「産みの親より育ての親」

最高裁は「『DNA鑑定で父子』認めず」と判断したという大きなニュースが話題になっている。単純に言えないが、このニュースを見て、私は「産みの親より育ての親」という古くから言われている言葉を思い出した。

最近、科学的という立場からすぐDNA問題が言われる。しかし実際に自分のタネでなくとも愛する女性が産んだ子どもを父親の立場から見ていくというケースは昔からあった。遺伝学上の問題がどうあれ、人間生活の上で単純ではないだろう。
「科学的」は場合によっては人間的な情の世界をキャンセルすることもあるかも知れない。かつていわれた「大岡裁判」をも思い出す。「本当の親は」と聞かれた大岡裁判長は、自分の子どもと思ったらその子どもの手を引きなさいという。母親と主張している二人の女が子どもの手を引っ張った。その時、子どもの手を強く引くことによって子どもが痛さに耐えきれなくなったことを知った女は手を離す。大岡裁判長は手を離した女を本当の親と認定した、というような話ではなかったろうか。

科学の世界よりも人情の世界の方が真実を表している場合がある。しかし問題は簡単ではないようだが…。

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