安倍元首相の死を「国葬」として扱うことについて

「国葬」というのは、日本のこれまでに特別に功績があったと誰もが認められる人を、日本国として、つまり全国民が心を一にしてその人をたたえ、その死を悼むという趣旨で、行う趣旨の葬儀だ。戦後は、吉田茂元首相だけだった。吉田氏は、戦後日本が連合国からの占領状態から、サンフランシスコ講和会議で独立を達成したときの総理大臣だった。それ以外は、「国葬扱い」はない。

安倍晋三氏は国葬扱いされるような指導者だったのだろうか。
この数日、テレビは異常といえるような安倍賛美報道だ。これだけ見ると国葬扱いもアリか、と思うかも知れないが、しかしちょっと待って欲しい。「統一教会」との関係だけをとっても、安倍氏の行為は疑問視されてしかるべきではないか、と思うのだ。

統一教会は、今は名称を異にしているが、かつては非常にいかがわしい、詐欺的行為を公然(宗教の仮面をもって「霊感商法」など)行う団体として、非常に問題にされている団体だった。最近はどうなっているのかよく分からないが。
今回の安倍氏を襲った男も、この団体への反発行為が動機だったはずだ。安倍氏(だけでなく自民党の議員にたくさんいるらしいのだが)はこの団体の応援者として認められていたことは間違いないことだったのではないか。

だからといって安倍氏が襲われていいわけではない。しかし安倍国葬の根拠に、テロは絶対にみとめられるものではないことを内外に鮮明にする国家としての行為なのだという。であれば、なおさらのこと、安倍氏がこの反社会的行為を長年行ってきた「統一教会」の応援者であったことはどう評価されるのだろうか。さらに安倍氏に関係するモリカケ、その他いくつかの疑惑の取り沙汰された事件なども思い出すなら、「安倍国葬」にはちょっと首をかしげたくなるのだ。
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