来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
選挙運動、「創価学会」を思い出す
何度か書いてきた、どうして創価学会の公明党が自民党とべったりなのか、と。
もう40年ほど前になるだろうか。あのころ、創価学会の知り合い(主として教え子たち)と何度も議論した。日蓮宗のことから、政治関連で創価学会が常に政治への強い関心をもっていることについて。
もう40年ほど前になるだろうか。あのころ、創価学会の知り合い(主として教え子たち)と何度も議論した。日蓮宗のことから、政治関連で創価学会が常に政治への強い関心をもっていることについて。
そして学会のルーツにあたる日蓮聖人がいかに当時の権力から冷遇され、また当時の権力(鎌倉幕府)とたたかったか、というテーマだったのではないかと思う。
だからその流れをくむ創価学会は常に政治権力に対して批判的な態度をとっているのだ、というようなことを当時の知り合いの学会員は言っていた。
創価学会は公明党と一体のものだろう。この創価学会はその後自民党と政府をつくり「小さな声」などではなく「大きな声」にのみ耳を傾け続けている。いったん権力とつながったら、その魅力は何よりもうまみがあるのだろう。どういう問題があっても、ほんのちょっと批判めいたことを言っても結局は自公は一体となってことを進めている、この公明党の態度は自民党にとって自分たちの一方的な政策(大金持ち寄りの政治)をカムフラージュするいい姿勢だ。
創価学会が政治的な取り組みを始めた頃のロマンはどうだったのか、を思い出して欲しいものだ。私の少なくない教え子たちは学会員として政治的な発言をしていた。それは決して自民寄りではなかった。日蓮聖人の心というようなことが言葉のはしはしから伺われた。公明党の幹部が発言していることを見たり聞いたりするたびに昔の教え子たちを思い出す。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« ホモ・サピエン... | プラコミの始... » |