かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

夕食です

2019-08-10 17:57:49 | ブログ記事
窓からの景色です。川水がきれいです。




焼き立ての鮎です。

おいしかったです。


鹿のたたきだそう。↓

食べるのはちょっと怖かったけれど、おいしかったです。

食べかけてから、写してなかったことに気づいて写しました。↓


天ぷらです。


どれもこれもおいしかったけれども、食べきれずにいくつか残してしまいました。

自宅だったら、食べきれなかったものはおいておいて翌朝いただいたりできるのですが、ごちそうをもったいないですね。

デザートです。これは別腹で食べられました。


夫は大満足だったようです。

評判通りおいしかったし、宿の方は感じのいい方ばかりでした。

洞川八幡宮〜面不動鍾乳洞〜龍泉寺

2019-08-10 14:23:31 | ブログ記事
天川村全域マップです。

洞川温泉街の地図です。


いまから面不動モノレールに乗って、

面不動鍾乳洞で涼んできます。


モノレールから温泉街がのぞめます。

鍾乳洞の中は天然のクーラーで、涼しいと思います。


思った以上に涼しかったです。

鍾乳洞の中でも撮影したけれど、どういうわけか写真が消えていました。これも真夏のスリラー?😳

代わりに、大峰山奥駈け道の地図でも。

夫は帰りは歩いて下りると山道に向いましたが、足に自信のない私は帰りもモノレールで下りることにしました。


旅館に帰る途中に龍泉寺という立派なお寺があったから、写真を写させていただきました。


比較的新しい阿吽像も立派でした。↓

池の水の透明度が違います。

赤い欄干も写しました。

こんな山の中にこんな立派なお寺があることは奇跡のように思えましたが、

旅館に戻って、旅館の人にお聞きすると、この天川村は村全体がパワースポットなのだそう。

(ご参考)桜井職子さんの「天川村」のことを書かれた記事です。

https://ameblo.jp/holypurewhite/entry-11462525534.html

私は、たまたま一昨日予約させていただきましたが、これも何かのご縁なのかもしれません。

標高の高いところばかりを探していて、ヒットしたのが、この[あたらしや]さんでした。

たまたま一部屋空いていて、大変評価の高い宿だったので、迷わず予約させていただきました。

天川村の歴史です。

南朝に関係した土地なのですね。



近鉄下市口駅〜洞川温泉

2019-08-10 12:14:10 | ブログ記事
車で来る予定をしていたら、夫がもう一日は車中泊をしようと言い出した。

断ると、夫は「じゃ、電車で行こう」と言い出して、阪急、地下鉄、近鉄と乗り継いで吉野の下市口駅まで来ました。

地下鉄は御堂筋線の天王寺駅で降りて近鉄あべの橋駅の吉野線に乗り換えるのです。

地下鉄御堂筋線はクーラーが効いていたのでしたが、

近鉄あべの橋駅吉野行きホームが異常に暑く私は倒れそうでした。

近年はどこも酷暑だから、大勢の乗客の待つ駅には絶対に冷房の効いた暑さ避難室を作るべきです。

でないと、電車を待っている時に倒れる人も出ると思います。

近鉄の路線図です。

電車に乗っても、停車駅のたびにドアが開けっ放しになるから冷房が効かず、私は電車を降りた段階で、かなり疲れていました。

近鉄は、これに対しても何らかの対策を立てるべきだと思います。

近鉄下市口駅です。↓



駅前のバス路線図を撮影しました。↓


これから洞川温泉行きのバスに乗り換えて、奈良県天川村の洞川温泉まで一時間あまりバスに揺られます。


着きました。


ずいぶん山奥なのに立派な温泉街です。

大峯山の修験者が登山する前に泊まる旅館街のようです。

日差しは強いですが、日陰に入ると涼しいです。軽井沢のような感じです。



こちらが今日泊めていただく[あたらしや]旅館さんです。↓



今日は朝一番にお坊さんが

2019-08-10 05:01:43 | ブログ記事
我が家はお坊さんの回られる順番の最初のようで、若いお坊さんが毎年朝8時半に来てくださる。

前のお祖父さんのお坊さんの時は7時半だったから、まだましだ。

前のお坊さんの頃は義母がお祀りをしてくれていたが、私達は大阪から7時半までに川西に到着していなければならなかったから大変だった。殊に次男がまだ赤ちゃんの頃は。

それなのに、年寄りのお坊さんは7時半より早く来られて、私達が到着する前に既に帰られた後、ということが多かった。

そんな嫌な思いをさせられてきたから、私は、お盆だからといって子どもたちに招集をかけない。

それがよいことであるかどうかはわからないが…



私達が大変な思いをしてきても、義母はお茶のひとつ出してくれるわけでもなく、私達は過分のお供えをお供えして拝んで、すごすご帰るのが常であった。

それでいて長男の嫁は盆と正月に実家に帰ることはまかりならぬと言われ、夫がサラリーマンだった我が家は盆も正月も帰省することが許されなかった。

いま思い出しても何のための招集だったかと思う。

お供えを供えるための?と疑問を抱いたこともあった。

あのころの義母は私達長男夫婦がどんな時も義母にお金を差し出さなければ許さなかった。

私達がどんなに経済的に逼迫していても···。

お盆になると、あの頃の辛かったことが次々思い出されて涙が出てくる。

このことは、毎年書いているが、また今年も書いてしまった。