プラコミの始末は?

テレビで、ベトナムに持ち込まれたプラスティックゴミが至る処に山積みされて始末に困っていることが放映されていた。この種の問題(プラゴミ関連)が最近非常に深刻になっているという。

少し前には中国がこれを受け入れることにしていたのだが、最近はこれを禁止したのでベトナムなどに持ち込まれるのだとのこと。しかしこのプラゴミといっても分別されていなしヒドイ状態になっていて文字通りゴミが常時増大し続ける状態らしい。
先日大阪でのG20でもこの問題が指摘され「2050年までに海洋へのプラゴミの流出抑制、大幅削減のために適切な行動をとる」との「大阪ブルー・オーシャン・ビジョン」への賛同をG20以外の国にも求めることを約束した。

2050年は、これから30年先だ。今世界各地でこの問題が深刻さを増しているといっているのに30年先までに問題解決の方策を決めるといった程度の確認でいいのか。

そもそもプラスティックという素材(ペットボトルとか包装用のプラ)などを生産する人たちは、その終わり(燃やす、再生する、など)をどう想定しているのだろう。海に捨てられたプラは、回り回って人間にとっても重大な問題の要因になっていくらしい。

今私たちの周りでは、分別されて収集されるプラゴミはどう始末されているのか、ほとんどの人は知らない。目の前から見えなくなったからウマく処分されているのだろう、と思っていたのだが本当のところはどうなっているのか、行政はそのあたりをきちんと住民に知らせたらいいのではないか。

さきのテレビ報道では「個人個人が真剣に考えるべき」といった忠告をしていたが、どう考えたらいいのか、全く考える手立てが見えない。
プラゴミをなくすとはどういうことか、この再生は一般庶民からすれば何を考えるべきなのか、などなど。

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