神田祭.ch公式ブログ

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須田町一丁目南部町会

2005-05-15 13:32:00 | 神輿(中神田十三ヶ町連合)

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 須田町一丁目南部町会が宮入りしてまいりました。

 江戸時代の須田町は、現在の神田須田町一丁目とだいたい同じ範囲を指していました。江戸期の町内には、菓子屋や薬屋、塩や油を扱う問屋、神具や仏具を売る店など、さまざまな商品を扱う店があった、といわれています。現在の町内にも、東京都選定の歴史的建造物に指定されるような老舗の商店が数多く営業しています。

 「須田町一丁目」(南部)は震災復興計画によって、「通り新石町、小柳町西一部、須田町一丁目南一部」が合併し、昭和8年に誕生しました。 
 
 かつて、須田町交差点の一角で、銀座線の入口近くには「立花亭」という寄席がありました。この寄席は震災では焼けましたが、戦災はまぬがれて、昭和29年に幕をおろすまで、書物にもよく取り上げられるほどの東京でも有数の寄席の一つでした。名人と言われた三代目小さんの告別式もここで執り行われました。
 
 町会の該当区域は須田町一丁目5・7番地及び16~34番地までの偶数番地となっています。


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2 コメント

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今カリフォルニアから見ています。僕は深川永代二... (加賀洋平)
2005-05-15 13:55:42
今カリフォルニアから見ています。僕は深川永代二丁目南の出身で、僕の町会の人間が須田町一丁目南部で担いでいます。智さん、イーメールでの情報ありがとうございます。うちの町会のみんな、しっかり僕の分も担いでください。それにしても、アメリカでもこの映像を生で見られるということは、やはり21世紀ですね。
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「立花亭」を発見し、懐かしく思います。立花亭は... (中澤芳章)
2008-08-08 09:47:47
「立花亭」を発見し、懐かしく思います。立花亭は須田町1-16で、公楽さんという方が立花亭のスポンサーをされて、寄席を止めてからは都内の自宅の一つにして使用しておりました。私も昭和40年頃、まだ都電が有った頃ですが此方で書生をさせていただいて住んでいました。その当時、道路に面した所は三味線屋、砥石屋がありました。明治100年の時には神田鍛冶町の神輿を担いだりと学生時代の思い出の地です。久しぶりに神田を訪ねてみようと思います。きっかわ(きくかわ)でうなぎで一杯やりながら。知り合いは皆故人となりました。新しい神田の知り合いを求めて年内にはいざ神田へ!
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