「杞憂」ではなくなってきた気候変動問題

今日の午後9時過ぎのNHK特集は「海の異変」を解説した。きちんと視聴できなかったが、今、海では小さい生き物が減少しつづけているという。海水の酸性化(温暖化に起因)している。二酸化炭素の吸収が減っていて、これが海水の質を変化させ、地球全体の気候に大きな変更をもたらしている。

この番組を見ながら、昔中国であった「杞憂」の話を思い出した。周知のように、遙か昔中国で「杞」という国があった。この国の人が、天が落ちてくるのではないか、と深く心配してメシも食えなかったということから、あり得ないことを心配することを「杞憂」というようになったという。

しかし、気候変動に関わることは、今や「杞憂」などではなく、人類の未来にとって本当の憂いになっているのだ。これを世界的規模で真剣に取り組まなければならないのだが、世界の政治はそういう方向にすすみつつあるのだろうか。まだ、人の意識の中には、「そうは言ってもまだ先の話では?!」という認識が一般的なのではないだろうか。まだ杞憂のレベルになっているのではないか、と危惧する。

どうしたらいいのか、いつもどうどうめぐりの話になってしまう。「杞憂論」的なメモになっていることが残念だと自覚しているのだが…。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 安倍元首相の... 忘れていた、... »