須田町一丁目南部町会が宮入りしてまいりました。
江戸時代の須田町は、現在の神田須田町一丁目とだいたい同じ範囲を指していました。江戸期の町内には、菓子屋や薬屋、塩や油を扱う問屋、神具や仏具を売る店など、さまざまな商品を扱う店があった、といわれています。現在の町内にも、東京都選定の歴史的建造物に指定されるような老舗の商店が数多く営業しています。
「須田町一丁目」(南部)は震災復興計画によって、「通り新石町、小柳町西一部、須田町一丁目南一部」が合併し、昭和8年に誕生しました。
かつて、須田町交差点の一角で、銀座線の入口近くには「立花亭」という寄席がありました。この寄席は震災では焼けましたが、戦災はまぬがれて、昭和29年に幕をおろすまで、書物にもよく取り上げられるほどの東京でも有数の寄席の一つでした。名人と言われた三代目小さんの告別式もここで執り行われました。
町会の該当区域は須田町一丁目5・7番地及び16~34番地までの偶数番地となっています。