五輪中止を求める声は多いが、国会質問で主張したり、マスコミで報道したり、方向性がおかしいのではないか? 感情論が先に立って論理的会話ができていないように思う。
五輪反対派の根本の過ちは、持って行先にある。五輪の開催可否を決定するのはIOCであって、東京都でも日本政府でもない。中止を求めるのであればIOCに訴えるべきなのに言いやすい政府や東京都に苦情を言っている。東京都と日本政府は開催場所を提供する契約をIOCと結んでいるだけなので、中止云々を言える権利はなく、ここで議論することは全く意味のないことである。
じゃあ場所貸すの止めたら?と言う話になるが、論理的に開催が不可能と言う証明が必要になるが、現時点で日本国外から見るとそんな状況には全く無い。全く無いのに中止を強行すれば、当然IOCから損害賠償請求が行われる。ザクッと1兆円と見積もられている。国民全員に1万円である。日本政府が支払うということは、税金で支払うしかないので、皆さん一人1万円の負担が必要と言うことだ。ここをはっきり示しているマスコミが無い。
一部には損害賠償額を下げてくれるのではないかと甘い期待を話す御仁もおられるが、ぼったくり男爵がそんな忖度をするはずがないし、期待で損害を小さく見積もるバカは本当の馬鹿だと思う。
因みに違約金と人の命とどっちが大事かという意見もあるが、詭弁である。人の命が大事なのは当然だが、五輪の開催と死亡者数は直接の関係は無い。例えていうなら、今回のコロナ騒動のおかげで日本では死亡者が年間9,000人も減っているのである。コロナと人の命とどっちが大事か?と言うのであれば、死亡者が減るコロナはウェルカムになってしまう。違約金と人の命とどっちが大事という言い草はこれと同じだ。
実は日本以外の、インドなどの南アジアや南米、アフリカ等の感染状況を鑑みれば、五輪を開催できるとは到底思えないのだが、この状況でもIOCは開催すると言っているので、開催自体は変えようがないであろう。昨年欧米で流行った時に延期を決めたのと大きく異なる決断である。金を出す先進国が参加できれば興行的にはOKという判断であろう。
と言うことで、私の言いたいことは、五輪中止云々などという不毛な議論は止めて、他にも議論せねばならない課題が山積してるだろう。という事である。
五輪反対派の根本の過ちは、持って行先にある。五輪の開催可否を決定するのはIOCであって、東京都でも日本政府でもない。中止を求めるのであればIOCに訴えるべきなのに言いやすい政府や東京都に苦情を言っている。東京都と日本政府は開催場所を提供する契約をIOCと結んでいるだけなので、中止云々を言える権利はなく、ここで議論することは全く意味のないことである。
じゃあ場所貸すの止めたら?と言う話になるが、論理的に開催が不可能と言う証明が必要になるが、現時点で日本国外から見るとそんな状況には全く無い。全く無いのに中止を強行すれば、当然IOCから損害賠償請求が行われる。ザクッと1兆円と見積もられている。国民全員に1万円である。日本政府が支払うということは、税金で支払うしかないので、皆さん一人1万円の負担が必要と言うことだ。ここをはっきり示しているマスコミが無い。
一部には損害賠償額を下げてくれるのではないかと甘い期待を話す御仁もおられるが、ぼったくり男爵がそんな忖度をするはずがないし、期待で損害を小さく見積もるバカは本当の馬鹿だと思う。
因みに違約金と人の命とどっちが大事かという意見もあるが、詭弁である。人の命が大事なのは当然だが、五輪の開催と死亡者数は直接の関係は無い。例えていうなら、今回のコロナ騒動のおかげで日本では死亡者が年間9,000人も減っているのである。コロナと人の命とどっちが大事か?と言うのであれば、死亡者が減るコロナはウェルカムになってしまう。違約金と人の命とどっちが大事という言い草はこれと同じだ。
実は日本以外の、インドなどの南アジアや南米、アフリカ等の感染状況を鑑みれば、五輪を開催できるとは到底思えないのだが、この状況でもIOCは開催すると言っているので、開催自体は変えようがないであろう。昨年欧米で流行った時に延期を決めたのと大きく異なる決断である。金を出す先進国が参加できれば興行的にはOKという判断であろう。
と言うことで、私の言いたいことは、五輪中止云々などという不毛な議論は止めて、他にも議論せねばならない課題が山積してるだろう。という事である。
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