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いつだって明日はいい日

終活を考える

老人ホームから引き揚げてきた母の荷物を片付けられずにいた。
片付けてる時間が無いなんて忙しいぶってる訳でなく、単に私がだらしないから…それだけじゃないんだよね。
まだ諦められなかったんだ、微かな希望を捨てられなかった。
もしかしたら…様態が安定した時に連れて帰って自宅で看取りたい。
もちろん在宅で最期を迎えるのは簡単な事ではないが、介護職として様々な環境で働いてきて、周囲の理解と協力体制が整えば自宅での看取りは可能と思えた。
もちろん自分一人では出来ないが、今なら姉も手を貸して貰える。信頼できるホームドクターも近くにいる。
最後の最後まで希望を繋ぎたい…
しかし、そんなことは夢にしか過ぎないってことも分かっていた。今の環境では職場の理解が得られない。
夢とか希望とか、捨てられないのは物だけじゃなかった。
だけど、それが叶わないことが現実となり、近い未来を迎える準備をしなくてはならない。
ハッキリ言ってしまえば「葬式はしなくても四十九日迄の祭壇どこに置くの?」ってことだ。
準備をするって、死ぬのを待っているようで嫌だったが、現実とはそういうもの。
黒い服、着られるかな?黒のストッキングあったかな?

とりあえず、押入れに突っ込んだり2階に運んだり、隠すことで場所は確保した。
高齢者とは言え三年も過ごしたホームにはそれなりの荷物があった。それを処分して、家にあるものも少しづつ処分していかなくてはならない。
私には後を継ぐ者がいない。
両親の残した物だけでなく私の分も甥っ子達が片付けるようになる。
それが何年後かは分からないが、なるべく身軽になって彼らに苦労をかけないようにしなければならない。
『終活』は他人事ではない。

スッキリと晴れた秋空に祖父が旅立った日を思った。
祖父はこんな秋晴れの日に自らの命を断った。
農家の仕事が一段落したころ、秋晴れの予報が続く頃、周囲の手を煩わせないように、いつの間にか荷物は全て処分してあった。
それも終活だったのかな…。
子供の頃は理解できなかった祖父を今なら分かるような気がする。
















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