来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「人が大事」、本当?
3年ほど前、中学校に在学している生徒が、学校との連絡が途絶えて(つまり「不登校」になって)いるが、フリースクールとは何か交流があるか、と市教委からの問い合わせがあった。「親とも本人とも連絡がある」旨答えたら「安心しました。子どもの安否が分からないので非常に心配だったのです」という。
義務教育段階では、教育委員会や学校が、父母の「学校への反感」があれば、数日学校を休んだりした場合安否がはっきりしていないとき「どうして子どもの状態を把握できないのか」と、マスコミや一般市民から批判されるので、こういう事務的なことにけっこう神経をとがらせている。
このことと全く反対のことがあった。
今回起こった大阪の2児童遺棄と虐待について、アパートの住人が「変だ」と児童相談所や警察に通報したという。しかし、子どもの死を防ぐことができなかった。母親に非があることはいうまでもないが、「子どもは社会みんなの宝」という立場を考えると、でたらめな親がいても生まれてくる子どもを何とかサポートしようという社会的な目があれば、むしろ親を責めると言うより、子どもの死を防げなかった社会の今のありようを問題にしたい。
通報があったときどうして児相や警察は「ひょっとしたら」と最悪を想定した措置を執らないのか、今虐待とか遺棄などはそれほど珍しいことではない。こういうことに鈍感だった関係者に対して怒りを覚える。
今ひとつは東京の「111歳事件」だ。都内最高齢とされていた男性が30年以上前にすでに死んでいた。しかし、住基ネット等で「死亡」処理されていなければ生存扱いをするので、何十年も「年金」が支給されていたという。ふた言目には「カネがない」という役所が、病院にかかった形跡もなく、近所でも「千住の七不思議」と噂をしていたというのに、「ぜひ元気なおじいさんにお会いしたい」と言えなかったのか。「会いたくないといっています」と家族がいうなら、「生きているか確認できないなら年金を止めますよ」とでもいえるだろうに。このでたらめが30年以上続いていた!!?
本当に理解に苦しむことが多すぎる。
「コンクリートより人」とか「最小不幸社会」とか言っているが、これをまず直接に担う公務員が弁解ばかり言って自己の行為を合理化する姿勢ではダメだ。
義務教育段階では、教育委員会や学校が、父母の「学校への反感」があれば、数日学校を休んだりした場合安否がはっきりしていないとき「どうして子どもの状態を把握できないのか」と、マスコミや一般市民から批判されるので、こういう事務的なことにけっこう神経をとがらせている。
このことと全く反対のことがあった。
今回起こった大阪の2児童遺棄と虐待について、アパートの住人が「変だ」と児童相談所や警察に通報したという。しかし、子どもの死を防ぐことができなかった。母親に非があることはいうまでもないが、「子どもは社会みんなの宝」という立場を考えると、でたらめな親がいても生まれてくる子どもを何とかサポートしようという社会的な目があれば、むしろ親を責めると言うより、子どもの死を防げなかった社会の今のありようを問題にしたい。
通報があったときどうして児相や警察は「ひょっとしたら」と最悪を想定した措置を執らないのか、今虐待とか遺棄などはそれほど珍しいことではない。こういうことに鈍感だった関係者に対して怒りを覚える。
今ひとつは東京の「111歳事件」だ。都内最高齢とされていた男性が30年以上前にすでに死んでいた。しかし、住基ネット等で「死亡」処理されていなければ生存扱いをするので、何十年も「年金」が支給されていたという。ふた言目には「カネがない」という役所が、病院にかかった形跡もなく、近所でも「千住の七不思議」と噂をしていたというのに、「ぜひ元気なおじいさんにお会いしたい」と言えなかったのか。「会いたくないといっています」と家族がいうなら、「生きているか確認できないなら年金を止めますよ」とでもいえるだろうに。このでたらめが30年以上続いていた!!?
本当に理解に苦しむことが多すぎる。
「コンクリートより人」とか「最小不幸社会」とか言っているが、これをまず直接に担う公務員が弁解ばかり言って自己の行為を合理化する姿勢ではダメだ。
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