来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
終戦の日
今日はいうまでもなく73回目の8月15日。昭和20(1945)年のこの日、自分は何をしていたか、はっきりした記憶はない。小学校(当時は國民学校)2年生。夏休みに入るまではいうまでもなく「神州不滅」などをバカの一つ覚えのようにさけばせられていたのではないだろうか。この日、お盆でお墓参りなどをして町から帰ってきた伯父が「戦争はおわったみたいだ」というようなことをいっていたのではないか、とかすかに記憶がある。(ラジオもなかったから)。
そして夏休みが終わり2学期が始まると先生(この時の担任は女の先生)がそれまでと完全に掌を返すように「アメリカ軍がやってくる」からそのための心構えといったことを語り始めた。だいたい、道北の和寒村に占領軍が来るなどあり得ないのだが、当時はそう言われた。「みなさんに甘い物などをくれるというかも知れないが、すぐもらったりしないで、はじめは要らないという態度をとってそれでもどうぞと言われたらサンキューと言ってもらいなさい」というようなことを言っていたように覚えている。
アメリカ軍はついに来なかったが、その後戦争に行っていた人たち(私の伯父叔父たち何人か)が大きなリックを背負って帰ってきた。軍から除隊になったのでお土産というような意味だったのではないだろうか。
そしてそれから数年間、「死んだ」とされた人たちが「生きていた」と帰還してきた。私の父もひょっとしたら生きて帰ってくるかも、と淡い期待をしたことを思い出す。
また忘れることができないことは、夏休みが終わって登校しだしたら、先生は私たちが使っていた薄汚い教科書のページをめくりながら「ここは消しましょう」と墨やえんぴつで塗りつぶすことを指示しだした。薄汚い教科書はますます汚くなった。戦争賛美、大日本帝国賛美の記述だったのだろうと思う。
そして昭和21年のお正月、子どもたちは希望を込めて「平和日本の建設」とか「新生日本」などを書き初めに書いた。
戦争で死んだ日本人は300万人以上、その何倍ものアジア人を大日本帝国は犠牲にしたのだ。このことをしっかり覚えておく必要があるだろう。
天皇は「戦没者追悼式」でのお言葉で「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」と言われている。これに対して安倍首相は「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫く」と強調した。歴代首相が踏襲してきたアジア諸国への「損害と苦痛」「深い反省」には6年連続で触れなかった。」
そして夏休みが終わり2学期が始まると先生(この時の担任は女の先生)がそれまでと完全に掌を返すように「アメリカ軍がやってくる」からそのための心構えといったことを語り始めた。だいたい、道北の和寒村に占領軍が来るなどあり得ないのだが、当時はそう言われた。「みなさんに甘い物などをくれるというかも知れないが、すぐもらったりしないで、はじめは要らないという態度をとってそれでもどうぞと言われたらサンキューと言ってもらいなさい」というようなことを言っていたように覚えている。
アメリカ軍はついに来なかったが、その後戦争に行っていた人たち(私の伯父叔父たち何人か)が大きなリックを背負って帰ってきた。軍から除隊になったのでお土産というような意味だったのではないだろうか。
そしてそれから数年間、「死んだ」とされた人たちが「生きていた」と帰還してきた。私の父もひょっとしたら生きて帰ってくるかも、と淡い期待をしたことを思い出す。
また忘れることができないことは、夏休みが終わって登校しだしたら、先生は私たちが使っていた薄汚い教科書のページをめくりながら「ここは消しましょう」と墨やえんぴつで塗りつぶすことを指示しだした。薄汚い教科書はますます汚くなった。戦争賛美、大日本帝国賛美の記述だったのだろうと思う。
そして昭和21年のお正月、子どもたちは希望を込めて「平和日本の建設」とか「新生日本」などを書き初めに書いた。
戦争で死んだ日本人は300万人以上、その何倍ものアジア人を大日本帝国は犠牲にしたのだ。このことをしっかり覚えておく必要があるだろう。
天皇は「戦没者追悼式」でのお言葉で「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」と言われている。これに対して安倍首相は「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫く」と強調した。歴代首相が踏襲してきたアジア諸国への「損害と苦痛」「深い反省」には6年連続で触れなかった。」
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