また結社誌に発表されると思いますが、
自分なりにまとめておきたいと思って書きました。
まず最初は、高橋源一郎氏の講演。
題して、『日本文学盛衰史・平成後半』
私は、要約筆記されたものを読ませていただいての記録になります。
韓国のことについてのお話は個人的に宜えない話ではありましたし、
戦時の原爆の話も初めて聞いた話なので、にわかには信じがたいですが、
しかし、
全体的に非常に興味深い面白い話でありました。
この面白さの源は高橋氏の膨大な読書量ということも話の中でわかりました。
聞き間違い、読み間違いもあると思うから、文責はもてませんが、
お読みになりたい方は、どうぞ。
箇条書きで書きます。
*
最初の出だしは、高橋氏のごく近辺の話題から始まったが、
これが話功者の話し方なのかもしれない。
登山のように、裾野から始めるのである。
まず高橋氏はダイエットのため朝食を摂らない話から始められた。
*
朝食を食べないにも関わらず、
今日は駅弁を買い忘れて昼食も食べていないから、
途中で燃料切れを起こすかもしれないと笑わせておいてから、
自分の話し方の特徴を紹介された。
高橋氏は大学の先生もされているが、
授業では歩き回りながら話をされるそう。
マグロのように動き回らないと話ができない。
それで、一回あたり1万3千キロカロリーくらい消費すると。
ADHD(注意欠陥多重性障害?)だと言われる。
得意技は、その場の人達の平均年齢がわかること。
今日のこの場所の平均年齢は69、8歳プラスマイナス0,5歳くらい。
全体の色でわかる。
講演は枕が大事で、軽い話や土地の話とか、その日にあったこととかから始める。
西日本には読売ジャイアンツの嫌いな人が多い。
弟は長年肉体労働に従事してきたから膝が悪い。
膝をかばっているうちに筋肉も悪くなった。
人工関節を入れているが手術しても15年くらいしかもたない。
弟はスマホデビューしたが、私はパソコンとガラケー。
いま会っておかないと会えなくなるかもしれないから、
お母さんのお骨はまだ納骨していないが、
戦争で亡くなった叔父さん達のため、お墓の話し合いをしようと会った。
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お母さん方の叔父さん二人が戦死している。
上の叔父さんはシベリアで亡くなっている。
中国戦線で捕まってシベリアに送られたことが靖国神社のデータベースでわかった。
シベリアの奥地の収容所で亡くなったことがわかった。
靖国神社のデータベースは厚労省にも直結している。
シベリアの収容所では寒い日に大量に亡くなった。
下の叔父さんはフィリピンで亡くなる。
お母さんの遺族年金の日付と死亡場所が二つずつなのを不審に思っていたら、
その日付はフィリッピン戦争の始まった日とフィリッピンでの最後の戦闘地と日付。
フィリッピン戦争の戦死率80%。
小隊ごと、部隊ごと、だいたいがゼロ。
従軍していた看護婦さんも亡くなる。
一番死んだのがフィリッピン人で百万人くらい死んだ。
大岡正平の『野火』は小説の世界の話ではなく事実で、生き延びた人は人肉を食った人達。
小説家として書くためには、考えるためには、過去を知る必要がある。
大正文学篇は書けなかった。書く気が湧いてこない。
新潮に書いた昭和篇として「ヒロヒト」を書いた。
それまでは天皇廃止論者であったが、
何か言うのなら、100倍勉強しないといけない。
3日間くらいぶっとうして話すなら、1万2千冊くらいの文献が必要。
奥さんの実家に、そのための本棚を作った。
最近やっと自分が無知であることがわかる程度に進化した。
過去を探ると未来が見えてくる。
日本は原爆を落とされたことばかり言うが、
実は日本でも原爆は作っていた。
陸軍、海軍が別々に作っていた。
陸軍は東大。海軍は京大というふうに。
が、金がかかる。
ドイツとアメリカと日本で競争。
日本でも作るのは可能だったが、金がかかるから不可能だった。
放射能で被爆することもわかっていた。
日本も作ったら落とす気まんまんだった。
一方的に被害を受けたと言っているが、
作って落としたら万々歳だった。
「そうであったろう過去」
その過去まで戻ると今の世界が違って見える。
庶民は原爆を作っていたことを知っていた。
歴史学者は調べる。
僕らは、その上に、よりよい未来を。
*
最近の日韓関係はヤバい。
この3か月間、450冊の本を買って、ずっと読んでいる。
同時に世界の教科書を読んでいる。
教科書関係を180冊くらい買った。
教科書は面白い。
教科書は退屈なものだが、字が書いてあったら何でも読む。
一年生、「みんなのせかい」「みんなともだち」
これは日本だけ。
よその国の教科書は違う。
韓国の教科書が一番おもしろい。
日本のはつまらない。
韓国の高校歴史教科書は魂があって、生きる意味を探せる。
歴史なくして魂はない。
歴史は、過去を探索ではなく、未来。
過去と関わり合いのないものは存在しない。
書いてあるもので一番大切なことは「声」である。
文体ではなく、ヴォイス、これが大事。
小説にも、評論にも、エッセイにも、まともなものには「声」がある。
ただの文章ではなく、ヴォイスになっているかどうか。
教科書には各国のヴォイスがある。
最近さかんなSNSは文の生産量は上がったが、読まれていない。
過去の声に耳を傾けると、自分のためのものがある。
韓国のはヒューマン。
小沢一郎は嫌いだったが、本を読んで好きになった。
安倍さんの本は可哀そう。
読まれたら困るから、ほとんどが絶版になっている。
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短歌なんて、この声そのもの。
短歌は歌だからオールヴォイスである。
声を受けて送り届けることがDNA。
短歌は2000年つづいている。
小説は何百年。
比較にならない。
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国家にも声がある。
教科書は検討に検討を重ねて作ってある。
韓国の場合は日本の植民地について書かれてある。
日本は、いつまで謝罪すればいいかというが、
ドイツの教科書は、700ページずつの教科書2冊にナチスのことを書いている。
自虐史はドイツには敵わない。
ドイツは加害国。
なにかをやったら、繰り返す。
だから何度も思い出さなければならない。
永遠に謝罪はしないといけない。
フランスの教科書は600ページ。
フランスは被害者で勝った国。負けてはいない。
二重人格としてのフランス。
加害者なのか、被害者なのか、記録の偽造。
シラク大統領がしたことを忘れてはいけない。
声というのはナショナルなアイデンティティを所有している。
声は他者と分かつためにある。
21世紀は多様な時代。むずかしい。
移民問題。
他者の声は不快だ。
受け取る者が聴こうとしないと聞こえない。
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以上が、高橋源一郎氏の講演の私の備忘録ですが、
コスモスの小島ゆかりさんと吉川主宰の対談は、
また書くかもしれないし、書かないかもしれません。
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いまたまたま、私のフォロワーさんのblogにこういう記事を見つけました。
貼っておきますので、関心ある方は、どうぞ。
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天皇まんざーい 原爆特許所有者は天皇にほぼ間違いなし<>追記
高橋源一郎さんの「日本の開発していた原爆の話」は、まさかと思いましたが、
案外、本当の話だったかもしれません。
さらに、☟