いよいよ覚悟の時。
激痛に対処するための座薬を繰り返し、
それでも痛みを取りきれない日々の連続。
21日も同じように過ごしていた。
フェントステープは既に16ミリ。
22日午後。
意識が薄らいでいた。
目を開けず、声も出せず、手を握り返す事も無く、とにかく何も分からない状態。
夕べから意識が薄らぎ始めた、との事。
会いたい人に会わせてあげて、と言われた。
今ならまだ声が聞こえて、僅かでも反応ができるから、と。
その後、モルヒネ投与を始める、と。
23日、祝日が幸いした。
孫やひ孫が駆けつけてくれた。
驚くほど意識が戻っていたので会話ができた。
前夜から4本の座薬を打ち続けていた。
血圧が下がり限界ギリギリだそうだ。
24日。
激痛を治めるためモルヒネ投与開始。
一時間あたり2ミリ。
お昼に始めたが痛みが引かない。
苦しみ続ける父。
「もう良いから楽にしてほしい」と何度も言った。
2時間後、モルヒネに重ねての座薬。
そしてその2時間後、やっと父が静まった。
25日。
午前中は眠っていたが、お昼前から痛みが襲ってきた。
座薬を打った。
全然治まらない。
4時。
主治医が来た。
モルヒネを3ミリ投与に増やした。
幻覚を見ている。
目をしっかり開けて、でも視点は合わない。
宙を見つめ何か動くものを追っている。
何かを見つけたらしい指差しの仕草をしたり、笑ったりしている。
現実の世界に居ない父を見ているのは悲しい。
でも苦痛に歪み続けた顔は一転して穏やかで幸せそうにみえる。
今も楽しそうに天井に居る誰かと話しをしている。
激痛に対処するための座薬を繰り返し、
それでも痛みを取りきれない日々の連続。
21日も同じように過ごしていた。
フェントステープは既に16ミリ。
22日午後。
意識が薄らいでいた。
目を開けず、声も出せず、手を握り返す事も無く、とにかく何も分からない状態。
夕べから意識が薄らぎ始めた、との事。
会いたい人に会わせてあげて、と言われた。
今ならまだ声が聞こえて、僅かでも反応ができるから、と。
その後、モルヒネ投与を始める、と。
23日、祝日が幸いした。
孫やひ孫が駆けつけてくれた。
驚くほど意識が戻っていたので会話ができた。
前夜から4本の座薬を打ち続けていた。
血圧が下がり限界ギリギリだそうだ。
24日。
激痛を治めるためモルヒネ投与開始。
一時間あたり2ミリ。
お昼に始めたが痛みが引かない。
苦しみ続ける父。
「もう良いから楽にしてほしい」と何度も言った。
2時間後、モルヒネに重ねての座薬。
そしてその2時間後、やっと父が静まった。
25日。
午前中は眠っていたが、お昼前から痛みが襲ってきた。
座薬を打った。
全然治まらない。
4時。
主治医が来た。
モルヒネを3ミリ投与に増やした。
幻覚を見ている。
目をしっかり開けて、でも視点は合わない。
宙を見つめ何か動くものを追っている。
何かを見つけたらしい指差しの仕草をしたり、笑ったりしている。
現実の世界に居ない父を見ているのは悲しい。
でも苦痛に歪み続けた顔は一転して穏やかで幸せそうにみえる。
今も楽しそうに天井に居る誰かと話しをしている。