和寒中学校の同期会

中学校を卒業したのが1953年だから60年経っている。「喜寿」をお祝いしようということで一泊の同期会が定山渓温泉で行われた。
かつての紅顔の美少年・美少女たちもそれなりのキャリアを積んで面影をかろうじて残しているか?

それでも卒業生4分の1近い人たちが集まった。戦後の食べ物も十分でなかったころ元気に通った中学校の仲間たちだ。すでに鬼籍にある人も少なくない。存命の人たちは次は傘寿か、2年度に和寒で集まろう、と約束して別れた。

当時、道北の和寒の人口は1万人を超えていた。今は3千人台。

話も「元気の素は?」「服用している薬は」「通院の度合い」「趣味は」「残り人生の生きがいは?」などなど。
さらに三浦綾子さんの名作「塩狩峠」関連で、当時の列車が塩狩峠を和寒に向かって逆走したとき、必死になってこれを止めようと身を挺して犠牲になった列車の車掌さんのことなど、も。一体自分が走る列車に飛び込んでも止めることなどどうしてできたのだろうか、などの話も。

我が高校が和寒町と関連していることについて激励が多くあったことも感慨深いものだった。

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