来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
絆(きずな)のインフレ
特に「3.11」を契機にしてだろうが、「絆」がいつも言葉になっている。ことあるごとに「絆」が叫ばれる。いわば絆のインフレだ。絆というのは、人と人とのつながりを意味するのだが、特に最近は「絆」の必要性が言われるのだから、人と人とのつながりが欠落している状態をなげきつつこれを復活させたいという願いが込められて言われるのではないか。
今、人間社会ではこのつながりは消えかかっている。絆がうすく寂しい。そこに大震災だ。助け合おう支え合おうという人間としての当然の気持ちが高まってきた。「絆」はこういう状況を反映している。
第一次産業、第二次産業の社会では人間的な関係がいかなる所にも強かった。逆に、この関係が「村八分」をつくり出す要因にすらなっていた。絆を切ろう、あいつとはいかなる関係も(葬式と家事の二つ以外)は断つ。「八分」の意味らしい。
人間の生活と生命をがんじがらめにつなぎ止めることの悲劇は深刻だったはずだ。第三次産業の社会では、人間関係が薄れてきた。つまり絆がことさら言われるようになってきた。
どういう場合でもほどほどがいい。絆が強すぎて個人の自由が束縛されるのも困るし、孤独死がいわれほどの絆のなさも困る。
ほどほど、中庸、中間、間合い、などがうまくコントロールされる世の中をつくり出そう。
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