かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

落ち着いて考えてみれば夫の言いがかり

2019-08-30 17:45:39 | ブログ記事
私のblogのどこに夫に殴られなければならないような記事があるのだろう。

夫は、ひょっとして、今仕事がうまくいっていないのかもしれない。

一昨年の秋も、
まだ実家の母が生きていたころ、定期的に帰省しようとしていたときに

いきなり理由もなく殴りかかってきて、

幸い殴られはしなかったが、私は胸がどきどきした。

が、帰省することになっていたから、そのまま帰省した。

母とホテルで2泊したが、とてもそのまま家に帰る気になれなかった。

それで高知から夜行バスで東京の娘のところに行った。

が、娘も孫のことで悩み事がいっぱいみたいだったから、泊まらず、
そのまま電車に乗って熱海まで行って、熱海で泊まった。

熱海で一泊しても、まだ帰宅する気が起きなかったから、
今度は近江八幡の長男のところに泊めてもらった。

その次の日にやっと帰宅した。

そうすると、夫はケロッとしていて、
「仕事をトラブったから気が立っていた」という。

それで事情がわかったが、しかし、そのたびに殴られてはたまらない。

今日も仕事がうまくいっていないから私に難癖をつけたのかもしれない。

そうとしか考えられない。

しかし、現在、夫はお金儲けになる仕事はしていないはずだ。

ロケットを飛ばすとかいって2階の部屋には工作物みたいなもの作りかけておいてある。

その工作物が2階の廊下も占領しているから、
私が昨日、「家の中でこういう作業をしないでほしい」と頼むと、夫は猛烈に怒った。

自分の家で何をしようが勝手ではないかと。

そのときも、なぜ夫はこんなに怒るのかといぶかしく思った。

私は、あれは夫の楽しみみたいなものではないかと思っているが、
楽しみなら、うまくいかなくても、私に鬱憤を吐き出すことはやめてほしい。

義母もそうだったが、夫は、機嫌のいいときは、無駄にはしゃいだりするが、
突然、理由もなく怒るときがある。

そんなときに何か言うと余計逆上するから黙っているが、
しかし、暴力を振るわれることだけは勘弁願いたい。

ものすごく稼いでくれるとかなら、まだ我慢のしようもあるが・・・。



今日の最初の不機嫌は、
私が昼食の時に、
「今度一緒に東北に行きましょう。あなたも金色堂とか行きたいと言ってたでしょ」と
夫を喜ばせてやろうと言ったときのことだ。

夫は、「ブログにあんなことを書かれて、どうして一緒に行けるかっ」と怒鳴ったのだ。

それで私が、「そんな怒られるようなことは書いていませんよ」と言うと、
いきなり私を殴ろうしたのだった。

ほんと、わけわからんわ



★怒られることは書いてはをらざるに突然おこる人がわが夫

★書くことが妻のわたしの楽しみであれば書かせるべしblog記事

★八つ当たりされるがために傍にゐる妻ではあらぬ朝顔の花

★殴る真似されて殴られなけれども殴らるるに似た憎しみは湧く

★暴力を使ふ素振りを見せられて妻は黙せり文句も言へず

「心は自由でありたい」

2019-08-30 14:29:42 | ブログ記事
というblog記事を読ませていただいた。

今も夫は私を殴ろうとした。

が、夫が殴っても私の心までは束縛できない。

私の思うことを止めることはできない。

私の書くことも止めることはできない。

私自身、自分の書くことを自分で止められない。

心は死ぬまで自由でいたい。

たとえ、明日死ぬとしても。



★暴力で止めざりえざりしわが自由わが書くこともわが息の根も

★書かざればすでに死にたる心地して書きて命を紡ぐわれかも

★書くことは書く自らも止めえざることにてわれのこの手は書けり

blogをやめるか、離婚するか

2019-08-30 13:40:54 | ブログ記事
というのが、
私はblogを書かなかったら生きていられないくらいblogが大切なのです。

が、家族にすれば、自分のことが書かれることが耐えられないらしいのです。

特に悪口を書いているわけでなく、思ったことを書いているんですけどね。

今も、また殴りたくなったと言われました。

どうして、そんなふうに思うんでしょう。

じゃ、嘘でもいいから褒めればいい?

世の中には褒め殺しという言葉があって、あまり褒められるとスポイルされることもあります。

私は、本当のことを言ってもらえるのが、一番その人のためになると思うんですけどね。

夫と娘には先月も「読まないで」と頼んだところですが、その後も読んでいたんでしょうね。

私が若い頃に苦労したことを書けば、
それがそのまま義母とか義妹の悪口のようになることは、これは仕方ないと思います。

ええ、お世話にもなりましたよ。

しかし、元気だった頃の義母は問答無用のところがありましたから、
本当につらかったです。

年に一度の帰省すら、私が泣き始めるまで私を責めました。

のちに、義母は、
自分に実家がなくなっていたから嫁の私の帰省が許せなかったと謝ってくれましたが、
「時すでに遅し」でした。

謝ってくれたときには、
私を溺愛してくれていた祖父母も亡くなっていましたし、
私を娘のようにかわいがってくれていた叔母も亡くなっていました。

お正月などは、みな私が帰省させてもらえないことを祖父母も叔母も悲しみました。

私の実家の両親は言うに及ばずでした。

とにかく結婚して10年くらいは実家に帰りたくて帰りたくて泣きました。

両親、祖父母に会いたいのと同じくらい友達にも会いたかったです。

10年くらい経って、やっと私より1歳年上の義妹が車で1時間くらい場所に嫁ぎましたが、
義妹は実家に入り浸りでした。

子供ができたら、子連れで入り浸っていました。

私は羨ましくてたまりませんでした。

どうしてあんなに意地悪されたのか、今もって不思議です。

私が難聴だったから、どんなに虐めても構わないと思ったんでしょうか。

今思い出しても涙が出てきます。

団塊の世代だった私達は、
適齢期のころは適齢期の男性一人に適齢期の女性はトラックいっぱいと言われていました。

義妹も団塊の世代でしたから嫁ぎ遅れていたのでしたが、
私は、難聴であったにも関わらず嫁いできたから目障りだったのでしょう。

私は結婚するまでは比較的大事にされて育ちましたから、
そんなふうに虐められても、どうすればいいかわかりませんでした。

それで余計虐めやすかったかもしれません。

そのころは、夫が私をかばってくれていましたが、
今は、私が、そのころのことを言っただけで怒ります。

昔のことを言うなと言われますが、私にとっては昔のことでありながら今に繋がっています。

私の過去を否定されるのなら、離婚しかないかと考えます。

離婚すれば、それはそれで大変だと思うけれど、しかし、なんとかなるかもしれないし。



★離婚して得られるならば離婚せむ今ほしいのは自由であれば

★過去のこと言ふなと言へる夫には過去のわたしの悲しみ見えず

★過去はまだ消えたわけではあらざれば君には言はむ過去の哀しみ

★消えざるは君の母への悔しさと君の妹(いもと)の意地悪な口

★難聴の難儀を知らず難聴のわれを蔑み苛めし人ら

短歌は一度はじめたらやめられないと言いますが

2019-08-30 12:55:19 | ブログ記事
blogもそうみたいですね。

私も、一度やめてみたけれど、すぐにまた書き始めました。

私がblogを始めたころ、
ずっと前に、とあるメーリングリストで知り合った人のブロ友さんだった人のblogを
読ませていただくようになっていたのでしたが、
あるとき、そのブロガーさんは止められました。

すごく残念に思っていたのでしたが、
しかし、最近、偶然また復活されたblogを見つけたのです。

これって、やはりご縁があったということなんでしょうかね。

やはり思い続けていたら、神様が引き合わせてくださるのでしょうか?

世の中には、blogの数も、無限と言ってもいいくらいたくさんありますが、
やはり年代とか、趣味とかで、また繋がるのかもしれませんね。


こういうふうに、
blogという交流サイトができたこと自体、既に神様の仕業のような気もします。

でも、blogを続けることの一番のネックになるのは家族ですね。

実は、今も夫にひどく叱られてしまいました。

夫の悪口を書いてあったから、また私を殴りたくなったそうです。

そんな悪口を書いた覚えはないんですけどね。

やっぱり、私も、またblog作り変えるかな。



★やめられし人のblogを見つけたりかつて愛読してゐし人の

★匿名でありてもわかる特徴があれば特定blogをフォロー

★つくりかへ逃げても逃げても追ひかけて読みにくるなり夫とむすめは

★その記事に文句をつけて怒るのは夫と娘ふたりは親子

★殴りたくなつたと言ひて殴る真似するわが夫われをにらみて