合いたくないわ。
でもだかからといって朝な夕な粘着して、人の仕事を何だと思ってるのか、リアルの仕事場にも押しかけて公衆の面前で喚き散らしてそれが通ると思っている。
「俺は暇なんだ。だからいくらでもやってやる」
非常識を越して狂ってますよね。

まあ世のストーカーってだいたいがこんな身勝手で自分中心な人だけどね。
救いようのないことに、議員会館の前でキチガイみたいに喚き散らして、それで自分が強いから相手が尻尾を巻いて逃げたと本気で思っている。
名無したちがただ面白がってはしゃぎたてて、小銭をチャラチャラ投げて煽るのを、自分が認められて褒められてると信じている。
アホですよ。
いい玩具にされてるんですよ。
こんな人たち、情勢が変わればサーッと逃げ足速くいなくなって「それワタシじゃないしー」となるのにね。

あの煽ってる人たちって今の若者世代?
まあネットのごく一部なんだろうけどいよいよ時代もわかんなくなってきたわ。
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Unknown ()
2019-12-04 20:15:12
双極性障害はそういう症状なんだなあと思うけど、そういう時湧いてくる感情、言動は本人の心根のもの。
人によって自虐癖や他責癖などいろいろあれど、攻撃好きな人が、それが突き抜けたらたまったもんじゃないですね。
精神疾患より心根ってつくづく大事と思うなあ…
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