当世ゆえ、なんでも、「しゃんしゃん」を付けるならば、可愛い感じがするのであるから、果たして現世を生きているのか、幻を彷徨うのか、分からないうちのおふくろにも、無理矢理そうしてみると、「ばあしゃん」である。
「ばあしゃんしゃん」、とやはり二回付けることが必要か。
パンダのしゃんしゃんは、見ていて全く飽きないが、老人ホームのばあしゃんしゃんを見に行くと、話がほとんど通じないので、直ぐに飽きる。
席替えがあって、最近は、お爺さんの隣に座っている。世話してもらっている職員さんは、会話が成立しているわけではないが、なんだか、楽しく喋っているように見えるのだ、と言う。
息子である吾輩が行くと「何でこんなところに居るんだ?ああ、今日は休みか。」と言って、吾輩の返事とは無関係に「ここは、学校関係の人が多いんだよなあ。おかしいなあ。」と眉を潜めながら言って、首を傾げる。その後の話はどんどん内容が分からないようになってくる。よほど子供達の学校でいろんなことがあったのか?
吾輩の忘れ物の話をするのは得意だった。教員免許がない吾輩を見て、そう言うのであるから、小学校の頃の吾輩の失敗に関わる記憶がよほど印象的だったのだろう。よくそんなことだけを少し覚えているものだとあきれる。姉のことも認識できないのだがなぁ。
隣のお爺さんに対しても何かわからないことを言うので、お爺さんのほうも何か言い出して、お互いにわけがわからないことを言って、聞いている方は収拾がつかない感じになるから、こいつあ「やべっ」と思って職員さんに礼を述べて、辞する。
吾輩が、見に行ったほうが良いのかどうか分からないのだが、偽善者たる自分は、ばあしゃんしゃんを預けっぱなしも気が引けるので、「どうしたろうかしゃん」になって、また来週迷うことにする。
「ばあしゃんしゃん」、とやはり二回付けることが必要か。
パンダのしゃんしゃんは、見ていて全く飽きないが、老人ホームのばあしゃんしゃんを見に行くと、話がほとんど通じないので、直ぐに飽きる。
席替えがあって、最近は、お爺さんの隣に座っている。世話してもらっている職員さんは、会話が成立しているわけではないが、なんだか、楽しく喋っているように見えるのだ、と言う。
息子である吾輩が行くと「何でこんなところに居るんだ?ああ、今日は休みか。」と言って、吾輩の返事とは無関係に「ここは、学校関係の人が多いんだよなあ。おかしいなあ。」と眉を潜めながら言って、首を傾げる。その後の話はどんどん内容が分からないようになってくる。よほど子供達の学校でいろんなことがあったのか?
吾輩の忘れ物の話をするのは得意だった。教員免許がない吾輩を見て、そう言うのであるから、小学校の頃の吾輩の失敗に関わる記憶がよほど印象的だったのだろう。よくそんなことだけを少し覚えているものだとあきれる。姉のことも認識できないのだがなぁ。
隣のお爺さんに対しても何かわからないことを言うので、お爺さんのほうも何か言い出して、お互いにわけがわからないことを言って、聞いている方は収拾がつかない感じになるから、こいつあ「やべっ」と思って職員さんに礼を述べて、辞する。
吾輩が、見に行ったほうが良いのかどうか分からないのだが、偽善者たる自分は、ばあしゃんしゃんを預けっぱなしも気が引けるので、「どうしたろうかしゃん」になって、また来週迷うことにする。