横綱の品格

「品格」という語に接したのは久しぶりのことのように思う。これは大相撲名古屋場所14日目の結びの横綱白鳳と稀勢の里の取り組みで、白鳳が立ち上がり一瞬のはたき込みで稀勢の里を下した。これで全勝を守り、今日の千秋楽やはり全勝の日馬富士(はるまふじ)との決勝戦に臨んだ。
大関と横綱の全勝どうしの決勝戦は大関が勝って全勝優勝を果たした。

昨日の白鳳・稀勢の里戦は、私などの大相撲を観戦する興味をそれほど持っていない者であってもテレビチャンネルを合わせたのだが、「あれっ?」という感じをもった立ち会いだった。稀勢の里との立ち合いの呼吸が合わず、2度の「待った」、そして立ち上がった瞬間左にとんだ白鳳は稀勢の里をはたき込んだ。まさに一瞬の勝負だった。これが問題になったようである。「あれっ」と思ったのはそこである。どうもはたき込みは好きでない。こういう勝ち方は勝負事とはいっても「堂々と闘って」という精神に悖る(もとる)ように思う。「勝てばいいというものではない」というのが、横綱に与えられる品格の根拠である。高いカネをはらって大相撲を見に来るその目的はほとんどが「三役」の堂々たる勝負だろう。呼吸が合って立ち上がった相手の気勢を、一瞬にかわしてはたき込むというのは「卑怯ではないか」という気がして仕方がない。もちろん「はたき込み」は勝負の形である。

今日の千秋楽、白鳳と同じ全勝の大関日馬富士との対戦で、日馬富士が立ちあい早々横綱に張り手をくらわした。これがどういう影響だったか知らないが、横綱はあれよあれよと寄り切られて負けた。全勝優勝日馬富士が天皇賜杯を受けた。

はたき込みという勝ち方も「好きでない」が、またこの張り手という技も「好きでない」。昔のビンタである。横綱の品格と同時に大関の品格のあり方も感じた。もっとも手のひらによるビンタというより突っ張りの変形のような取り組みでもあるから素人がいうよりももっと微妙なものらしいが。

特に横綱とか大関といった大相撲のスーパーチャンピオンはそれなりのマナーをもった勝負をしてもらいたいという気持ちをもつ。特にあまり大相撲を見ることのない人にも「さすが大相撲!」と思わせてもらいたい。
白鳳も日馬富士も日本人でなくモンゴル人だからあまり日本人的要求をすることは公正でないのかも知れないが。しかし日本の「国技」への挑戦だ。

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