かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

「だんなデスノート」なんていうのがあるんですね

2019-08-17 23:43:29 | ブログ記事

短歌の結社誌で知りました。

で、ネットで調べてみました。

すると、

「だんなデスノート」に見る「死んでほしい夫」像

というサイト↑(クリックしてください)が見つかりました。

なるほど!

わかります。

私も一昨年は、かなり嫌な思いをさせられましたから。

それまでの夫は、どちらかと言えば愛妻家の部類だったと思うんですが、

シニアカレッジなどに通うようになって、

未亡人たちにちやほやされて、調子に乗ってしまっていたんでしょうね。

そのさなかは、私がとがめると逆に殴られそうになったりしましたが、

現在は落ち着いてくれています。

しかし、相変わらず、自分だけあちこちに出かけて楽しんでいます。

私にも、もっと出かけたらいいと言ってくれますが、

私には毎日の食事の支度があることと、

やはり毎日お出かけするほど裕福でもないし、

それに、これが一番大きな理由ですが、

難聴のため、出かけられる場所が限られるのですね。

で、家にいて、blogでも書いているほうが無難ということになります。

本当は人の集まるところに出かけて、おしゃべりしたりしたいんですけどね。

夫は、気づいていないと思いますが、

お出かけばかりする奥さんも大変だと思いますよ。

お出かけするにはおしゃれもしないといけないし、

外で友人と会うには、お小遣いも必要になります。

義母が、そういうタイプだったから、義父は大変でした。

夫の性質は義母に似ていますから、

義母のような贅沢はしませんが、

お出かけが好きなのです。

夫婦が二人とも、お出かけ好きなら、やはり困ると思います。

まあ、そういう意味では、我が家は陰陽の取り合わせでいいのかもしれません。

明日は、夫に似た陽の性質の娘が帰省します。

私も、少し忙しくなるかな?

 


靖国神社に祀られている英霊たちは既に神様

2019-08-17 10:07:06 | ブログ記事

だから、

日本の神社の総元締めである天皇陛下は参拝(天皇の場合は親拝と呼ぶらしいが)する

義務があると思う。

義務の果たせない人は天皇とはお呼びできない。

終戦記念日が近づいたら、毎年靖国神社のことが話題になるが、

日本の国のために戦って亡くなった人は皆神様である。

古来神として祀られた人にはたたりを起こした人が多い。

此の世で怒り狂って亡くなっているからたたりを起こすのである。

菅原道真しかり、崇徳天皇しかり。

戦争で亡くなった人たちは、天皇陛下のために、お国のために戦ったのだから、

当然、神様として祀らないとたたる。

それが、現在、A級戦犯も一緒に祀られているから

参拝あるいは親拝しないという言い訳になっているようだが、

私は、そういうことをしていたら、たたりが起こると思っている。

日本の国のために戦ってくれた人たちの霊であるから、

私達が心を込めて拝めば、日本の国のためになる働きをしてくれるはずである。

が、一番参拝(親拝)をしなければならない天皇陛下が親拝されないのでは

私はこの国が衰退する源になるのではないかと危惧する。

A級戦犯といえども、もともとはこの国のために戦った人たちである。

負けてしまったから、勝った連合国側によって裁判にかけられて処刑された。

その筆頭が昨日記事にした東条英機である。↓

A級戦犯として処刑された東条英機

私は、このたび初めて彼のことをネットで学ばせていただいた。

勝った連合国の都合で処刑されてしまったが、

彼の同胞である私達まで彼を悪く思うことはないのである。

否、思ってはいけないと思う。

あれだけの人物である。

神様としてお祀りして拝めば、必ず日本ために働いてくれる。

この国の神道とは、そういうものだと思う。

*

★この国のために戦ひ死にたれば神なり神として祀るべし

★靖国に祀られてゐる英霊は既に神なりあまたの数の

★祭祀王まいりて拝むべき神は靖国神社に祀られる神


根拠のない自信=老人力?

2019-08-17 07:04:40 | ブログ記事

「根拠のない自信」というフォロワーさんの記事があったので、読ませていただいた。

私もまったく同様な自信をもっている。

これといった特技もないし、たくさんの病気持ちだし、

おまけに難聴である。

しかし、理由のない自信を持っているのである。

若い頃は劣等感に悩まされた。

が、これが年を取るに従ってなくなって、

いつのまにやら自信のようなものに変わっている。

これってなんだろう?

歳をとって鈍感になってきた?

それもあるかもしれない。

鬱病になったときに精神薬を服用してひどい目に遭ったことで何かを悟った?

それも多少はあるかもしれない。

大病をして死線をさまよったことも多少関係しているような気もする。

そういうことを考え併せてみると、

歳をとることも、大病になることも、うつ病になることも、

すべてOKということだ。

孤独にも強くなった。

これはネットの効用が大きいと思う。

こうして他の方のblogを読ませていただくことで孤独は無縁になったし、

自分から発信することで自分の裡に籠ることもなくなった。

ただ弊害もある。

それは読書ができなくなったということ。

現在も読もうと思ってネットで本を買ったり、図書館に予約をして借りてくるのだが、

ネットに時間を使いすぎてしまうから読む時間が取れない。

ネットから得られるものも大きいが、やはり薄いということは言える。

以前ほどでなくても、もう少し読書することが今の私の課題だ。

最初のタイトルの根拠のない自信に戻るが、

読書することも自信につながることは確かだ。

*

★読書することも自信につながるが読書の時間がとれぬこの頃

★根拠なき自信をもちて生きてゐるこの頃これも年取る効果

★劣等感つよく持ちゐし昔かな哀しきことを常に考へ

★努力して努力実らぬこと多く打ちひしがれてゐしあのころのわれ

★生きてゐるだけで十分さう思ふ老いとはなりて自信を持てり

★死ぬことも怖くはあらず生き死にに関わらずある今の命は