昔父に連れられて職安へ行った時、耳が悪いと言うことを軽く考えていた父に職員が言った。
「お父さん。片目をつぶって見てください、物が良く見えないでしょう。(実は父は片目が見えない)どうですそれと同じですよ。耳が片方聞こえないと言うことは大変なことだと思いますよ」。
実は私は左目が斜視で物が二つに見え随分不便な思いをしている。効き目が右なので、ほとんど右目で物を見ている。それでも不思議なもので左目をつぶって見ているより、両目で見た方が物がはっきり見える。仕事をしていないようでちゃんと左目も仕事をしているんだなと思った。
片方の耳が聞こえないと音の立体感が出ない。誰がどこで話しているのかさっぱり分からない。
周りで複数の人が騒いでいると、全然会話が成り立たない。なにを喋っているのか分からないのだ。
人は二つの耳で音の方向と距離をとらえ、音を分析して会話の内容を判断しているのだ。
それを片耳でやろうとするとかなり神経が疲れる。まず、頭で記憶すると言うことは難しくなってくる。
口下手な私は講演を聞きに行くことが多いが、講師に分からない所を質問しようとしても講師の回答がよく分からなければ、周りに遠慮して、分からなくても分かったように頷くことになってしまう。何のために質問したのか分からない。
NHKのテレビ小説で『半分青い』は左の耳の聞こえない女の子の物語なので興味を持って見ているが、作者が本当に耳の悪い人のことを分かっているのかと思うほど軽く扱っている。それに朝ドラはヒロインが悩むと必ず慰め励ます人が出てくる。一番面白くないところだ。現実はそんなに甘くない。先ず友達が出来ない。本人はしょんぼりと家に引きこもってしまうだろう。片方の耳が聞こえないと言うことは大変なことなのである。
それに加え私は数年前竹林で竹を燃やしていたら突然竹の節が破裂して、バ~ンという大きな音がして耳の神経をやられたらしくタダですら聞きずらい耳がますます悪くなった。耳の蝸牛管の中に音を感じる毛が沢山あるらしい。その毛が耳から入ってくる音を細かく選り分け電気信号に変え脳に伝えているらしく。そこにダメージが加わると機能しなくなるらしい。一度傷んだ毛はもう元に戻らないらしい。
音色が分からなくなり、テレビの音と家内の声の区別がつかなくてどちらが喋ってるのかさっぱり分からないことがある。
イノシシがタケノコを食べた後。人間より器用にタケノコを掘っていく。