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日記 … Kametarou Blog
新・平家物語「忠度(ただのり)の最期」
全16巻のうち、今は第11である。吉川英治の新・平家のこの巻は平家物語の有名な場面が載っている。その一つが忠度の話だ。この人は平薩摩守(さつまのかみ)忠度。清盛の母違いの弟である。
木曾義仲に襲われ平家は都を捨てる。この時、彼は引き返し、自分の歌の先生である藤原俊成宅をたずねる。藤原俊成は天皇の命によって歌集をつくることになっていた。忠度は「できれば自分の歌をそこに載せていただきたい」と100首余りの歌を届けた。
千載集という歌集の中に俊成は忠度の歌を「詠み人知らず」として名を伏せて収載した。平家は朝敵という立場だったので、作者名を明らかにできなかったのである。
さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの山桜かな
それから約7か月後、義経軍と戦った忠度は敗れて死ぬのだが、その箙(えびら・矢をいれる箱)の中に歌がしたためられていた。それは
行暮れて 木の下陰を 宿とせば 花や今宵の 主(あるじ)ならまし
このことによってこの打たれた男が平忠度であり、歌人としてまた武人としての人物であることが知られる。源氏の武士たちにも大きな感動を与えた。
明治時代にこの話は「青葉の笛」という歌になってその後歌われていた。
更くる夜半に 門(かど)をたたき
わが師に託せし 言の葉あわれ
いまわの際まで 持ちし箙(えびら)に
残れるは「花や 今宵」のうた
これは2番であって、1番は敦盛関連だ。これについてはまた別に。
なお、今は知る人は少ないのだが、昔無銭乗車を「薩摩の守」とよぶことがあった。その名前忠度(ただのり)をもじって言った。バカみたいな話である。
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