元旦のつれづれ

恒例により、地域の神社に初詣で。天候も、雪なし寒くなし、まあまあという元旦。

毎年、地域の「西野神社」は列をつくってお詣りするというほどではないが、まあそこそこの人が参拝。元旦の参詣のマナーは、だいたい二礼二拍手だろう。お賽銭も、神様にお願いするのだからタダというわけにはいかないだろうから、100円玉をひとつ箱に入れた。何を心に念じたか、といえば、忘れていた。バカみたいだ。お神籤を引いたら「大吉」。なんとなく今年もいいことがありそうな、という心境。

一般に神社の神は、安産、健康、家内安全のスポンサー、と言ったところが「相場」だろう。だから100円玉で「これでよろしく」ということだ。かつて自分の健康とか家族で健康に不安をもつ者がいたときには1000円札を入れたこともあった。今回は年金暮らしで楽でないだろう、と分かってくれているはずだからまあよしとしてくれたと思う。

わが家ではずっと以前からこの西野神社に参詣にきている。そのためか、皆健康で特別に困ったことは起きていない。初詣の効果なのかな。まあそう思っておこう、日本人だから。
そして帰りの車の中で「来年の初詣、つつがなく来ることができればいいのだが」と心の中でしっかり念じた。

帰宅後、もらった年賀状に目をとおす。一枚一枚が訴えてくる中身がうれしい、喜ばしいというより、出してくれた人のことを思い出して、過ごした人生の足跡をあらためて振り返ることが多い。
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